2011年8月3日水曜日

グリコ・森永事件のトラウマ


 NHKスペシャル「グリコ・森永事件」が面白かった。1年をかけて当時の捜査関係者から記者まで300人を取材して、新聞記者を中心にしたドラマに再現。2晩にわたって計4時間という異例の放送だった。NHKは贅沢なことをやる。

 しかしこれで新たにわかったことは、あまりなかった。ただ、展開は思っていた以上に複雑で、その過程で警察とメディアの関係が崩れていったことがよくわかった。とくに大阪府警の秘密主義に押し切られたメディアには、事件が一種のトラウマになったらしい。その後の事件報道でいつも感じる違和感の大元が、これだったのかと合点がいった。

 昭和59年3月、グリコの江崎社長が、猟銃をもった覆面の男3人に自宅から誘拐されたのが発端だ。社長は3日後自力で脱出したが、そこから前代未聞の劇場型犯罪が始まった。

 「けいさつのあほども つかまえてみい」という挑戦状が届く。「グリコのせいひんに せいさんソーダいれた かい人21面相」。大阪府警とマスコミへの挑戦状と企業(グリコ・丸大・森永など)への脅迫状は140通を超えた。

 特ダネ競争のメディアと秘密捜査を守りたい大阪府警は大混乱に陥る。さらに「どくいり きけん 食べたら 死ぬで」と書かれた森永製品がコンビニなどでみつかって、メディアは「報道すべきか」と悩む。しかし1社が書けば終わりだ。結果、否応なしに利用されたのだった。

 事件のヤマは3つあった。いずれも失敗に終わる現金受け渡しーーグリコの3億円(6月2日摂津市内)、丸大食品の5000万円(同28日京都行き国電内)、ハウス食品の1億円(11月14日名神高速)だ。

 はじめの現場に現れた男は、犯人グループに脅迫された一般人だった。次の京都行き国電内と、3つ目の名神・大津SAで、捜査員は不審な「キツネ目の男」を見る。が、捜査員の職質を上層部は禁じた。いずれもその後男を見失う。

 名神では、指定場所付近でパトカーの職質を振り切って逃走した不審車があった。みつかった車からは、警察無線受信機など犯人をうかがわせる遺留品が多数みつかった。滋賀県警は、この日の捜査を一線の警官には知らせていなかった。ために非難をあび、翌年夏県警本部長は自殺する。

 だが、元は大阪府警である。近畿管内の県警に「手を出すな」と縛っていた。府警は「現金受け渡し時に一網打尽」が方針で、「キツネ目」の職質を認めなかったのもそのためだった。当時の捜査員は27年経ったいまも、「あのとき職質をしていれば」と、夢にまでみるという。

 メディアははじめ、府警が「書くな」という情報を書いていた。ために府警は10月、在阪社会部長会と異例の「報道協定」までして報道を封じていた。この秘密主義は最後まで変わらなかった。

 コンビニの怪しい男の映像、犯人の指示の声(子ども、女性の録音)、「キツネ目」の似顔絵、いずれも時間が経ったあとの公開である。似顔絵などは、年が明けて1月だった。これがメディアにはトラウマになる。

 「かい人21面相」はその後も、いくつかの企業に脅迫状を送るなどしたが、翌60年8月、滋賀県警本部長の自殺を機に、「もお やめや」と収束宣言。以後消息を断ったまま平成12年2月13日、事件は時効になった。

 ドラマのモデルになった1人、当時毎日新聞の吉山利嗣氏(64)は、「あれが挙がらなかったから、閉塞感の漂う日本になったと思う」という。挙がる挙がらないはともかく、警察とメディアの関係を問い直すべきだったのは確かだ。

 番組はそこまで踏み込んではいない。が、秘密捜査と情報公開のタイミングについて、少なくとも事件のあと警察とメディアが一緒に検証すべきだったと思う。公開は早ければ早いほど有効だからだ。

 現に、08年JR大阪駅で起った通り魔事件では、防犯カメラの映像公開で、あっという間に犯人を割り出した。何百万人というテレビ視聴者の目である。同じ大阪府警の決断というのも皮肉だが、実はいまもって例外中の例外である。日本全国で警察の秘密主義はますます強くなっている。

 未解決事件で、時効間近になって警察がビラを配っているニュースをいくつ見たことか。目撃情報が欲しければ、記憶が新しいうちに限る。人の記憶はせいぜいが1週間だ。

 番組で「グリコ・森永事件」当時の府警本部長はいまも、「怪しいだけでは逮捕できない」といい続けていた。延べ130万人の警官を投入しながら解決できなかったというのに、自分の方針が間違っていたとも思っていない。まして、今のおかしな事件報道につながっている、メディアや一般人の目を生かすなど、思いも及ばないだろう。

 警察とは、もともと隠すのが商売。その口をこじ開けるのが記者の腕だった。しかし、近年の事件の公表経緯を見ていると、両者の信頼関係が崩壊して、記者はご用聞きになり下がっている。報道に生気がない。記事が面白くない。

 事件担当は辛いばかりだ。警視庁担当になった若手が、「もう2度とお目にかかることはないと思いますが」と笑わせたことがあったが、それはまた「花形」の証でもあった。それとて、相手が貝になってしまえば終わり。

 この状態に風穴を開け、警察を動かせるのはメディアだけである。何よりも信頼関係の回復だろう。そして、もっと筋の通った、開かれて生き生きとした事件報道を読みたいと思う。

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