2011年12月31日土曜日

いつまでブラックボックス?


 年末のテレビの回顧番組は,当然ながら東日本大震災がメインだ。津波の凄まじさと、それを乗り切った人たちを追ったドキュメンタリー(フジ)などは、迫力があった。今を生きる人々、支援を続ける人々の力には感動する。

 それに引き換え、福島原発事故の方はいまだにブラックボックスである。部分的には報じられた話ばかりだが、肝心の菅首相のところが,詰め切れてなかった。各テレビとも,菅前首相はじめキーパーソンの話をもとに再構成したドラマ仕立ては,なかなか面白かった。しかし、9ヶ月も経って「そのとき官邸は」が焦点とは、やっぱりどうかしている。

 東電の首脳や原子力安全委などの専門家のウロウロぶり、情報の流れのおぼつかなさはよく出ていたが、閣僚は概して堂々としていた。怒鳴りまくって,周囲を萎縮させていたという菅首相ですら、なかなかのものだった。

 ところが、現地対策本部長だった池田元久・経産副大臣(当時)が発表した覚え書きでは,全く違う。

 情報が来ないことに苛立って3月12日早朝,原発に乗り込んだ首相は、出迎えた武藤栄副社長を「なぜベントをやらないのか」「何のためにオレがここに来たと思ってるのか」と怒鳴りまくり、免震棟でも、作業員の前で幹部を罵倒したという。池田氏は、「作業員の前はまずい」「あきれた」「指導者の資質を考えざるをえなかった」と書いている。

 テレビでも、3号機の爆発のあと東電が「撤退したい」といってきた時,官邸内で班目春樹・原子力安全委員長らを「どう思う」と詰問する様が描かれていたが、そうした証言を見るかぎり、かなり抑えた再現だったようだ。実際は,悪い情報を伝えるのもためらうほど、彼はぴりぴりしていた。

 いら立ちのもとはむろん、東電からの情報が来ないことと、専門家が適切な答えを出せないことにあった。ために,誰のいうことにも耳を貸さず、外部の人物に助言を求めることまでしていた。

 最初に原子力災害対策基本法に基づく緊急事態宣言をだす時も、原発からの緊急事態を受けて2時間経っても、官邸内では六法全書のコピーをしている始末だった(TBS)。一方で菅首相は、「ベント」や「海水注入」という技術のことまで仕切ろうとした。結果として彼は,優秀な官僚組織を動かす代わりに自分で全てを背負い込んでしまったのだ。

 トップがそうなると、官僚は上ばかりを見ることになる。1号機が爆発したとき、福島県警のヘリが近くを飛んでいた。爆発の15分後に、建屋の上部が吹き飛んでいることを確認。ただちに官邸に伝えられたが、官邸は「政府は認識していない」と再確認を求めたという(TBS)。誰だったのか、顔が見たいもんだ。その2時間も後に会見した枝野官房長官はまだ「何らかの爆発的事象」といっていた。

 放射能拡散をシミュレーションした「SPEEDI」のデータの扱いもそうだった。16日までに原子力安全・保安院に45回、文科省に38回も伝えられながら、住民には知らされなかった。官邸にも伝えられていない。なぜか。

 「政府が同心円で避難地域を設定したから,出る幕ではないと」(SPEEDIネットワーク),「あれは保安院の所管」(文科省),「放出源データがないとあてにならない,仮の数字」(保安院)‥‥班目氏に至っては「記憶にありません。聞かれたら答えた」というのだから呆れる。官邸が知ったのは15日の報道だという。この間に、住民はもっとも放射線量の高い地域へ避難していた。

 これを伝えたテレ朝の報道ステーションは,「人間に問題があった」「住民のことをだれも考えていなかった」といったが、菅首相以下も、過去の訓練では,住民避難区域設定の根拠になるデータとして見ているはず。130億もかけて作ったシステムを,誰も信用していなかったのである。

 こうした様子を見ていた東工大で同窓の日比野靖氏(のち内閣顧問)が、「彼は若くして政治家になったので、組織を動かした経験がなかった」と、素顔を言いあてていた。政治主導がどうとかいう問題でもなく、権力の使い方も知らなかったのである。これは民主党の幹部全体にもいえることだ。

 このあと出された「政府の事故調査委」の中間報告では、東電の情報の扱いと,官邸内の意思疎通のお粗末が、手厳しく指摘された。さもありなん。

 日テレの再現映像で、官邸地下の対策本部のシーンがあった。大部屋にとんでもない数の人間がワーワーいっている。各省庁から要員が集まればそうなるだろう。だが、だれがこれを仕切っていたのかが気になった。浮かんだのは、「船頭多くして‥‥」である。

 おそらくそこに流れ込んだ情報の大部分は津波だっただろう。これを見て、なぜ津波対策の出足が遅かったのかが、わかったような気がした。菅首相の頭は、ほぼ100%原発へいってしまっていた。官邸が,津波にも原発にも司令塔の役を果たせなかったのは事実だ。だが、官邸がそんな状態だったなんて,一度でも伝えられたか?

 どの番組でも、菅前首相は取材に答えている。しかしその答えからは、いい合いになるような厳しい質問が出たとは思えない。どことなくおとなしい。結果、まだブラックボックスは完全には開いていないと見た。

 事故調査委の菅首相からの聞き取りはこれからだ。多分容赦ない質問にさらされるだろう。そこで何かが出てきたとき、テレビの取材のアナが見えるのではないかと、いまから心配になる。

2011年11月27日日曜日

8ヶ月の時間


 福島第1原発の空撮写真が、朝日新聞に載った。「東電が空撮?」と思ったら、「本社機から」だった。「やっと飛んだか、8ヶ月も経って」。だが、「高度1万3千㍍から撮影」とある。なんてことだ。

 国交省が30km圏内上空の飛行禁止を設定したのは、3号機爆発直後の3月15日である。5月31日には20km圏内になり、その後条件は少し緩んだが、飛行禁止そのものは続いている。この写真は、20km離れた高空から望遠レンズで撮ったというわけだ。

 だったら、なぜ5月に撮らなかった?と聞きたくなる。この8ヶ月間に原発上空を飛んだのは、自衛隊の放水ヘリ以外は、無人機だけである。今回の事故で、メディアは政府の規制をそのまま受け入れ、地上でも30km圏内の立ち入りを自粛した。空からの規制も律儀に守っているわけだ。

 規制は本来一般人のためのもの。警察や自衛隊が入れる以上、報道もまた特別に扱われて当然だが、これを認めないのは、「見せたくなかった」からであろう。しかし、大手メディアはこれに異を唱えなかった。いや、唱えたかもしれないが、突き破れなければ同じことだ。ゲリラ突破すらやっていない。

 放射能の危険はあった。が、防護服と線量計で安全の限界は見極められたはずである。現に警察や自衛隊は、そうして規制区域内に入っていた。にもかかわらずメディアは,一般人になったのである。1万㍍上空なら真上だって大丈夫だろうに、ここでも一般人になった。なぜかくも従順なのか。あるいは、規制を幸いと逃げたように思える。

 写真には、原子炉建屋の内陸に、汚染水のタンクがずらりと並んでいた。東京ドーム8個分の敷地だという。一般人の知らぬ間の大工事だ。写っていたのは8ヶ月という時間だった。

 これに先立って、第1原発に事故後はじめて取材陣が入った(12日)。しかし、記者は東京、福島、外通の36人がバスに乗ったまま、原子炉の周辺を回り、免震重要棟を訪れただけ。ガラス越しとはいえプロのカメラがとらえた映像は鮮明だ。津波と爆発のすごさにはあらためて驚く。しかし、どれもみなすでに知っている光景である。

 「防護服を着て」「息を飲んだ」「無惨な」‥‥新聞・テレビが伝えるどんな言葉も空しく響く。初めて会見に応じた吉田昌郎所長は「もう死ぬだろうと何度も思った」といった。8ヶ月も経って聞きたい言葉じゃない。映像も言葉も、事故直後でこそ報道ではないか。

 原発内の状況の悪さは予想をはるかに上回った。原型をとどめないほどぶっ壊れた3号炉建屋付近では、放射線量はバスの中で最高1㍉シーベルトにもなった。しかし、汚染の低いところには,防護服姿の作業員の姿がある。彼らの作業環境はよくなったという。よくなかった時を見過ごしておいてなにを今更である。
 
 朝日新聞は、ずっと取材を申し入れていたと書いていた。しかし、そんな言い訳自体が敗北である。この8ヶ月を恥じよ。この日は、メディア敗北の記念日だと思ってしかるべきだ。

 そんな中、朝日の連載「プロメテウスの罠」が面白い。事故直後、さまざまに研究者の動きを縛った元凶を突き止めて、こちらでは8ヶ月前を引き戻したのである。

 気象庁気象研究所(筑波)の海洋、大気の放射能汚染観測は世界最長を誇る。事故のあと文科省が「予算を他にまわす」と中止をいってきた。民主党参院議員が動いて7月予算が戻った。この間、予算的には止まっていたのだが、研究者はよそからの援助で観測を続けていた。長期観測の記録はかろうじて途切れずにすんだのだった。

 ところが、記事を見た文科省が、「助けたのはだれか」と記者にまで聞いてきた。「予算を返してもらう」のだと。未曾有の事故にも観測実績が途切れることにも無頓着。「財務省がうるさいから」というのだから呆れる。

 気象研の所長は、研究者の学会誌への発表を止めた。海外の専門家との共同執筆だった。世界中が待っているデータでもあった。しかし、自分の論理と保身だけで動く役人たちには、余分なトラブルのタネとしか映らなかったらしい。

 これらが全部実名で出てくるのだから、17日にあった気象庁長官の定例会見は、連載内容の質問一色になったそうだ。しかし、長官は「文科省に聞いてくれ」の一点張り。「文科省」を16回も繰り返したと、連載が書く。

 汚染状況の把握と公表が滞ったのは、東電と官邸のせいばかりではなかったことがよくわかる。見事な取材だ。部分的には、敗北のアナを埋めている。ついつい,これがリアルタイムだったらなぁ,と思ってしまうのは、へその曲がりすぎだろうか。

 このシリーズは3つ目の「観測中止令」が終わったところだが、まだまだ続く。何が出てくるのか,大いに楽しみだ。ただ、連載でちょろちょろと小出しに続くのが、何ともかったるい。

2011年11月20日日曜日

巨人内紛で見えたもの


 読売巨人軍の清武英利球団代表兼ゼネラル・マネージャーGMが、ナベツネこと渡辺恒雄球団会長を批判したのには驚いた。いわば飼い犬が手を噛んだわけだが、いつか誰かがやるだろうと、誰もがこの20年余思っていたことでもある。

 巨人とプロ野球界でのナベツネの専横は周知の事実だ。とにかく巨人のことだけ。いい選手がとれないとドラフトに枠をはめる。近鉄がなくなったときの冷たさ。他球団は眼中にない。さらには取材記者への柄の悪さは「老害」とまでいわれていた。新聞・テレビが大きく報道したのは当然だろう。

 ただ、情報の流れがこれまでと違った。11日午前9時、文科省の記者クラブにあった会見の予告を、メディアは一斉にネットで流し、ツイッターは「不祥事か?」といった予測も交えてふくれあがった。午後2時からの会見には100人もが詰めかけ、生中継した「ニコニコ動画」は28万人余が視聴した。新聞・テレビが伝える前に、これだけの数が中身を知っていたのである。

 夕方から各テレビ局がたっぷりと時間を割き、新聞も12日朝刊で大きく展開した。一番張り切ったのは産経で、1面、政治面、運動面から社会面まで6ページに関連記事が出た。まあ、ごくろうさまである。対照的に、日本テレビはちょこっと。当の読売は運動面にベタ記事で、「ヨミがどう書くか」と期待した向きはがっかりだった。

 一方のツイッターはほぼ「祭り」状態で、ほとんどが清武支持。「ナベツネ辞めろ」の大合唱で、読売の扱いに失望したという声も少なくなかった。これらメディアの伝え方までを克明に報じたのは、yahooやJcastといったネットのニュースサイトである。

 翌12日、渡辺会長が反論を出した。「事実誤認、名誉毀損、悪質なデマゴギー」と痛烈だった。清武会見は確かに、筋としておかしい。日本シリーズという時期も最悪だった。反論には説得力があって、これも大きく報じられた。

 スポーツ紙は、中日スポーツ以外は全紙が1面で、日本シリーズ第一戦が見事に吹っ飛んだ。まあ、前代未聞である。笑ったのが当の読売で、運動面の長~いベタ記事。最初がベタだったから、大きくしたくてもできない。さすがに清武代表を切った時は、1面だったが‥‥。

 いってみれば、巨人が勝てないことからきた、つまらぬ内紛なのだが、新聞・テレビが大きく報じたのは、ナベツネの専横はプロ野球だけではなかったからである。むしろ本業の新聞の世界で、彼の落とした影は大きい。

 彼の登場以来、在京6紙の論調は常に3:3ないしは4:2に割れる。日経があっちこっちするからだが、発行部数で一番の新聞のトップが、自民党政権と深く関わった影響は決して小さくはなかった。

 官邸から警視庁にいたる記者クラブの、権力監視という一枚看板が崩れ、メディア間の連帯が失われた。事件の現場に報道陣が押しかけるのは変わらないが、いま彼らの仲間意識は希薄だ。互いにかばい合う空気は全くない。

 ペルーの日本大使館がゲリラに占拠されたとき、テレビ朝日の記者がスキをついて中に入ったことがあった。出てきた記者はペルーの警察に身柄を拘束されたが、現場に何十人といた日本人記者は、何のアクションも起こさなかった。抗議の声明を出したのはペルーの記者たちだ。ニュースを見ていて心底恥ずかしかった。

 このときナベツネは「人質を危険にさらした」と非難し、これが世論になる。哀れテレ朝の記者は特ダネをほめられるどころか、内部で処分された。しかし、ゲリラはすでに一部記者を招き入れており、人質に危険なぞなかった。もしこれが読売の記者だったら、ナベツネは「何が悪い」と開き直っただろう。

 彼はまた、新聞協会での世論形勢にも力を発揮し、長く協会を左右した。むろん他紙の腰抜けぶりも非難されるべきだろうが、彼にそれだけの迫力があったことも事実である。しかし、これが30年近くも続いた結果、メディア全体の劣化の遠因になったと、私は思っている。

 彼は政局にも堂々と関わった。ロッキード事件で有罪となった佐藤孝行氏(故人)の入閣をメディアがこぞって攻撃したとき、仕組んだのがナベツネだとわかって、読売の政治記者は悲惨なことになった。政権交代後も、ことあるごとに彼の影がちらつく。

 ナベツネ本人は気がついてもいまいが、その結果は読売の紙面に表れている。在京6紙のなかで読売が一番面白くない。記者が自由な発想を抑えられたときどうなるか、の見本である。部数競争では勝った。ナベツネの魅力で優秀な人材も流れた。その結果がこれだ。恐ろしいものである。

 かつての読売はもっとやんちゃで元気があった。いま彼らは、主筆であるナベツネの枠の中でしか動けない。他紙の記者に「オレは書けないけど、がんばってくれ」と声をかけた、なんていう話が聞こえて来る。彼らの目に、清武造反がどう写ったか。

 巨人の内紛報道では、新聞もテレビも、情報の早さ奥行きでネットにかなわなかった。ネットのお陰で、新聞も変身を迫られている。福島以来メディアへの信頼も揺らいだ。老害も賞味期限切れが近いかもしれない。

 その時読売で何が起るか。今回は切られてしまったが、第2、第3の清武は出るのか、ちょっと楽しみではある。

2011年11月4日金曜日

もうひとつの世界


 先月初めに放送された「BSスカパー!」開局記念番組であったバトルが、いまだに話題になっている。ネットの動画でいつでも見られるからだ。ナマで見逃しても大丈夫と、友人がネットで教えてくれた。とんでもない時代になったものである。

 この特番は10月1日、土日34時間にわたる構成で、総合司会は、フジ「とくダネ!」の小倉智昭と日テレ「スッキリ」の加藤浩次。朝の人気番組の顔が並んだ。バトルがあったのは1日深夜の時間帯、福島原発事故を追った岩井俊二監督のドキュメンタリー作品「friends after 3.11」だった。

 スタジオトークに岩井監督、俳優の山本太郎らが出た。山本は、テレビ番組を降り、所属事務所もやめて、福島の被災者支援に打ち込んでいる。その山本が「毒を垂れ流す東電ばりに毒を吐きます!」と宣言して、司会の2人に突っかかった。

 「キー局での皆さんの番組では、おそらく局側がブレーキをかけている」と地上波・情報番組の伝え方に異を唱えた。小倉は「ブレーキというより、入ってくる情報が、東電や政府の発表しかないから……」「それを流すだけでは、報道機関としてどうなのか。オリジナルの取材はしているのか? 放射能被害をきちんと追求しているのか」

 加藤が、「踏み込んでるよ。少ない人数で取材をしているけれど」と応じたが、山本は「それでは、ただの御用局ですよ!」とまでいった。その後も、加藤と山本の「(事実を)隠していない」「隠している」という応酬が続いた。

 テレビとしては耳の痛い話だ。情報番組の取材力なんてリポーターのレベルでしかないが、それをいうわけにもいかない。山本も報道番組との区別がついてない。といって、報道もあのていたらくである。つまり、山本の批判は新聞にも当てはまる。

 「friends after 3.11」は見応えがあった。とくに、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章のインタビューは出色だった。ナマの声はやはり活字とは違う。

 「私の目からみると……戦争よりもひどいことが進行してる、福島で。でも殆どの人が気がついていない。ここは関西(京大)ではほとんど他人事です。汚染を正確に知ってほしい」

 「原子力は衰退します。でも原子力が産み出してしまった核のゴミに立ち向かうという、どうしても必要な仕事がある。もう1度人生を生きられるなら、このためなら戻って来ます。原子力をすすめるためには二度と来ません」

 もとはスカパーだが、ネットに載るといつでも、何度でも見られるのである。しかし、パソコンにもスマホにも無縁の人には別世界だ。存在すら知らない。にもかかわらずいま、人々は薄々感じている。山本のいう「情報」、新聞やテレビが伝えない情報がどこかにあると。

 人々が集めた、あるいは接した情報や受ける実感が、メディアが伝える国や東電の発表としばしば食い違うからだ。メディアが隠すことはまずないが、真実を掘り出せなければ同じことである。本当に必要な情報が出てこなければ、向こうの世界の存在感が増す。ボールはいつも、こちら側にあるのだ。

 ネットで発言する人たちの多くは、こちらの世界には顔を出さない。山本のように、自ら決別しないといけないのが現実だ。小倉も加藤も今回は両方に顔を出したことになるが、こちらの世界でレギュラーを持っていると、局にたてつくことはできない。

 失うものがあるか、ないか。そして自分のアイデンティティーはどちらにあるかであろう。 先に会見で、内閣府の園田政務官が、浄化処理した原発の汚染水を飲んでみせるシーンがあった。ここで2つの世界がぶつかり合った。

 東電は、処理した水を発電所内に散布していた。これを「安全か」と問われて東電は「口にしても大丈夫」「海水浴場の基準を満たしている」といった。「じゃあ一杯飲んでみたら」といったのは、フリーの記者だった。これに政務官が「いつでも」と応じ、次の会見で実行したのだ。

 もともと飲用水ではないものを「飲め」というのは非常識だ。カイワレダイコンとはわけが違う。しかも飲んだ後に、「それで安全性が担保されたと思うか」と聞いたのもフリーの記者だった。その程度の人間をまともに受けた政務官もバカだ。これでは子どものケンカである。

 フリーの記者を納得させればすむことだ。原発の現場、水の採取から検査の中身まで、洗いざらい見せればいい。一般メディアには、政府・東電はウソをつくまいという暗黙の了解がある。が、フリーの記者にそんなものはない。また、現地へ行かず、発表をそのまま書き、ウソをつかれても怒らない、既存メディアへの不信感もある。

 もし記者のだれかが、「飲む必要はない」と園田氏を止めていたら、完璧だった。しかし飲ませちゃった以上、クラブもフリーもない、その場にいた記者全員が非常識、同罪である。フリーの記者だけを責めることはできまい。

 もとはといえば、メディアが役割を果たしていないからである。市民は報道に首を傾げ、ネットに耳をそばだてる。もし役割をきちんと果たしていれば、ネット情報はゴミになる。

2011年10月29日土曜日

ハントシノイノチ


 福島・南相馬市の市立病院が9月末に行った検査で、市内の小中学生527人を調べた結果、半分の268人から放射性セシウム137が検出されていたことがわかった(25日朝日朝刊)。「2人に1人」は確かに衝撃だ。

 ただ、体重 1キロ当り10ベクレル(Bq)未満が199人、20Bq未満が65人と大半で、35Bq以下の要注意は4人だった。記事は、「今後の経過を」と当たり前の書き方だったが、肝心のことが抜け落ちていた。

 セシウム(半減期30年)は排せつが比較的早く、大人で100日、新陳代謝の高い低学年だと30日くらいで半減する。小中学生をかりに平均60日で半減としても、検査の時点で6ヶ月経っているのだから、8分の1になっている計算だ。被ばく直後はいったいどれくらいの濃度だったか。

 記事にある学者のコメントも、「数カ月後に検査して推移をみれば……」なんていっている。おいおい、さらに6ヶ月後なら単純計算で当初の60分の1以下、低学年なら何百分の1だ。半年というのは、そういう時間なのである。

 このところ、古い話がしきりに出ている。(日付は新聞掲載日)
・ 福島原発の電源連結見送り(23日)。東電の元幹部が口を開いた。
・ セシウム汚染マップ(24日)。文科省の発表だ。
・ 東電の黒塗り文書公表(25日)。保安院発表。
・ 核燃料の再処理は割高、事故コストの試算(24、25日)。原子力安全委。
・ ヨウ素剤を服用すべきだと、原子量安全委が政府に助言(26日)。政府は動かなかったと。

 いずれも、数カ月前に伝えられて当たり前の情報ばかりである。7ヶ月も経って、核燃料は割高? バカにするな。そんなことはもう日本中が知ってる。黒塗り資料だって、いまできるなら半年前にできたはずだ。ヨウ素剤の服用では、科学者ならば当然わめき続けるべきを、そこで沈黙しておいていまになって話す、その神経がわからない。

 一方で、日本エネルギー経済研究所の「原発建設鈍ればCO2増」という「脅し」の試算もちゃんと載っていた。手前味噌の試算でも、ご用聞きの記者たちは律儀に書く。「その筋」はしっかりと動いている。

 そんななか、朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」が、福島原発事故直後の政府の情報管理に切り込んでいる。最初のシリーズ「防護服の男」では、原発周辺の住民や自治体までもが、高い汚染の放射線情報からシャットアウトされたさまが、ナマの証言で示された。しかも、情報は「上から」封じられていたと。ただごとでない。

 証言を積み重ねて追い詰めていく手法は、手間もヒマもかかる。人数を動員できる大きなメディアでないとなかなか難しいが、出てきたものは動かぬ証拠である。ただ、最初のシリーズは証言だけで終わってしまい、ちょっと肩すかし。住民が最初に不審を抱いた「防護服の男たち」にもたどり着いていない。

 しかし、手がかりは十分だ。たどり着けないはずはない。データを温存してじわじわと追い詰める手法かなと思っていたら、次のシリーズ「研究者の辞表」でやっぱり切り込んだ。

 この研究者は、事故発生と同時に現地入りの準備を始めたところ、所属していた研究機関から動きを止められた。そこで辞表を出して、NHKのスタッフと一緒に現地に乗り込んでいた。現地では様々なものが見えた。

・ 文科省は放射能予測システム・SPEEDIで、いちはやく高濃度汚染地を予測していた。しかし実測の結果は、住んでいる住民には伝えられなかった。
・ 日本気象学会は、3月18日の時点で会員に独自の研究結果の公表を控えるよう呼びかけていた。
・ 警察・自衛隊、政府機関も研究機関も「上から」数値の公表を禁じられていた。住民に「何者だ」と問いつめられて、「下請けだ」などといった‥‥。
・ この研究者の現地入りに待ったをかけたのは、誰なのか、もある。

 後に汚染を知って怒りを伝える住民の証言は切実だ。計測をした当事者の話にはさらに説得力がある。先を急ぎたい読者に、連載の展開はややかったるいが、「上から」が政府のどこなのかが焦点だ。いずれは官邸にたどり着くものだろう。

 ただ、書き方からは、官邸以外に「上から」がいくつもあったような嫌な予感もある。例えば、海江田経産相も枝野官房長官もSPEEDIの予測をあとまで知らなかったとか。文科省は予測データを報告したが、住民への告知は「うちの仕事じゃない」とか。

 展開が日々スリリングで、真綿で首を絞めていくような嫌らしさもある。ご用聞き記事ばかりの福島原発報道のなかでは出色だ。読み物としても面白い。

 ただ、読んでいてどうしても拭えないのが、なんでいまごろ? という思いである。連載のなかで、文科省の職員が「330マイクロSv/h」という計測結果に「大変だ」と叫んだのは、7ヶ月前なのだ。この時間を、書き手はどう感じているか。

 今回大手メディアは、原発周辺への立ち入りを自粛した。これは歴史に残る汚点になるだろう。しかし情報はとれる。電話取材ででも何でも、かき集めたデータで、少なくともその時点での真実に近いものにはなるのである。ただし、やるのはその時だ。

 一部住民はまだ住んでいた。多くの人が防護服で、あるいはなしで出入りしていた。連載は、その同じ人たちを取材した結果である。しかも内容は、連載で悠長に読むものではない。半年の遅れは何だったのか。酷なようだがやっぱり聞きたい。半年前お前は何をしていた?

2011年10月25日火曜日

オレオレを逃した


 電話が鳴って「はい」と出たら珍しくせがれからで、「オレだけど」と「いたずら電話とか無言電話はない?」とかもごもごいう。耳がよく聞こえないから、「そんなものはないよ」と、受話器を女房に渡してしまった。

 せがれが用事があるのは女房に決まっているし、ときどき聞き間違えては叱られているからでもあった。あとで聞いてみると、無言電話がやたらかかるので、携帯電話の番号を変えたということだった。「5万円もかかったんだって」「エー? ずいぶん高いな」

 翌朝、警察の委託を受けているという女の声の電話があって、○○高校の同窓会名簿をもとに、オレオレ詐欺が仕掛けられているからご注意を、ということだった。「オレにはかかってこないなぁ。楽しみにしてるんだが‥‥金がないとわかるのかなぁ」なんていってるうちに、話がおかしくなってきた。

 女房がせがれにメールをしたところ、「携帯なんか変えてない。電話もしてない」とわかったのだ。前夜の電話は新しい番号というのを知らせていて、「そっちからかけてみて」といわれて、女房は1回かけていたのだった。

 「オレオレ詐欺よ。声が違うなと思ったんだけど」。なんでも体調が悪くて、下痢が続いているといっていたので、疑わなかったらしい。

 そうか、もとはオレか。てっきりせがれだと思って、名前をいいながら受話器を渡していたから、女房もそのつもりだったと。案の定、そのあと何度か女房の携帯にはかかってきたのだが、素早い女房はその前に件の番号を「受信拒否」にしてしまっていたために、記録だけが残っていた。

 敵もしびれを切らしたのか、夕方には最初にかかった固定電話にかけてきて、なんとせがれの名前を名乗ったのだそうだ。女房はとぼけて「ハァー?」を連発したら、最後は「バカヤロー、このやろう」と切ってしまったという。いや惜しかった。

 耳さえちゃんと聞こえていれば、敵の誘いに乗って、かわいいせがれのために走り回る父親の役を演じてやろうと、日頃から手ぐすね引いて待っていたというのに。むろん、ちゃんと警察に手を回してである。携帯電話はリアルタイムで発信地がわかるから、面白い話になるぞーーなんていうシナリオも、ちゃんと声の聞き分けができてこそだ。

 それにしても、朝の電話の「警察の委託を受けて」というのも、ちょっと引っかかる。本物の可能性もあるらしいが、「オレオレの一味」とも考えられる。何しろ、最近のは手が込んでいるそうだから、「○○警察ですが」なんてのが現れたかもしれない。

 そうなると本物のお巡りさんを見慣れている私としては、ますます面白かったのに。う~残念。女房は「その耳じゃね」という。ごもっともである。

 その昔、取材で一度詐欺師をだましたことがある。そのときわかった詐欺師の最大の弱点は、自分がだまされるなんて夢にも思っていないことだった。これで見事にひっかけて、「詐欺師はいた!」という珍しい記事になった。

 カメラマンも離れたところから隠し撮りをして、といっても私をだまそうとしているのだから、詐欺は未遂だ。顔を出すわけにはいかない。しかし、カメラマンはさすがに腕達者だった。「カモがかかった」と上機嫌で去っていく詐欺師の後ろ姿をわざとブレブレに撮って、社会面のトップに仕立てたのだった。

 そうした古典的な詐欺師に較べたら、いまの「オレオレ」は何とも陰湿である。年寄りのなけなしの蓄えを、情け容赦もなく持っていく。被害はこのところ減ったが、かつては年百億単位だったのだから目を疑ってしまう。

 なんと善良で疑うことを知らない人が多いことか、と思うが、考えてみれば私も女房もそのとば口には引き込まれていたわけだ。こっちは金なんかないから気楽なものだが、これが1人暮らしのお年寄りだったりすると、引っかかるのかなぁと、あらためて考えこんでしまう。

 なればこそ、その「バカヤロー」のお兄ちゃんだけでも、ふん捕まえてみたかった。彼らだって、自分がだまされるなんて、夢にも思っていないに違いないのだから。敵が残していった電話番号は「080-4604-8369」。絶対にかけちゃいけませんよ。非通知設定か公衆電話以外は。

2011年10月21日金曜日

ラジウムの教え


 世田谷の「ラジウム騒動」は、多くのことを教えてくれているように思う。姿の見えない放射線と、どうつき合っていくか。科学知識の限界。そしてメディアの果たすべき役割‥‥これらを冷静に考える時間をくれたのではないだろうか。

 ラジウムはどうやら、戦前のものらしい。その謎解きはともかく、福島の原発事故がなければ、おそらくだれも気づかなかった。市民までが放射線測定器を持ち歩くようになった結果である。

 その家には50年以上、夫婦が住んでいた。夫はすでに90歳で他界。80代(90歳とも)の妻は今年の2月まで住んでいて、いまも施設に健在という。係累がどうかは不明だが、おそらく、子どもたちもここで育った‥‥しかし今のところ、放射線障害の話は出ていない。

 家の中の放射線量は年間17㍉シーベルト(mSv)というから相当なものだ。ひょっとして50年間もその中で暮らしてきたとなれば、大変な人体実験をしていたことになる。彼らの過去、現在の健康状態がどうであるかは、貴重なデータかもしれない。

 放射線被ばくによる人体への影響は、広島、長崎の生存者と、チェルノブイリ事故の追跡調査しかない。国際原子力機関(IAEA)の基準もこれらが元になっている。しかし、その基準自体が論争のタネだ。

 年間被ばく量1 mSvが安全というが、一方で「緊急時には20mSvでも」といい、原発作業での被ばく限度は「通常は100mSv」「緊急時は250mSv」だのと、いろんな数字が歩き回る。こうなると人間のご都合次第である。

 これでは一般の人はどれを信じていいかわからない。小さな子どもを持つお母さんたちの心配も、風評被害もすべてこれが元である。そうした中で、科学者たちの頼りなさも明らかになった。

 科学的にはゼロが一番。これは間違いない。が、どこまでなら安全かという「しきい値」はない、というのも統一見解だ。一方で、放射線はDNAにキズを付け、がんの発生につながると、これまた正しいとなると、だれも断定ができない。科学者の見解が頼りのメディアもまた、うろうろするばかり。

 世田谷の騒動が「ラジウム」と聞いたとき、だれもが思い浮かべたのが、各地のラジウム、ラドンの鉱泉だ。古来「身体にいい」と庶民に愛されてきた。朝日新聞がそのひとつ、山梨の「増富温泉」の話を伝えていたのが面白い。

 「何百年もこの温泉につかってきたわれわれが、元気に暮らしている」(のが答えだ)と、これは動かぬ証拠である。これに専門家が、「濃度次第。ラドン温泉の入浴程度なら問題ない」といっていたが、数値がいくらなら大丈夫とも言わない。それではもう科学とはいえまい。

 この家の放射線量は、とても「入浴程度」ではなかった。これが何年続いていたのか。家主夫婦は長命なようだが、家族の健康状態はどうなのか。ラジウムとセシウムではどう違うのか。日本中がいまいちばん知りたいところだろう。

 だが、ラジウムが福島と無関係とわかったとたんに、報道は止まってしまい、またホットスポット探しに戻った。福島、千葉、東京、神奈川と連日のように高い値が伝えられるが、科学者までが報道のレベルになってしまっては困る。

 どのみち、雨水の吹きだまりである。「心配することはありませんよ」「じゃぶじゃぶと洗い流してしまえばいい」と、はっきりといい切れないものか。いえないのだったら、口をつぐんでいてくれ。余分な物言いは、不安を煽るばかりなのだから。

 われわれはずっと人体実験をされているようなものだ。広島、長崎、第5福竜丸、世界中を放射能が覆った核実験時代を経て、チェルノブイリがあって、福島である。世田谷の夫婦はそのうえラジウムの放射線を長年浴びていた。が、90歳なら長寿のうちだろう。

 日本原子力研究開発機構の海洋汚染シミュレーションで、「この9月で核実験時代と同レベル」というのがあった。われわれは50年前、ちょうどいまと大差ない状況を何年にもわたって生きたのである。当時は汚染のことなど、だれも教えてくれなかった。その結果いま、日本は長寿世界一になった。見事、人体実験を生き延びた優等生というわけだ。

 しかし、今のままではいつまでたっても答えは出ない。ここはひとつ発想の転換が必要ではないか。すでにある低線量被ばくデータの解析である。欲しい答えはただひとつ、どの程度なら「無視できる」か、「しきい値」を探すことだ。科学者は否定するかもしれないが、絶対にある。「われわれが元気に暮らしている」のが何より証拠ではないか。

 比較的高い放射線のもとで仕事をしていた人たちはいくらでもいる。まずは原発作業員、医療従事者、治療を受けた患者、国際線の乗務員、ラジウム温泉のようにもともと線量の高いところもある。
 
 膨大な聞き取りと統計処理の作業だ。疫学の出番である。必ずしも放射線の専門家である必要はない。的を絞って知恵を絞れば、必ず何らかの結果は出て来るはずだ。もし政府が呼びかけたら、あちこちの大学や研究機関から手が上がるだろう。まだだれも知らない世界なのだから。

 かつて環境汚染に新たな目を開いた「奪われし未来」を思い出す。3人の著者は化学の専門家ではない。すでにあるデータを、問題意識をもって並べ直してみた結果、新しいものが見えたのだった。今回の放射線でも、問題意識さえあれば、素人のメディアでもひょっとしてと、そんな気がしている。

2011年10月16日日曜日

取材過程がさらされる


 小沢一郎・民主党元代表の記者会見はひどいものだった。小沢氏には、後になって批判が出たりしているが、まあ当然だろう。しかしそんなことはどうでもいい。問題は記者の方である。世界中を探しても、全体主義国家以外でかくも従順なメディアはないだろう。

 「国会での説明責任」を問うた記者に、小沢氏は「君はどう考えているの、三権分立を」と逆質問。この詭弁に記者が立往生して「もっと勉強して来なさい」とやられてしまった。そこで引き下がってどうする。他の記者から助太刀も出ない。

 また、4億円の素性を聞いた記者には、「検察に聞いて下さい」。さらに3人目の質問には、「ルールを守りなさいよ」ときた。司会者が冒頭、質問を4つに限り、新聞・テレビとフリーの記者に各2問としたのを「ルール」だという。最初につぶやいた「今日はサービスするか」が聞いて呆れる。

 しかし、記者たちは反論せず、「ルール」を黙って受け入れた。「三権分立」も想定済みの切り返しだろうが、詭弁である。三権は分立しているからこそ、国会での証言を拒む理由にはならない。裁判に影響するといういい方自体が、裁判官に失礼だろう。しかし、こうしこうした言葉が記者の口から出ることはなかった。

 テレビ会見の怖さは、取材過程がさらけ出されることだ。カメラは何でも記録する。記者がへっぽこだと、それがそのまま視聴者に伝わってしまう。まして言い負かされてしまっては、あとでいくら立派な記事を書いたところで、だれも信用してくれないだろう。自分たちも見られているーーこの怖さを、記者たちがどれだけ自覚しているか。

 あれは、小泉首相だった。イラクへPKOを派遣する根拠に、「憲法の前文に、世界平和に貢献し、とある」とやった。側近の入れ知恵だと後で聞いた。これに対してだれ1人、「総理、憲法には本文もありますよ」といわなかった。テレビニュースを見ていて、記者がなぜ反論しないのかと、いらいらした人は少なくなかったのである。

 小沢会見はそもそも、記者会見なんてものではなかった。「オープンの会見」と呼んでいたらしいが、ちゃんちゃらおかしい。記者会もフリーの記者もいたというだけのこと。小沢氏はこの1年ほど、フリーの記者たちのネットの会見によく出ている。つまり、フリーと記者会とで対等だということらしい。どちらであれ、「ルール」を受け入れた時点で、記者の側の負けである。

 もしこれが30年前、40年前だったら、「質問を4つだけ」というだけで、その場にいた全員が口々に叫んでいただろう。「何でだ?」「そんな会見があるか」「質問が怖いのか」「聞きたいことは山ほどあるんだよ」

 「君はどう考えているの?」なんて言おうものなら、四方八方から矢が飛んできただろう。日頃激しく競争してはいても、理不尽なことにはみなひとつになったから、質問に質問が重なって、ああいえばこういうも当たり前。ただし、どちらも真剣だった。小沢氏のような、はすっぱな調子で記者をバカにする政治家なんていなかった。

 思うに、今の記者たちはむろんのこと、小沢氏自身がその時代を知らないのであろう。すでに国会議員だったと思うが、まだ駆け出し。自民党幹部として記者たちに囲まれるようになるのは、20年もあとだ。その頃は両者の力関係が変わっていた。

 「メディアは、オレがいった通りを書けばいい」が小沢流だ。これ実は、小沢氏が大嫌いな検察官の言い草というのも皮肉だが、記者たちがこんなことを守るはずはない。とりわけ小沢氏の場合は、見出しになる言葉が少なく、思わせぶりばかりだから、だれも素直には書かない。

 身辺が身ぎれいでないから、逆に嫌な質問は山ほどある。これが嫌だからと、インタビューはおろか会見もしない。これを自民党幹事長時代からずっと通してきた。民主党になってからでも、「会見はサービス」といっていた。許してしまったのはメディアの側である。

 記者たちはなぜ、こんなにおとなしくなってしまったのか。ひとつはテレビがあるようだ。テレビカメラは、映像も音声も丸々記録してしまう。かつてのような、ざっくばらんな、時にははげしいお言葉の応酬はなくなり、紋切り型の質問ばかりになった。

 最近はまた、音はICレコーダーで録り、パソコンを持ち込んで発言をいきなり叩いている。だから、発言のフルテキストがすぐ出てくるのだそうだが、これではキーパンチャーであって、とても記者とはいえまい。

 おかしな答えや失言があっても、文句やブーイングすらないのも合点がいく。瞬時の切り返しはおろか、ああいえばこういうができるわけがない。ひたすらキーを叩き続けるご用聞きである。

 だから、あんな政治家ができる。小沢一郎を作ったのは、だれなんだ。テレビの視聴者は、とうにそれに気づいている。気づかないのは記者ばかり。これで報道の自由なんていえるのか。

2011年10月7日金曜日

半年経ってようやくか?


 朝日新聞が朝夕刊で同時に2つの「原発追及」の連載を始めた。朝刊は「プロメテウスの罠」という、福島原発事故直後の入念な現地ルポ。夕刊は「原発とメディア」で、原発報道の軌跡をたどる。

 「メディア」の方は、原発報道の最初期を担当した老記者への聞き書きから始まった。メディアが平和利用を支えてきた事実を、どこまでさらけ出すか。初回には、湯川秀樹が「平和利用は生やさしいものではない」と懐疑的だったとあって驚いた。

 「プロメテウス」の方は、もう少し切実な内容だ。初回が「防護服の男」シリーズ。事故直後の原発周辺の住民の間を、防護服で走り回っていた男たちがいた、という書き出しだ。住民は汚染状況も満足に知らされないまま放置された様が描かれて、不気味な展開である。長い読み物になるらしい。

 と、これと並んで4日の朝刊に、日立の作業責任者2人のインタビューが載った。現在と事故直後の福島第1原発の様子を語る。全体を把握していた当事者が直接語るのは初めてである。だが、1面に現在の様子、社会面に事故直後の話、ともになんとも突っ込みのない中途半端で、読んでいてイライラした。

 内容はある意味衝撃的である。地震があった時、第1原発に6400人もいたという。驚いた。この数は原発のイメージを変える。たしかに登録作業員数は1万人近いのだが、当日は1000人とかそんな数をいっていた。それが6400人も同時に働いていただと?

 とんでもない労働集約の現場ではないか。それでも原発はコストが安いってか? 彼らはどこで何をしていたのか。それが原発というものの実像になる。しかし取材した記者は、数字だけで素通りしてしまった。

 これ実は、事故直後に1000人と聞いたときにも、知りたかった。あまりにもイメージと違ったからだ。そのギャップはついに埋められなかった。報道に全く出てこなかった。今回の記事でもやっぱりだ。記者がその気でないと、何も出てこない。

 とにかくその日は、日立だけで1800人。即座に避難命令が出て、大半は大急ぎで退避したらしい。車が大渋滞したという。ところが、その後の津波の状況が話に出てこない。ということは、いったん外に出ていたということか?

 日立のチームはその夜、東電の要請を受けて、残った30人くらいで1、2号機の電源復旧を始め、未明まで続いたという。12日に1号機が爆発した時は原発の外にいた。戻ってみると、つないだ電源ケーブルがボロボロ。作業員に意志を確認すると、ほとんどが帰宅を望んだ。

 そして14日、残った作業員4人で2号機建屋内で電源復旧作業中に、3号機が爆発した。外へ出ると、乗ってきた車ががれきでつぶれていた。「終わりだ」と思ったという。がれきを踏み越えて防護服とマスクで走って逃げた。呼吸が苦しい。1キロ先の免震重要棟まで30分もかかった。東電が会見で「7人が行方不明です」と平然といったのは、この時だ。

 15日の爆発の後、作業員は退避。東電中心の70人だけになった。ちょうど菅首相が東電に乗り込んで、「撤退はありえない」と叫んでいた頃だ。そうか、東電の弱気は、手勢(下請け作業員)がいなくなったためか。社員を現場に入れるのが嫌だったんだ。

 このとき原発正門では10㍉シーベルト超を観測していた。しかし、日立はその後、課長級以上と下請けの社長ら30人が再び作業に戻ったという。この使命感はすごい。

 この後の展開の大筋はわかっている。自衛隊と消防庁の放水映像を見た。津波が建屋を飲み込む画像もあった。ジーゼル建屋の水没も原子炉のメルトダウンもいまは知っている。しかし、いまもって事故直後の原発内の全体像は描けていない。

 あらためて思う。連載にしろインタビューにしろ、こんな程度のことがわかるのになぜ半年もかるのか。いま取材できることは半年前でもできたはずだ。ナマ情報は人の口からしか出ない。住民は避難所にいた。原発では人の出入りもある。資材の搬入もある。関係企業もある。専門家もいる‥‥その時点なら、しゃべる人間を探すのは、いまよりはるかに容易だったろう。

 要するに取材しなかった、その気がなかったのである。放射能が怖かったのか。使命感が希薄だったのか。お陰で7ヶ月経ってなお、全容は描けない。依然として点と線の謎解きのままだ。

 今回の証言でも、ほんのわずかが埋まっただけである。日立以外の作業員はどうしたのか。かなりの数が作業に戻ったことは、連日800人からいたことでわかっている。しかし、実際彼らが毎日どこで何をしていたのかは、わからない。断片的に記事は出た。が、それ自体が点と線だったのである。

 インタビューは怖いものだ。何を質問するか、あるいはしないかで、記者自身が問われるからである。今回はいささかアナを見せてしまった。せめて日立の技術者の使命感を感じ取れ。そして、もうちょっと突っ込んで聞け。でないと、せっかくの特ダネが泣く。

2011年10月5日水曜日

暴力団排除条例の危うさ


 東京と沖縄で1日、暴力団排除条例が施行され、全都道府県が出そろった。新聞もテレビも、警察庁の発表通りに条例の解説に忙しいが、「‥‥してはいけない」ばかリで、条例がかかえている危うさに言及するものは少ない。本当にわかっているのだろうか?

 そんな中、産経新聞が2日の社会面で、山口組の篠田建市組長(69)のインタビューを載せた。彼はまず「異様な時代が来た」として、条例がこれまでの取り締まりと違うのは、場合によっては一般市民が処罰されることだという。まさに急所だ。

 「やくざといえども、社会の一員。親も子供も親戚もいる、幼なじみもいる。(これらと)お茶を飲んだり、歓談したりするというだけで周辺者とみなされかねない。やくざは人ではないということなのだろう。しかも、一般市民がわれわれと同じ枠組みで処罰されるとは異常だ」

 また、組員・家族については、「組員の子供は今、いじめと差別の対象になっている。家族は別ではないか。ふびんに思う」といい、このままでは「第2の同和問題になる」とまでいう。

 さらに、「取り締まりが厳しくなればなるほど、潜っていかないといけなくなる。それを一番危惧している。解散したら治安が悪くなる」と、組の解散は否定した。構成員が野放しになる方が危ないと。さすがにわかっている。

 暴力団はたしかにやっかいな存在だ。歓楽街や商店街に根を張り、「みかじめ料」やトラブル解決でしのぐのはかわいい方で、バブル期には地上げ、総会屋、ヤミ金融、今では一般の商取引への介入も当たり前。麻薬や銃の密輸では、海外にまでルートを持つ。大相撲の賭博でも顔を出し、芸能界とも長い歴史がある。さらには組同士の抗争も起こす。

 警察庁は昭和39年の第1次頂上作戦以来、撲滅作戦を繰り返してきたが、常にいたちごっこである。篠田組長も「窮地の中で山口組は進化してきた」という。組織員は減るどころか、増えている。社会の「落ちこぼれ」の受け皿としての役割が変わらないからだ。

 今回の暴排条例は、一般人の側から手を回すという点で有効かもしれない。みな法律を守って生きている人たちなのだから。しかし、それには警察が一般人の安全を100%保証しないといけない。それが本当にできるのか? それが不十分だったら、一般人を無防備のまま、ヤクザに立ち向かわせることになる。

 早い話が、島田紳助が右翼とトラブルになった時、警察は何らかの役割を果たしたか? 関西テレビや吉本興業も助けてくれず(これ自体もけしからんが)、1人孤立して引退まで考えたという紳助を、暴力団へと追いやる結果になった。今回警察庁は、その彼を暴排キャンペーンの「一罰百戒」に使ったのである。

 さらにやっかいな問題もある。山口組は、合法的な企業を持った最初の暴力団だ。40年も前、神戸港にいくつも作った荷役会社(ステベ)は、れっきとした企業で、労働争議などで見せるマル暴の顔は、港の秩序維持の役割を果たした。海運局とは、もちつもたれつだった。

 当時は、もしステベが止まれば、神戸港全体が止まった。いわば港の首根っこを押さえる巧妙な仕掛けだった。これをお手本に、その後多くの暴力団が企業化の道をたどった。不動産、建設、金融‥‥

 それらはどれも、先の方では真っ当な企業とつながっている。さらに切実で零細な、遊興や飲食業の人たちがいる。条例をたてに、関係を切れるところはいいが、切れないところはどうなるのか。場合によっては、死活問題にもなる。警察はそこまでの面倒は見まい。

 テレビで解説した弁護士が、「条例違反には、公安委員会から警告が出る。改善がなければ企業名を公表する」といい、さらに「名前が出ると、銀行融資が止まるかもしれない」といった。零細な企業にしてみれば、条例に脅迫されているようなものではないか。

 同じテレビで、ある飲食店主は、「入ってきた客を断ることはできないし、出前もやっているから、配達先がどこだからと断るのは難しい」といっていた。なにしろ相手はヤクザなのだ。スジを通して断って、殴られたり店を壊されでもしたら、あとで警官が駆けつけようと何しようと、痛い目を見るのは一般人である。トラブルを起こせば、その後もおびえて過ごさなければならない。

 そうした日々の生活まで、警察が完全にカバーできるとは到底思えない。むしろ、取引を断るのに、一般人の方がぺこぺこと頭を下げる図になるだろう。きっとそうなる。そのとき警察は、脇に立っていられるか? 怖いお兄さんににらみを効かせることができるか?

 条例を作る方は「ベカラズ」だから簡単だ。警察庁長官は「条例は大きな推進力になる」というが、その矢面に立つ怖さを考えているのか。世の中全部が暴排意識になればそれでもいい。が、それまでの間に、どれだけの「一罰百戒」が繰り返されるだろう。

 篠田組長はこうもいっていた。「結局、警察の都合でしょ。過去にもパチンコ業界への介入や総会屋排除などが叫ばれ、結局、警察OBの仕事が増えた」と。これを、違うと言い切れるか?

2011年9月26日月曜日

あきれた「小沢首相待望論」


 「小沢氏は首相で勝負せよ」には、わが目を疑った。24日の朝日新聞朝刊「記者有論」である。筆者は8月まで1年8ヶ月小沢番の政治記者だった。転勤になっていま、仙台の東北復興取材センターにいるという。

 記事は「被災地に転勤してきて率直に思う。やはり小沢氏は首相になるべきだ。岩手出身として東北復興の先頭に立つべきだ」という。野田内閣については「前途多難だ」と一言で片付けている。まだ予算委も開いていないのに、また自らも転勤3週間だというのに、いささか話が早過ぎないか。

 だいいちこの半年、小沢氏が東北に何かしたという話があったか? 現地に足を運んでも、支持者のところだけで、反対派は素通りという話はあったようだが‥‥。

 本文もひどい。小沢氏はこの20年、「政局的手腕」は評価されながら、ずっと裏方だった。このままだとまた「闇将軍」になってしまう、と希望的観測を列挙して、「政治的手腕」を発揮できれば「名宰相とうたわれるだろう」とある。いやはや、とんでもないところに応援団がいたものだ。

 政権交代以来、民主党政権に立った波風は大方小沢一郎氏が元である。これを支えたのが、「ねじれも予算も役人も、小沢氏の剛腕で」‥‥という「小沢神話」だ。メディアが不必要に小沢氏の動向を伝えるのが、ずっと腑に落ちなかった。

 理由がわかったのが、昨年の代表選の前である。朝日に載った、歴代の小沢担当記者6人の座談会だ。このブログですでに触れているものの再録になるので、いささかの重複をお許しいただこう。

 座談会は小沢氏が代表選に出馬するかどうかが焦点だった。6人は「出る」「出ない」という見通しから「出るべきでない。1回休み」「いや出るべきだ」まで。理由はともかく、小沢氏がトップに立ったときの危うさを、だれも疑っていないことに驚いた。どころか、明らかに期待していた。

 これで初めて「あ、時代が違うんだ」とわかったのだった。年代からいって、彼らが小沢氏を担当したのは自自連立あたりからだ。自民党幹事長の頃は、6人のうちいちばん年かさの記者でもまだ駆け出し、政治部員にもなっていない。

 古い世代にとって、小沢氏の剛腕とは即ち独断専行だ。「数の政治」の信奉者だから、選挙のためなら何でもあり。政治資金から政党交付金まで不審な金の話が絶えずついて回った。政権の実質ナンバー2なのに、首相にという声がついになかったのも、身辺が身ぎれいでなかったからだ。

 彼はまた、健康診断を理由によく海外へ出た。出先支局ではパパラッチを雇って彼の追跡をしたが、とうとうしっぽを出さなかった。「メディア評価研究会」のインタビューで野中広務氏は、「あれは健康じゃなくて、金のため」といっていた。真偽はわからないが、健康で雲隠れする必要はあるまい。

 小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反で26日、東京地裁は元秘書3人に有罪を言い渡した。ゼネコンからの裏金の授受を認定したのが大きい。これはそのまま、小沢氏の政治手法につながる。いまもって、自民党時代そのままなのだ。

 新聞記者嫌いも変わらない。下野してかなり変わったとはいうが、「会見はサービス」などと、相変わらず政治記者を見下している。そのくせニューヨーク・タイムスだのワシントン・ポストにはホイホイと会う。「自国の記者だけが嫌いな政治家なんて信用できるか」。これだけでも、小沢氏を好きな記者なんかいなかったろう。

 最近は、嫌な質問の出ない「ニコニコ動画」がごひいきだ。要するに、メディアは、いったことをそのまま書けばいいと。これは今の記者なら、百も承知だろう。昔話だって知らないはずはない。しかし、肌で知らないとは何と恐ろしいことか。

 昨年の代表選の後、玄葉光一郎氏が「ベテラン記者までが、小沢神話に引きずられていた」と嘆いたと、朝日のコラムが書いていた。なかに小沢担当記者が「小沢が政策を語るのが新鮮だった。中身より小沢の対応に興味があった」といっていたともあった。これが多分、この記事の筆者だろう。

 政治家に記者が心酔するのは、珍しいことではない。政治家にはみな何かがある。しかし、まともな記者ならば、片足は永田町に置いても片足はこちら側にあるはずである。だからこそ周囲も見える。小沢氏とその政治手法が賞味期限切れに近いことも見えるはずだ。

 朝日新聞のいいところは、社説とはまったく逆の主張でも、平気で紙面に載ることである。むろん論拠がしっかりしていないとダメだが‥‥。

 かつて小選挙区制導入が論議になった時、論説が「容認」に傾いていく中で、ひとり「中選挙区制」を主張し続けた編集委員(故人)がいた。米英の制度までを検証して、「民意の反映にならない」「政権交代にはつながらない」という主張は、社説よりはるかに説得力があった。

 むしろ、彼が鋭くついた現行制度の矛盾が、いまの見直し論とつながっているのは、感慨深い。政権交代は実現したが、はたして制度のお陰だったか? その前に国民が自民党を見限っていた。制度は確かに大差をもたらしたが、ふくらんだ数の多くが「小沢チルドレン」である。

 「小沢神話」はなお健在だ。国会議員はあの通り。チルドレンもいる。記者だって彼1人ではなかろう。記者が何を考えようと自由だが、こんな論拠も薄弱な「応援歌」が紙面に載ること自体、何かが壊れている証拠である。

2011年9月24日土曜日

見えているのに見ていない


 台風15号が東日本を縦断した。テレビはいつものようにあちこちリポーターを出して、ヘリが飛んで、大忙しだったが、ナマの映像を見ながらイライラするのもいつも通りだった。

 都心で風速36メートルとは聞いたことがないが、コメントでも聞いたことがないのがいくつか。お台場のルポで、女子アナが「キャー」といって「まるでアラシのようです」には笑った。嵐を取材してるんでしょうよ、お嬢さん。

 東京というとなぜか新宿駅南口だ。電車が止まって「大混雑です」というのだが、見たところいつもの混み具合と変わらない。あそこはいつもああなのだよ。違うのは立ち止まっている人が多いこと。これがこの日のニュースだった。わざわざ濡れるところでしゃべって、カメラがパンすると、濡れてもいない乗客がカメラに手をあげたりしている。間抜けなことこの上ない。

 城ヶ島のリポーターは、ヘルメットを飛ばされそうな風のなかでわめいていた。10年一日のごとく、こんな中でしゃべることはないよ。彼は三浦半島一帯で何度も暴風雨の中に立った。まことにご苦労様だったが、ひと言いわせてもらうと、いつも画面の真ん中にいるお前さんが邪魔だ。後ろの波の様子が見えないじゃないか。

 現場ルポの怖さは風や雨じゃない。リアルタイムに現状を伝える映像に、しゃべりが勝てるかどうか、その怖さだ。さらに、写っていないものも含めて全体状況も伝えないといけない。だが、多くは舌足らずで、写っている絵にも追いつかない。といって恥じてる風もない。

 ヘリの中継もそうだ。岐阜・御嵩町の土砂崩れの現場で、土砂の中から車がみつかった。大きく崩れた土砂の末端に救助作業の人が見える。ライブの映像がそこを映し出した。白いミニバンが横転して泥に埋まり、運転席のドアが開いている。一瞬「運転者は脱出したのか?」と思う。

 ところがヘリからは「車でしょうか?」、東京のスタジオも「あの白いのが?」なんていってる。現場は何を見ている? スタジオのモニターは安物か? 車は前夜から不明だった男性のものだった。

 台風上陸前のいちばんの関心は、紀伊半島の土砂ダムの成り行きだった。そのひとつ和歌山・熊野では、流れが堤を超えていた。「勢い良く泥水が流れ出しています。決壊しているように見えます」。まだ決壊じゃないだろう。越流だ(この越流というのも、今回初めて聞いた言葉だが)。

 下流では泥流が民家のある岸辺にどどんとぶち当たっていた。「民家に迫っています」。んなもの全部見えてるよ。それよりも、越流とは別に、土手の途中からも流れが見える(写真参照)のだが、リポーターは気づかない。「オーイ、穴が開いてるぞー」

 十津川・赤谷では、水位が増えた後、急激に水位が下がったというモニター・ブイの情報。ヘリが飛べないから、国交省では「理由がわからない」という。わからないじゃないだろう。低いとことに穴が開いたに決まってる。大分遅れて「穴が開いたと思われる」と発表があった。

 台風に限らず何でもそうだ。カメラの性能は素晴らしいから、何でも写っちゃう。ところが人間がそれを見ていないのだ。リポーターも東京も、見えてるものを見ていない。だからテレビを見ている方が、へとへとに疲れてしまうのである。

2011年9月14日水曜日

お祭りメディアはもうたくさん


 またまた大臣が失言で辞めた。ついこの間も、それで1人辞めたというのに、学習能力のなさにあきれるが、もっと気になるのがメディアである。いったい何を考えているのか。

 初めて大臣になれば誰だって舞い上がる。それまで縁のなかった記者たちに毎日囲まれるのだから、つい口が軽くなって、前後を忘れて持論を展開したり、軽口が引っかかったりーー自民、民主を問わず、新内閣では当たり前のことである。

 ただ、野田内閣では10人が初入閣のうえに、党内融和で危なっかしい人材もいたから、即座に2、3人はやるだろうと思っていたが、いや出るわ出るわ。一川防衛相の「シビリアンコントロール」、小宮山厚労相の「たばこ700円」‥‥うち鉢呂経産省の「死の町」「放射能つけちゃうぞ」が、言い逃れできなかったわけだ。

 ただの議員と大臣との違いがわかるまでには時間がかかる。かつて、失言ばかりが新聞の見出しになった森喜朗・元首相なんかは、最後まで議員と首相の違いがわからなかった口だ。野田内閣だって、まだ出るだろう。閣外でも、平野国対委員長の「不十分内閣」、前原政調会長の対中発言など危なっかしい。

 しかし、騒ぎになる経緯を見ていると、メディアが大いに片棒をかついでいることがわかる。鉢呂大臣は警戒区域を視察したあとで、町の様子を「死の町」といったが、だれが見たって「死の町」に違いはなかろう。そのあとに「なんとか町をかつての姿に」とか何とか付け加えていれば、何の問題もなかったはずである。

 ところがメディアは「死の町」だけをつかまえて、首相に、福島に伝える。首相はびくりして「謝罪を」といい、福島県民は怒る。その声をくっつけて記事にする。おまけに、前日防護服姿で視察から帰った大臣が、待ち受けた記者に「放射能つけちゃうぞ」といった、冗談までも書いてしまう。

 しかも書いたのは翌日、「死の町」発言と抱き合わせだから明らかに意図的で、こっちの方が致命傷になった。「福島の人たちの苦しみを何だと思ってるのか」という決めつけだ。しかしこれ、大臣としての能力とはおよそ無関係だ。むしろ彼は福島には何度も足を運んで、もともと農協出身だから農業の実情はよく知っていた。福島を貶める気なぞ、さらさらなかったろう。

 あらためて考えてみる。いま新聞・テレビの野田内閣についての報道は、「素人ばかり」「未知数」「先が目ない」と、そんな決めつけばかりである。2年前までは野党議員だったのだから、「素人」は当たり前ではないか。それよりも、野田首相は事務次官を集めて「協力」を呼びかけ、「政治主導」では事実上白幡を掲げた。いってみれば、だれが大臣であろうと同じ、といったも同然である。

 現に、大臣がいなくても、経産省はそのまま動いている。次の大臣にだれがきても、何事もなかったようにーーそれが日本の官僚組織だ。外務省でも財務省でも同じである。

 そんな大臣のあげ足取りに、バカバカしい時間と労力をかけている場合ではなかろう。それでなくても首相の首のすげ替えに5ヶ月も大騒ぎして、これは間違いなく災害復興の足を引っ張った。騒ぎの半分はメディアがつくったようなものである。

 なぜこんなことになるのか。目の前で展開している政治が、自分の国の政治だ、という自覚がないのではないかとすら思えてくる。まるでよその国の出来事を見るような傍観、情報を右から左へと流すだけのご用聞き、騒ぎをあおり立てるお祭り根性‥‥。

 だから、本当の不条理に対する怒りが足らない。失言の現場での瞬発力もない。何もいわずにそのまま書いて、騒ぎになって大臣の首が飛ぶ。それをまた書く。ほとんど「いじめ」ではないか。そんな記事読みたくもない。

 朝日新聞がまた「メディア欄」で、このいきさつの検証みたいなことをやっていた。そのときどこの社がいて、どんな記事を書いた、やあ何だかんだと、いつものヤツだ。まあ、書いたのは別の記者なのだろうが、自分のところも1枚噛んでいるというのに、よくやるよてなもんだ。

 この半年間を見れば、メディアがなすべきことは何を置いてもまずは復興の尻をたたくこと、放射能の影響についてのあらゆる情報を届けること、永田町の混乱の元凶をあばくことであったはずだ。しかし現実は、「菅が悪い」の大合唱、放射能情報の追及不足と鈍感、永田町のお祭りーー要は霞ヶ関と永田町の後ろを走っていたのである。そんなメディアを誰が信用するか。

 経産相の後任は結局、枝野幸男・前官房長官になった。「即戦力」というが、彼のこれまでの福島問題への姿勢を考えると、その筋には思わぬ誤算かもしれない。まあ、これはじっくりと見守るとしよう。

 その枝野氏を、朝日夕刊の「素粒子」が、「従者だけ復活」とサンチョ・パンサになぞらえて、菅・前首相をドン・キホーテにしてしまった。これは上手い。しかしその後がいけない。「失言追及と弁明の国会が始まるかと思うとうんざり」だと。火を付けておきながら、その言い草はないだろう。

2011年9月8日木曜日

どじょう宰相の本当の顔は?


 野田佳彦・首相の誕生を、メディアは予想できなかった。そんな記事を読まされるのも情けない話だが、テレ朝に細川護煕・元首相が登場して、代表選前に小沢一郎氏と3人で会談したと明かしたのには驚いた。もしこれが事前にもれていたら、代表選の形勢は変わっていたかもしれない。 ここでもメディアは1本とられた。

 野田氏は代表選で、相田みつをの言葉を引いて自らを「どじょう」に例え、実直なイメージを定着させた。これも細川氏が前日の演説を「財務相演説だ。もっと人間味を出せ」と指摘したのを受けて、がらりと切り替えたのだという。しかも「どじょう」は、小沢氏側近の輿石東氏を幹事長に引き込む布石だった。こんな政治家、これまでいたか?

 演説のうまさは評判通りだ。間合いといい、言葉の確かさといい、例の小沢・鳩山・菅のトロイカとは段違いだ。ぶら下がり取材でも、嫌な質問にも平然。そのうち下手な質問には切り返しかねない。とても「どじょう」なんてもんじゃない。

 テレビを見ながら、本人がルックスを自慢していたという話を思い出した。多分国対委員長だったころ、フリーのジャーナリストに、「いま、こういう風に作っている。いいでしょう」といったというのだ。以前とはイメージを変えたらしい。

 それが今の姿そのまま。どうみても自民党のたたきあげ陣笠代議士だ。当時の代表がスマートな前原誠司氏だったから、いま思えば、それが「金魚とどじょう」だったのだろう。しかしこの見かけ、中身にもつながるらしい。

 政治家としての野田氏を、朝日新聞は「土着の保守政治家タイプ」と書いていた。県議時代から大臣になるまで24年間、船橋駅前で辻説法を続けてた泥臭さは、自民お得意のドブ板選挙も真っ青である。政治信条でも、A級戦犯について自民党に質問書を出すなど、確かに保守的だ。

 代表選出後は、真っ先に輿石幹事長を決め、次いで党執行部・閣僚・政務3役までの入念な派閥均衡人事。さらには政調会長の権限強化、事務次官会議の復活などで、党内の体制を固めた。唯一の誤算が、岡田克也氏の官房長官固辞だったが、実務型内閣には問題はなさそうだ。

 とくに驚くのは、細川氏が仲介した3者会談だ。ここで小沢票が来ないことはわかったはず。それでも勝ったときにどうするか。その時点から、敵である輿石氏を取り込む戦略を立てていたわけだから、これは相当なタマである。このあたり保守の老かいな政治家を思わせる。

 細川氏も「彼は保守ですよ」という。「安定・保守、こげつかないテフロン・フライパン」と面白いいい方をしていた。野田氏がはじめて国政に出たのが、細川氏の日本新党からだった。以来野田氏をずっと見てきて、政治的資質を高く評価しているといっていた。

 メディアは「未経験の大臣ばかり」なんて書いているが、政権交代2年で経験者がいるはずがなかろう。1人2人バカな大臣も出るだろうが、要は首相の舵取りの才であろう。閣内掌握、小沢派の動向、官僚との間合い、焦げ付きのタネはいくらでもあるが、それがテフロンフライパンということか。

 しばらく前、朝日新聞の「耕論」が、「松下政経塾に任せられるか」というのを組んだ。故松下幸之助の発想から32年で、いま国会議員38人、地方議員30人、首長10人だという。奇しくも野田氏をはじめ、政権の中枢に塾出身者がぞろぞろと並んだいま、読み返してみるといろいろ面白い。

 論者の1人、元松下政経塾頭の上甲晃さんは、「塾が、普通の若者と政治をつなぐ役割をはたしたのは確かだが、『かれらが首相になれば』とは、いまや誰もいいません」と現状を嘆いていたのだったが、首相になっちゃいましたね。

 早稲田・雄弁会出身の荒井広幸・参院議員は、「地盤・看板・かばんのない人間が、政治家になるルート、という点では似ているが、政経塾が司馬遼太郎的なら、雄弁会は藤沢周平的で草の根保守なんです」とうまいいい方をしていた。ん? これも話が違ってきたのでは?

 もう1人、自民党の派閥抗争が大好きだったというロック歌手の西寺郷太さんは、「徒手空拳で訴えた理想を見失い、そこそこ優秀な『規格品』になってしまった」と手厳しかった。だが、いまその「理想」と「規格品」との兼ね合いが問われることになった。

 すでに当選を重ねている議員を、政経塾だからどうというのもおかしなことだ。が、最後の西寺さんの問いは、今後も続くだろう。実際に塾出身の首相や閣僚が日本を動かし始めたのだから。

 政治家の才のひとつに、「見出しになる言葉」がある。小泉純一郎氏以降久しく、そんな言葉をはく政治家はいなかった。政治家の言葉は、ときに中身より明晰さ、わかりやすさである。だから見出しになる。どうやら野田氏にはそれがあるようだ。長年の辻立ちの成果であろう。

 震災復興、景気浮揚、財源、行政改革、増税‥‥実務をこなす中で、どれだけの「見出しの言葉」をはけるか。意外に「どじょう」が大化けするような、そんな予感がする。

 そしてもうひとつ、外交の場での言葉の重み。野田氏にとっては、国連総会と日米首脳会談が最初の場となる。外国メディアを含めた会見、これもひとつの見せ場だ。どんなことになるか。実はちょっと楽しみにしている。

2011年8月13日土曜日

傍観ばかりの木偶の坊


 津波で倒れた岩手・陸前高田の松原の松を、京都の大文字焼きで焼くという計画が、「放射能汚染だ」という騒ぎで中止になった。その後復活することになったが、何ともバカな話である。それ以上のバカが、報道だった。

 どこの記事も経緯を書いた最後に「汚染の心配はない」という学者の談話がついている。白黒がはっきりしているというのに、「何をバカなことを」とズバリ書かない。「京都市に文句が殺到」などと、脇で見ているだけの「傍観報道」である。

 大臣の放言も同じだ。その場で「おかしい」といわずにそのまま書いて、2日3日経って大臣が辞任したと、また書きたてる。そんな大臣は、その場でよってたかってこらしめて、仕事をさせる方が先だろう。これは「お祭り報道」だ。

 しかし、7月27日の衆院厚生労働委での児玉龍彦・東大教授の参考人説明は、どんなへっぽこ報道人でも、見過ごしてはならないものだった。

 アイソトープセンター長の児玉教授は、福島第1原発から放出された放射性物質の総量に言及した。教授もいうように、今回事故の総量は全く報告されていない。同センターが推計した結果は、衝撃的だった。教授は「熱量換算で広島原爆29.6個分、ウラン換算で20個分」といったのだ。根拠はよくわからないが、まさか、という数字である。

 これを踏まえて教授は、汚染地域での測定の必要、子どもたちへの汚染の懸念、などを訴え、最後に「国会は一体何をやっているのか」とまでいった。普通の記者なら、終わったとたんに教授を追いかけ、詳細を取材して、大臣や議員の反応を聞く。それだけのネタである。

 しかし驚いたことに、これを報じた新聞・テレビはなかった。いまだに何も出てこない。だから、これを知ったのはネット情報からYouTubeの映像である。これでメディアといえるのか?

 公開の場だから、1社が動けばみんながバタバタとなるはず。だれも書かないということは、ニュースと気づかなかったか、だれかに入れ知恵されたか。いや、後者なら少なくとも騒ぎにはなるはずだから、やっぱり動かなかったのだろう。国会議員も含めて、まさしく木偶の坊の集団である。

 福島からの放出量は、いくつかの推計があるらしい。6月に日本原子力研究開発機構が出した海洋汚染のシミュレーションでも、これを書いた私のブログを見て、「注目すべきは別のところ」と指摘してくれた人がいた。

 あらためて資料を見ると、グラフに「今年9月時点で核実験時代の汚染とイコール」というのがあった。今の汚染はそれ以上、ということだ。会見では説明がなかったらしく、載せない社もあったし、載せたところも「1年後には昭和30年代の3分の1」などと書いた。

 その人は、「汚染を少しでも低くみせようという意図がうかがえる」といった。グラフにはちゃんと載せた。記者が気づかなければ知らん顔、というわけである。狙い通りの報道内容に、同機構はほくそ笑んでいただろう。

 稲わらの汚染も、元はといえば、農水省が農作業と飼料としての流通の実態を知らなかったため。一種の人災である。稲わらに放射性物質が残りやすいことすら思いいたらなかった。損害賠償の矛先を向けられても仕方がないくらいの失態だ。

 しかし、これを認めた大臣会見では、今後の調査項目だったか、目をそらせるものが織り込まれていて、記者たちは見事これにだまされていた。役人の狡猾さに較べ、何とお人好しの記者たちよ。

 放射能では、気になる事がまだまだある。戦後広島、長崎で生まれ育った人はいくらでもいる。60歳以上は、みな60年代の核実験時代を生きてきた。私もその世代だが、世代全体として放射能が健康に影響したという実感はない。「騒ぎ過ぎじゃないか」と思うことすらある。

 いまの不安のもとは、低線量汚染が人体に与える影響がわかっていないことだ。だからこそ、いまがどの程度の「地獄」なのかは知りたい。放出総量は手がかりのひとつだし、広島の20倍と聞けば「エッ」と思うのが当たり前だ。しかし、これにもメディアは恐ろしく鈍感である。

 先日のNHKスペシャルに、原爆投下時に広島上空を飛行中だったという、戦闘機紫電改のパイロットが登場したので驚いた。よくも見つけ出したものである。彼は「突然吹き飛ばされ、コントロール失って500メートルほど高度を落としたところで機体を立て直した。さきほどまであった広島の町が消えていた」と証言していた。

 見たとたんに、「相当な放射能も浴びていたのでは?」と思ったが、テーマが「情報戦」だったからか、番組はそれには触れなかった。推測するに、高高度を飛行中に閃光を機体の下から浴びたのが幸運だったのだろう。その御仁は、90歳近かったと思うがまだお元気だった。

 広島原爆の爆風と閃光をもろにあびて、無傷で生き残っている人なんて他にはいまい。むしろ、どうしていままで登場しなかったのかが不思議なくらいである。もう一度登場してもらう値打ちは十分だ。NHKも気づかないことはないと思うが、他の報道を見ていると、ひょっとしてと、心配になってしまう。

 かつて大本営発表を書かされていた記者たちには、本当に書きたい記事が別にあった。しかし、今の記者たちには、お上の発表がすべてらしい。アナも見抜けない。目の前にぶら下がっているネタにも気づかない。傍観に慣れてしまった結果だろう。どう考えても、木偶の坊という言葉しか浮かばない。

2011年8月3日水曜日

グリコ・森永事件のトラウマ


 NHKスペシャル「グリコ・森永事件」が面白かった。1年をかけて当時の捜査関係者から記者まで300人を取材して、新聞記者を中心にしたドラマに再現。2晩にわたって計4時間という異例の放送だった。NHKは贅沢なことをやる。

 しかしこれで新たにわかったことは、あまりなかった。ただ、展開は思っていた以上に複雑で、その過程で警察とメディアの関係が崩れていったことがよくわかった。とくに大阪府警の秘密主義に押し切られたメディアには、事件が一種のトラウマになったらしい。その後の事件報道でいつも感じる違和感の大元が、これだったのかと合点がいった。

 昭和59年3月、グリコの江崎社長が、猟銃をもった覆面の男3人に自宅から誘拐されたのが発端だ。社長は3日後自力で脱出したが、そこから前代未聞の劇場型犯罪が始まった。

 「けいさつのあほども つかまえてみい」という挑戦状が届く。「グリコのせいひんに せいさんソーダいれた かい人21面相」。大阪府警とマスコミへの挑戦状と企業(グリコ・丸大・森永など)への脅迫状は140通を超えた。

 特ダネ競争のメディアと秘密捜査を守りたい大阪府警は大混乱に陥る。さらに「どくいり きけん 食べたら 死ぬで」と書かれた森永製品がコンビニなどでみつかって、メディアは「報道すべきか」と悩む。しかし1社が書けば終わりだ。結果、否応なしに利用されたのだった。

 事件のヤマは3つあった。いずれも失敗に終わる現金受け渡しーーグリコの3億円(6月2日摂津市内)、丸大食品の5000万円(同28日京都行き国電内)、ハウス食品の1億円(11月14日名神高速)だ。

 はじめの現場に現れた男は、犯人グループに脅迫された一般人だった。次の京都行き国電内と、3つ目の名神・大津SAで、捜査員は不審な「キツネ目の男」を見る。が、捜査員の職質を上層部は禁じた。いずれもその後男を見失う。

 名神では、指定場所付近でパトカーの職質を振り切って逃走した不審車があった。みつかった車からは、警察無線受信機など犯人をうかがわせる遺留品が多数みつかった。滋賀県警は、この日の捜査を一線の警官には知らせていなかった。ために非難をあび、翌年夏県警本部長は自殺する。

 だが、元は大阪府警である。近畿管内の県警に「手を出すな」と縛っていた。府警は「現金受け渡し時に一網打尽」が方針で、「キツネ目」の職質を認めなかったのもそのためだった。当時の捜査員は27年経ったいまも、「あのとき職質をしていれば」と、夢にまでみるという。

 メディアははじめ、府警が「書くな」という情報を書いていた。ために府警は10月、在阪社会部長会と異例の「報道協定」までして報道を封じていた。この秘密主義は最後まで変わらなかった。

 コンビニの怪しい男の映像、犯人の指示の声(子ども、女性の録音)、「キツネ目」の似顔絵、いずれも時間が経ったあとの公開である。似顔絵などは、年が明けて1月だった。これがメディアにはトラウマになる。

 「かい人21面相」はその後も、いくつかの企業に脅迫状を送るなどしたが、翌60年8月、滋賀県警本部長の自殺を機に、「もお やめや」と収束宣言。以後消息を断ったまま平成12年2月13日、事件は時効になった。

 ドラマのモデルになった1人、当時毎日新聞の吉山利嗣氏(64)は、「あれが挙がらなかったから、閉塞感の漂う日本になったと思う」という。挙がる挙がらないはともかく、警察とメディアの関係を問い直すべきだったのは確かだ。

 番組はそこまで踏み込んではいない。が、秘密捜査と情報公開のタイミングについて、少なくとも事件のあと警察とメディアが一緒に検証すべきだったと思う。公開は早ければ早いほど有効だからだ。

 現に、08年JR大阪駅で起った通り魔事件では、防犯カメラの映像公開で、あっという間に犯人を割り出した。何百万人というテレビ視聴者の目である。同じ大阪府警の決断というのも皮肉だが、実はいまもって例外中の例外である。日本全国で警察の秘密主義はますます強くなっている。

 未解決事件で、時効間近になって警察がビラを配っているニュースをいくつ見たことか。目撃情報が欲しければ、記憶が新しいうちに限る。人の記憶はせいぜいが1週間だ。

 番組で「グリコ・森永事件」当時の府警本部長はいまも、「怪しいだけでは逮捕できない」といい続けていた。延べ130万人の警官を投入しながら解決できなかったというのに、自分の方針が間違っていたとも思っていない。まして、今のおかしな事件報道につながっている、メディアや一般人の目を生かすなど、思いも及ばないだろう。

 警察とは、もともと隠すのが商売。その口をこじ開けるのが記者の腕だった。しかし、近年の事件の公表経緯を見ていると、両者の信頼関係が崩壊して、記者はご用聞きになり下がっている。報道に生気がない。記事が面白くない。

 事件担当は辛いばかりだ。警視庁担当になった若手が、「もう2度とお目にかかることはないと思いますが」と笑わせたことがあったが、それはまた「花形」の証でもあった。それとて、相手が貝になってしまえば終わり。

 この状態に風穴を開け、警察を動かせるのはメディアだけである。何よりも信頼関係の回復だろう。そして、もっと筋の通った、開かれて生き生きとした事件報道を読みたいと思う。

2011年7月27日水曜日

地デジがいまもってわからない


 とうとう慣れ親しんだアナログテレビが消えて、地上波デジタルに移行した。例の「2000年問題」と同じで、過ぎてしまえば何のことはない。20万人ほどが、しばらくテレビが見られなくなったそうだが、テレビがなくてもそれほど困らないことが確認できて、かえっていいかもしれない。

 わが家は恥ずかしながら、家電量販店の安売り宣伝に乗った家人が、受像機だけは早くに地デジ対応にしてしまったので、スリルを味わうこともなかった。ただ、ひとつだけ頭を悩ませたのは、録画装置だった。ブルーレイだの何だのは、決して安くはない。そんなものまで強制されてたまるか。

 画像は素晴らしいというが、もともとメガネをかけてようやく見えているような目だから、たいした違いはない。ところがこれもJCOMが、当分はアナログ変換の画像を流してくれるとわかって問題解消。こんなことなら、テレビも古いままでよかったのに、と思ったが後の祭りである。

 この地デジというやつ、いまもってよくわからない。電波の有効利用のための国策で、総務相が2000億円、NHKと民放が中継局や機器の導入に1兆5000億円を投じたというが、それ以上に全国民に「テレビを買い替えろ」と強いたのだから、とんでもないことである。

 そもそもは、NHKと総務省の筋書きである。民放なぞは嫌々だった。そりゃあそうだ。投資額が半端じゃない。そのころNHKの研究所でデジタルの実験を見たことがある。民放からも来ていて、いろいろメリットを並べていた。「双方向になりますから、番組に視聴者が参加できます」という。

 「例えば?」「クイズに応募できます」「こんな大金をかけてクイズかよ」「‥‥」。その後地デジ化がどんどん進行しても、発想が深まることはなかった。肝心の電波の有効利用の方は、まだこれからなのだという。そのメリットとやらを、早いとこ見せてもらおうじゃないか。

 たしかに画像は鮮明で、データ放送だとかマルチ編成だとか、可能性がいろいろあるとはいう。しかし、大方の視聴者は「いまのままでいい」といっていたのだし、現に地デジになっても放送内容に大差はない。夜なんぞはどこを見てもバラエティーばかりで、大枚をはたいたメリットが見えてこない。現に、テレビの平均視聴時間は減っているというではないか。

 こんなものを訳もなく強制されて、よくまあ暴動を起こさないものだと、日本人の従順さにあらためて驚く。買い替えのために減税だの何だのと「国策」を振り回して、またそれに応えて家電量販店に人々は群がった。何と御しやすい国民だろう。

 新聞はみな社説で、「地デジ時代」に触れた。しかし、その内容を見ると、混乱を最小限にしたいとか、「電波の全体利用計画をわかりやすく」とか、新聞自体が地デジ化をよくわかっていないのがありありだ。

 また、地デジの楽しみ方の解説もあった。誰もが見てわかるのが画質だからこれはいいとして、データ放送はたしかに便利なものだが、はたして使える人がどれだけいるか。マルチ編成で3つの番組まで同時に見えるといったところで、聖徳太子じゃあるまいし。みんなテレビにそこまでを求めちゃいまい。

 多チャンネル化もひとつの売りだが、これは有料番組が増えるというお話だ。ほとんどが映画、スポーツ、娯楽だろう。代わりの手段はいくらでもある。さらにインターネットとの連動となると、わざわざテレビがやることか、といいたくなる。そのうちテレビにキーボードを、てなことになるのだろうか。そんなものだれが使うか。

 それよりも、アナログ停止で空いた電波をどう使うかだ。携帯端末向けのマルチメディア放送が来春スタートするという。が、それはもはやテレビの話ではあるまい。携帯の方が進歩しているのだ。その携帯用の周波数帯を広げるのが本来の目的であろう。

 そちらが公平に広がらないようだったら、みんなしてテレビを買い替えた意味がない。視聴者は口を出す権利を買ったようなものである。双方向性は、ここでこそ確保しないといけない。

 地デジ切り替えの前日や当日になって、家電の店にやってきた人たちが相当数あった。「最後は安くなるだろう」という思惑は、残念ながらはずれたらしい。また画面が見えなくなったあと、総務相のコールセンターに問い合わせが10万件もあった。こちらの多くはお年寄りだという。

 テレビニュースは、「間抜けな人たち」といった口調で伝えていたが、とんでもない、最後まで政府に踊らされなかった立派な人たちである。彼らがそこでひと騒動起こせば完璧だったのだが、惜しむらくは、騒ぎとは無縁な善良な日本人ばかりだったらしい。

2011年7月24日日曜日

週刊誌の機転が冴える


 肉牛の放射性セシウム汚染は、とうとう松阪牛にまで及んだ。宮城県の稲わらを食べさせていたためだという。あらためて日本は狭いと思う。牛の移動だけでなく、エサも何百キロも離れたところへ送られていた。これでは防ぎようがない。

 農家にしても、原発からはるか80キロも100キロも離れたところで、稲わらからかくも高い放射線量が出るとは思っていなかった。原発事故の後に刈り取った草や稲わらは牛に与えないようにと、お触れは出ていたというが、牛乳であれだけ大騒ぎをしながら、肉牛に目配りを欠くとは、農水省もお粗末極まる。

 追跡調査で、残っていた肉から一部で国の規制値500ベクレル/キロを上回る数値が出た。が、規制値以下のものもある。すでに食べちゃった人たちは、どっちだったかわからない。追跡調査をしても、こればかりはどうにもなるまい。

 知りたいのは、この規制値500ベクレルが何ほどのものかだ。松阪牛では規制値よりかなり低かった。が、出荷自粛だという。じゃあその肉はどうなるのか。また、多少規制値より高くても大丈夫という専門家もいる。むろん、すでに食べちゃった人へのコメントだ。じゃあお前さん、ひとつ食べてみるか?

 要するに500という数値自体がよくわからないのだ。これが一向に新聞には出てこない。目にしたのは週刊誌である。「週刊ダイヤモンド」が専門家のインタビューを載せていた。崎山比早子さんという、元放射線医学総合研究所主任研究員である。

 話のポイントは2つ。放射線被曝の長期にわたる人体への影響を判断するのは、広島・長崎の生存者9万人の生涯追跡調査が元であること。もうひとつは、どれだけ以下なら安全かという「しきい値」はないということだ。

 広島・長崎の生存者は、平均で200㍉シーベルト(半数以上は50mSv)という高濃度汚染だったが、現行の規制値は、これを直線的に低線量に置き換えて、国際放射線防護委員会(ICRP)が出した勧告が元になっている。他にチェルノブイリの周辺調査も25年の積み重ねがあるが、しきい値がないという以上、500という数字ですら安全とは言い切れないことになる。

 しかし一方で、低線量の領域になると、日常さらされている医療や自然放射能と大差ない。だから、大丈夫だという人もいる。事実60年代には、各国の核実験によって地球全体が相当な高濃度汚染にさらされていた。これが福島と較べてどの程度の汚染であったのか。知りたいのはここだ。

 現状から逃げることは出来ない以上、少なくとも、いまがどの程度の「地獄」なのかが知りたい。だが、新聞・テレビは、この程度の基礎的なことすら、わかりやすい形では伝えていない。視点が定まらない。機転もない。規制値を上回った、下回ったという話ばかりで、右往左往する役人や政治家の後ろを走っている。

 いま焦点の「西日本の電力不足」を、独自の試算から「ウソ」と断じたのも同誌だった。電力各社の発表をもとに、安定供給の目安となる「供給予備率」から最大出力と供給力との差に切り込み、「隠しだま」を洗い出して、西日本で最大1500万キロワットの余力があるとはじき出した。余力はまだ他にもあって、「原発停止=電力不足はウソだ」という分析は説得力があった。

 表の数字ではたしかに電力不足が懸念される。しかし、節電の呼びかけには、原発停止に対する電力業界の巻き返しの臭いがする。「このままでは企業が海外に逃げてしまう」「経済的打撃が大きすぎる」と、経団連までが声高に政府を攻撃する。同誌は、これに切りこんだのだ。

 これを読んで、いま新聞にこれをやる能力があるだろうかと心配になった。むろんできないことはないだろうが、なによりも発想である。思いつかなければ、何も出てこない。

 案の定だが、22日の朝日の社説は、「西日本も、さあ節電だ」だった。まあ、お人好しというかなんというか、「電力不足に陥りそうだという」「当面は節電でしのぐしかない」と。さすがに「もっと根拠のある数字と説明を」と書いていたが、要は旗ふりそのものである。電力業界はほくそ笑んでいたことだろう。

 日頃発表の場からは外されていることが多い週刊誌は、まさに発想が勝負だ。「週刊ダイヤモンド」は時に意表をつく特集や切り込みが売りである。だが、発行部数は15万部ちょっとだ。朝日の論説も読んでいなかった。もし読んでいたら、ああまで素直な社説にはならなかっただろう。

 先週の週刊ポストがやった、ガイガーカウンターの能力較べは傑作だった。5万円のカウンターは50万円のものの倍の値が出た、というのだ。安い方のカウンターは、一般市民がいま大いに使っている。その高い数字をもとに、ああだこうだいっている新聞・テレビへの痛烈な一撃だった。

 週刊誌の目配りが冴えている。ひるがえって大手のもディアは、相変わらず表の発表を素直に伝えるばかり。ツイッターのコピペと変わらない。いや、ツイッターは裏の情報があふれているから、刺激としては上かもしれない。

2011年7月12日火曜日

やらせメールのどこがおかしい?


 玄海原発の再稼働をめぐって、経産省が先月26日佐賀で開いた説明会に、九州電力が子会社や事業所に「賛成メール」を送るよう指示していたことがわかった。日本中が原発に目を剥いているというのに、まあ無神経なことである。

 6日の衆院予算委で、共産党の笠井亮氏が持ち出して大騒ぎになった。この説明会は、ケーブルテレビとネットで中継されたもので、住民の出席は経産省が選んだ7人だけ。傍聴者なし、報道関係にも非公開だった。

 ために笠井氏ははじめ、「もっとオープンな場で聞くべきだ」と問い、これを海江田経産相が「CATVとネットのライブだから公開だ」と突っぱねた。そこでこの話を持ち出したものだから、経産相も菅首相もギャフンだ。「けしからん話だ」といわざるを得なかった。

 九電も社長が会見して事実を認めたのだが、これがまたひどいものだった。何をきかれても「コメントしかねます」ばかりで、途中で紙が1枚入って、それを見ながら「責任はわたしにあります」というまでに30分はかかった。あの紙は何なんだ。

 おかげで、再稼働に同意していた玄海町長が同意を取り消し、当面の再稼働は吹っ飛んだ。九電はこれまでもそうしたやり方を通してきたのだろうから、「やらせメール」自体にはさして驚きもしないが、腑に落ちないのは情報の出方と伝わり方である。

 共産党議員がいきなり国会で、というのは近年珍しい。おかしいなと思ったら、すでに「しんぶん赤旗」が2日付けで伝えていた。さらにこれを受けて、4日の鹿児島県議会原子力安全対策特別委で質問が出て、九電が否定していた。いったいどういうことだ。

 一番大きく1面トップで伝えた朝日新聞(7日朝刊)は、社会面に「6月下旬に情報を入手したが、九電広報は、『メールで指示は考えられない』といっていた」とあった。読売も似たような書き方だ。つまり、「赤旗」が伝える前からそういった情報が流れていたのだが、取材は正面玄関をたたいただけで、広報に突っぱねられて「はいそうですか」と引き下がっていた。

 続報をみると、説明会前日の25日、九電子会社の社員が共産党のどこかの事務所を訪れて、社内で流れたメールを示して、「コンプライアンスに反する行為は会社のためにならない」といったという。立派な内部告発である。

 さらに、武藤明美・佐賀県議(共産)が、説明会当日の26日朝、佐賀県幹部にこの旨を伝えたが、県はそのまま放置したという。党は告発者がだれかは教えなかったが、コメントが各社全く同じだから、武藤県議が出したものに違いない。

 結局どこもウラがとれなかったのだろう。「赤旗」にしてからが、メールの文面を手にしていながら2日朝刊である。1週間も何をしていたのか。しかも「赤旗」に出てからも、各社動かなかった。そして4日後、国会での発言となる。佐賀の取材網は眠っていたのか? 共産党情報だからと、色眼鏡で見ていたのか?

 まだある。真っ当な内部告発なのに、なぜ報道機関でなく共産党へいったのかだ。その社員が党員だった可能性は高い。しかし、それならなぜ「赤旗」が報ずるまでに1週間かかったのかが腑に落ちない。現に県幹部には即座に話しているのだ。会見を開いて、説明会をぶち壊すこともできたはずである。

 このあたり、共産党の情報の扱いもうさんくさいが、各社が情報をつかんだのは、おそらく県幹部か周辺だ。そこで県議にも取材はした。が、ソースはわからない。で、九電に「モシモシ」してそれで終わりか。

 もし、告発者が党員でなかったとしたら、メディアとしては深刻だ。かつてメディアは、とりわけ新聞は、反体制的な情報の一番の持ち込み先だった。扱いにも慣れていた。情報提供者がわからないように、かつ満足がいくような紙面づくりで応える。その結果が次につながる。

 新聞の信頼感は、そうした積み重ねでできていたはず。それが崩れているのではないか。例の尖閣諸島での中国漁船の映像騒ぎがいい例だ。神戸の海上保安官は、映像をCNNに送ったが、そのあとはYouTubeだった。日本のメディアは眼中にない。

 一線の記者の存在感が薄くなっているのかもしれない。便利なネット情報の活用に慣れて、地道に歩き回る姿が見えにくくなっているのではないか。タレコミの多くは、そうした姿をたどってくる。人から人、口から口。情報とはそういうものである。

 少し心配しすぎかもしれない。今回は党員だった可能性が高そうだ。しかし、それでも端緒はあった。にもかかわらず、玄関取材だけであっさり引き下がってしまう、素直でお人好しがひっかかるのである。まして「赤旗」が報じて、鹿児島県議会でも話が出たというのに、鈍感にもほどがある。

 根はひとつではなかろうか。メディアとしての信頼が一朝一夕に得られるものではないのと同様に、失うのも突然ではあるまい。日々の報道がじわじわと劣化していった結果ではないのか。今回のお粗末は、日々の紙面のおかしさ、かくのごとし、という実例である。

2011年7月7日木曜日

政治家との距離感


 松本龍・復興担当相の辞任は、まさに身から出たサビ。それにしてもひどい発言だった。

 岩手の達増拓也知事には、「知恵を出さないヤツは助けない。そのくらいの気持ちを持て」。宮城の村井嘉浩知事には「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれは何もしないぞ。ちゃんとやれ、そういうのは」

 しかも遅れて部屋に入った村井知事に、「お客さんが来るときには、自分が入ってからお客さんを呼べ、いいか‥‥長幼の序がわかっている自衛隊なら(知事は自衛隊出身)そんなことやるぞ。わかった? しっかりやれよ」

 まだあった。今度は記者に向かって、「いまの最後の発言はオフレコです。いいですか。みなさんいいですか? 書いたらもうその社は終わりだから……」

 気になるのはメディアの伝え方だ。異様ともいえる命令口調には、記者たちもカチンときたのだろう。一斉に「放言」と伝えたのはいいが、最後の「オフレコです」を載せたのは、見たかぎりでは毎日だけ。ただ、「書いた社は終わり」はなかった。

 産経以外は各社概ね内容を伝えてはいたものの、いわゆる雑報であって、何より問題の「命令口調」が出ていなかった。「オフレコ」が半分は効いていたのか。ナマの言葉が出てきたのは、騒ぎが大きくなってからだ。

 ここで力があったのはテレビ映像だ。直接見てはいなが、東北放送が発言をそのまま流したのが皮切りだったらしい。それがYouTubeにのってネットで騒ぎになった。各局も流し出す。命令口調がそのまま。オフレコのところも、まるまる出た。

 それにしても、オフレコとはなめられたものである。松本氏は日頃それで通してきたのであろう。それを許してきた責任はメディアの側にある。生温い伝え方にそれが出ている。

 発言のその場で、「知事にその言い方は失礼でしょう」「書いたら終わりとは、どういうことだ」というべきだろう。これもメディアの役割のはずだ。もし、大臣といい合いになれば、それはそれで立派なニュースである。

 それをいわずにおいて、あとで「放言」とやんわり書いて、すったもんだ3日もかけて大臣の首を飛ばして、今度は辛口の論評をして、それでよしとするのか? だから傍観メディアといわれるのだ。怒りには瞬発力が要る。

 もし岩手の段階で、「大臣、あのいい方はきつ過ぎますよ」と声をかける記者がいたら、どうだったろう。宮城ではああはならなかったかも知れない。記者との距離をうまく保つのも、政治家の才覚のうちである。

 また記者にしても、政治家の失言やクビの話なんか書きたくはなかろう。それよりも仕事をしてくれ、まともな記事が書きたいと、そのはずである。ところがこのところの政治記事ときたら、そっちの話ばかり。「菅辞めろ」にしても、半分はメディアが騒いでいるようなものだ。被災地復興の足を引っ張っているのはだれなんだといいたくなる。

 オフレコについていうと、そもそもあれはルール違反である。自分の都合だけで勝手に網をかけて、すべて封じられると思うこと自体、思い上がりだ。いい悪いは別として、記者との間に一種の信頼関係がないと、オフレコも成り立たないものである。

 しかし、それが悪しき慣習として政界に蔓延してきたことは事実。そのために報道の辻褄が合わなくなった例は多い。09年3月、西松建設から小沢一郎氏への献金がらみで出た漆間巌官房副長官の発言なんか、まるでマンガだった。

 にもかかわらずその後も許してきたのは、報道の側である。この時は自民党だったが、それが民主党になっても続いてきたということだ。そんなだからなめられるのである。この罪は深い。

 松本氏は、復興相就任から、どこかトチ狂った風があった。会見にサングラス、「民主も自民も公明も嫌いだ」といってみたり。気持ちを問われて、ピーター・ポール&マリーの「ALL MY TRIALS(私の試練)」を持ち出して、「これで仕事に打ち込む。深読みできたら1万円」とナゾをかけた。

 若い記者たちは昔のトレンドなんか知る由もない。ところがフジの「とくダネ」でキャスターの小倉智昭が、聞いて即座に「もらえた」といった。彼は歌詞を諳んじていて、「All my trials, Lord, soon be overだよ」という。「私の世代はそれで育ったんだもん」

 歌詞の意味は「私の試練は間もなく終わる」というもので、大臣を引き受けたがすぐに終わる‥‥と読める。しかも、退任の会見では、カズオ・イシグロの著書を出して「NEVER LET ME GO(私を離さないで)」と口走っている。訳がわからない。

 彼は復興相就任を、政治キャリアに弾みをつけるチャンスと踏んだのかもしれない。ただ、地道に復興に取り組むのではなく、パフォーマンスに走ってドジを踏んだーーまあそんなところであろう。

 菅首相という、これまた歴史に名を残す千載一遇のチャンスを棒に振った男の下にいたのも、めぐりあわせなのであろう。菅という人もまた、新聞記者との距離がわからない人らしい。小沢氏もしかり。
 
 政治家は概ねメディアが嫌いだが、名を残した大物はみなメディアとの距離感を心得ていた。例外はない。

2011年7月2日土曜日

猿知恵メディアは要らない


 日本原子力研究開発機構が、福島原発から流出した放射性セシウム137の拡散状況をシミュレーションした。保安院発表をもとに、放出量を8450兆ベクレル(??)と仮定し、海流から1年後に4000キロ沖合、3年後にハワイ、5年後には米西海岸に達するが、結論を言うと、薄められて人体への影響はない、という内容だ。

 この報道が奇妙だった。産経は、「1年後の濃度は、核実験が繰り返された昭和30年代の3分の1」として、それが見出しになっている。毎日は、「半年後には過去のピーク時のレベル、7年後には10分の1」として、見出しは「海に拡散、濃度は低下」とだけ。

 また両紙とも、1年間汚染海域でとれた海産物を摂取した場合は、「年間1.8マイクロ・シーベルト」で、一般人の内部被曝限度量1㍉シーベルトの500分の1と書いている。ただ、これを「過去のピーク時(同1.7)とほぼ同じ」と書いたのは産経だけだった。

 他紙には載っていない。時事通信は、「5年後に米西海岸に到達。海水の放射能濃度を10%押し上げる」と。共同通信も「1年後には、50年前の3分の1、7年後には過去の汚染と見分けがつかなくなる」と、ともに短信並みだ。朝日はasahi.comだけ、それも時事電だった。どういう判断なのか、理解に苦しむ。

 同じ資料なのに、どこをつまむかで印象が大きく違う。いちばん「安全だ」と読めるのが産経で、毎日はほぼ同じ内容だが、見出しが弱い。テレビは知らないが、新聞各紙の関心は薄い。安全ならニュースではないのか。

 気仙沼で動き出したカツオをはじめ、魚介類の安全はいま最も関心が高いテーマだ。が、まだデータがない。水産庁の調査も、広い太平洋に点がひとつ、ふたつといったところだ。たとえシミュレーションでも、漁業関係者にも消費者にも明るい手がかりである。これを無視、軽視するとなれば、何か理由がありそうだ。

 「シミュレーションなんか」というのか。事故のあと、放射性物質拡散を予測したSPEEDIのシミュレーションをネグった結果をもう忘れたのか。それとも、原子力機構は「東電のお仲間だから」とでもいうのか。下手をすれば機構自体が危なくなるという状況下で、危険な賭けをするほど狡猾ではあるまい。では何だ?

 ひょっとして、50年前についての理解の差かな、と思ってしまう。産経はすでに、つくば市の気象研究所のデータをもとに、「いまの東京の土壌の放射線量は、1960年代初めと同じ」という記事を大きく載せている。これは60歳以上には覚えのあることで、まだ子どもだった50代でも、「雨に濡れると頭が禿げるぞ」といわれたのを覚えていよう。

 米ソの核実験競争の結果、地球の汚染はそれほどひどかったのである。しかし、これを字にしたのは産経と週刊誌の一部だけで、他の一般紙もテレビもほとんど触れていない。「東電を利する」と見られるのを恐れたのか? こういうのを猿知恵というのだ。

 いまの50歳以上の日本人は全員、いや世界中が、現在の関東・東北とそう変わらない汚染の元で一時期を生きたことは事実なのだ。冷戦下で情報は抑えられ、知識もなかったからパニックにもならず。また地球上どこにも、逃げていくところなんかなかったのである。

 その結果、ガンの発生率がどれだけ高くなったか、そんなことはだれにもわからない。これだけの歳月を経てもなお、放射能の人体への影響は、ほとんどわかっていない。基準値に幅があるのも、科学的根拠から直接導かれたものではないからだ。

 明らかなのは、ある時期全地球人がモルモット状態におかれて、その汚染下で生きた年代が、バタバタ死ぬどころか大方は元気で、寿命さえ伸びていることである。だから、福島原発の近辺はともかくとして、東京だのもっと西の地域までがうろたえる必要などないのだ。

 若い人たちは、人間の愚かさの実例として、この事実は知っておかないといけない。新聞は知らせないといけない。これを意図的に抑えるのは、結果的にパニックをあおったといわれても、仕方がなかろう。もっとも、恐ろしくて30キロ圏内に入っても行けないメディア自体が、すでにパニックだったといえなくもないが‥‥。

 どうも世論の流れに迎合して、記事を選んではいないかと気になる。これは、民放テレビではとうのむかしに始まっている。スポンサーもあるし、ある意味宿命みたいなものだ。しかし、もし新聞までがそうだとしたら、そんな新聞要らない。読みたくない。

 週刊ダイヤモンドのオンライン版に、群馬大が実測値から作成した放射能汚染地図が載った。地形図の等高線みたいに、等値線で描いているから、汚染の広がりと濃度が一目瞭然だ。ちょっと衝撃的ですらある。

 で、その記事がよかった。「新聞報道は、数字だけで要領をえない。新聞より雑誌のほうが役に立つ」と、他の週刊誌の例もひいていた。たしかに新聞の汚染地図は日々の数値を網羅しているが、読む方が考えないといけない。

 ITの時代だ。日々の放射線量の推移を、群馬大方式に置き換えることなどたやすいことだろう。頭を柔らかく、先入観なし、猿知恵なしに、伝えるべきものを見落とさないでもらいたいものだ。

2011年6月27日月曜日

やっぱり「哀史」だった


 「作業員69人所在不明」(21日付け各紙)という見出しを見たとき、「やっぱり哀史だ」と合点した。福島原発の事故のあと、大量動員された作業員のうちで、連絡が取れない、実在の名前かどうかすらわからない人数である。被曝の追跡調査でわかった。厚労省は「ずさんだ」といったが、こんなものとうに予想できたことである。

 第1原発だけで1万人以上もいたという記事を読んだ時、自分がいかに原発を知らなかったか、思い知った。原発といえば最先端技術と安全がイメージで、ボタン操作だから人間なんか少ないと思っていた。それが労働集約型だと?

 事情を知る友人に聞いたら、原子力でも火力でも、発電所とはそういうものだという。原発の場合は検査・点検がとくにやかましいから、むしろ人手が要ると。

 1万人超のうち東電の社員は1850人。関連・協力会社の社員が9500人(昨年7月)で、これらは一部技術者を除けば、大方単純労働の作業員だともわかってきた。彼らの劣悪な労働環境が部分的に漏れ伝わってきたからだ。防護服のままごろ寝。食事は日に2回でレトルト食品が主だ、などなど。

 未曾有の災害を受けた上に爆発まで起って、現場が大混乱であったことはわかる。現に先頃ようやく明らかにされた事故直後の作業メモも、それを裏付けた。しかし、作業していた人間がどうであったかは、けが人も出た(自衛隊員もいた)はずなのにまったく触れられていない。

 その後作業員はいわき港の帆船ホテルや湯本温泉などで休養をとるようになり、取材も入るようになった。しかし、常時500人とも800人ともいわれる作業員が、日々何をしているのかは一切公表されなかった。

 東京で東電の発表を聞いている記者たちは、これにほとんど無関心だった。作業員は、放射能の危険の中で原発の復旧作業に献身している「英雄」のイメージで止まったままだ。それも生身の人間としてではなくて、あくまで数字の上での存在だ。

 彼らの日当はよくわからないが、3万円とも十数万円ともいわれる。宿泊費も食費もかからないから、短期間でもかなりの金額を手にできる。しかし高い日当は被曝と、悪くいえば命と引き換えだ。おまけに被曝量は積算されるから、限度を超えたらもう働けない。

 そもそも年間の被曝限度が、事故の後それまでの100㍉シーベルト(mSv)から250mSvに引き上げられたのもよくわからない。高濃度汚染の中では、100mSvではたちまち限度に達して、人ぐりがつかなくなるというのだろうが、「非常事態」の一言にメディアまでが押し流されてしまった。

 被曝量の管理がずさんだというのは、さすがにいくつか報道された。線量計の数が足らないからと、線量計1個をグループで使ったり、付けなかったりもあったと。しかし、多くは健康管理面の追及が主眼で、原発を支えている労働集約の中身にまでは切り込んでいなかった。

 これを伝えたのは週刊誌などである。人集めの手段は人材派遣会社系と暴力団系があるとか、原発の人集めは2次、3次の下請けまであって、中にはホームレスまがいを集めてピンハネ‥‥これらはおそらく本当なのだ。今回出てきた「69人不明」は、この部分を暗示している。

 この件で朝日が伝えた作業員の話は怖い。「被曝情報がきちんと登録されるようになったのは5月くらいから。(69人は)初期の作業で高線量の被曝をした人たちではないか」「(原発での労働実態は)事故の前も今も変わらない」

 北朝鮮拉致被害者、蓮池薫さんの兄透さん(56)は東電の社員だった。実家が柏原刈羽原発から3キロ圏で、父の勧めで77年東電に入って09年まで在籍。最初の配属先が福島第1原発だった。のち本店に異動、また戻って通算で福島に6年余勤務した。新聞などに語った内容が、興味深い。

 作業員の実態は、下請けの複雑さから東電でもわからないという。名簿はあるが、リストだけのもので、どんな人なのかもわからない。これは町で電柱に登って作業している人たちも同じだという。確かなのは、原発では確実に被曝していること。

 東電の社員は「管理者」なので、原子炉に入ることはない。しかし蓮池さんは累積で100mSvは被曝しているという。事故以前の年間被曝限度だが、蓮池さんはこれを6年間に受けているわけだ。「事故ではなく、通常の作業でもこれだけになる」

 現場では、放射線を沢山あびると「女の子しか生まれない」という噂があった。蓮池さんは「子どもは3人だが、全員女の子」という。噂が本当かどうか、低線量の人体への影響なんて、まだだれにもわからない。

 蓮池さんはいま、作業員の被曝を心配している。が、東電は被曝データを公表しようとしない。東電にとって、彼らは使い捨て、将棋の駒。高い日当だけの関係だ。長年そうしてきて、これからもそうなのだろう。

 だれだって、英雄になんかなりたくはない。雇用関係から、選択の余地がなかった人も少なくないはずだ。69人は、そうした網からももれた人たちである。これこそが哀史の哀史たる所以だ。「何人被爆」と数字で伝えているかぎり、メディアもまた、同じ目で見ていることになる。

2011年6月20日月曜日

年寄りの冷やウイルス


 出版社にメールしたら、「ウイルスチェックに引っかかりましたよ。やられてませんか」と返信があった。聞けば、バイアグラかなにかの添付書類がくっついていたという。むろんそんなものに覚えはないから、「こいつはやられたか」となった。

 もともとマックだから、アンチウイルス・ソフトなんていうやっかいなものもなしで、無防備のまま10年以上になる。マックといえども100%安全というわけではないそうだが、ウイルスやワームのほとんどは、数の多いウインドウズが標的だから、とたかをくくっていた。

 この間。知り合いからのメールに、妙な添付書類がついていたこともあったし、「なんだろう」と突っついちゃったこともある。一度だけ、自分から自分へのスパムメールが出たことがあって、さすがに「ワームかな」と思ったりもしたのだが、結局何事も起らなかった。

 今回奇妙なのは、同じようにメールを出している他の人たちからは、何ら不都合の指摘がないことだ。マック使いの1人に聞いてみたが、なんともないという。彼は「念のために調べた方がいい」と、無料のウイルス駆除ソフトをダウンロードできるサイトを教えてくれた。

 懇切丁寧に、ダウンロードの仕方も解説してくれたが、こいつが何よりやっかいだ。文字列がゾロゾロと並んでいるのを、ああしろこうしろとある。見ただけでうんざりしていたら、追っかけてメールで、「ワームがみつかった」という。私が感染源という口ぶりだ。ただ、日付は3月11日で、その頃私のメールは出ていない。彼の受信記録でも、心当たりはないという。はて?

 とにかく最近のウイルスやワームは、一段と悪質になっているのだそうだ。訪問者の多いサイトの入り口に網を張って、訪問者に取り付いてもすぐに悪さをするでもなく、あるとき突然、サイバー攻撃の手先にされてしまったりするのだという。

 私みたいな年寄りは、もともと警戒心が薄いから、それでも気づかない。捜査の手が及んでも、「エーッ?」というばかり。テレビの報道で、そんなお年寄りを見たことがあった。が、そのときも「オレはマックだから大丈夫」と安心していたものだ。

 しかし、どうやら尻に火がついてきた。意を決してダウンロードをやってみると、な~にややこしいこともなくスラスラとダウンロードできて、文字列のお世話にもならずに、勝手にウイルススキャンを始めた。なんと便利なものよ。

 まず「デスクトップ」は大丈夫。ついで「書類」という文書と写真のファイルをやったが、これもセーフ。そこで、コンピューターを丸ごとやってみた。さすがにこれは20分以上もかかって、なにやらコトコトやっていたが、出てきた結果は「No infected files were found(汚染ファイルなし)」だった。なんのこっちゃ。

 この旨を友人に伝えると、彼もワームの元を突き止めていた。中国からのビジネスメールに取りついていたのを、プロバイダーに報告するつもりで隔離しておいたのだが、その後入院したりしてけろっと忘れていたのだという。「あなたの疑いは晴れました」だと。何をいうてけつかる。

 まあコンピューターとは便利なものである。ややこしい文字列なんかわからなくても、文章を書いて、メールして、写真を処理して、保存して、ニュースや専門サイトの情報も読める。お陰で年寄りでも、昔よりははるかにお手軽に知的な時間と空間を、つまり余生を長持ちさせることができる。考え出した人はたいしたものである。

 ところが、ひとたび予期せぬクラッシュやウイルスに見舞われると、もうお手上げだ。マニュアルを読んでも、何が何だかさっぱりわからない。あとは誰かに聞くしかないのだが、これがなかなか見つからない。マックとなれば、ますます少ない。

 考えてみれば、わたしのマックもすでに四代目で、二代目まではいまのに較べたらまあ、おもちゃみたいなもので、三代目はまだかろうじて動いてはいるものの、ソフトがもう時代に合わなくなった。

 ありがたいことに、件の友人はこの間ずっとトラブルシューターをつとめてくれている。そういう人が身近にいるだけでも幸運である。彼の話によると、救いの手を差し伸べる人も大勢いて、お助け情報はネットにちゃんとあるのだそうだ。

 今回お世話になったウイルス駆除ソフトも、そんな誰かが考え出したものだという。世の中よくしたものだ。こういう人にはノーベル賞をやりたいくらいのものだ。むろんウイルス野郎は死刑である。

 というわけで、勇んで出版社にこの旨のメールをした。ところが、このメールにも、「添付画像をブロックしました」とウイルス駆除ソフトの表示が出たという。話は振り出しに戻ってしまった。くそったれ。といって、どうしたらいいか。

 思案しながらも、添付で別のところへ原稿を送ったりしているのだが、何ともないらしい。何ともスッキリしないのだが、そんなわけですので、みなさん、わたしのメールにはご注意ください。

 ったく、ウイルス野郎は市中引き回しの上、獄門、磔り付けじゃあ。
^^^^^^^^^^
 と、ひと騒ぎしたあと、結局ウイルスはないことがわかりました。ご安心を。

2011年6月17日金曜日

首相の笑顔のわけは


 菅首相の笑顔はいつもとびきりである。本年度予算が通ったとき、フランスでのサミット、不信任案否決の翌朝の閣議、梅娘を迎えて‥‥「そんなに嬉しいの?」と聞きたくなるほどだ。苦笑いやシニカルな笑いはない。きっと根はいい人なんだろう。

 しかし、内閣不信任案をめぐる土壇場で、鳩山前首相のお人好しを手玉に取ったあたりは、相当なワルである。おまけに、退陣宣言とされた「一定のメドがついたら」を逆手にとって、半年先のことを口走ったから、与野党もメディアも収拾がつかなくなった。

 鳩山氏の「ペテン師」にも驚いたが、小沢グループの痛手も大きい。勇んで次の調整に乗り出した仙谷官房副長官も、もくろみが外れて赤っ恥をかいた。枝野官房長官も岡田幹事長らも、首相の後追いに精一杯だ。

 「いつ辞める」と聞いても、「辞めたいと思っていても、そんなことは公にしない。前の日に決断することだってある」というのだから、野党もどうしていいかわからない。自民は不信任のあとの支持率が下がって、さすがに世論が気になり始める。公明党も含めて、手詰まり間は否めない。

 「大連立だ」「次はだれだ」と型通りに先走りしたメディアも、前代未聞にはもろい。先が読めない。「こんな政治家見たことない」「恥ずかしい」など、与野党幹部の歯ぎしりを伝えるばかり。しかしこれ、小泉首相のときさんざん聞いた言葉ではなかったか。そういえば、2人の共通点は一匹狼である。

 逆に首相を励ましている亀井静香氏は、「腹を切らないというのに、介錯の話ばかり」とうまいことをいった。むろん、大連立なんかされたら、国民新党がかすんでしまうからのけん制だから、これもまたキツネとタヌキ。

 菅氏は不信任案否決の後、昔の市民運動の仲間を官邸に呼んで酒を飲み、「オレは辞めないぞ。任期は来年9月までだ」といっていたそうだ。これを仲間がペラペラしゃべると、織り込み済みだったか。だとしたら相当なものだが。

 そうしておいて、「1.5補正」といってみたり、震災復興基本法では、「復興担当大臣が必要だ」と内閣改造をほのめかしたり、15日には、再生エネルギー促進の集まりに出て、「菅の顔だけは見たくないって‥‥ホントに見たくないのか」と3度くりかえして、「それなら早いことこの法案を通した方がいいよ」とやって拍手喝采。全開の笑顔だった。

 この粘り腰に、日テレの「とくダネ」で小倉智昭が、「ボクらは菅さんのどこが悪いのかが見えない。がれきがどうとか、福島原発とか、菅さんの責任なのか他の人だったらどうなのか、よくわからない。きょうのニュースをみると、仮設住宅なんか意外に進んでいる」といいだした。

 たしかに「菅ではダメ」「菅がいなくなれば」という論理はよくわからない。小沢派の造反からいつのまにか、与野党、メディアこぞって「菅はダメ」が定着してしまった。そこで世論調査をすれば内閣支持率は落ちる、この繰り返しだ。大元はことごとに足を引っ張ってきた小沢派だろうに。

 いまの制度では、首相本人が「辞める」といわないかぎり、だれも辞めさせることはできないらしい。肝心なのは、被災地と原発をどうするかだ。これが動きさえすれば、首相なんか誰だっていいということだろう。ところが首相を動かす代わりに、あてのない首のすげかえとは、ますますわからない。

 菅氏は、政権をとったとたんに、中枢にいながら顔が見えなくなった不思議な人だ。国家戦略担当相でも財務相でも、何をしているのかが一向に見えなかった。それが首相になったとたんの参院選で、突然「消費税」とわめき出して、選挙はぼろ負け。これでますます顔が見えなくなった。

 政治家はとにもかくにも、「見出しになる言葉」をはかないといけない。失言ばかりが見出しになったのが、森、麻生両氏で、菅氏の場合は、「最小不幸社会」「消費税」のあとは「一定のメド」だから、まあ似たり寄ったりである。違うのは、東日本大震災という未曾有の危機をかかえていることだ。

 震災が起ったとき、被災者には申しわけないが、「これで菅氏は生き返るか」と思った。支持率も小沢派も参院のねじれもなにも、まとめて蹴散らすことができる事態だ。歴史に名を残す千載一遇のチャンスだったろう。

 しかし、彼はこれを生かせなかった。権力の使い方も官僚組織の生かし方もわかないまま、周囲を信頼せず、全てを抱え込んでしまった。国民の前に出てきて、語りかけなければいけないときに、姿が見えなくなった。日本の顔が見えなくなったのである。これだけでも首相失格だろう。

 それでも、ことが動いていればよかったが、それも見えなかった。不幸は、彼に親身になって進言する人間がいなかったことだ。彼が聞く耳をもたなかったことは、どうやら本当らしいが、怒鳴ってでもなぐってでも動かそうとしなかった与党幹部もまた、同罪ではないのか。あげくに首のすげ替え、というのは話が逆であろう。

 またそうした事情を熟知しながら、ただ傍観していたメディアの責任も問われるべきだと、わたしは思う。「もう菅を見限った」とは聞いていた。が、大震災を前にしてなお、永田町の論理に乗って「菅やめろ」とは。自分の国の危機、自分たちの政治ではないか。傍観していられること自体が、信じられない。

2011年6月11日土曜日

写真から見えてきたもの


 朝日新聞が7日朝刊で伝えた、岩手・山田湾の海底の写真は衝撃だった。父と娘らしい姿が写った写真が1枚、海草とがれきの中にポツンとある。別のカットでは、家が一軒丸ごと沈んでいた。ガラス障子がはまったままだ。

 津波による不明者を、いまも探しているNPOと一緒に、記者が潜ったルポだった。漁具がからんだ白いトラックもあった。陸から見れば、海は平らな姿に戻っていても、底では3月11日が、平和だった三陸の日常が、無惨に凍り付いていた。家の住人は、無事に逃げおおせただろうか。(写真の主の方は無事で、写真も手渡したと、今朝の紙面に出ていた)

 これがメディアの仕事である。どんなに人手を投じたって、大震災を丸ごと伝えるなんてできっこない。が、切り取った断片でいかに全体像に迫るか。アイデアをめぐらし、身体を張るしかない。写真はときに言葉より雄弁だが、この短い記事はNPOの存在にも触れていた。いい仕事だった。

 だが、同じ日の夕刊に載った4枚の写真には、戸惑った。福島第1原発での汚染水の浄化装置の設置作業が進んでいるという記事である。写真はいずれも東京電力提供とある。

 汚染水は、炉心と燃料プールへの注水と降雨で増え続け、あふれないようにと、タンクや貯水槽に移す作業が延々と続いている。最後は汚染を浄化した水を循環させて冷却すると、「収束の工程表」にもあった。それを読みながら、「そんな装置、どうやって作るんだ」と訝ったものだった。

 その装置の写真がドーンと出てきたのである。驚いた。撮影の日付はなかったが、ネット版で見ると、5月末から今月の初めである。もう装置はほとんど完成している。しかも、セシウム吸着と放射性物質沈殿装置は、ともにプラントといっていいくらいの大きさだ。防護服姿の作業員が写っているから、福島原発は間違いない。

 一体だれがこんなものを設計して、どこが作ったのか。そんな知識がどこにあった? 記事はもっぱら浄化プロセスの解説ばかりで、そうした一切の説明はない。まずは汚染水と油を分離して、セシウムなどを吸着、沈殿させて、最後は淡水化する。4つの装置だから、写真も4枚というわけだ。

 別の報道で、これらがフランスのアレバ社や米の会社のものだとあった。こんな大規模な浄化装置を必要とする事故はこれが始めてだから、新たに設計したのは間違いない。となると、話の始まりは3月に乗り込んできたアレバ社の女性CEOとサルコジ大統領か。

 あれは、ようやく消防での注水に成功して、外部電源が確保されたという段階で、メルトダウンの疑いはあったものの、格納容器の底が抜けてるなんて、だれも思わなかった。汚染水が報道されるのは、ずっと後である。

 しかし、プラントの出来具合からみれば、その段階から汚染水処理が動き出していたことは明らかだ。「工程表」もそれらの進捗状況を踏まえて作られたということであろう。わずか2ヶ月で、これだけのものを設計し、形にする技術力は確かにすごい。

 それはいいが、政府はこれをどこまで掌握していたのか。作ったのはどこで、組み立てたのはだれか。資材はいつごろ運び入れた? これらが計画段階から報道されなかったのはなぜ? 書いた記者は何も思わなかったのだろうか。

 原発の中でかなりのことが行われている、という感じはあった。海への汚染水の流出をブロックするためにと、突然巨大な鉄製のパネルが現れたとき、「いつの間にこんなものを?」と思ったのが最初だ。

 部外者が撮った映像に、多数の貯水タンクが並んでいるのが写っていたり。4号機の燃料プールに支柱を立てる、と発表したと思ったら、ピカピカの鉄柱の写真が出たり。突然、浄化装置が稼働しましたと発表される。

 この日記で、「原発の顔が見えない」「何百人もの作業員は何をしている?」と繰り返し書いてきたのは、そうしてちょろちょろと見える動きの奥を知りたかったからだ。4枚の写真と記事が、その答えというわけである。他のメディアにも、断片的には出てはいたが、これほどの装置とは思わなかった。

 これだけの大工事なら、まずは大量の資材が運び込まれる。それらを作ったのはどこなのか。しかも突貫工事だから、設計・施行の技術者から単純労働者まで、大変な人手が連日動員されていたはずだ。

 こんなことは、隠す話じゃない。が、東電は黙っていた。メディアは関連企業の取材すらしていなかったのだろう。おまけに放射能と立ち入り禁止で、原発への人とモノの出入りも人目に触れない。東電は楽勝だった。

 政府も知らなかったのか? もしそうだとしたら、大問題だろう。知っていたら? 情報の値打ちを理解できなかった鈍感さが問われてしかるべきだ。そして哀れなメディア。2ヶ月もかけた大工事を「ハイできました」と写真で見せられて、「よかったですね」では情けない。

 メディアもなめられたもんだ。全ては、原発に踏み込まなかったためである。朝日だけじゃない。原発の全容を見ようともせず、発表だけ書いているなんて、恥ずかしくはないのか。

 被災地報道には、この危機をともに生きているという意識がある。メディアの本領だ。が、福島原発にはそれがない。現場を踏んでいないからである。この落差にあらためてがく然とする。

2011年6月1日水曜日

カオは見えたが‥‥


 ようやく「顔」が見えた。福島原発1号機への海水注入をめぐるすったもんだで、話の核心にいたのは、吉田昌郎・原発所長(執行役員)だった。事故から70日以上もの間原発を仕切っていながら、メディアに登場しない思議な存在だった。

 東電は26日、やや唐突に「3月12日夜の海水注入に中断はなかった」と発表した。21日の統合対策本部の発表で、「午後7時25分ころから約55分間中断した」としていたものだ。中断させたのは菅首相だった、との報道が出て、騒ぎになっていた。それが一転、中断自体がなかったという。

 東電の説明はこうだ。12日午後の水素爆発のあと、すでに海水注入を始めていたところへ、官邸にいた東電の連絡担当者から「総理の了解がえられていない。実施できない空気だ」という連絡が入った。東電は福島とテレビ会議を開き、あいまいに中止と決めた。が、吉田所長は自分の判断で継続していた、というのだ。

 その理由を、原子炉の安全を優先させたという。なぜいまになって?に、吉田氏は、IAEA調査団のヒアリングを考えて、「正しい事実」を話すことにしたのだという。調査団は翌27日、現地に入った。

 あきれた。まるで関東軍ではないか。参謀本部(東電本社)はおろか政府、国民も眼中にない。それよりIAEAだというわけだ。おそらく注水継続は正しい判断だったろう。むしろ、首相の「イラ菅」ぶりにうろうろした本社の方がおかしいのは確かだ。しかし、国会まで巻き込んだ大騒ぎにも平気でいる神経には恐れ入る。

 福島と本社との齟齬をうかがわせるものはいくつもあった。最初の段階での「ベント」するかどうか、3号機の爆発のあとのごたごた、いずれも菅首相が登場するのだが、カギを握るのは福島だった。そして東京消防庁の放水の最中、吉田所長は本社の指示を無視して外部電源の復旧に成功した。

 このとき吉田氏は、「本社は何もわかってない」「かまわん、無視しろ」で押し切ったという。現場だけがもつ危機感と使命感だろうが、「ど素人の雑音なんか」という傲慢さもすけて見える。

 彼はまた、世間が原発をどう見ているかも眼中にないらしい。出てくるのは原子炉の話ばかり(それが何より緊急なのはわかるが)。「原子力村」の常識なのか、放射能が隠れ蓑なのか、何百人という作業員が日々なにをしているのかも、原発の全体像も全く見せなかった。所内が壊滅状態に近いことがわかったのは、2ヶ月以上も経ってからである。

 これがどれだけ、東京が、国民が、あるいは世界がことを理解し知恵を働かせる妨げになったか。印象を悪くしたか。しかし、メディアの多くはこの点に無頓着だった。福島が関東軍でいられたのも、メディアにしつこさが足らなかったからだ。

 今度の一件で、カオが見えてきたのがもう1人いる。他ならぬ菅首相だ。「ベントしろ」といったのも、海水注入の指示も、首相だということになっていたのが怪しくなってきた。化けの皮がはがれてきたのである。

 あらためてメディアが取材し直した結果(というのが悲しいが)、当夜の首相は、独断専行、聞く耳を持たない、周囲を信用しない、やたらどなりちらす‥‥断片的にいわれていた全てが本当だった。

 もともと不思議だった。専門家がずらりといながら、一刻も早い注水を首相に進言しなかったのかと。しかし、みなが覚えているのは、「聞いてないぞ」などというどなり声ばかりだ。その剣幕に東電がおびえたのも、わからないでもないが、福島にしてみれば「つきあいきれない」ということであろう。

 わかってみると、原子力安全委の班目委員長の「再臨界」発言にしても、首相をとりつくろう辻褄を合わせの作文で、統合対策本部がドジを踏んだもののようである。首相本人は、何にも知らなかっただろう。周囲はまた、これでどなられていたに違いない。

 なまじ理系で、原子力の知識があったというのが、不幸だったようだ。原発事故のあと、首相の注意は原発にいってしまい、震災救援の方は、自衛隊出動以外は、国よりも地方やボランティアの動きの方が早かった。おまけに、理系の割には理詰めでない。出たがり屋で思いつきで動くから、行政は振り回されるばかりで動き出せない。これの連続である。

 ドービルのサミットで菅首相は、「主役」といわれてご機嫌だったようだ。が、目玉のスピーチでぶちあげた「太陽光発電推進」を、海江田経産相が「聞いてない」というのでびっくりだ。ただちに外通が伝えたはずだから、首相のカオが世界からもも見えただろう。まったく困ったことだ。

 今回の騒動の発端は、安倍元首相のメルマガだった。「海水注入を中断させたのは菅首相だ」と意図的である。経産省筋から自民党への情報だったらしい。何とも生臭いことだが、結果的に、首相を救ったのは福島原発の吉田所長だった。皮肉というより、もうマンガである。

2011年5月25日水曜日

メディアは劣化した?


 東電が19日、福島第1原発が津波に襲われた写真17枚を公表した。会見では当然、「なぜ今頃?」と質問が出た。東電は「資料を整理していたら、あることがわかったので」。細野首相補佐官は、「協力会社の人が撮っていたということで」。何にしても、2ヶ月以上である。

 新聞は夕刊で、テレビは午後の時間帯に一斉に写真を伝えたが、大方は何枚かを並べて見せただけ。説明も東電の発表通り。毎日がウェブで17枚全部を見せていたが、「なんで2ヶ月も経って」とかみついたのは、見たかぎりでは報道ステーションの古館伊知郎だけだった。

 テレ朝は、写真の意味をわかっていた。CGで描いた原発に撮影場所とアングルを合わせて、連続写真を見事に動く絵にして見せた。水の来た方向もわかる。4号機わきの高さ5mの重油タンクが水没して、乗用車がカベにひっかかり、津波が海面から14-15mの高さに達していた状況が実によくわかった。凄まじい破壊力だ。

 画像はひと目で「これじゃぁ、タービン建屋も外部電源も保つわけがない」とわからせるものだった。だからこそ、写真は津波の直後に公表すべきだった。世界に向かって発信すべきだったのである。

 これで気がついたのか、朝日が朝刊でもう一度写真を載せて、詳しく説明を書いていた。夕刊の扱いでは不十分でした、といっているようなもの。みっともない話だが、新聞がわからないのでは、東電にその意味をわからせるのは無理だろう。

 事故直後は「ベント」だ「注水」だと追われてはいただろうが、人はいくらもいたはず。しかし「被害の全容把握」という、イロハを怠った。作業員からの聞き取りもしていなかったのであろう。というより、外へ出るのが怖かったのだと思う。放射能汚染マップですら、米軍のロボット頼みだったのだから。

 東電は17日にも、最近の原発内の状況を撮った動画を公表していた。免震重要棟の様子や19日の写真にあったひしゃげたタンクなど、多くは東電としては初めて出す映像だった。

 なかに、多数の真新しい仮設タンクが並んでいる絵があった。汚染水の処理のためであろう。また、パイプが原子炉によって色違いだとか、作業がかなり進んでいることをうかがわせた。「こんなことをやっていたのか、何も発表しないで」

 しかし、これを伝えたテレビはなかった。仮設タンクなんて絵として面白くないからカットして、放送したのは防護服ばかり。ではどこで見たかというと、おかしな話だが、読売のネットサイトだ。新聞は動画を載せられないから、たいしたニュースではないという判断で、そこに置いたのだろう。

 メディアがこんなだと、見る方が判断しないといけない。さらに、メディアが伝える内容が食い違うと、読者は途方にくれるしかない。1号機が爆発したあとの海水注入をめぐるすったもんだがそれだ。

 産経や読売は、3月12日夜東電が始めた海水注入を、菅首相が「聞いてない」と怒って一時止めさせた、と伝えた。コラム「産経抄」は、「海水注入は首相指示だったはず」、それを「止めていた?」と、薄田泣菫まで引き合いにだして、嘘つき呼ばわりまでしている。が、その後の発表では、首相は注水自体を知らなかったという。

 どっちが本当かはいずれわかることだが、元はといえば情報がすっきりと出てこないからである。東電もあるし政府もある。しかし、元はといえばメディアが蒔いた種。完全になめられているのだ。みなバラバラで、肝心のことをきちんと追及しないからこうなる。

 この話では意外や、原子力安全委の班目春樹委員長が登場した。海水注入の指示を出す際に、首相が気にしたのは再臨界の可能性だった。これを問われて班目氏は「危険がある」と答えたと、統合対策室が説明していた。

 これに班目氏が、「危険があるとはいってない。可能性はゼロではないといったのだ」と反論した。さらに、「だれが注水を止めたのか、追及する必要がある」とまでいう。そんな話今となってはどうでもいいのだが、ちょっと驚いた。この人はKYな人だと思っていたが、ふりかかった火の粉には敏感だった。

 ま、それはともかく、気になったのは記者団である。委員長の話をおとなしく聞いて、その通りを報じてそれでおしまい。せっかく出てきた当事者に、そのときの官邸の様子を聞きもしない。報道の食い違いをただしもしない。

 海千山千の政治家と違って会見慣れしていない、ましてKYの学者とくれば狙い目である。しかも、問題の夜のやりとりがテーマだ。そのときあなたは、首相は、東電幹部は何をしていたかと、それこそ根掘り葉掘り聞く絶好のチャンスだった。しかし聞いた形跡はない。むろん記事にも出ない。

 メディアはもう長いこと一枚岩ではない。主張の違いではなく、権力との距離である。この亀裂は、行政や権力に対するメディアの存在感を薄め、互いの連帯感を失わせた。結果、総体としてメディアが劣化したのではないか? 原発報道では、その思いがずっと続いている。

2011年5月17日火曜日

「原子力は安い」はホントか?


 テレ朝の「モーニングバード」が面白い切り込みをやった。「原子力発電は安い」という「常識」で、日本のエネルギー政策は成り立っている。「それはホントか?」と検証を試みたのだ。

 ナビの玉川徹は、官の無駄遣いなどをしつこく追及してきた硬派のリポーターだが、今回もインタビューとデータをうまくパネルに組み立てて、説得力のあるお話を展開した。

 国や電力会社がいう数字は、電気事業連合会が出している発電コストの比較で、1kwh当たり原子力5.3円、火力6.2円、水力11,9円となっている。

 だが、これに異を唱える人はいた。まず京大原子炉実験所の小出裕章助教。原子力の専門家でありながら、原発に反対している。その理由を「原子力に夢を託してこの道に入ったが、事実に反する」。電事連の数字は、「通産省がモデルを作って出したイカサマ計算だ。原子力は安くない」という。

 独自にコスト計算をしたのが立命館大の大島堅一教授だ。政府の審議会は、発電所がいくら、何十年使う、燃料はいくらなどを仮定して、モデル計算をする。すると、原子力が一番安いと出る。

 しかし大島教授は「私のは、仮定ではなく実績をもとにした計算。国民が負担した費用はいくらだったか。それを得られた発電量で割った」という。40年間の実績(有価証券報告書)から割り出したら、水力7.08円、原子力8.64円、火力9.8円。原子力は2番目になった。

 教授はさらに、国民負担という観点から「税金負担分」をこれに加えた。原子力には税金が多く使われているので、「2円くらい高くなる」。すると、水力7.26円、火力9.9円、原子力10.68円で、とうとう一番高くなった。

 この税金というのが電源開発促進税で、1kwhにつき37.5銭。東電管内の一般家庭で、毎月約108円が上乗せ徴収されているのだという。これが何に使われたか、と玉川は例を2つあげた。「青森・六ヶ所村の文化交流プラザ」と「福井・敦賀市のきらめき温泉リラポート」で、交付金が31億円と24億円だと。たいそうなアメ玉だ。

 大島教授は「再処理をいれると高コスト事業なんです。国民の合意がえられるかどうかは微妙だ」という。そう、再処理はいまだに動き出していない。これまでいくら使われたか、この先どれだけかかるのか。アメリカと組んで、モンゴルへという話まで出ている。

 そして登場した自民党の河野太郎が面白かった。
 「通産省にバックデータを出せというと、黒塗りになったものを出してくる。これは何だというと、電力会社の企業秘密なので出せませんという。3月11日の後に請求しても同じだった」。この期に及んでも、経産省はなお、企業の問題だというのか。まったくひとつアナの何とやらだ。

 河野はさらに「都合が悪い数字なんでしょう。これまで原発を進めてきた経産省、電力会社、利権団体には。でなければ堂々と出すでしょう。(それを隠して)安いですよ、CO2は出しません、でやってきた。しかし歴代経産大臣は、資料を見ることができた。何をしてたのか」といっていた。その責任の大半は自民党にあるが、いま、海江田大臣はこれを見てどういうか。

 玉川は、「メディアの責任もある。ただ、信じてきたんだから」といって終わった。まさにその通り。こと原子力に関しては、メディアは電力会社の筋書きに従い、異論に耳を貸さなかった。安全性しかり。エネルギー政策での位置づけしかり。コスト計算もそうだったのか。

 その従順さはいまも続いている。東電が会見で出す状況説明や数字を素直に伝えるばかり。先週東電は、福島1-3号機のメルトダウンと、格納容器の底にアナがあいていることを認めた。すると「深刻な事態だ」と書く。

 だがそんなことは、ことの初めからさまざまなデータが示していたことだ。ただ、東電が「メルトダウン」という言葉を嫌っていただけのこと。最初の会見でこの言葉を使った原子力安全・保安院の担当者は、以後姿を消してしまった。誰かの逆鱗にふれたのだろう。

 しかも、1号機の建屋の地下に3000トンもの水がたまっていることがわかったと。ばかばかしい。ことは単純な引き算ではないか。これまで1万トンからの水を注入していながら、格納容器内の水位があがらない。それも何週間も続いているのだ。小学生だって「底が抜けてる」と答えるだろう。しかしメディアはこの間、これをつつき出すことすらしなかった。

 発端は、格納容器を水で満たして「水棺」にする作業だ。注水でいったん上がった内部の圧力がなぜか下がり始め、「酸素が流入する恐れ」から注水を止めた。理屈に合わない経緯だった。そのとき東電は、理由はわからないといった。わからないはずはあるまい。が、このときもメディアはその通り書いた。

 これとていま、小学生に聞いてみるがいい。「注水の途中で底が抜けたから」と明快に答えるだろう。本来想定していない水の重量に、格納容器下部の配管などが耐えられるものか‥‥「水棺」作戦がアナを開けた? 今回東電はこれに言及しなかった。メディアも書かない。気がついてもいない。

 原子力は専門家の世界。とりわけ放射能となると、測定結果と専門家の見解がすべてである。しかし人体への影響となると、まだ未知の分野なのだ。異論も多々ある。面白い見解もある。いつになったら、こうした話を読ませてくれるのだろうか。従順な羊たちよ‥‥。

2011年5月12日木曜日

原発写真がないとは


 有楽町の朝日ギャラリーで、「東日本大震災・報道写真展」を見た。テレビの動く絵とは違う、一瞬を切り取った悲劇や人間ドラマの迫力はさすが。スチルにはスチルの良さがある。

 連休中だったが大変な人で、声援のカードの花が沢山並んでいた。会場の中程に置かれたテーブルには、震災から1週間分の新聞が置いてあって、感想ノートがあった。のぞいてみると福島から首都圏に避難してきた人の「原発は人災です」なんてのもあった。

 だが、会場を一巡して出口に向かったところで、「エッ」となった。福島原発の写真がないではないか。見事に1枚もない。周辺市町村の写真もない。朝日の写真展だから、自前の写真は撮っていないということだ。テーブルの上の紙面は13日から18日の朝刊まで、朝夕刊ずっと原発が一面トップだというのに。

 政府は最初の爆発後、航空法で「原発上空飛行禁止」の網をかけた。旅客機も外気を吸い込む、との理由だ。しかし、報道用は目的が違う。また、同心円で20キロ、30キロ圏内は、避難、待機など立ち入りが制限されたが、これも住民の健康のためであって、報道は埒外のはず。

 メディアに取材する意志があれば、安全は、記者、操縦士とメディアが考えることだ。政府がとやかくいうことではない。にもかかわらず、原発や規制区域内の写真もなければナマの記事もなかった。ということは、メディアの意思であろう。

 知り合いに聞いてみると、これは朝日だけではなかった。放射能汚染地域への立ち入りを、新聞・テレビ各社とも業務命令で禁じていた。では何を拠り所に? それが、どうやら政府の規制――航空法と同心円なのであった。なんということだ。

 これまでにも、たとえばベトナム戦争でのサイゴン陥落、イラク戦争の米軍の攻撃では、その直前に新聞・テレビ各社とも記者を退避させている。今回も、考え方としてはそれと同じだという。たしかに、いたずらに記者の身を危険にさらす必要はない。記者が残るといっても、ダメだという判断はありうる。首脳陣の責任もあろうし、組合との問題もある。

 だが、今回は戦場ではない。放射線が相手だ。線量計でわかるのだから、危なければ退避すればいい。なによりも、規制区域の中でもまだ一部住民が生活していた。牛のエサやり・搾乳に、避難所から通う人もあった。福島原発では現に人が働いているのだ。

 放置されて餓死した牛や豚、町をさまよう牛やイヌの姿は、この災害でもある意味もっとも悲惨なものだったが、それを伝えたのは、動物愛護団体のボランティアやフリーのカメラマンである。そして、防護服の警察官が原発近接地区の遺体捜索を始め、警察庁長官も防護服で視察したが、入ったメディアは限られた。

 そしてつい先頃、民間シンクタンク独立総研の青山繁晴氏が、防護服で第1原発に入り現状を初めて伝えた。おそらくはデジカメによる不鮮明な動画だったが、内容は衝撃的だった。

 津波の被害は想像をはるかに超えていた。巨大なクレーンが倒れ、トレーラーが逆立ち、建物の骨組みも配管の類いもグチャグチャ、一面がれきの山だ。もう、発電所の体をなしていない。

 指揮所になっている免震重要棟の入り口は二重の扉で、同時に開かないように防護服の2人が立つ。出かける作業員たちと行き交う。入ると汚染されたものを脱ぎ、除染する。2階は緊急時対策本部で、24時間態勢。原発の指揮官吉田昌郎所長の姿も初めてみた。

 東電はこうした一切を公表しない。もう梁山泊か関東軍である。発表は、原子炉の状態、給水の方策、汚染水の処理‥‥そんな話ばかり。全容を公表しないために、どれだけムダな時間と労力が費やされたことか。ひとつの例が放水だ。

 自衛隊や東京消防庁が必死の放水作業をしているとき、建設業界の人たちは「コンクリートポンプ車があるのに」と思いながらニュースを見ていたという。いま3、4号機に張り付いているのがそれで、四日市の建設会社がわざわざ申し出て提供したものだが、話が通るまでに5日もかかっている。

 こんな中でこそメディアの役割がある。放射線量が下がったところで海側からヘリを飛ばせば、近接しなくても発電所の現状がわかる。容易ならざる事態であることは一目瞭然だ。40日以上もそれを知らなかった、伝えられなかったとはーーメディアとして恥ずべきであろう。

 かつて朝日は、チェルノブイリの放射線量がまだ高いときに、あえて突っ込んで、すばらしい写真ルポをやった。あれに較べれば、今回の汚染はとるに足らない。

 8日、原発から4.5キロ地点に入った岡田幹事長に、一部テレビが同行した。幹事長は完全防護姿で、20キロ圏内の南相馬市の工場でもフードとマスクはしていた。が、説明する市長も社長も顔を丸出しだった。幹事長とメディアに誇示してるようにも見えた。このとき記者とカメラも顔をさらしていただろうか。

 毎日新聞は先頃、写真部長が汚染地域に踏み込んだと聞く。これで他社に動揺が走ったそうだ。現場に突っ込まなくても恥ずかしいと思わないようでは、メディアの名が泣く。

2011年5月2日月曜日

知ってないといけないこと


 ようやく読みたい記事が紙面に出た。産経の29日付一面トップ、「いまの東京の土壌の放射線量は、60年代初めと同じ」というヤツだ。年配の人たちはみな知っている(が、忘れている?)こと、統計数字もずっと残っているものなのに、いまごろである。

 データは「気象研究所」(つくば市)のもので、過去最高は63年6月の東京で、放射性セシウム137が1ヶ月間で1㎡当たり550ベクレルだった。福島原発事故後の都健康安全研究センターの測定では、4月11日の同170ベクレルが最高で、単純計算で月間数百ベクレル。まさに同レベルである。

 気象研究所のグラフを見ると、60年代から数値はどんどんさがって、近年では最高時の1万分の1の水準だった。途中でポンと高くなっているのが、96年のチェルノブイリ事故で、次は今回の事故、とはっきりしている。

 60年代は、米ソが大気圏内での核実験を繰り返した結果で、遅れて中国なども加わっている。当時子どもたちは、「とくに雨の降り始めには、濡れないように」と注意を受けたものだったが、パニックになることはなかった。騒いだところで、どうにもならない。また、日本にはすでに、広島、長崎も第5福竜丸もあった。

 わたしはこのころ大学で山登りをしていたから、散々雨に濡れて、しかもハアハアと放射性物質をたっぷり吸い込みながら歩き回っていたものだ。といって、その後仲間がパタパタとがんで死ぬなんてこともなかった。

 記事は、「それでも健康被害が生じたというデータはなく、専門家も『過度な心配は不要』といっている」となっていたが、これは因果関係がわからないというだけのこと。実際は影響があったかもしれない。が、そんなことよりも、この事実だけは日本中が、いや世界中が知っておかないといけない。汚染は地球全域に及んでいたのだから。

 事故の直後、一部のテレビの解説で、このグラフを見せて「心配することはない」という専門家もいた。それが大きな声にならなかったのは、東電に味方すると受け取られかねなかったからだろう。また一部週刊誌も報じていたようだが、いま産経が出した。他の新聞は知らなかったのか。知っていて出さなかったのか、ここが気になる。

 年配者の実感からいうと、アメリカの外交官が逃げ出したり、中国の観光客が一斉に来なくなったりなんぞ、笑止千万である。彼らにいってやらないといけない。「お前らの親父やじいさんが何をしたか、知ってるのか」と。アメリカは爆弾まで落としている。

 もっともこれらの国では、とりわけ放射能の人体への影響は民衆には知らされなかった。中国は「軍事機密」ですむから話は簡単だが、アメリカの場合は手がこんでいた。広島、長崎での結果について、軍が報道管制と強烈なネガティブキャンペーンを張って、押さえ込みに「成功」したのである。

 東京湾の戦艦ミズーリで行われた日本の降伏調印式(1945年9月2日)をすっぽかして、2人の従軍記者が、夜行列車を乗り継いで広島へ乗り込んでいた。オーストラリア人のW・バーチェットとNYタイムズのW・H・ローレンスだ。「新型爆弾の威力」ルポは、セレモニーなんかよりはるかに値打ちだった。

 しかし、彼らが衝撃を受けたのは、1発で広島を灰燼に帰した爆発の威力よりも、被爆者の白血球の減少、出血、発熱、毛髪の抜け落ち‥‥一見無傷の人間が、バタバタと死んでいく不気味さだった。

 バーチェットは英紙デーリー・エクスプレス(9月5日)に、「アトムの疫病」を載せ、「未知の異変を、世界に警告する」と書いた。ローレンスも同じ日、NYタイムズに「日に100人もが死んでいる。残留放射能だ」と書いた。

 米軍はただちに動いた。翌6日東京での記者会見で、放射線障害を完全否定しただけでなく、19日にはプレス・コード(検閲)を発して、原爆についての不穏当な記事を全て握りつぶす。

 同時に本国の科学記者たちをニューメキシコの核実験場へ招いて、ありとあらゆる偽のデータを示して、「原爆は安全」というキャンペーン記事を書かせた。あげくにNYタイムズの記者は、これでピュリッツァー賞までとってしまう。(先頃、これを取り消すという報道があったようだが‥‥)

 その後、たったひとり米軍の規制をかいくぐった記者がいた。米人ジョン・ハーシーで、「ニューヨーカー」は丸々一冊の原爆特集(46年8月31日号)を組んで、即日完売という大反響だった。が、高まる米ソの核軍拡競争のなかで世論にはならなかった。

 だからこそ、その後の核実験時代にも、冷戦の論理がすべてに優先できた。そして核実験停止、核不拡散の動きを経て、冷戦体制が集結したころには、世界中が忘れてしまったのである。

 ちょうど80年代の初め、「デイアフター(原爆の翌日)」という映画が西欧諸国で大きな反響を巻き起こしたことがあった。作り物の映画だというのに、「あまりにも悲惨だ」と。こちらにいわせれば「バカヤロウ、何をいまごろ」であった。欧米の原爆理解はその程度だったのだ。まして目に見えない放射能なんて、実感できるはずがない。米のキャンペーンの効果が40年も持続したとは、実に驚くべきことである。

 そのしばらく後のチェルノブイリで、世界はようやく気がつく。それもまた、四半世紀を経て忘れかけていたところだった。その意味でも福島は、貴重な「覚せい剤」でなければならないのだが‥‥当の日本人までが風評で踊るとは、まさに世も末としかいいようがない。

2011年4月27日水曜日

アラセブンのカベ


 流行語「アラフォー」の伝でいうと、わたしの世代は「アラセブン」か。この歳になると、高校の同級生なんて滅多に顔を合わせることがない。しばらく音信がないと、「あいつ死んじゃったんじゃないか」が関の山。今回の顔合わせも通夜の席だった。

 故人は75歳だった。「あいつ年上だったんだな」「病気で休学してたんだよ」。一緒に山を登っていた仲間だが、夫婦で薬剤師で奥さんが薬局、本人は特定郵便局長で、有名ゴルフ場の地主だったから、ゴルフ三昧の健康な男だった。それが突然脳梗塞だとなると、みな心配になる。

 あらためて互いの音信をどうするか、なんて話になると、決まって出てくるのが、「メールやってるか」である。ここでたちまち二手に分かれてしまう。この時は4人だったが、見事に2対2。意外や、いちばんやっていそうなヤツが「ダメなんだよー」。

 キーボードがダメらしい。「しょーがねぇなぁ」。本人にその気がないと、教えようもない。それが年齢というもの。

 では携帯電話は、となると、これもまた「要らない」「持たない」というのが少なくない。今回も1人いたが、彼には理があった。定年になって会社とも縁が切れて悠々自適だから、自宅にパソコン(PC)も電話もあるし、出先には公衆電話がある。それ以上何が必要だと‥‥その通りである。

 わたしも長年携帯はもっていたが、外の仕事がなくなってみると、月に1、2回かかってくればいい方で、メールなんか全然だ。それでも基本料で月に4000なんぼだった。まさにばかげてる。

 あらためて、こんなもの要らないなと思ったときに、iPhoneに出くわしたのだった。これはもう、電話というよりPCで、わたしにはカメラの優秀さも値打ちだった。支払いは1000円ばかり高くなったが、むしろそれ以上の働きをしている。

 以前にも書いたが、この携帯がいまや、本人確認の認証に使われている。昔なら米穀通帳、運転免許証、保険証が、いまは携帯なのだ。前出の友人を mixiに誘ったら、携帯がないとダメだといわれた。文句をいったら、mixiは「携帯1本に決めたから」と、がんとして認めなかった。おかげで友人は、 PCがあるのにmixiに入れないという本末転倒。

 では、年寄りはますます世間の動きから締め出されるのか。今回の大震災や福島原発の情報だって、80%はテレビから得ているという調査があった。きわどい情報を意図的に流すという点では、ネットが無類の強さをもっているのはたしかだが、老人にはもともとそんなもの要らないのである。

 先のアラブでの反政府デモでは、facebookやtwitterが大きな役割を果たしたと伝えられたが、怪しいもんだ。きっかけにはなっただろうが、大衆はみな、アルジャジーラやアルアラビーヤのテレビ情報をもとに動いたはず。日本ですら、年寄りの半分以上はやらないPCを、アラブの連中がやってるはずがない。

 話を戻して、年寄り同士がそれとなく消息を伝える、知る上でいちばんいい方法はなにか。わたしの結論は、mixiやfacebookなど、いわゆるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である。むろん、PCあるいは携帯が条件になる。

 この良さは、友達が書いたものを読んでいるだけで、少なくともそいつが日々何をしているかがわかることだ。発信する方は書きっぱなしでいい。反応があればよし、なくてもかまわない。外部との接触が少なくなっていく老人には、どこかでつながっているという安心感が値打ちである。先の友人をmixi に誘ったのもそのためだった。

 だが「アラセブン」にはまた、SNSへの一種の拒絶反応みたいなものがあるらしい。大学の山登り仲間がそれで、得体の知れないおしゃべりサイトなんか、という警戒心なのかもしれない。みなPCもメールもやっていながら、いまひとつ踏ん切りが悪い。

 同じSNSでもfacebookは実名だから、自ずと目的も機能も違う(実はまだよくわからない)。しかしmixiは匿名も可能だし、設定によっては特定の閉じた(排他的な)グループもつくれる。仲間だけの気のおけないチャットや情報交換、写真の掲示も可能なのである。

 しかしわが「アラセブン」は、これにほとんど興味を示さない。何人かがわたしとつながっているが、互いに友達になろうともしない。1人2人が時折わたしのごたくに書き込みをくれるくらいである。

 そのくせ、記念写真をわざわざプリントして送ってくれたり、メールをccで知らせてくれたりもする。写真を自分のアルバムにアップし、日記に書き込みさえすれば、即座に伝わるのにと思うのだが‥‥。

 わたしにしても、見ず知らずの人の書き込みをのぞく気にはなれないし、アプリなんて遊びをするヒマもない。なにしろ老い先短いんだから。しかしSNSは、その残り少ない時間をうまく生かしてくれる「便利」。机に座ったまま遠くが見える窓なのである。

 わたしのmixi仲間には、「あと30年は生きる」と豪語している元気印の「アラエイト」もいる。「アラセブン」程度で年寄りになってしまうんでは情けない。もっとも、いつコロリといくか、こればかりはだれにもわかりませんがね。はは!

2011年4月22日金曜日

いささか鈍感すぎないか?


 テレ朝の「モーニングバード」が、福島第1原発の作業員の様子を写した写真を流した。同原発の産業医である谷川武・愛媛大大学院教授が提供したもので、作業員たちの過酷な実態を見せつけた。

 作業員の様子は、これまで一部報道で「日に2食」などと断片的に伝えられたが、突っ込みが足らず詳細は不明のままだった。ところがこの写真には、広い板敷きに敷物を敷いて、防護服を着たまま休憩する姿が写っていた。まるで被災地の避難所そのままである。

 寝る時も防護服のままだといい、各人に寝袋があった。食事は日に2回から3回にはなったが、相変わらずレトルト食品、缶詰、カップ麺が主だという。別の写真では、机の上に食品が入った段ボールが並び、アップのカットでは「ナポリタン」「やきとり」などのラベルがみえる。防護服を脱いでもマスクをつけたままの姿もあった。ひどいものだ。

 谷川教授によると、当初、睡眠不足や脱水症状で、多くの作業員が倒れたそうだ。教授はカメラの前で「いまの態勢のまま維持するのは困難だ。これから気をつけないといけないのは、慢性的なストレスです。あのような作業の中では風呂は必需品です。早急に仮設の風呂を作るべきだと思います」と話した。

 ん? 風呂だけの問題じゃないだろう。ところがその先は映像がなく、ナレーションだけ。教授はさらに「作業員が十分な休養がとれるように、東電の本社はちゃんと支援すべきです」といっていたと。

 コメンテーターの東ちづるが、「作業員を特攻隊や決死隊にしちゃいけませんよ」といっていた。これが真っ当というものだ。ところが番組は、「しかし、現場はそうはいかないと」といって終わってしまった。どうやら、取材者は自分がつかんだネタの意味がわかっていなかったらしい。

 作業員の雇用そのものが、いかに被曝と引き換えだとはいえ、福島第1原発の今後は彼らにかかっている。先に出した「収束の工程表」を守れるかどうかも、実際に作業をする彼ら次第である。その労働条件を劣悪なままにしている。これがわからない。

 外部に宿舎を確保して、人員と食料のピストン輸送をすればすむことだ。そんな費用は、何百人とかかえる天下りの給料からみたら、微々たるものだろうに。とてもまともな企業のやることとは思えない。

 作業員が線量計をつけているのは、放射線量を積算するためだ。それが年間被曝量に達したら、もうその作業員は、汚染地域には入れない。だから次から次と新しい作業員を確保しないといけない。「工程表」では向こう9ヶ月、先にいくほど放射線量の多い作業になるはずだ。おまけに、その工程表自体がきわめて怪しい。

 18日に公表されたロボットの映像で、これからの作業が容易ならざるものであることがわかった。なかで気になったのが、3号機だ。ロボットが入った反対側の入り口の扉が爆発で開いたままになっていることがわかった。この入り口は車が入れる大きさで、外光が見えていたから、外からでも開いていることは見えたはずだ。それが今回初めてわかったと。

 これまで建物の破れ目からのぞき込むことすらしていなかったということだ。こうした疑いは、当初からあった。最初に3、4号機の状況を撮った写真は、離れたところから恐る恐る撮ったような絵だった。覚えていよう。これらに近寄った最初の映像は、放水した東京消防庁が撮ったものだった。

 このとき抱いたイメージは、離れた安全なところにこもって、防護服の作業員に指示を出している幹部の姿である。しかし、その指示の中身が見えてこない。2号機地下の高濃度汚染水の存在は、作業員が被曝して初めてわかった。彼らは何をしていたのか。

 1ヶ月たって、津波による被害状況が発表された。しかしそんなものは、多人数で分担して調べれば、翌日にでもわかったことではないのか。なにしろ、常時何百人という作業員がいる。彼らが毎日何をしているのかが見えない。

 かくもおぼつかない現状把握をもとに作られた「工程表」とは何なのか? まして、実働部隊である作業員への「支援が不十分」と産業医がいっている状態だ。もし使い捨てのつもりだとしたら、新たな補充にいずれ行き詰まるだろう。

 いま彼らがどこにいるのかは、テレビでははっきりしなかった。しかし、産業医のデスクらしいものが写っている写真もあったから、おそらくは「耐震棟」といわれる建物である。作業の指揮をとっている東電やメーカーのスタッフもいるはずだ。彼らもまた、防護服をつけ、レトルト食品を食べ、風呂にも入らず働いているのだろうか。そうではあるまい。

 こうした事情は一切公表されていない。国会での論議にもなっていない。東電が出してくるデータをはいはいと受け取るだけに見える。政府もメデォアもいささか鈍感すぎないか。

 谷川教授の話は、東電がもっとも知られたくなかった事柄のひとつだろう。テレ朝の目のつけどころはよかった。だが、教授は産業医をはずされるかもしれない。東電ならやりかねない。

 だからこの件は、なおフォローし続ける必要がある。それが、原発全体の先行き、ひいてはわれわれの明日に関わるからである。

2011年4月18日月曜日

放射能が隠れ蓑?


 高校の山登り仲間が亡くなって、習志野での通夜の席に同級生4人が顔を合わせた。みな同い年だから、元気だったのが先に逝ったら本来意気があがらないところだが、中の1人が東電のOBだったことから、お清めの席だというのに、例の話で盛り上がってしまった。

 この男は理工系で、東電では安全担当だったというのだから、話の核心である。ところが、彼にいわせると「安全の問題でいろいろ提言しても、まったく聞き入れてもらえなかった」というのだ。理詰めの論議が通らない、経営や原発のイメージを守るといった、まったく別の論理で原発は動いていたのだという。

 さすがに詳しいことは話さなかったが、「放射能がもれなくてよかったねぇ」という危ない綱渡りはいくつもあったという。東電はこれらを、鉄壁の秘密保持で切り抜けてきた。今回はじめて、その実情が見えてきたというのも、考えてみれば驚くべきことである。

 最新の技術の上に作られていながら、とてつもない数の手作業がそれを支えていた。労働力の大半は立地した地元の人たちで、雇用と安全との一種のバーターである。しかし、その労働実態は外には出さない。防護服と線量計に守られた何百人もの姿なんて、出せるわけもない。

 メディアもまた、東電のシナリオで動いていた。出てくるのは、理論と設計図と原子炉の仕組みと何重もの安全措置、だから安全だという結論と経済効果だけ。安全措置を支えるのが人海戦術であったというのが、すっぽりと抜け落ちていたのである。

 今回これをぶち破ったのは津波だった。安全基準がどうこういったところで、千年に一度の大津波を想定できなくてもある意味仕方があるまい。ここまでは天災だった。問題はそのあとだ。津波で原発全体がどうなったか、それを把握した上で、真っ先にやるべきことは何か。この判断を誤ったのである。

 なによりも東電の秘密主義があった。原発が壊れたらどうなるか、の安全判断よりも、他の論理が優先したのだ。科学的な事実、理詰めが必要なときに、長年の経営志向から抜けきれなかったトップの責任は重い。

 しかも秘密主義は、事故が起こってからも続いた。少しづつ小出しにされる事実にメディアも国民も、また各国の専門家、政治家もいらだった。サルコジ大統領がなぜ飛んできたのか。フランスの政治的思惑はともかく、東電をコントロールできない、日本政府に対する不信の表明は明らかだ。

 米軍は、最初の爆発事故の3日後には、無人偵察機「グローバルホーク」を原発上空に飛ばした。これがいまのところ、壊れた建屋の様子を間近に知る唯一のデータである。日本政府の要請ということになっているが、怪しいものだ。だれよりもアメリカが欲しいデータだったはずである。

 そもそも政府が出した「上空飛行禁止」がよくわからない。高度1000mでもだめなのか? 2000mでは? 「30キロ以内撮影禁止」なんて、メディアがなぜおとなしく従っているのかもわからない。防護服を着ればすむことではないか。原発の敷地内でだって撮れるはずだ。秘密主義はいまもって生きている。

 津波直後の福島第1、第2の映像・写真が10日、新聞.テレビに出た。「ああ、これでは」と、ひと目で被害のひどさがわかる。しかし発表が津波からひと月後である。これをもし直後に公表していたら、世界中が戦慄したはず。その後の専門家の論議も大きく違っただろう。

 しかし、東電も原子力安全・保安院も、爆発の被害や汚染、放水の話ばかりを流し続けた。あたかも原発全体は正常であるかのように‥‥メディアも概して全体像には無頓着だった。ここがもっとも肝心なところだ。

 写真と同時に被害状況も発表されたが、こちらはひょっとして、1ヶ月たってやっと把握したのではないのか。何百人という作業員の作業の実態は依然わからないままだ。が、メディアは相変わらず結果(発表)だけだ。

 ひと月の区切りに、新聞・テレビがまとめをいろいろ出した。ポイントは2つ。東電の秘密主義と官邸の機能不全だ。ことの始まりでは東電が、その後は菅首相の指揮官としての能力だという。首相にこうした評価が出ること自体、情報というものの意味と扱いをわかっていない証拠だ。

 そして、話はやっぱりメディアに戻る。作家の赤川次郎が、「原発報道は腰が引けている」と朝日新聞に書いていた。「新聞のコラムで、安全だという話を無批判に流したメディア、などと書いてあって呆れた」という。確かにメディアは、原発に関しては電力会社の手のひらに乗った孫悟空の感がある。

 それはいまも続く。「原発収束の工程表」の報道でも、「原子炉建屋にすっぽりと覆いを」なんて発表通りを伝えている。テレビでは、模型の原子炉に箱みたいなものをポイとかぶせて見せる。それがどんなに大変な工事か、しかも高い放射能の中である。「そんなものできるのかよ」という疑念がない。

 放射能という目に見えないカベがそうさせるのか。東電もまた、それをフルに利用してきたのではないのか。「まず、現場を踏め」という鉄則を怠ったツケは、どこかで払わないといけない。

2011年4月7日木曜日

写っちゃった映像


 車で逃げた人の多くが、渋滞のために津波に巻き込まれた、という記事がいろいろ出ている。津波では車で逃げてはいけないと。なにをいまごろ。津波の直後に流れたテレビ映像に、飲み込まれるシーンは沢山あった。そのときの印象は少し違うものだった。

 圧巻はNHKの映像だった。ヘリが仙台空港を飛び立ってすぐだったのか、名取市を襲った津波の先端をつかまえた。あたりは一面平坦な畑である。土や芥を巻き込んで真っ黒になった津波の先端が、生き物のように広がって行く。きれいに整った畑を、ビニールハウスを、家々を、車を飲み込んでいく。

 何か燃えているがれきを抱え込んだまま。海から運んできた漁船が家と並んで流れていくという奇妙。そして、津波の先端は、まだそれと知らずに道路を走っている車を何台も飲み込んだ。その先の道路には、まだ走っている車が沢山いた‥‥。

 ところがカメラマンには、最大のドラマが見えていなかった。広い画面の右端の遠くに写っていたのだが、カメラは左の方へ、津波の本流の渦へと向かってしまう。おいおい、あの車を見せろ‥‥。

 多分、同じカメラだろうが、この少し後で、迫り来る津波を見たドライバーが争って農道へ逃げる場面があった。しかし農道は狭い。最後の一台は立往生したまま飲み込まれた。これも画面の隅っこだった。

 カメラは気づかずに津波の舌の先を追う。と、農道の先が行き止まりで、先行した4、5台が立往生していた。後ろから津波が迫る。あわや、というときに、映像は切れてしまった。これも見えていなかったのだ。もしズームアップしていたら、「100年に一度」の絵になっただろう。最初に飲み込まれた車だって、そうだ。

 災害や事件の現場映像で、しばしばお目にかかるドジである。しかし広い画面には何でも「写っちゃっている」ために、放送を見ている方が「アーッ」という。どんなときでも必ずある。テレビカメラのファインダーではよく見えないのかもしれない。しかし、走っている車には人が乗っているーー何より肝心な視点が欠落していたのである。

 中継映像は同時に東京も見ていたはずだ。もしデスクが「流されていく車を追え」といっていたら、悲惨な光景になったか、高台にうちあげられて助かったかーー事実、多くの人が奇跡的に助かっている。だが、その現場映像というのはひとつもなかった。

 むろんこちらはただの視聴者だから、見ている映像は断片(しかも画面の隅の方)にすぎないが、それでも、車で走っている人たちの危うさは十分に読み取れた。むしろ、車の半分くらいは、津波のツの字も知らずにのんびり走っているように見えた。

 地震のあと、多くが家族のもとへ走る途中に巻き込まれた。しかし、ラジオも聞かず、音楽でも聞いていればそれっきりだ。かくて道路の上りも下りも同じように、おそらくいつものように車は走っていた。いったいどれほどの車が、そうして飲み込まれたことか。

 視聴者が撮った映像で、向こうから津波が迫ってくるなかを、逃げるように去っていく車があった。と、すれ違って津波の方へ行く車が一台。見ていて「アッ」と思った。運転手からは家並みの向こうの津波は見えていない。だが、これを流していた番組のキャスターが、これに触れることはなかった。これまた、全然見ていないのである。

 家が飲み込まれて行く光景はいたるところでとらえられていた。撮ったカメラマンたちは、あのなかにまだ人がいるかもしれないと思っていただろうか。かなりの人が逃げていなかったことは、行方不明の数字が示している。

 ヘリからの実況も相変わらずひどかった。おそらく、ヘリに乗るのは新米記者で、大方画面でわかることしかいわない。「画面を見ればわかるよ」と、これは毎度のことである。

 現場ルポは本来、画面に写っていないことをしゃべるもの、場合によっては、カメラに指図しないといけない。なにしろファインダーでは見えていないのだから。「ヘリの中継はこうやるんだ」というのを見せてやりたくなるというのも、思えば悲しいものである。

 あらためて、テレビは映像の力を十分に生かしているのか、といいたくなる。映像は命といいながら、単に時間つなぎ、ニュースやトークの場所映像、バックの賑やかしに費やしてはいないか。だから「写っちゃった」映像でもいいというのか。

 さらに感ずるのは、編集する側もまた、映像を見ていないことだ。現代の映像機器は、一昔前には思いも及ばなかった機能を満載している。逆にいえば、バカでも押せば写る機械でもある。

 そうして「写っちゃった映像」でも、結果は完璧で、実に沢山の中身をもっているものである。記者やカメラマンにはわからなくても、わかる視聴者は多いはず。だからこそ、今回のような未曾有の事態では、どんな断片でも貴重なのだ。そうした映像を粗雑に扱っているのを見ると、心底腹が立つ。

2011年4月2日土曜日

週刊誌に遅れをとった?


 読みたかった記事は週刊誌にあった。週間ダイヤモンド4月2日号が、福島原発事故での東電の初動の混乱ぶりを伝えていた。前の日記に「原発の顔が見えない」と書いたのだが、その理由もちゃんと書いてあった。

 津波で電源が失われ、冷却ができずに1号機の炉内圧力が高まったとき、水蒸気を逃がす(ベント)必要をいう現地責任者に対し、東京の本店は消極的だった。政府が現地と連絡をとろうとしても、本店経由でしかできない。菅首相が12日朝ヘリで福島へ飛んだのは、「ベントしろ」といいにいったのだという。ベントは行われたが、直後に水素爆発が起きた。

 14日に2号機で「空焚き」が起こったとき、東電は政府に「全員撤退したい」といってきた。政府は驚いた。現地に連絡すると、必死の作業で「水を入れた」というのだが、東京は発表しない。そこで翌未明、菅首相が本店に乗り込んだ。

 「腹をくくれ」「撤退したら終わりだ」と怒鳴り声が部屋の外まで聞こえたという、すでに伝えられた話と、ここでつながる。だが、新聞は「首相が怒ってはいけない」とか、「ヘリで飛んだのが対応を送らせた」とか。ついには国会でも取り上げられたが、話はずいぶんと違う。

 以上はいずれも、政府関係者の話となっている。だが、官邸周辺なら一般紙の記者がいくらでもいる。なのにこういう話が出てこないのは、とっかかりが違うのだろう。おそらく東芝筋である。

 記事によると、東芝は地震の直後から技術者がスタンバイしていた。東電の本店にも詰めていたのだが、廊下にいて部屋にも入れてもらえなかった。東芝首脳は「最も原発を知っているのは技術者、専門家だ。もっと早く手を打てたはずだ」といったという。

 実質原発を動かしているのはメーカーだ。水が切れたらどうなるかを、いちばんわかっていたのも彼らである。だが、本店は鈍感だった。齟齬は本店と現地との間にもあった。現地責任者は吉田昌郎・発電所長(執行役員)。その判断が事態を好転させたと、政府も東電内部でもいっているらしい。

 外部電源引き込みの配線作業は、自衛隊の放水のさなかだった。危険だと、放水中止をいう本店に対して、所長は「やる」と判断、結果的に成功した。このとき現場でも本店でも拍手が起きたそうだ。「彼がいなかったら、パニックになっていただろう」

 こうしてみると、新聞やテレビの報道は、記者会見のワクを出ていない。東電の裏に切り込むすべを知らない、というよりやろうともしないのではないかと疑いたくなる。本音を聞き出せるソースをもった、経済部記者の1人や2人いなかったのか。日刊紙が週刊誌に遅れをとるとは‥‥。

 報道のアナはまだあった。500人からいるという原発作業員の実態が見えないのも、腑に落ちないことだった。読売新聞が、日に2食で、大部屋でごろ寝をしながら、がんばっていると伝えた。「おい、明治時代じゃあるまいし」と、「原発哀史?」と書いたら、友人から文句のメールが来た。

 書き方が悪かったのか、彼らを馬鹿にしたように読めたらしい。一方で、小名浜港につけた海王丸が、作業員の入浴や休養施設になっているというのもあった。それでこそ当たり前だろう。ホテルを借り切ってもいいくらいだ。取材する方もされる方も、要はどこまで人間を見ているか、である。

 だが、作業の実態に踏み込んだ報道はなかった。と、TBS朝のワイド「朝ズバッ」に、元東電の社員というのが出てきた。彼は、「防護服というが、あれはナイロンの薄っぺらなもので、放射線を防ぐ機能はない」という。マスクをして手足を密閉しているのは、浮遊している放射性物質をとりこまないためだと。

 つまり、吸い込みによる体内被曝は避けられるが、放射線はそのまま受けている。線量計をつけるのはそのためで、警報がなったら退避する。しかし、被曝量は積算されるから、年間被曝量に達したら現場にはもう入れない。「今回のように汚染度が高いと、ベテランが次々に現場に入れなくなっている」と聞いて、初めて合点がいった。

 交代で短時間の作業をつなぐにしても、高濃度汚染の中ではますます作業時間が短くなる。働けない人もどんどん増える‥‥それは過酷だ。いい方は悪いが、被曝と引き換えに給料をもらっているようなものである。

 おまけに線量計が不足で、グループにひとつで作業しているなんて報道もあった。とくに地元の作業員に選択肢は少ない。多くは震災の被災者でもあり、家族は避難所暮らしだろう。いかに非常事態とはいえ、現代の「哀史」といいたくもなる。

 彼らなしでは原発もまた成り立たない。それが原発というものだと、今回初めてわかった。青い海と緑の芝生に囲まれた清潔な原子炉の建屋が並ぶ、あの「絶対に安全です」というPRパンフレットは、いったい何なのか。新聞は何を見てきたのか。

 元原発作業員という人たちの声が断片的にテレビに出る。茨城だったり埼玉だったり、避難所からだ。津波のあと、自分の判断で原発から退避した人たちである。「戻るべきか」と揺れながら、福島の動きをじっと注視している。

 その人間ドラマをもっと読みたい。東電の本当の顔も見たい。いまの事態が延々と続けば、人手は際限なく必要だ。作業員たちの終わらない日々を見届けたい。これに応えてくれるメディアは、はたしてあるのだろうか。