2010年7月25日日曜日

政界の非常識は報道の常識?


 参院選で負けて、民主党内でいちばん元気になったのが小沢一郎だ。しばらく姿をくらましていたのは、検察審査会の動きかららしいが、出てきたと思ったら、自派の候補者(当落)に会ったり鳩山に会ったり、と大車輪だ。

 毎日・論説の与良正男がテレビで「(鳩山と)2人が元気になっちゃって、おかしいなとみなさん思いません? また、代表選の主導権を握るかどうかなんて、報道する方もする方だけど、変ですよ」といっていた。

 「あんたもメディアの人間だろう」といいたくなるが、確かにこのところメディアの小沢一郎の扱いは気になる。「お前の常識は世間の非常識」は相撲の世界だったが、政界では小沢にとどめを刺すだろう。

 なにしろ、政治と金の話(土地取引疑惑)では、「検察が不起訴で潔白を証明した」とうそぶいて恥じない。証拠不足の「嫌疑不十分」を「潔白」だと。8日に遊説先から自宅にも帰らずこつ然と消えたが、これが不思議。投票日まで2日を残してなぜ?

 あとでわかるのだが、この日東京第一検察審査会が「不起訴不当」と議決していた。発表は15日だったが、その日のうちにいち早く内容をつかんでいたとすれば、消えた理由にはなる。審査会の周辺に、手のものがいたのか? だとすれば、これはこれで問題だろう。

 「小沢遊説」なるものも実に不思議だった。党執行部の戦略とは無関係に、勝手に自派の候補者のところに現れては、菅首相の「消費税」を批判して歩いていた。テレビ・新聞はまた、その「批判部分」だけを流す。まともな有権者なら、これを聞いただけで民主党に投票する気をなくしただろう。

 そして、菅首相には会わない。首相がまた,「お詫びしてでも」なんて女々しいことをいうから、喜ぶのはメディアばかり。いやしくも、党の代表を袖にするというだけでも異常なのに、理屈にもならない小沢側の消息をそのまま書いて一向に恥じない。

 会わない理由は、むろん菅発言にある。代表選のあと「(小沢さんは)しばらく静かにしていただいた方がいい」といった、アレだ。ご丁寧に「ご本人のためにも、民主党のためにも、日本の政治のためにも」といったのは強烈だった。

 小沢のかつての盟友、渡部恒三“黄門さま”がテレビで、「菅君のあのスピーチは、これまで聞いた中で最高だった」といっていた。同時にまた「(小沢は)都合の悪い時は出てこないんだ」とも。いつものことだと。

 小沢にしてみれば、民主党も手段にすぎないのかもしれないが、まあ、だだっ子みたいなものである。にもかかわらず、メディアの筆は小沢に甘い。同じことを他のだれか、例えば鳩山、菅がやったら、馬に食わせるほど書きまくるだろう。報道の常識はどうなっているんだといいたくなる。

 まあ民主党自体が、小沢をまるで腫れ物に触るような扱いだから、仕方がないのかもしれない。しかし、メディアは小沢がどんな男か知り抜いているはず。いま小沢が視界からスッと消えたら、日本の政治がどんなにスッキリするかもわかっていよう。ところが、話は代表選がどうのこうの。小沢派は勢いづいているとメディアは大忙しだ。

 その代表選の日程自体が、もうひとつの小沢疑惑、東京第五検察審査会の日程に左右されているという不思議。この審査会は1回目に「起訴相当」としたから、9月といわれる2回目に同じ議決が出たら、小沢はたちまち被告席に座ることになるのだ。冒頭の与良ではないが、「変ですよ」といわざるをえない。

 小鳩が退陣したとき朝日新聞の調査で、鳩山退陣を「よかった」といったのは60%だったが、小沢退陣を「よかった」としたのは85%だった。「そんな政治家は要らない」という、これ以上ない意思表示である。

 小沢の行動を解くキーワードは「数」だ。論拠は、法案を一言一句変えずに、粛々と衆参両院を通すこと。だから、「ねじれ」は困る。数が足らなければ連立を、となる。日本の政治は長年これでやってきた。だから国会論議は退屈で、国民は無関心。国民の無関心は自民党に好都合だったのである。

 民主党の前回のマニフェストがバラマキ型だったのも、政権交代後に、小沢が出したいくつかの横やりも、全ては参院選で数を得るためだった。新人議員を集めて「君らの仕事は、次の選挙で当選することだ」とぶった。「そんな議員は要らない」というのが民意だったはず。小沢の頭の中は、自民党時代から何も変わっていない。

 だが、法案を修正するとなれば、話はがらりと変わる。民主党は、それにカジを切るようだ。また今回のねじれはそうせざるをえない状況にある。修正協議の中身が日々伝えられ、与野党が合意した法案が上程される。有権者が望んだのはそれだろう。

 民主主義は時間がかかって当たり前。即ち数の論理の終焉。小沢時代の終わりである。なのに、相変わらずテレビは無愛想な小沢を追い回す。いっぺん追いかけるのをやめてみたらどうだ。いつまでも「ねじれが」なんて寝ぼけてると、「お前の常識は‥‥」といわれちまうぞ。 (文中敬称略)

2010年7月15日木曜日

情報がなぜ化ける?


 どうも腑に落ちない。参院選での民主の敗因は、菅首相の「消費税10%」発言だという。現場は思いもかけぬ逆風にさらされ、その風をうまくつかんだ自民が1人区で圧勝し、みんなの党が漁夫の利を得た。それに違いはないだろうが、腑に落ちないのは、菅発言の伝わり方である。

 菅首相本人も言う通り、消費税への言及は「唐突」だった。参院選公示の第一声で、「財政再建の必要がある。超党派で税制論議を始めよう」と訴えた。それ自体は立派な見識だが、「自民党が消費税10%といっている。これは参考になる」と余計なことをいった。これが一人歩きを始める。

 野党は一斉に、「消費税10%」「4年間あげないというマニフェスト違反」と攻撃し始めた。政治家はこの程度の言い換えは日常茶飯事だが、メディアまでが「10%増税」と書き始める。首相はさらに、「論議を始めようというのはマニフェストと考えていい」といったために、「増税はマニフェスト」になる。

 「選挙後に論議を」というのが、「すぐにも増税」にすり替わり、おまけに党内論議抜きだったから、党執行部も候補者も立往生した。すると小沢前幹事長が、遊説先で勝手に「マニフェストにはずれてる」と首相批判を始めた。なんとも最悪、最低である。

 一般の有権者でも、テレビの街頭インタビューなどで見るかぎり、この辺りを正確に理解している人はけっこういた。にもかかわらず、メディアの伝え方が、「すぐにも増税」という印象を増幅させていくのには、開いた口がふさがらなかった。とくにテレビのワイドショーなどでは、話が単純化されて語られた。

 菅首相は、「増税前には民意を問う」といっているのだから、元々のマニフェストにははずれていない。ところが当の首相は、ストレートに訂正するのではなく、「低所得者には負担を軽く」などと言い訳めいたいい方をするものだから、もう増税は既定の事実になってしまった。実におかしな情報の伝わり方だった。

 ひとことでいえば、バッカじゃなかろか、である。首相もそうだし、それをきちんと修正できない民主党執行部も、平気で事実を曲げて攻撃材料にする野党も、もひとつマスコミも、みんなバカになったとしかいいようがない。これじゃ、ツイッター以上に危ないのは、人の口だということになる。

 菅首相の念頭にはおそらくサミットがあった。財政再建策がメーンテーマである。その場で、日本はこれこれをやる、という必要があった。財務相になってから、この問題では危機感をもっていた。だから公示の第一声でそれを口にし、その足でカナダへ飛んだ。

 しかし、党内でそんな意識をもってる人間はいなかった。むしろ自民党に、それはあった。先に「10%」とマニフェストでいっていた。首相には、これに対抗する気持ちもあったのだろう。

 事実、首相発言に石破・自民党政調会長がいった「抱きつきお化け」といういい方には、とりこまれることへの危機感が感じられた。しかし、「増税」で攻撃する方がはるかに有効だ。首相は墓穴を掘ったのである。

 幻の情報に影響された有権者がどれくらいいたかは、測りようがない。しかし、結果は現実だ。自民の大勝もみんなの党の躍進も、動かない現実である。

 朝のテレビでみのもんたが、「菅さんが、『自民は消費税をいうが、われわれはまずムダを省いて、国会議員自ら血を流して、それからですよ』と言ってたら、全然違ってたでしょうね」といっていた。コメント陣は一斉にうなずいていたが、どう違ったかは、これまた測りようがない。

 既存のメディア、とりわけ一般紙が選挙の報道に慎重なのは、情報が選挙結果を左右するからである。メディアは中立、これが日本の建前で、長年これでやってきた。ところが今回は、そもそもの基礎データが、数字のつまみ食いに走ってしまった。誤解を招くような情報を流して、それが広まっても平気なメディアとは、いったい何なのか。

 朝日新聞の座談会で古川貞二郎・元官房副長官が、「メディアは事柄の軽重にもっと洞察力をもつべきだ。‥‥何が本質なのか、メリハリをつけてほしい」といっていた。意味はわかるが、今回のはそれ以前の話だから気が滅入る。

 民主党が負けたのは、鳩山・小沢の迷走の方がはるかに大きいだろう。バレーボールの三屋裕子がうまいいい方をしていた。「ノーアウト満塁にしたのは誰なんだ。菅さん、枝野さんに自責点はあるのか?」と。菅投手はそこで、消費税という大暴投をやったのだが、さて自責点は?というわけである。

 民主党内には、「総括が必要だ」という声があがっているそうだが、本当に総括が必要なのはメディアの方であろう。鳩山・小沢が迷走していたとき、「事柄の軽重に洞察力」を欠き、「本質」を見誤ったのは間違いないのだから。

2010年7月4日日曜日

ネットのリテラシー


 参院選の選挙期間が半分過ぎたが、新聞・テレビの報道は、ワールドカップのせいもあってか、低調なように見える。討論会に党首が9人も並ぶなんて有様では、有権者の方も手がかりがつかみにくい。

 いまのところ、世論調査で「投票にいく(必ず、多分)」が9割近いというのだけが、変化を予感させる材料だ。去年の衆院選より面白いことになるかもしれない? ここにネットがどう関わってくるかに注目している。

 せっかく一部解禁の流れだったネットでの選挙運動が、小鳩退陣のあおりで法案審議が間に合わず、今回は見送りになった。といっても、公選法はあくまで選挙運動に関する規制だから、運動ではない勝手なブログの書き込みはまったく自由だし、ツイッターに至ってはアミのかけようもない。ネットの政治的発言は、けっこう盛んである。

 驚いたのは、菅首相誕生と同時に、首相を騙るツイッターがいくつも出現したことだった。本物だと思って、フォロワーが1万を超えたものもあったというから、はめられた人は腹も立とう。何百万人が善人でも、ワルは1人2人で効果を出せる。それがネット。

 例えば、「あの候補に投票するな」と書いたら、現行法でも選挙妨害になるかもしれないが、個人のつぶやきで「あいつは嫌いだ」「過去にこんなことをやったやつだ」と書くのは自由だ。内容が事実なら、どうにもならない。そこへまた、巧みにウソや思い込みを織り込まれたりしたら、完全にアウトである。

 「ニセ菅」にしても、投票日の前々日くらいに出現して、あることないこと書かれたら、どうなっただろう。当事者が発見して、警察に通報して、それからネット管理者をたどって‥‥なんてやってるうちに、投票日だ。たとえふん捕まえたとしても後の祭り。どんな影響が出るかは、神のみぞ知るだ。

 だいいち、これが罪になるのか、ならないのかすらよくわからない。ネットの世界は、法律のはるか先をゆく。現行の公選法は、候補者は放っておくと何をするかわからない、という性悪説の上に、あれもいかんこれもいかんと、がんじがらめにした「べからず集」である。

 だから、「選挙のアルバイトに報酬を払ってはいけない」なんていうバカな条項が残っている。最近の選挙で摘発される違反の大部分がこれである。いまどき、無報酬で選挙の手伝いがいるはずがない。みんな払っているのに、不慣れな陣営が証拠を残したりすると、パクリとやられる。

 こんな時代遅れの公選法が、ネットに対応しきれるわけがない。ブログやツイッターの「勝手連」とか「まつり」みたいなこと、逆に貶めるものもが現れてもおかしくはない。とりあえずは、悪意のあるデマ、中傷の類いをすばやく追跡するような手だてを講ずるしかあるまい。しかし、おそらく警察ができるのはそこまでだ。

 ネットの対応は、ネット人がやるしかないのだろう。「ネットのリテラシー」とでもいったらいいか。ウソとホントを見分ける目である。携帯も含めて、ネットに慣れている若い人たちは、相当な目をもっているようだが、危ないのは私のような世代だ。ネットでも活字を見るとまずは信用してしまう。

 面白いもので、純然たる意見を除けば、ネットを流れている情報のほとんどは正確、あるいはバランスされている。ニュースサイトでもチャットでも、内容がおかしいとたちまち突っ込みが入るから、絶えず修正・訂正されていく。結果として、正しい情報がネット上に残る。既存のメディアでは逆立ちしてもできない柔軟性だ。

 ネット百科のウイキペディアがいい例で、論争になるテーマでも、いろんな人が書き込み、訂正していくと、自ずと落ち着くところへ落ち着く、あるいは異論が併記されていく。これはある意味、驚くべきネットの機能である。ただ、スピードのあるネット情報がどう展開するか、これがわからない。

 ひところしきりに、「情報格差」ということがいわれた。ネットを知る、知らないで大きな格差ができるというのだ。それはその通りだろう。

 しかし、ネットを知らない人たちが大いに不利益を被っているかといえば、そんなことはない。ネットで知りうることの大部分は、知らなくてもどうってことないもの。どうしても知ってないといけないものは、少し遅れて普通のメディアに必ず出てくるものである。

 選挙という短い時間の中で起こりうる格差、それに、悪意が重なったらどうなるかだ。ツイッターが暴走したときに、「リテラシー」が働くかどうか。答えはまだ誰も知らない。杞憂であればいい。が、杞憂で終わったら逆に、日本人は何と平和なと、首を傾げるべきかもしれない。

 朝日新聞に気になる記事が出ていた。ネット人への調査で、若い世代ほど他人を信じやすくなっているという。数字の上では、歳をとると見事に疑り深い。ふと、「これは日本だけの現象ではないのか?」と心配になった。