2011年3月30日水曜日

原発哀史?


 朝日新聞(27日付)に、東電福島第2原発の女性社員が、本社幹部にメールしてきた現場の状況というのが載った。原発の現地で働いている人間の声が伝わるのは、これが初めてだ。

 「第1、第2とも所員の大半は地元民で、被災者。私も実家が津波で流され、両親は不明。でも、緊急対策本部で缶詰のうえ、家が退避指示区域なので入れない。みんながんばってますが、こんな精神状態での過酷な労働、もう限界です」とある。

 第1原発の復旧サポートもしているようで、「現場はまるで戦場のよう。みな心身ともに極限まできている」。さらに、「地震は天災です。でも、放射性物質による汚染は、東電がこの地にあるせいです」とまでいう。

 追いかけて29日の読売新聞が、第1原発で働く作業員たちの様子を伝えた。何百人もが毛布1枚で雑魚寝。朝はビスケットと野菜ジュース、夜は発熱弁当と缶詰の1日2食。風呂、シャワーなし、着替えもろくにないと。いかに非常時とはいえ、メシも満足に食わせないとは、どういうことか。

 どちらも、作業員たちが具体的にどんな仕事をしているのかは、書かれてなかった。朝日の記事によると、昨年7月の時点で、2つの原発で東電社員 1850人、関連・協力会社9500人が働いていた。その9割が地元だという。驚いた。原発というのは、人っ気がなく、制御室のボタン操作、がイメージだったからだ。

 そういえば、地震のとき4つの原子炉で1000人はいた、とテレビで話す作業員がいた。「運転中だった原発だろ。何のために?」と思った。建設工事だって、そんなには要るまい。いま第1だけで400人とも500人というが、放射能汚染の中で、短時間の作業をつないでいくためなのだろう、くらいにしか思っていなかった。

 あらためて、いったい何の仕事をしているのだろうと思う。事情を知っている友人に聞いてみた。すると、原発といえども発電所なので、法律に基づく各種のメンテ作業が目白押しなのだと。なるほど、原子炉だけが最新技術で、あとは労働集約型ということか。しかも、メシは日に2食で? それじゃあ“原発哀史”ではないか。

 事故が起こった後、原発で何が行われたのかも、いぜんわからないままである。外部からの電源導入に配線作業はあった。これはわかるが、あとは自衛隊、消防による放水、そしてタービン建屋に入った3人が被曝した。それだけだ。あとの何百人はどこで何をしていた?

 その前、原子力安全・保安部が発表する内容は、原子炉や燃料プールの様子、それも現場を見ていない推測ばかりだった。当然だろう。津波以来、制御室は暗闇だった。爆発で本館のガラスが割れていたこともわかった。ではどこから、だれが、どんなシナリオをもとに、作業員に「過酷な」「極限」労働の指令を出しているのか?

 なによりも福島では、原子炉の管理者のカオが見えない。何をしていたのかもどこにいたのかもわからない。その管理者が、震災の直後にことの優先順位を間違えた、それが始まりである。ひょっとして、東京ではないのか?

 と、大学の山仲間の先輩から「あまりアツくなるな。これが日本の実力と思っている」というメールがきた。工学部出で、長年海外で石油プラントなどの立ち上げをやっていた人だ。

 のっけに「原子力発電所に高架水槽が無いとは知らなかった。勿論地震で原子炉より先に潰れたかもしれないが」という。いつもどこまで冗談かわからない話が面白い人なのだが、これには「エッ?」と思った。なるほど、倒れさえしなければ、ジーゼル発電や消防の放水よりはるかに簡単・確実だ。

 50年前の卒論が「放射性廃棄物の処理」だったとかで、関心は「何時まで経っても完成しないむつ小川原」の方で、「未使用のままスクラップになりそうだ」という。

 そして曰く「研究、実験、Project Execution/ Management各分野、歴代の責任者とその業績・年俸、今までに投入した資金(税金と民間投資合計)、今後の予算をしっかり、しつこく報道して欲しい」と。おまけに「刑法では問えぬが」とただならぬ但し書き。

 しかしこれ、そのまま福島原発にも、これから当てはまることではないのか。こちらは、刑法適用だってありえなくはない。

 メールはさらに、「人間の力は自然の力に及ばないことを、謙虚に認める勇気が必要。地震・津波だけではない。原子も自然の一部」「原子力発電所に、どれだけ何を備えなければならないか? 不毛の理論だ。なぜ人間に大事な心臓や脳が一つしかなく、肺・腎臓は二つあるのか?」と問いかける。

 そして最後に、「我が余生も長くて10年ほど。もう一度、人様のお役に立ちたい」という。何のことかと思ったら。「この年齢になると、残念ながら遺伝上の変異を恐れる理由はない。もし、年寄りで低レベルの放射能をさほど恐れぬVolunteerを募っているNPOあれば 教えて下さい。当方 英語excellent、Plant建設、Project Managementに詳しい、と華麗なる履歴書を作り上げます」なんて書いてある。

 相変わらず、どこまで本気か冗談かわからないのだが、いえるのは、もしこういう人物が1人でも中枢にいたら、福島原発もああはならなかったということだ。長年真摯にモノ作りを続けてきた技術者の視線の確かさ、ごく当たり前のバランス感覚が、なんとも気持ちがいい。

2011年3月21日月曜日

そしてみんなバカになった


 福島第一原発の1、2号機で19日、電源が復旧した。実に地震発生から丸8日である。新聞も「冷却再開に一歩」と書く。だが、これは地震の当日に、徹夜してでもやらなければならないことだった。

 地震で原子炉は自動停止し、ジーゼル発電機12台による炉心冷却が作動した。が、間もなく津波で11台が止まってしまう。うち9台が水冷式だった。津波で冷却水の取水口が破壊され、2つのジーゼル燃料タンクも吹っ飛んだ。津波は内陸300メートルにまで達したという。確かに想定外の事態だった。

 問題はその後だ。バックアップ電源確保の選択肢は、発電機の復旧か外部電源かしかない。東電には、外部からの送電線の引き込みの方が簡単だったはず。電気屋なんだから。しかもことは一刻を争う。放射線量はまだ正常で、屋外作業ができた。「徹夜してでも」といったのはこのことである。

 もし電源がないとどんなことになるか、この時点で知っていたのは原子炉の管理者だけだった。しかし、その後の展開を見ると、彼らに「何が何でも」という危機感があったとはとても思えない。結果、天災を人災にしてしまい、原発4基をオシャカにした。40年の原発の歴史と信頼はおろか、ある意味未来までをも危うくしてしまった。この責任はきわめて重い。

 海水注入を最初にいったのは、菅首相だったという。だが廃炉になるからと、東電は受け入れなかった。われこそは専門家だと、「半可通が何をいう」と、また原発を「東電のもの」だと思っていたのであろう。そうじゃない、災厄は日本のものだ。成り行きを世界中が注目する。

 事故が起こってからでも、この東電の体質はいたるところに出た。情報が遅い。詳細を明かさない。敷地内の画像がない。4基の原子炉の無惨な姿の詳細は、米の衛星写真が第一報だった。なんということ。しかもなお、30キロ以内は撮影禁止。近辺は飛行禁止。メディアがなぜかくも従順なのか、不思議である。

 東電は14日の時点で、社員を引き上げたがっていた。菅首相が乗り込んだのは、このためもあったという。「腹を決めろ」「撤退したら東電は 100%つぶれる」とまでいったそうだ。そりゃあそうだろう。おっ放り出されて、チェルノブイリを3つも4つも作られてはたまらない。

 始末はだれかがやらなければならないのだ。結局は自衛隊、警視庁、東京消防庁が突撃隊になった。その使命感には頭が下がる。また、東電の現地社員もいる。地震のとき原発にいた作業員のなかには、避難から戻ってくる者もいるという。今後収束のシナリオを描くうえでも、彼らは大きな力になるだろう。

 この事故による電力不足から、前代未聞の計画停電となった。東電は節電も呼びかけ、鉄道各社は運行数を削減したが、利用者に大きな混乱はなかった。外国メディアは「さすが日本人」と書いたのだが、買いだめが起こったのは予想外だった。

 コンビニのパン類の棚が空っぽだったのには、あぜんとした。「菓子パンなんか買ってどうするんだ? 被災地のことを考えろ」。スーパーでも、あふれ返っていたカップ麺の棚が見事に空っぽ。コメもない。お陰でわが家はコメが買えずに、この4、5日は分けのわからんものを食っている。全然売れてなかった電池までが消えた。「電池買いだめてどうする? バカか」

 バカは日本だけじゃなかった。円高である。これまでの最高値は、阪神大震災のあとの79円75銭だったそうだが、これが76円台にまでなった。地震で日本企業が外貨建ての資産処分に動くという思惑なのだそうだ。これで株も大きく下げた。世界同時株安に?なんていってる。なんともバカバカしいことだが、値動きは現実のものだから始末が悪い。欲の皮の突っ張ったやつにつける薬はない。

 環八の交差点を渡ろうとしたら、夜なのにずらりと車が並んでいる。1キロほど先にあるガソリンスタンドは、値上げの前にはいつも列ができる。しかし、今回はたかが停電だろう。被災地ならいざ知らず、東京で並んでどうする?

 そして極めつけが放射能だった。福島県の牛乳とほうれん草から、通常より高い値が出たと新聞・テレビが伝える。牛乳の方は、「出荷もしていないのに」と名指しされた村人がぼやいていた。もともと輸送がだめで、捨てていたのだそうだ。

 ほうれん草では、専門家と称するのが「洗えば落ちる。心配なら湯がいて」なんていってる。そんなこといわれて、だれが食う気になるか。どちらもレントゲン検査の何十分の1だというのに、「通常の何十倍」なんていえば、煽っているようなものだ。まるでマンガである。

 福島からは、他県に避難する人が続出しているが、福島からとわかって、宿泊を断られたというのだからあきれる。いったいいつから日本人はこんなにバカになっちゃったのか。だいいち、広島、長崎で被爆した人たちに失礼だろう。

 一方で津波の被災地からは、これぞ人間、というような温かくまた悲痛なドラマが連日伝えられる。この落差は何なのか。福島から南、どうも我利我利亡者の国になっているらしい。

2011年3月15日火曜日

テレビの前で原発レッスン


 偉い先生方が、繰り返しテレビで解説してくれると、福島第一原発の原子炉の仕組みをわかっちゃったような気になる。しかし、なんかおかしい。素人でもおかしいと思うのに、先生方が案外平気でいるのがわからない。

 その第一は、バックアップのジーゼル発電機が働かなかったことだ。自動停止した原子炉の冷却過程で必要な電源だという。冷却できないとどうなるかは、素人にだって見当がつく。

 詳細はわからないが、津波にやられたのが「想定外」だったという。しかしジーゼル発電機の造りはどれも似たり寄ったりだろう。つまりは、水没したとか燃料タンクが流されたとか、いってみれば単純な理由で動かなかったのだろう。ただ、バックアップのバックアップがなかった。町工場じゃあるまいし。

 冷却システムの電源というのなら、ほかの発電所からもってこられなかったのか。電気屋なんだから。さらにいえば、いっそ停止した原子炉を再起動させたら、すべてがうまく働いたのではないか。地震では無傷だったのだから。

 現場が何をやってるのかわからないままに、1号機の圧力容器(こんな言葉まで覚えちゃった)内の水位が下がった、逆に温度はどんどん上がって、内部の圧力が高くなる。それくらいは小学生にだってわかる。そしてとうとう燃料棒が顔を出してしまって溶け始めた(メルトダウン)ことがわかる。「圧を開放する」とかいってるときに、ドンと爆発した。

 この時の原子力安全保安局の発表がひどかった。爆発から2時間半も経っているのに、「詳細は確認中」ときたもんだ。そして住民の避難手続きだの安全だのばかりいっている。事実が知りたいのに、何のデータもない。つまりは東京電力が保安局に伝えてこない。しかも40分以上もの会見の間に、新しい情報がひとつも届かなかった。なめられたもんだ。

 また、記者たちのお行儀のいいこと。文句はいってるのだが、それだけだ。もしこれが30年前だったら、「保安局はなんのためにあるんだ」「すぐ東電を呼べ」とどなりまくっただろう。昔の記者は柄が悪かった。が、こんなときにおとなしい記者なんていらない。

 直後の官房長官の会見で、水素爆発だとわかった。格納容器の外で、吹っ飛んだのは建屋の天井と外壁だと。放射性物質の放出はなかったとする一方で、周辺住民の避難の指示が出された。あくまで、念のためみたいなことだったが、避難の過程で、被爆と汚染が確認された。どこから漏れたんだ?

 この水素爆発もわからない。炉心に水を注入すると、水の中の酸素が金属と反応するから、水素だけが残るという。しかしそれは圧力容器の中のはず。どうやって建屋のなかにまで出てきたんだ。学者先生も「どうしてでしょう?」。おいおい、

 1号機にはついに海水を注入することになった。多分おしゃかにすることになるらしいが、今日(14日)は3号機が爆発した。これも1号機同様に水の注入がうまくいかず、メルトダウンの兆候を示していた。こんどは東電が会見したが、これがまたひどいものだった。

 もう水素爆発はわかっているとして、まずはけが人が3人出ていて、救急車で搬送云々。つぎに「パラメーターがどうとか」と数字を並べて、ひとしきり安全を強調したあとで、「行方不明が7人出てます」と平然といってのけた。「エーッ」である。

 自衛隊員6人とプラントの作業員1人だという。救急車で運んだのは東電の社員2人と協力会社の1人。「こいつら、人間をなんだと思ってんだ」と柄悪くいったのは、テレビの前のわたしだけで、会見場の記者たちは、だれ1人これに噛み付くものはいなかった。

 さらに聞くと、水素爆発というのも、周辺の放射性物質の測定値が変わらないことからの推測で、まあ、それは正しいとしても、建屋の中の格納容器の状態というのも推測だった。つまり、だれも目で確認してはいないのだ。

 水が入るも入らないも、圧力を逃がすのもなにもかも、全ては安全な制御室からの遠隔操作。人間がワザを使ってどうこうできるものではない。これはおそろしいことだ。機器のソフトが狂ったら、また配管などにミスがあったら、どうにもならないではないか。過去の事故はみな、そんな話だった。

 現に、圧力容器内の水位を示すゲージは正しく動いてはいないらしい。水はもういっぱいのはずが、メーターはそうなっていないと。遠隔操作では、どっちが正しいのかすらわからないのだろう。

 原子炉が静かに冷えてくれれば、それからどうにでも対処できるだろうが、とうにメルトダウンの温度になってしまっている。官房長官は、「いま冷却作業を続行中」というが、それは東電の受け売りにすぎない。その東電は、かくも頼りないのだ。

 不明の7人は幸い軽症ですんだらしい。が、防衛大臣は、社長を呼びつけて「人命に無頓着な会社に協力できると思うか」と脅しあげてもいいくらいだ。傲慢と鈍感につける薬はない。ぶん殴るのが一番である。

 これはもう、次を考えておいた方がいいのではないか。といってる間に、今度は2号機がおかしいという。理屈は同じだからもう見当はつく。わずか4日のテレビ前の座学で、素人でも、これくらいはわかるようになった。

2011年3月12日土曜日

テレビはいらない?


 NHKの「クローズアップ現代」が10日、カベをひとつ踏み破った。急速に存在感を増しているインターネット放送に入り込み、放送後はプロデューサーらが「ニコニコ動画」のトークに加わった。タイトルが「テレビはいらない?」ときたもんだ。

 「果敢に」というよりむしろ、いつかはそうなる、といった方がいいかもしれない。「ニコニコ動画」や「Ustrem」の存在感は、すでに無視できないレベルにある。イベントの実況、ネットアーティストの活動、政治家や官庁の会見、さらに個人の放送だけでも57万人という。まさにⅠ億総放送局である。

 テレビの中継といえばこれまで、中継車、カメラ、照明、音声と大そうな仕掛けが必要だった。が、ネット放送は、小さなカメラとパソコン、あるいはスマートフォンだけでできてしまう。だから、お坊さんが説法をしたり、中学生が散歩の風景を流す、サラリーマンがその日の昼飯を見せる‥‥何でもありだ。

 25歳の女性の部屋にはテレビがなかった。「以前はそこにあったけど、見ないから捨てた」。見るのはもっぱらネットのアーティストである。パフォーマンスを見ながら書き込みをすると、「弾幕」といって、文言が画面にゾロゾロと出てくる。アーティストはそれを読みながら、映像と声でリアルタイムで答える。

 「ホントに身近で、これを見たらテレビが味気なくなる」。書き込みは、何万という数になるのだそうだ。ところがこの「弾幕」、画面の右から左へ流れていくのだが、読むスピードが遅くなっている年寄りにはとても追いきれない。完全に若者の世界である。

 民主党の小沢元代表が、昨年暮れから立て続けに出演している「ニコニコ動画」。テレビと違うのは、編集されないこと。嫌な質問がない、余計な論評がつかない。彼はこの3つが何より嫌いで、政治部記者が嫌いな理由でもある。これがないから、小沢氏はいつもニコニコ。20万人が視聴しているという。

 「クロ現」の女性プロデューサーは、番組終了後駆けつけた「ニコニコ動画」のスタジオで、このテーマに切り込んだ理由を「テレビは視聴者の空気感を知らない。それを実感できないか。また、テレビがこれからどうなるか、もあった」といっていた。

 彼女が到着すると「弾幕」は、「WWWW」「8888」(パチパチの意らしい)「美人熟女」「美人ですなー」「ちゅっちゅっ」‥‥てな具合だ。「クロ現」の番組中にも、「ネット放送はどうなると思うか?」と聞いたところ、たちどころに「ニコニコ」の視聴者から、「コラボすると思いますよ」と返事があった。

 いや驚いた。すごいの一言。とんでもない世界である。これで合点がいった。朝日新聞が昨年3月末から夕刊で続けている連載「メディア激変」は間もなく1年、10日が227回目だった。激変の核にあるのは、ネット・メディアだ。

 シリーズを一口で言うと、新聞、テレビ、出版‥‥あらゆる既存のメディアが、ネット社会とどう折り合いをつけるかの物語である。スタートはネット放送だった。それがなぜこんなに長々と続いたのか。メディアが多岐にわたるうえに、動きが世界と連動していておそろしく早いからである。

 例えば「電子書籍元年」というシリーズは、アマゾンだマックだグーグルだと「侵攻」を分析したが、その後のiPadの普及などで、半年も経たずに「電子書籍その後」をやらざるをえなかった。ぼやぼやしていたら、置いていかれる早さなのだ。

 といっても別に、浮き足立つことはない。一般の人の大半はネットなしで生活しているし、だからといって、大いに不利益をこうむるわけでもない。どうしても必要なニュースは、少し遅れで既存のメディアが流してくれるからだ。

 しかも、ゼロからニュースを拾い上げる能力では、依然として既存メディアは王様だ。ネットのニュースサイトだって、新聞・通信の配信なしでは成り立たない。ただ、既存メディアが「ニュースだ」と判断したもの以外にもニュースはある。これが、ネット・メディアの教えなのである。

 翌11日の東北・太平洋地震で、夜になって発生した気仙沼市の火災は、自衛隊のヘリが撮った映像が第一報だった。再三の津波で壊滅状態の地区だったから、市も状況がつかめない。そこで市は、わかった分をツイッターで発信した。

 するとNHKがこれを拾い上げて、速報で伝えていた。はからずも、前日の「クロ現」で視聴者が予言した「コラボ」が、立派に機能していたのだった。何というタイミングの良さ。

 新聞・通信もテレビも雑誌も、沢山の情報の中から伝えるべきものを選んで(編集)流してきた。それは今後も変わるまい。だが、ネット放送はまさに対極にある。選ぶのは視聴者だと。ツイッターしかり、facebookしかり。全く別のメディアだが、存在感と利用価値はますます高い。既婚メディアも踏み込まざるをえないところまできた。

 新しいものをどう取り込むかは、古い世代次第だ。人は常にそうして歴史を開いてきた。だがさて、今回はどう折り合いをつけるか。頭の切り替えに、少し時間がかかりそうである。

2011年3月9日水曜日

日本人はバカになった?


 大学の入試問題を、こともあろうに試験会場からネットのサイトに投稿して答えを求めたとして、仙台の予備校生が逮捕された。厳しい監督の目をくぐってどうやったのかが注目されたが、わかってみると、あっけないことだった。

 携帯電話を股にはさんで左手だけで操作したのだと。エーッと思ったが、この年代には普通のことらしい。テレビが早速街頭で若者にやらせていたが、この予備校生より早いヤツがいた。とんでもない時代になったものだと、二重の驚きである。

 しかし、わかるまでが大変だった。新聞もテレビも、やれ写真撮影だ、文書読み取り機能だ、果てはスパイまがいのメガネにとりつけたカメラだの、共犯者がいるだろうとか何とか。携帯を使えなくする機器がある(音楽ホールや企業機密保持用)ことまで教えてもらった。

 はじめ、これがカンニングだとは信じられなかった。aicezuki という同じIDで、投稿した先がだれでものぞける「ヤフー知恵袋」という相談サイトだから、アクセスの証拠は必ず残る。同志社、立教、早稲田、京大の4大学の入試だけでなく、昨年末の予備校の模試でも、同じIDで同じように相談していた。

 京大の文系数学では、6問もの投稿だ。キーを打ったとしても、それだけで20分近くはかかるだろう(実際はもっとかかっていたらしい)。試験時間2時間の中でだ。しかも「教えてください。途中の計算式もお願いします」というのだから、そんなレベルの学力で京大を受ける方がどうかしている。

 どうみてもこれは、携帯おたくが何人か、ワザを競っていたずらをしかけたに違いないと推理した。予備校の模試は予行演習で、どうせ携帯の登録でも、オレオレ詐欺みたいに足がつかないものだろうと。

 ところが、警察が動き出したとたんに、ヤフーで携帯電話の個体識別番号が出て、NTTドコモで所有者が一発で割れてしまう。山形にいる母親の名義だった。「おいおい、こいつバカか。何を考えてんだ」

 大学の方はこれでホッとしただろう。はじめ「入試制度の根幹を揺るがす事態」なんて目尻をつりあげていたが、単なるカンニングならば昔からあることだし、それがとんでもない手ワザになっただけだ。ワザを使うかどうかは、本人次第。これも昔と変わらない。

 再発防止がどうとかいったところで、携帯の管理をきちんとして、監督の数を増やせばすむ。たいしたことじゃない。もしITおたくのいたずらだったりしたら、えらいことだった。むろんその可能性は今後もあるが‥‥。

 それよりも、この予備校生の単純さが気になる。大学センター試験で成績が思わしくなかったから、取りかえそうとしたというのだが、それは京大だけの話。京大でも、同志社、立教、早稲田でも、英語を「教えてください」と聞いていて、早稲田では合格していた。

 どんな受験生だって、自分の頭に詰め込んだものだけで勝負する。ところがこの男は、とにかく「教えてください」ばかり。予備校での成績は悪くなかったというのに、どういうことなのか。おまけに、足がつくことをまったく考えていない。とくに引っかかるのはここである。

 かつて、公共事業の裏に通じた情報源がいた。「国の金を食い物にするくらいおいしいものはない」と豪語していたワルだが、常々「いいことをする時はいい加減でいい。悪いことには、全知全能を傾ける」といっていたものだ。いい悪いは別として、だれもがもっている本能みたいなものだ。

 ところが、この予備校生にはそうしたものがかけらもない。犯罪現場に指紋をぺたぺた押して歩いたも同然だ。悪いという意識はあっただろう。が、その先がない。ひっかかるというのは、新聞にはそうした事例が、日々あふれているからである。

 つき合っている女性を殺しても平気でいる男。親を殺して道端に捨てる。死んだ親の年金を受け取り続ける子ども。防犯カメラだらけのスーパーで幼女をさらう‥‥いちばん疑われる立場にいながら、あるいは動かぬ証拠を残しながら、逃げもしない。そのくせ、警察が来るといきなり自殺したり‥‥。

 要するに、自分が捕まるなんて考えてもいない。前後の見境もなくその場かぎり。小学生でも考えるようなことに、思いが及ばない。何かが抜け落ちている。「日本人はバカになっちゃったのか」

 「ネットで調べられることは、無理に覚える必要はない」というのが、中高生の3割に上るという。たしかに歴史の年号や元素の周期律表なんかどうでもいい。が、何事によらず、全体状況だけは把握していないと、やがては調べ方すらわからなくなるだろう。

 この予備校生は多分その口である。たとえば数学なんて、計算ではなく考え方なのだから、問題の意味がわからないと絶対に解けない。彼はそれがわかっていなかった。そして、どうやらこれはネット世代に限らない。

 平和で、飢えもせず、身の危険もない。あふれ返る情報のなかで、自分だけの小さな世界しか見えていない。好奇心や驚きもなく、行き着く先は無関心。人間が本来持っている感情や本能までがおかしくなっているような‥‥。

 胸に手を当てれば、だれもが、思い当たるシーンのひとつや2つ、あるはずである。日本はいま、ここまできてしまった。