2011年10月29日土曜日

ハントシノイノチ


 福島・南相馬市の市立病院が9月末に行った検査で、市内の小中学生527人を調べた結果、半分の268人から放射性セシウム137が検出されていたことがわかった(25日朝日朝刊)。「2人に1人」は確かに衝撃だ。

 ただ、体重 1キロ当り10ベクレル(Bq)未満が199人、20Bq未満が65人と大半で、35Bq以下の要注意は4人だった。記事は、「今後の経過を」と当たり前の書き方だったが、肝心のことが抜け落ちていた。

 セシウム(半減期30年)は排せつが比較的早く、大人で100日、新陳代謝の高い低学年だと30日くらいで半減する。小中学生をかりに平均60日で半減としても、検査の時点で6ヶ月経っているのだから、8分の1になっている計算だ。被ばく直後はいったいどれくらいの濃度だったか。

 記事にある学者のコメントも、「数カ月後に検査して推移をみれば……」なんていっている。おいおい、さらに6ヶ月後なら単純計算で当初の60分の1以下、低学年なら何百分の1だ。半年というのは、そういう時間なのである。

 このところ、古い話がしきりに出ている。(日付は新聞掲載日)
・ 福島原発の電源連結見送り(23日)。東電の元幹部が口を開いた。
・ セシウム汚染マップ(24日)。文科省の発表だ。
・ 東電の黒塗り文書公表(25日)。保安院発表。
・ 核燃料の再処理は割高、事故コストの試算(24、25日)。原子力安全委。
・ ヨウ素剤を服用すべきだと、原子量安全委が政府に助言(26日)。政府は動かなかったと。

 いずれも、数カ月前に伝えられて当たり前の情報ばかりである。7ヶ月も経って、核燃料は割高? バカにするな。そんなことはもう日本中が知ってる。黒塗り資料だって、いまできるなら半年前にできたはずだ。ヨウ素剤の服用では、科学者ならば当然わめき続けるべきを、そこで沈黙しておいていまになって話す、その神経がわからない。

 一方で、日本エネルギー経済研究所の「原発建設鈍ればCO2増」という「脅し」の試算もちゃんと載っていた。手前味噌の試算でも、ご用聞きの記者たちは律儀に書く。「その筋」はしっかりと動いている。

 そんななか、朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」が、福島原発事故直後の政府の情報管理に切り込んでいる。最初のシリーズ「防護服の男」では、原発周辺の住民や自治体までもが、高い汚染の放射線情報からシャットアウトされたさまが、ナマの証言で示された。しかも、情報は「上から」封じられていたと。ただごとでない。

 証言を積み重ねて追い詰めていく手法は、手間もヒマもかかる。人数を動員できる大きなメディアでないとなかなか難しいが、出てきたものは動かぬ証拠である。ただ、最初のシリーズは証言だけで終わってしまい、ちょっと肩すかし。住民が最初に不審を抱いた「防護服の男たち」にもたどり着いていない。

 しかし、手がかりは十分だ。たどり着けないはずはない。データを温存してじわじわと追い詰める手法かなと思っていたら、次のシリーズ「研究者の辞表」でやっぱり切り込んだ。

 この研究者は、事故発生と同時に現地入りの準備を始めたところ、所属していた研究機関から動きを止められた。そこで辞表を出して、NHKのスタッフと一緒に現地に乗り込んでいた。現地では様々なものが見えた。

・ 文科省は放射能予測システム・SPEEDIで、いちはやく高濃度汚染地を予測していた。しかし実測の結果は、住んでいる住民には伝えられなかった。
・ 日本気象学会は、3月18日の時点で会員に独自の研究結果の公表を控えるよう呼びかけていた。
・ 警察・自衛隊、政府機関も研究機関も「上から」数値の公表を禁じられていた。住民に「何者だ」と問いつめられて、「下請けだ」などといった‥‥。
・ この研究者の現地入りに待ったをかけたのは、誰なのか、もある。

 後に汚染を知って怒りを伝える住民の証言は切実だ。計測をした当事者の話にはさらに説得力がある。先を急ぎたい読者に、連載の展開はややかったるいが、「上から」が政府のどこなのかが焦点だ。いずれは官邸にたどり着くものだろう。

 ただ、書き方からは、官邸以外に「上から」がいくつもあったような嫌な予感もある。例えば、海江田経産相も枝野官房長官もSPEEDIの予測をあとまで知らなかったとか。文科省は予測データを報告したが、住民への告知は「うちの仕事じゃない」とか。

 展開が日々スリリングで、真綿で首を絞めていくような嫌らしさもある。ご用聞き記事ばかりの福島原発報道のなかでは出色だ。読み物としても面白い。

 ただ、読んでいてどうしても拭えないのが、なんでいまごろ? という思いである。連載のなかで、文科省の職員が「330マイクロSv/h」という計測結果に「大変だ」と叫んだのは、7ヶ月前なのだ。この時間を、書き手はどう感じているか。

 今回大手メディアは、原発周辺への立ち入りを自粛した。これは歴史に残る汚点になるだろう。しかし情報はとれる。電話取材ででも何でも、かき集めたデータで、少なくともその時点での真実に近いものにはなるのである。ただし、やるのはその時だ。

 一部住民はまだ住んでいた。多くの人が防護服で、あるいはなしで出入りしていた。連載は、その同じ人たちを取材した結果である。しかも内容は、連載で悠長に読むものではない。半年の遅れは何だったのか。酷なようだがやっぱり聞きたい。半年前お前は何をしていた?

2011年10月25日火曜日

オレオレを逃した


 電話が鳴って「はい」と出たら珍しくせがれからで、「オレだけど」と「いたずら電話とか無言電話はない?」とかもごもごいう。耳がよく聞こえないから、「そんなものはないよ」と、受話器を女房に渡してしまった。

 せがれが用事があるのは女房に決まっているし、ときどき聞き間違えては叱られているからでもあった。あとで聞いてみると、無言電話がやたらかかるので、携帯電話の番号を変えたということだった。「5万円もかかったんだって」「エー? ずいぶん高いな」

 翌朝、警察の委託を受けているという女の声の電話があって、○○高校の同窓会名簿をもとに、オレオレ詐欺が仕掛けられているからご注意を、ということだった。「オレにはかかってこないなぁ。楽しみにしてるんだが‥‥金がないとわかるのかなぁ」なんていってるうちに、話がおかしくなってきた。

 女房がせがれにメールをしたところ、「携帯なんか変えてない。電話もしてない」とわかったのだ。前夜の電話は新しい番号というのを知らせていて、「そっちからかけてみて」といわれて、女房は1回かけていたのだった。

 「オレオレ詐欺よ。声が違うなと思ったんだけど」。なんでも体調が悪くて、下痢が続いているといっていたので、疑わなかったらしい。

 そうか、もとはオレか。てっきりせがれだと思って、名前をいいながら受話器を渡していたから、女房もそのつもりだったと。案の定、そのあと何度か女房の携帯にはかかってきたのだが、素早い女房はその前に件の番号を「受信拒否」にしてしまっていたために、記録だけが残っていた。

 敵もしびれを切らしたのか、夕方には最初にかかった固定電話にかけてきて、なんとせがれの名前を名乗ったのだそうだ。女房はとぼけて「ハァー?」を連発したら、最後は「バカヤロー、このやろう」と切ってしまったという。いや惜しかった。

 耳さえちゃんと聞こえていれば、敵の誘いに乗って、かわいいせがれのために走り回る父親の役を演じてやろうと、日頃から手ぐすね引いて待っていたというのに。むろん、ちゃんと警察に手を回してである。携帯電話はリアルタイムで発信地がわかるから、面白い話になるぞーーなんていうシナリオも、ちゃんと声の聞き分けができてこそだ。

 それにしても、朝の電話の「警察の委託を受けて」というのも、ちょっと引っかかる。本物の可能性もあるらしいが、「オレオレの一味」とも考えられる。何しろ、最近のは手が込んでいるそうだから、「○○警察ですが」なんてのが現れたかもしれない。

 そうなると本物のお巡りさんを見慣れている私としては、ますます面白かったのに。う~残念。女房は「その耳じゃね」という。ごもっともである。

 その昔、取材で一度詐欺師をだましたことがある。そのときわかった詐欺師の最大の弱点は、自分がだまされるなんて夢にも思っていないことだった。これで見事にひっかけて、「詐欺師はいた!」という珍しい記事になった。

 カメラマンも離れたところから隠し撮りをして、といっても私をだまそうとしているのだから、詐欺は未遂だ。顔を出すわけにはいかない。しかし、カメラマンはさすがに腕達者だった。「カモがかかった」と上機嫌で去っていく詐欺師の後ろ姿をわざとブレブレに撮って、社会面のトップに仕立てたのだった。

 そうした古典的な詐欺師に較べたら、いまの「オレオレ」は何とも陰湿である。年寄りのなけなしの蓄えを、情け容赦もなく持っていく。被害はこのところ減ったが、かつては年百億単位だったのだから目を疑ってしまう。

 なんと善良で疑うことを知らない人が多いことか、と思うが、考えてみれば私も女房もそのとば口には引き込まれていたわけだ。こっちは金なんかないから気楽なものだが、これが1人暮らしのお年寄りだったりすると、引っかかるのかなぁと、あらためて考えこんでしまう。

 なればこそ、その「バカヤロー」のお兄ちゃんだけでも、ふん捕まえてみたかった。彼らだって、自分がだまされるなんて、夢にも思っていないに違いないのだから。敵が残していった電話番号は「080-4604-8369」。絶対にかけちゃいけませんよ。非通知設定か公衆電話以外は。

2011年10月21日金曜日

ラジウムの教え


 世田谷の「ラジウム騒動」は、多くのことを教えてくれているように思う。姿の見えない放射線と、どうつき合っていくか。科学知識の限界。そしてメディアの果たすべき役割‥‥これらを冷静に考える時間をくれたのではないだろうか。

 ラジウムはどうやら、戦前のものらしい。その謎解きはともかく、福島の原発事故がなければ、おそらくだれも気づかなかった。市民までが放射線測定器を持ち歩くようになった結果である。

 その家には50年以上、夫婦が住んでいた。夫はすでに90歳で他界。80代(90歳とも)の妻は今年の2月まで住んでいて、いまも施設に健在という。係累がどうかは不明だが、おそらく、子どもたちもここで育った‥‥しかし今のところ、放射線障害の話は出ていない。

 家の中の放射線量は年間17㍉シーベルト(mSv)というから相当なものだ。ひょっとして50年間もその中で暮らしてきたとなれば、大変な人体実験をしていたことになる。彼らの過去、現在の健康状態がどうであるかは、貴重なデータかもしれない。

 放射線被ばくによる人体への影響は、広島、長崎の生存者と、チェルノブイリ事故の追跡調査しかない。国際原子力機関(IAEA)の基準もこれらが元になっている。しかし、その基準自体が論争のタネだ。

 年間被ばく量1 mSvが安全というが、一方で「緊急時には20mSvでも」といい、原発作業での被ばく限度は「通常は100mSv」「緊急時は250mSv」だのと、いろんな数字が歩き回る。こうなると人間のご都合次第である。

 これでは一般の人はどれを信じていいかわからない。小さな子どもを持つお母さんたちの心配も、風評被害もすべてこれが元である。そうした中で、科学者たちの頼りなさも明らかになった。

 科学的にはゼロが一番。これは間違いない。が、どこまでなら安全かという「しきい値」はない、というのも統一見解だ。一方で、放射線はDNAにキズを付け、がんの発生につながると、これまた正しいとなると、だれも断定ができない。科学者の見解が頼りのメディアもまた、うろうろするばかり。

 世田谷の騒動が「ラジウム」と聞いたとき、だれもが思い浮かべたのが、各地のラジウム、ラドンの鉱泉だ。古来「身体にいい」と庶民に愛されてきた。朝日新聞がそのひとつ、山梨の「増富温泉」の話を伝えていたのが面白い。

 「何百年もこの温泉につかってきたわれわれが、元気に暮らしている」(のが答えだ)と、これは動かぬ証拠である。これに専門家が、「濃度次第。ラドン温泉の入浴程度なら問題ない」といっていたが、数値がいくらなら大丈夫とも言わない。それではもう科学とはいえまい。

 この家の放射線量は、とても「入浴程度」ではなかった。これが何年続いていたのか。家主夫婦は長命なようだが、家族の健康状態はどうなのか。ラジウムとセシウムではどう違うのか。日本中がいまいちばん知りたいところだろう。

 だが、ラジウムが福島と無関係とわかったとたんに、報道は止まってしまい、またホットスポット探しに戻った。福島、千葉、東京、神奈川と連日のように高い値が伝えられるが、科学者までが報道のレベルになってしまっては困る。

 どのみち、雨水の吹きだまりである。「心配することはありませんよ」「じゃぶじゃぶと洗い流してしまえばいい」と、はっきりといい切れないものか。いえないのだったら、口をつぐんでいてくれ。余分な物言いは、不安を煽るばかりなのだから。

 われわれはずっと人体実験をされているようなものだ。広島、長崎、第5福竜丸、世界中を放射能が覆った核実験時代を経て、チェルノブイリがあって、福島である。世田谷の夫婦はそのうえラジウムの放射線を長年浴びていた。が、90歳なら長寿のうちだろう。

 日本原子力研究開発機構の海洋汚染シミュレーションで、「この9月で核実験時代と同レベル」というのがあった。われわれは50年前、ちょうどいまと大差ない状況を何年にもわたって生きたのである。当時は汚染のことなど、だれも教えてくれなかった。その結果いま、日本は長寿世界一になった。見事、人体実験を生き延びた優等生というわけだ。

 しかし、今のままではいつまでたっても答えは出ない。ここはひとつ発想の転換が必要ではないか。すでにある低線量被ばくデータの解析である。欲しい答えはただひとつ、どの程度なら「無視できる」か、「しきい値」を探すことだ。科学者は否定するかもしれないが、絶対にある。「われわれが元気に暮らしている」のが何より証拠ではないか。

 比較的高い放射線のもとで仕事をしていた人たちはいくらでもいる。まずは原発作業員、医療従事者、治療を受けた患者、国際線の乗務員、ラジウム温泉のようにもともと線量の高いところもある。
 
 膨大な聞き取りと統計処理の作業だ。疫学の出番である。必ずしも放射線の専門家である必要はない。的を絞って知恵を絞れば、必ず何らかの結果は出て来るはずだ。もし政府が呼びかけたら、あちこちの大学や研究機関から手が上がるだろう。まだだれも知らない世界なのだから。

 かつて環境汚染に新たな目を開いた「奪われし未来」を思い出す。3人の著者は化学の専門家ではない。すでにあるデータを、問題意識をもって並べ直してみた結果、新しいものが見えたのだった。今回の放射線でも、問題意識さえあれば、素人のメディアでもひょっとしてと、そんな気がしている。

2011年10月16日日曜日

取材過程がさらされる


 小沢一郎・民主党元代表の記者会見はひどいものだった。小沢氏には、後になって批判が出たりしているが、まあ当然だろう。しかしそんなことはどうでもいい。問題は記者の方である。世界中を探しても、全体主義国家以外でかくも従順なメディアはないだろう。

 「国会での説明責任」を問うた記者に、小沢氏は「君はどう考えているの、三権分立を」と逆質問。この詭弁に記者が立往生して「もっと勉強して来なさい」とやられてしまった。そこで引き下がってどうする。他の記者から助太刀も出ない。

 また、4億円の素性を聞いた記者には、「検察に聞いて下さい」。さらに3人目の質問には、「ルールを守りなさいよ」ときた。司会者が冒頭、質問を4つに限り、新聞・テレビとフリーの記者に各2問としたのを「ルール」だという。最初につぶやいた「今日はサービスするか」が聞いて呆れる。

 しかし、記者たちは反論せず、「ルール」を黙って受け入れた。「三権分立」も想定済みの切り返しだろうが、詭弁である。三権は分立しているからこそ、国会での証言を拒む理由にはならない。裁判に影響するといういい方自体が、裁判官に失礼だろう。しかし、こうしこうした言葉が記者の口から出ることはなかった。

 テレビ会見の怖さは、取材過程がさらけ出されることだ。カメラは何でも記録する。記者がへっぽこだと、それがそのまま視聴者に伝わってしまう。まして言い負かされてしまっては、あとでいくら立派な記事を書いたところで、だれも信用してくれないだろう。自分たちも見られているーーこの怖さを、記者たちがどれだけ自覚しているか。

 あれは、小泉首相だった。イラクへPKOを派遣する根拠に、「憲法の前文に、世界平和に貢献し、とある」とやった。側近の入れ知恵だと後で聞いた。これに対してだれ1人、「総理、憲法には本文もありますよ」といわなかった。テレビニュースを見ていて、記者がなぜ反論しないのかと、いらいらした人は少なくなかったのである。

 小沢会見はそもそも、記者会見なんてものではなかった。「オープンの会見」と呼んでいたらしいが、ちゃんちゃらおかしい。記者会もフリーの記者もいたというだけのこと。小沢氏はこの1年ほど、フリーの記者たちのネットの会見によく出ている。つまり、フリーと記者会とで対等だということらしい。どちらであれ、「ルール」を受け入れた時点で、記者の側の負けである。

 もしこれが30年前、40年前だったら、「質問を4つだけ」というだけで、その場にいた全員が口々に叫んでいただろう。「何でだ?」「そんな会見があるか」「質問が怖いのか」「聞きたいことは山ほどあるんだよ」

 「君はどう考えているの?」なんて言おうものなら、四方八方から矢が飛んできただろう。日頃激しく競争してはいても、理不尽なことにはみなひとつになったから、質問に質問が重なって、ああいえばこういうも当たり前。ただし、どちらも真剣だった。小沢氏のような、はすっぱな調子で記者をバカにする政治家なんていなかった。

 思うに、今の記者たちはむろんのこと、小沢氏自身がその時代を知らないのであろう。すでに国会議員だったと思うが、まだ駆け出し。自民党幹部として記者たちに囲まれるようになるのは、20年もあとだ。その頃は両者の力関係が変わっていた。

 「メディアは、オレがいった通りを書けばいい」が小沢流だ。これ実は、小沢氏が大嫌いな検察官の言い草というのも皮肉だが、記者たちがこんなことを守るはずはない。とりわけ小沢氏の場合は、見出しになる言葉が少なく、思わせぶりばかりだから、だれも素直には書かない。

 身辺が身ぎれいでないから、逆に嫌な質問は山ほどある。これが嫌だからと、インタビューはおろか会見もしない。これを自民党幹事長時代からずっと通してきた。民主党になってからでも、「会見はサービス」といっていた。許してしまったのはメディアの側である。

 記者たちはなぜ、こんなにおとなしくなってしまったのか。ひとつはテレビがあるようだ。テレビカメラは、映像も音声も丸々記録してしまう。かつてのような、ざっくばらんな、時にははげしいお言葉の応酬はなくなり、紋切り型の質問ばかりになった。

 最近はまた、音はICレコーダーで録り、パソコンを持ち込んで発言をいきなり叩いている。だから、発言のフルテキストがすぐ出てくるのだそうだが、これではキーパンチャーであって、とても記者とはいえまい。

 おかしな答えや失言があっても、文句やブーイングすらないのも合点がいく。瞬時の切り返しはおろか、ああいえばこういうができるわけがない。ひたすらキーを叩き続けるご用聞きである。

 だから、あんな政治家ができる。小沢一郎を作ったのは、だれなんだ。テレビの視聴者は、とうにそれに気づいている。気づかないのは記者ばかり。これで報道の自由なんていえるのか。

2011年10月7日金曜日

半年経ってようやくか?


 朝日新聞が朝夕刊で同時に2つの「原発追及」の連載を始めた。朝刊は「プロメテウスの罠」という、福島原発事故直後の入念な現地ルポ。夕刊は「原発とメディア」で、原発報道の軌跡をたどる。

 「メディア」の方は、原発報道の最初期を担当した老記者への聞き書きから始まった。メディアが平和利用を支えてきた事実を、どこまでさらけ出すか。初回には、湯川秀樹が「平和利用は生やさしいものではない」と懐疑的だったとあって驚いた。

 「プロメテウス」の方は、もう少し切実な内容だ。初回が「防護服の男」シリーズ。事故直後の原発周辺の住民の間を、防護服で走り回っていた男たちがいた、という書き出しだ。住民は汚染状況も満足に知らされないまま放置された様が描かれて、不気味な展開である。長い読み物になるらしい。

 と、これと並んで4日の朝刊に、日立の作業責任者2人のインタビューが載った。現在と事故直後の福島第1原発の様子を語る。全体を把握していた当事者が直接語るのは初めてである。だが、1面に現在の様子、社会面に事故直後の話、ともになんとも突っ込みのない中途半端で、読んでいてイライラした。

 内容はある意味衝撃的である。地震があった時、第1原発に6400人もいたという。驚いた。この数は原発のイメージを変える。たしかに登録作業員数は1万人近いのだが、当日は1000人とかそんな数をいっていた。それが6400人も同時に働いていただと?

 とんでもない労働集約の現場ではないか。それでも原発はコストが安いってか? 彼らはどこで何をしていたのか。それが原発というものの実像になる。しかし取材した記者は、数字だけで素通りしてしまった。

 これ実は、事故直後に1000人と聞いたときにも、知りたかった。あまりにもイメージと違ったからだ。そのギャップはついに埋められなかった。報道に全く出てこなかった。今回の記事でもやっぱりだ。記者がその気でないと、何も出てこない。

 とにかくその日は、日立だけで1800人。即座に避難命令が出て、大半は大急ぎで退避したらしい。車が大渋滞したという。ところが、その後の津波の状況が話に出てこない。ということは、いったん外に出ていたということか?

 日立のチームはその夜、東電の要請を受けて、残った30人くらいで1、2号機の電源復旧を始め、未明まで続いたという。12日に1号機が爆発した時は原発の外にいた。戻ってみると、つないだ電源ケーブルがボロボロ。作業員に意志を確認すると、ほとんどが帰宅を望んだ。

 そして14日、残った作業員4人で2号機建屋内で電源復旧作業中に、3号機が爆発した。外へ出ると、乗ってきた車ががれきでつぶれていた。「終わりだ」と思ったという。がれきを踏み越えて防護服とマスクで走って逃げた。呼吸が苦しい。1キロ先の免震重要棟まで30分もかかった。東電が会見で「7人が行方不明です」と平然といったのは、この時だ。

 15日の爆発の後、作業員は退避。東電中心の70人だけになった。ちょうど菅首相が東電に乗り込んで、「撤退はありえない」と叫んでいた頃だ。そうか、東電の弱気は、手勢(下請け作業員)がいなくなったためか。社員を現場に入れるのが嫌だったんだ。

 このとき原発正門では10㍉シーベルト超を観測していた。しかし、日立はその後、課長級以上と下請けの社長ら30人が再び作業に戻ったという。この使命感はすごい。

 この後の展開の大筋はわかっている。自衛隊と消防庁の放水映像を見た。津波が建屋を飲み込む画像もあった。ジーゼル建屋の水没も原子炉のメルトダウンもいまは知っている。しかし、いまもって事故直後の原発内の全体像は描けていない。

 あらためて思う。連載にしろインタビューにしろ、こんな程度のことがわかるのになぜ半年もかるのか。いま取材できることは半年前でもできたはずだ。ナマ情報は人の口からしか出ない。住民は避難所にいた。原発では人の出入りもある。資材の搬入もある。関係企業もある。専門家もいる‥‥その時点なら、しゃべる人間を探すのは、いまよりはるかに容易だったろう。

 要するに取材しなかった、その気がなかったのである。放射能が怖かったのか。使命感が希薄だったのか。お陰で7ヶ月経ってなお、全容は描けない。依然として点と線の謎解きのままだ。

 今回の証言でも、ほんのわずかが埋まっただけである。日立以外の作業員はどうしたのか。かなりの数が作業に戻ったことは、連日800人からいたことでわかっている。しかし、実際彼らが毎日どこで何をしていたのかは、わからない。断片的に記事は出た。が、それ自体が点と線だったのである。

 インタビューは怖いものだ。何を質問するか、あるいはしないかで、記者自身が問われるからである。今回はいささかアナを見せてしまった。せめて日立の技術者の使命感を感じ取れ。そして、もうちょっと突っ込んで聞け。でないと、せっかくの特ダネが泣く。

2011年10月5日水曜日

暴力団排除条例の危うさ


 東京と沖縄で1日、暴力団排除条例が施行され、全都道府県が出そろった。新聞もテレビも、警察庁の発表通りに条例の解説に忙しいが、「‥‥してはいけない」ばかリで、条例がかかえている危うさに言及するものは少ない。本当にわかっているのだろうか?

 そんな中、産経新聞が2日の社会面で、山口組の篠田建市組長(69)のインタビューを載せた。彼はまず「異様な時代が来た」として、条例がこれまでの取り締まりと違うのは、場合によっては一般市民が処罰されることだという。まさに急所だ。

 「やくざといえども、社会の一員。親も子供も親戚もいる、幼なじみもいる。(これらと)お茶を飲んだり、歓談したりするというだけで周辺者とみなされかねない。やくざは人ではないということなのだろう。しかも、一般市民がわれわれと同じ枠組みで処罰されるとは異常だ」

 また、組員・家族については、「組員の子供は今、いじめと差別の対象になっている。家族は別ではないか。ふびんに思う」といい、このままでは「第2の同和問題になる」とまでいう。

 さらに、「取り締まりが厳しくなればなるほど、潜っていかないといけなくなる。それを一番危惧している。解散したら治安が悪くなる」と、組の解散は否定した。構成員が野放しになる方が危ないと。さすがにわかっている。

 暴力団はたしかにやっかいな存在だ。歓楽街や商店街に根を張り、「みかじめ料」やトラブル解決でしのぐのはかわいい方で、バブル期には地上げ、総会屋、ヤミ金融、今では一般の商取引への介入も当たり前。麻薬や銃の密輸では、海外にまでルートを持つ。大相撲の賭博でも顔を出し、芸能界とも長い歴史がある。さらには組同士の抗争も起こす。

 警察庁は昭和39年の第1次頂上作戦以来、撲滅作戦を繰り返してきたが、常にいたちごっこである。篠田組長も「窮地の中で山口組は進化してきた」という。組織員は減るどころか、増えている。社会の「落ちこぼれ」の受け皿としての役割が変わらないからだ。

 今回の暴排条例は、一般人の側から手を回すという点で有効かもしれない。みな法律を守って生きている人たちなのだから。しかし、それには警察が一般人の安全を100%保証しないといけない。それが本当にできるのか? それが不十分だったら、一般人を無防備のまま、ヤクザに立ち向かわせることになる。

 早い話が、島田紳助が右翼とトラブルになった時、警察は何らかの役割を果たしたか? 関西テレビや吉本興業も助けてくれず(これ自体もけしからんが)、1人孤立して引退まで考えたという紳助を、暴力団へと追いやる結果になった。今回警察庁は、その彼を暴排キャンペーンの「一罰百戒」に使ったのである。

 さらにやっかいな問題もある。山口組は、合法的な企業を持った最初の暴力団だ。40年も前、神戸港にいくつも作った荷役会社(ステベ)は、れっきとした企業で、労働争議などで見せるマル暴の顔は、港の秩序維持の役割を果たした。海運局とは、もちつもたれつだった。

 当時は、もしステベが止まれば、神戸港全体が止まった。いわば港の首根っこを押さえる巧妙な仕掛けだった。これをお手本に、その後多くの暴力団が企業化の道をたどった。不動産、建設、金融‥‥

 それらはどれも、先の方では真っ当な企業とつながっている。さらに切実で零細な、遊興や飲食業の人たちがいる。条例をたてに、関係を切れるところはいいが、切れないところはどうなるのか。場合によっては、死活問題にもなる。警察はそこまでの面倒は見まい。

 テレビで解説した弁護士が、「条例違反には、公安委員会から警告が出る。改善がなければ企業名を公表する」といい、さらに「名前が出ると、銀行融資が止まるかもしれない」といった。零細な企業にしてみれば、条例に脅迫されているようなものではないか。

 同じテレビで、ある飲食店主は、「入ってきた客を断ることはできないし、出前もやっているから、配達先がどこだからと断るのは難しい」といっていた。なにしろ相手はヤクザなのだ。スジを通して断って、殴られたり店を壊されでもしたら、あとで警官が駆けつけようと何しようと、痛い目を見るのは一般人である。トラブルを起こせば、その後もおびえて過ごさなければならない。

 そうした日々の生活まで、警察が完全にカバーできるとは到底思えない。むしろ、取引を断るのに、一般人の方がぺこぺこと頭を下げる図になるだろう。きっとそうなる。そのとき警察は、脇に立っていられるか? 怖いお兄さんににらみを効かせることができるか?

 条例を作る方は「ベカラズ」だから簡単だ。警察庁長官は「条例は大きな推進力になる」というが、その矢面に立つ怖さを考えているのか。世の中全部が暴排意識になればそれでもいい。が、それまでの間に、どれだけの「一罰百戒」が繰り返されるだろう。

 篠田組長はこうもいっていた。「結局、警察の都合でしょ。過去にもパチンコ業界への介入や総会屋排除などが叫ばれ、結局、警察OBの仕事が増えた」と。これを、違うと言い切れるか?