2012年8月25日土曜日

死んではいけない


 シリアのアレッポでジャーナリストの山本美香さん(45)が死んだ。一報を聞いて「命をかけるほどの報道なんてあるのか」と思った。惜しい。彼女とは昔、衛星放送でわずかながら接点があった。その「美香ちゃん」はその後本物に育っていた。それだけに、ますます惜しい。

 撃たれた場所は、反政府の自由シリア軍と政府軍の民兵が交錯する危険地帯だった。が、残された映像には、赤ちゃんをかごに入れて歩く男性やテラスからのんびりと見下ろす女性や子どもたちの姿があった。通りを普通に人が歩いている。それが突然、銃声とともに途切れる。

 同行していた通信社ジャパンプレス(山本さんが所属)代表の佐藤和孝さん(56)の映像には、通りの反対側を近づいてくる武装した迷彩服の一団がいた。その前方にいた普通の身なりの男が、山本さんらを指して「ヤバーニ(日本人)がいる」と叫んで迷彩服を振り返った。とたんに銃撃が始まった。

 佐藤さんの映像は、通りを走って逃げる。しかし、山本さんはおそらく、映像が止まった最初の一撃で撃たれていた。致命傷は背骨と脊髄への被弾で、防弾チョッキを貫いていたという。至近距離から追い撃ちの可能性もある。

 さらに奇妙なのは、美香ちゃんのカメラにはそのあと、24分にわたって映像が写っていた。拾い上げたおそらく自由シリア軍の兵士が、スイッチをいれてしまい、それと知らずに持ち歩いていたらしい。カメラをのぞき込む男や町の光景があった。また、焦点の定まらない映像には、会話が入っていた。

 「彼女が目を撃たれた」「日本人なのか? 腕を見たか。かわいそうに、すごい傷だ」「見たよ」「やつら(民兵)はひきょうだ。こういう罠は初めてか? 民兵がお前たちの仲間にまぎれていたように見えたが」「仲間のことは全員知っている。そんなことはない」(テレ朝「モーニングバード」)

 中東のテレビ、アルジャジーラは、拘束された民兵の証言から、山本さんの殺害はアレッポの政治治安局の高官の命令だった、と伝えた。シリアでは、今年だけで内外のジャーナリスト27人が命を落としている。外国人記者の殺害は、入国を阻むための脅しだ。数が多いほど効果はあがる。

 そのダシに使われたということだ。相手はだれでもよかった。日本人記者が来るという情報は筒抜けだった。「ヤバーニ」と叫んだ男は、市民にまぎれたスパイだったのだろう。まったく、なんという巡り合わせか。

 シリアに入っている日本人ジャーナリストは少なくない。佐藤さんらも、政府軍の空爆の跡を撮りに入ったのだった。一般市民を無差別に殺している現実を伝えることは、確かに大きな意味がある。

 しかし、酷ないい方になるが、彼らが伝えるニュースのどれひとつをとっても、命をかけるほどのものはない。せいぜいが単発のルポ。大方はニュースのバックに流れるお飾りだ。大手のメディアが、自前の特派員の派遣に慎重なのは、そのためだ。その程度のネタに危険は冒せないと。

 独立系ジャーナリストたちは、いわばその下請けの役を果たしている。アフガン・イラク戦争がその最初だった。彼女と佐藤さんがボーン・上田賞の特別賞を受賞したバグダッドの仕事は、大手がみな逃げ出したあとを撮ったという、皮肉な意味合いもあった。

 しかし、紛争が日常化すれば、空爆も虐殺も自爆テロも、みな日常のものになる。大手メディアは、外電を使って安全なところで記事も写真も揃えられる。が、素材を提供する小メディアは、現場の映像と写真が頼りである。

 その現場での死傷はカメラマンが圧倒的に多い。ファインダーをのぞいていて周囲が見えないからだ。いまは液晶画面が多いが、動画を撮っていれば気配りはおろそかになる。いい絵でなければ使ってはもらえない。ミャンマーで撃たれたカメラマンも、後ろに迫った警官隊に全く気づいていなかった。

 ガンジーが暗殺されたとき、マグナムのアンリ・カルチエ=ブレッソン(HCB)は現場にいた。が、遺体が運ばれた部屋の外からカーテン越しに撮った。そこへ、ライフのマーガレット・バーク=ホワイトが駆けつけて撮り始めた。たちまち取り押さえられて、フィルムを奪われ放り出された。

 殺気立ったなかで、それだけで済んだのはおそらく女性だったからだ。もしHCBだったらそれでは済むまい。直に撮れれば間違いなく歴史に残る写真になる。バーク=ホワイトは正しい。が、身を守るすべを心得ていたHCBもまた正しかったのである。

 美香ちゃんは、「戦場ジャーナリスト」と呼ばれるのは本意ではなかったらしい。「ヒューマンなジャーナリストを目指していた」(父親)という。が、危険を承知で立っていたのは常に悲惨の現場だった。現場より強いものはない。放射能が怖くて福島入りを放棄した大手メディアの記者たちとは大違いだ。

 ただ、それもこれも生きていればこそである。「ヒューマン」だろうと何だろうと、美香ちゃんは手にできたはずなのだ。ジャーナリストは語り続けないといけない。惜しいとはそこなのである。