2013年8月9日金曜日

忘れてはいけない原点

 ある雑誌で丸7年続いた連載が終わった。日本が占領下にあった68ヶ月を、絵解き風に短く綴ったものだったが、とりあげたテーマの多くは当然ながらいまに尾を引いている。しかし、大元を忘れた論議のあらぬ展開がなんと多いことかと、あらためて驚き、考え込まされることしばしばであった。

 戦後の痕跡は、日々の新聞、テレビにいくらでも登場する。麻生副総理のワイマール憲法発言は、憲法改正をめぐる早とちり。オスプレイの配備でも尖閣問題でも、日米安保条約の枠組みが関わる。そもそも米軍基地の存在がある。

 折から、キャンプ・ハンセンに救難ヘリが墜落した。報道は、危険にさらされる住民、米軍基地の沖縄偏在、そもそも基地は必要なのかと、いつもの議論の蒸し返しである。しかし、なぜ沖縄に基地があるのかという大元の論議がない。大元には触れずに、末端の事象ばかりが云々されるというのは、どう考えても奇妙だ。

 そのくせ憲法改正である。「アメリカが作った憲法だから」と主張はまことにシンプルだ。アメリカが作ったのは確かだが、このいい方は必ずしも正しくない。マッカーサーは日本政府に草案づくりを迫っている。が、結局「日本人には作れなかった」というのが正しいのである。

 例えば、基本中の基本「主権在民」だ。日本側の草案でこれをうたったのは、「憲法研究会」と共産党案だけで、政府調査会の松本試案をはじめみな「国家主権」「天皇統治」だった。その松本烝治が「そこをいじったら殺される」といったと、のちに白洲次郎はいっている。マッカーサーが日本側の作業を見限った最大の理由だった。

 「戦争放棄」は、天皇制存続と引き換えに幣原首相が出したとされる。天皇制を潰そうとする極東委員会の圧力の中で、日本側にも選択の余地はなかった。しかし、できあがった草案は立派なものだ。のちのシャウプ勧告もそうだが、アメリカですら実現していないものがいくつも入っている。ある意味、世界の理想だったのである。

 そしてなによりも、日本国民の大多数は新憲法にホッとしたのだった。「もう戦争はない」「やっと平和に暮らせる」と、これ以上切実な願望はなかった。制定の過程がどうあれ、いいものはいいと。この時代の空気がいま、すっぽりと抜け落ちてしまった。

 今を考える上で肝心なのは、その後米国が占領政策を転換したことである。ソ連の核保有と共産中国の誕生とで、「日本を反共の防波堤にする」必要に迫られた米国は、なりふり構わず共産党と労働運動を叩き潰す。

 その最中に勃発した朝鮮戦争は、日本経済を生き返らせ、日本を反共陣営に加えた。仕上げが講和条約と日米安保条約だ。憲法で軍備をもたない日本に他の道はなかった。そして60年。安保体制は当たり前のものになった。これが現実である。

 だからこそ、憲法改正は奇妙なのだ。もう忘れているようだが、安倍首相は前の政権で、憲法改正手続きの後段、国民投票を過半数で成立と改めている。今度は議員の発議を過半数にしようという。顔に合わず入念で姑息なのだ。が、安保体制をそのままに、何を改正しようというのか。

 先に出た新防衛大綱の中間報告では、北のミサイルへの対処能力の強化として、敵基地攻撃能力の保有を云々していた。首相はまた、自衛隊を国防軍にするともいう。名前なんぞ何だって同じことだが、その自衛隊は、米軍の存在を前提に成り立っている。もし日本が軍事力で「普通の国」になるというのなら、憲法より先に安保をなんとかするのが筋であろう。

 いま威勢のいいことをいっている連中に、あらためて聞いてみたい。「では、中国と一戦やってみるかい?」と。そして「そのとき戦場に駆けつける気概があるかい?」。声の大きな連中は年寄りで、間違っても戦場に行くことはない。ならば「子どもや孫を前線に送り出せるかい?」と。

 「普通の国」とは、そういうことなのだ。常に臨戦態勢で備えるもの。いざとなったら、国民こぞって戦う。しかし憲法のお陰で、日本はそれを考えずにきた。代わってずっと臨戦態勢でいたのは在日米軍だった。

 ありていにいえば、いまの日本に米軍抜きで中国と事を構える軍事力はない。気概もない。といって、戦力を強化して「普通の国」になるには、老人ばかりの貧乏国に転落する覚悟が要る。それに賛成する国民がいるだろうか。おそらくゼロに近いだろう。

 つまるところ、いまの日米安保体制以外に日本の選択肢はない。安全を他国に委ねて「虫のいい話」だが、それもこれも憲法のお陰である。ところがその憲法で、集団的自衛権の解釈を変えようという。その急先鋒を内閣法制局長官にもってきた。安保によりかかりながら、何が集団的自衛権だ。体裁づくりの茶番である。

 そんなことより、沖縄の負担軽減だろう。ヘリ墜落のニュース映像は、米軍がなぜ沖縄にこだわるかを、はっきりと見せた。あの広大な原生林は、海兵隊の実戦訓練に最適なのだ。しかし沖縄には沖縄の意志がある。オスプレイで問題になった米軍の管制空域は、占領時代そのままだ。これこそ交渉マターではないのか。


 これで思いだした。白洲次郎が面白いことをいっている。占領下で平気で米軍に立ち向かったのは、旧内務省出身者。一番ビクビクして追従したのは外務省出身者だったと。いまもビクビクしているのはだれなんだ?

2013年2月4日月曜日

警察の手のひらで踊る


 報道の展開が実に奇妙だった。スイス在住の資産家、霜見誠さん(51)夫妻が行方不明になっている、という噂みたいな話がテレビのワイドで流れた時には、もう警察はあらかたの捜査を終えていた。だからメディアによっては、第一報が遺体の発見と犯人1人の逮捕と同時、という珍しいことになった。 

 一昔前だったら、全く違ったはずである。捜索願が出た段階から、「こんな妙な話があるぜ」と話が漏れてきて、まずはテレビや週刊誌がああだこうだと大騒ぎ。新聞も取材は続けながらも、書くタイミングをさぐっていたに違いない。しかも捜査がこれほどすんなり進んだとは思えない。警察もメディアも手探り。古き良き時代である。 

 どういうことかというと、いまメディアは完全に警察の手のひらで踊っているにすぎないのだ。彼らは確定した筋書きしか出してこない。今回は捜索願からだから、警察は端からマイペースで動けた。捜査を終えて、犯人を特定して、逮捕状を取って、遺体を発見して、「さあもう書いてもいいよ」と。 

 だから、こんな込み入った奇妙な事件なのに、テレビも新聞も判で押したように同じ筋書き、同じような証言・映像を並べて、主犯の逮捕を待った。犯行の目的や動機、経緯はいずれわかると。案の定主犯の水産加工会社社長、渡辺剛(43)が自殺未遂でみつかって、一件落着。残るは哀れなイヌの行方くらいだ。 

 ある意味では、仕方がないともいえる。メディアが動ける場面はおそろしく限られているのである。いまの捜査には、昔なら考えられないような手だてがずらりと並んでいる。いちばんは防犯カメラだ。 

 被害者の夫妻がイヌを連れてマンションを出るところ。付近に停まっていた不審な車。その車は同じ日に、日光近くを走っていた。例の交通車両監視システムである。車の持ち主がわかる。被害者の関係から、容疑者が浮かぶ。彼らは偽名で宮古島便に乗っていた。そんなことがどうして? とにかくわかるのだ。 

 だから早い。昔ながらの聞き込みだけだったら、下手をすれば迷宮入りだったかもしれない。犯人は第三者に土地を買わせ、アナを掘らせ、車を買わせた。その車を使っての犯行‥‥昔ならほぼ完全犯罪である。まさかその車から足がつくとは思わなかったのだろう。 

 監視システムとデータの解析技術は、この数年で飛躍的に進歩した。昨秋の六本木の襲撃事件や通り魔に近い事件までが、防犯カメラから割れている。加えて、DNAがある‥‥今回は車の血痕で、たちまち被害者と特定されてしまった。どれひとつをとっても警察にしかできないことだ。 

 メディアは、警察が口を開かなければ、何もわからない。今回、漏れてきたのは全部終わったあと。犯人こそ捕まっていなかったが、被害者周辺、遺体の発見場所、不動産屋、みなご指定だ。だから、どのニュースを見ても同じ。自前で動かないから誤報も起らない。何とつまらない時代になったことよ。 

 気になるのは、警察の捜査がうまくいかなかったらどうなるかだ。神奈川県警が29日、川崎市内で女性を刺した容疑者の防犯カメラ映像を公開した。刺されたのは昨年10月だ。3ヶ月経って捜査が手詰まりになったのである。警察とはそういうもの。事件の翌日ならもっと効果がある、などとは考えない。 

 時効に終わった警察庁長官狙撃事件は、オウム真理教の犯行だと思い定めて、捜査の基本を踏み外したのがつまずきのもとだった。時間が経ってからでは、聞き込みは効かない。しかも、時効の会見でなお「オウムだ」といいはったばかりに、オウムの後身の教団に訴えられて負けたのは、つい何日か前だった。 

 いまなら防犯カメラがあちこちで助けてくれたかもしれない。都市部ではいまや、一般市民でも防犯カメラをよけて通るのは難しい。だが、その映像の公開ですら、警察がその気にならないといけない。メディアが取材に走り回る余地は、ますますなくなった。 

 09年5月、愛知県蟹江町で起った母子3人殺傷事件は、現場で警察官が犯人を目撃していながら取り逃がし、以来3年半の間、ニュースはゼロだった。昨年12月、別の事件のDNAから中国人の男(29)が逮捕された。つまり、警察がドジを踏んだら、それっきりなのである。 

 折から、国境なき記者団が発表した「報道の自由度ランキング」で、日本は昨年の22位から53 位に落ちた。福島原発事故取材で、政府と東電のカベを破れなかったことを、世界のメディアは見ていたのだった。 

 先頃朝日が書いていた。記者は現地へ入りたかった。それを上が止めたのだと。しかし止まっちゃったら同罪だろう。まして2年近く経って紙面に書くことかよ、といいたくなる。そのとき問題にしなかったことを、世界は指弾しているのだ。 

 嫌な連想だが、今の日本メディアの「ご用聞き」体質は、ひょっとしてこの辺りから出ているのではないか。警察が口を開いてくれるのをじっと待っている若い記者たち。彼らはやがて、官庁や財界、政界を担当するようになる。 

 ところが今の担当記者たちですら、十分に「ご用聞き」だ。すでに世代をまたいでしまっているということか? これは重大だぞ。   

2013年1月3日木曜日

「男女平等」のウラのウラ



 日本国憲法の草案作成に携わった最後の生き残り、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなった。89歳だった。22歳のとき書いた「男女の平等」草案は、立派に戦後の日本社会を支える柱となった。その作成過程をみると、むしろ「22歳だからできた」という面もあったようだ。 

 憲法改正論者には、「そんな小娘の作ったものを」というのがあるのは間違いない。しかし、「男女の平等」に関しては、別に面白い証言が残っている。 

 連合国軍総司令部(GHQ)で、財閥解体を主導したエレノア・M・ハドレーという女性がいた。戦前の日本政府給費留学生で、日本国内から支那事変の中国にまで足を伸ばして、軍部と財閥の関係をつぶさに見ていた。後に国務省の経済担当官になり、日本の民主化には財閥解体が必須と主張した人だ。これが統合参謀本部の指令として占領政策の柱になった。 

 財閥側は巻き返しに出た。GHQの担当者を「酒と女」の接待作戦で籠絡、指令は相当程度骨抜きになりかかった。そこへ乗込んできたハドレーは、「指令をはずれている」と元の厳格な方針に戻してしまう。女に「酒と女」は通用しなかったのである。 

 面白いのはこの先だ。彼女は、同じ財閥解体を担当するチームの男性スタッフよりひとつ後の船で、たった1人で赴任してきた。その理由を彼女は「女だったから」という。また、国務省でも、同じ部屋の男性スタッフから昼食に誘われたことは一度もなかったという。 

 彼女が特別ブスだったり鼻持ちならない女だったわけではない。写真を見ても魅力的な美形である。日本在勤中、外国特派員協会の記者たちとは多いに交流して、GHQの参謀2部(G2)から「共産主義者」のレッテルを貼られているほどだった。 

 彼女は「当時はそれが当たり前だった」といっている。ハーバード大へいけなかったのも、同大が女性を受け入れなかったからだ。アメリカの男女平等を日本人が目のあたりにしたのは、女性将校に男性兵士の護衛がついている姿だった。これは鮮烈だった。だが、そのアメリカでも男女差別は厳然としてあったのである。 

 当時の米国憲法に男女平等がうたわれていたかどうかは知らない。たとえ書かれていたとしても、ゴードンさんの頭には、アメリカの現実があったはずである。「アメリカにもないものを」と一種の理想を追う姿は、憲法以外にも占領政策の随所に見られるのである。

 憲法草案作成には2つの面がある。ひとつは、日本人にはどうしても作れない部分があったこと。天皇の地位がいい例で、廃位とする共産党以外は、日本側のどの草案も帝国憲法を引きずっていた。日本国は天皇のものなのだ。主権在民といういまでは当たり前のことすら満足に出てこなかった。GHQが、日本側の策定作業を見限るに至った大きな理由である。 

 もうひとつは、リベラリズムや学問上から理想とされる形を、日本という民主主義形成の実験場に持ち込んだことだ。一種の政治的取引であった「戦争の放棄」は別として、ある意味日本国憲法は「あるべき理想」だったのである。草案はむろん日本側との擦り合わせを経て確定している。 

 通訳も務めたゴードンさんは、「その結果多くの修正がなされた」といっている。いま改憲論者がしきりにいう「アメリカが作った」という主張は、必ずしも正しくない。日本側だってイエスマンばかりではなかった。GHQが100%押し付けたわけではなかったのである。 

 民主主義の本家を自認するアメリカは、なかなかに律儀であった。軍国主義者排除のために強行した公職追放でも、実は異議の申し立てができた。日本側とGHQと二段階の審査機関が設けられ、カテゴリーによっては40%近くも異議が通っている。 

 戦後経済建て直しのドッジラインを税制面で支えた「シャウプ勧告」は、当時のアメリカの最高の専門家の手になる。課税の平等が大きな柱だった。なかで有価証券取引への課税など、アメリカではウォール街の圧力で実現できないものも含んでいた。これも「理想」である。 

 勧告は前文で「勧告の一部が排除されると、他の部分は価値を減じ有害ともなる。その責任は負わない」とあった。が、占領の終了とともに、「理想」はズタズタになった。勧告のひとつの柱だった地方税の拡充強化は、いまだにできていない。責任を負うべきは、日本側なのである。 

 先の選挙で声高にいわれた改憲論の多くは、作成過程を無視したステレオタイプの批判と論点のすり替えである。曰く、家族がおかしくなった。教えたのは日教組だ。そうさせたのは憲法だと。違うだろ。だれも憲法なんか気にしていない。社会規範がおかしくなったのも、憲法のせいじゃなかろう。 

 その憲法のもとで、自由を目一杯享受して育った世代が、憲法を変えようという奇妙。現行憲法を尊重しない連中が、新しく作る憲法は尊重しろだと? よくいうよ、まったく。 
   
 ゴードンさんは最後まで、日本の女性の権利を心配していたそうだ。60年前のアメリカと同様、実態は条文の外にある。閣僚や経営幹部に女性が少なくても、決して憲法の文言のせいではない。