2011年9月26日月曜日

あきれた「小沢首相待望論」


 「小沢氏は首相で勝負せよ」には、わが目を疑った。24日の朝日新聞朝刊「記者有論」である。筆者は8月まで1年8ヶ月小沢番の政治記者だった。転勤になっていま、仙台の東北復興取材センターにいるという。

 記事は「被災地に転勤してきて率直に思う。やはり小沢氏は首相になるべきだ。岩手出身として東北復興の先頭に立つべきだ」という。野田内閣については「前途多難だ」と一言で片付けている。まだ予算委も開いていないのに、また自らも転勤3週間だというのに、いささか話が早過ぎないか。

 だいいちこの半年、小沢氏が東北に何かしたという話があったか? 現地に足を運んでも、支持者のところだけで、反対派は素通りという話はあったようだが‥‥。

 本文もひどい。小沢氏はこの20年、「政局的手腕」は評価されながら、ずっと裏方だった。このままだとまた「闇将軍」になってしまう、と希望的観測を列挙して、「政治的手腕」を発揮できれば「名宰相とうたわれるだろう」とある。いやはや、とんでもないところに応援団がいたものだ。

 政権交代以来、民主党政権に立った波風は大方小沢一郎氏が元である。これを支えたのが、「ねじれも予算も役人も、小沢氏の剛腕で」‥‥という「小沢神話」だ。メディアが不必要に小沢氏の動向を伝えるのが、ずっと腑に落ちなかった。

 理由がわかったのが、昨年の代表選の前である。朝日に載った、歴代の小沢担当記者6人の座談会だ。このブログですでに触れているものの再録になるので、いささかの重複をお許しいただこう。

 座談会は小沢氏が代表選に出馬するかどうかが焦点だった。6人は「出る」「出ない」という見通しから「出るべきでない。1回休み」「いや出るべきだ」まで。理由はともかく、小沢氏がトップに立ったときの危うさを、だれも疑っていないことに驚いた。どころか、明らかに期待していた。

 これで初めて「あ、時代が違うんだ」とわかったのだった。年代からいって、彼らが小沢氏を担当したのは自自連立あたりからだ。自民党幹事長の頃は、6人のうちいちばん年かさの記者でもまだ駆け出し、政治部員にもなっていない。

 古い世代にとって、小沢氏の剛腕とは即ち独断専行だ。「数の政治」の信奉者だから、選挙のためなら何でもあり。政治資金から政党交付金まで不審な金の話が絶えずついて回った。政権の実質ナンバー2なのに、首相にという声がついになかったのも、身辺が身ぎれいでなかったからだ。

 彼はまた、健康診断を理由によく海外へ出た。出先支局ではパパラッチを雇って彼の追跡をしたが、とうとうしっぽを出さなかった。「メディア評価研究会」のインタビューで野中広務氏は、「あれは健康じゃなくて、金のため」といっていた。真偽はわからないが、健康で雲隠れする必要はあるまい。

 小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反で26日、東京地裁は元秘書3人に有罪を言い渡した。ゼネコンからの裏金の授受を認定したのが大きい。これはそのまま、小沢氏の政治手法につながる。いまもって、自民党時代そのままなのだ。

 新聞記者嫌いも変わらない。下野してかなり変わったとはいうが、「会見はサービス」などと、相変わらず政治記者を見下している。そのくせニューヨーク・タイムスだのワシントン・ポストにはホイホイと会う。「自国の記者だけが嫌いな政治家なんて信用できるか」。これだけでも、小沢氏を好きな記者なんかいなかったろう。

 最近は、嫌な質問の出ない「ニコニコ動画」がごひいきだ。要するに、メディアは、いったことをそのまま書けばいいと。これは今の記者なら、百も承知だろう。昔話だって知らないはずはない。しかし、肌で知らないとは何と恐ろしいことか。

 昨年の代表選の後、玄葉光一郎氏が「ベテラン記者までが、小沢神話に引きずられていた」と嘆いたと、朝日のコラムが書いていた。なかに小沢担当記者が「小沢が政策を語るのが新鮮だった。中身より小沢の対応に興味があった」といっていたともあった。これが多分、この記事の筆者だろう。

 政治家に記者が心酔するのは、珍しいことではない。政治家にはみな何かがある。しかし、まともな記者ならば、片足は永田町に置いても片足はこちら側にあるはずである。だからこそ周囲も見える。小沢氏とその政治手法が賞味期限切れに近いことも見えるはずだ。

 朝日新聞のいいところは、社説とはまったく逆の主張でも、平気で紙面に載ることである。むろん論拠がしっかりしていないとダメだが‥‥。

 かつて小選挙区制導入が論議になった時、論説が「容認」に傾いていく中で、ひとり「中選挙区制」を主張し続けた編集委員(故人)がいた。米英の制度までを検証して、「民意の反映にならない」「政権交代にはつながらない」という主張は、社説よりはるかに説得力があった。

 むしろ、彼が鋭くついた現行制度の矛盾が、いまの見直し論とつながっているのは、感慨深い。政権交代は実現したが、はたして制度のお陰だったか? その前に国民が自民党を見限っていた。制度は確かに大差をもたらしたが、ふくらんだ数の多くが「小沢チルドレン」である。

 「小沢神話」はなお健在だ。国会議員はあの通り。チルドレンもいる。記者だって彼1人ではなかろう。記者が何を考えようと自由だが、こんな論拠も薄弱な「応援歌」が紙面に載ること自体、何かが壊れている証拠である。

2011年9月24日土曜日

見えているのに見ていない


 台風15号が東日本を縦断した。テレビはいつものようにあちこちリポーターを出して、ヘリが飛んで、大忙しだったが、ナマの映像を見ながらイライラするのもいつも通りだった。

 都心で風速36メートルとは聞いたことがないが、コメントでも聞いたことがないのがいくつか。お台場のルポで、女子アナが「キャー」といって「まるでアラシのようです」には笑った。嵐を取材してるんでしょうよ、お嬢さん。

 東京というとなぜか新宿駅南口だ。電車が止まって「大混雑です」というのだが、見たところいつもの混み具合と変わらない。あそこはいつもああなのだよ。違うのは立ち止まっている人が多いこと。これがこの日のニュースだった。わざわざ濡れるところでしゃべって、カメラがパンすると、濡れてもいない乗客がカメラに手をあげたりしている。間抜けなことこの上ない。

 城ヶ島のリポーターは、ヘルメットを飛ばされそうな風のなかでわめいていた。10年一日のごとく、こんな中でしゃべることはないよ。彼は三浦半島一帯で何度も暴風雨の中に立った。まことにご苦労様だったが、ひと言いわせてもらうと、いつも画面の真ん中にいるお前さんが邪魔だ。後ろの波の様子が見えないじゃないか。

 現場ルポの怖さは風や雨じゃない。リアルタイムに現状を伝える映像に、しゃべりが勝てるかどうか、その怖さだ。さらに、写っていないものも含めて全体状況も伝えないといけない。だが、多くは舌足らずで、写っている絵にも追いつかない。といって恥じてる風もない。

 ヘリの中継もそうだ。岐阜・御嵩町の土砂崩れの現場で、土砂の中から車がみつかった。大きく崩れた土砂の末端に救助作業の人が見える。ライブの映像がそこを映し出した。白いミニバンが横転して泥に埋まり、運転席のドアが開いている。一瞬「運転者は脱出したのか?」と思う。

 ところがヘリからは「車でしょうか?」、東京のスタジオも「あの白いのが?」なんていってる。現場は何を見ている? スタジオのモニターは安物か? 車は前夜から不明だった男性のものだった。

 台風上陸前のいちばんの関心は、紀伊半島の土砂ダムの成り行きだった。そのひとつ和歌山・熊野では、流れが堤を超えていた。「勢い良く泥水が流れ出しています。決壊しているように見えます」。まだ決壊じゃないだろう。越流だ(この越流というのも、今回初めて聞いた言葉だが)。

 下流では泥流が民家のある岸辺にどどんとぶち当たっていた。「民家に迫っています」。んなもの全部見えてるよ。それよりも、越流とは別に、土手の途中からも流れが見える(写真参照)のだが、リポーターは気づかない。「オーイ、穴が開いてるぞー」

 十津川・赤谷では、水位が増えた後、急激に水位が下がったというモニター・ブイの情報。ヘリが飛べないから、国交省では「理由がわからない」という。わからないじゃないだろう。低いとことに穴が開いたに決まってる。大分遅れて「穴が開いたと思われる」と発表があった。

 台風に限らず何でもそうだ。カメラの性能は素晴らしいから、何でも写っちゃう。ところが人間がそれを見ていないのだ。リポーターも東京も、見えてるものを見ていない。だからテレビを見ている方が、へとへとに疲れてしまうのである。

2011年9月14日水曜日

お祭りメディアはもうたくさん


 またまた大臣が失言で辞めた。ついこの間も、それで1人辞めたというのに、学習能力のなさにあきれるが、もっと気になるのがメディアである。いったい何を考えているのか。

 初めて大臣になれば誰だって舞い上がる。それまで縁のなかった記者たちに毎日囲まれるのだから、つい口が軽くなって、前後を忘れて持論を展開したり、軽口が引っかかったりーー自民、民主を問わず、新内閣では当たり前のことである。

 ただ、野田内閣では10人が初入閣のうえに、党内融和で危なっかしい人材もいたから、即座に2、3人はやるだろうと思っていたが、いや出るわ出るわ。一川防衛相の「シビリアンコントロール」、小宮山厚労相の「たばこ700円」‥‥うち鉢呂経産省の「死の町」「放射能つけちゃうぞ」が、言い逃れできなかったわけだ。

 ただの議員と大臣との違いがわかるまでには時間がかかる。かつて、失言ばかりが新聞の見出しになった森喜朗・元首相なんかは、最後まで議員と首相の違いがわからなかった口だ。野田内閣だって、まだ出るだろう。閣外でも、平野国対委員長の「不十分内閣」、前原政調会長の対中発言など危なっかしい。

 しかし、騒ぎになる経緯を見ていると、メディアが大いに片棒をかついでいることがわかる。鉢呂大臣は警戒区域を視察したあとで、町の様子を「死の町」といったが、だれが見たって「死の町」に違いはなかろう。そのあとに「なんとか町をかつての姿に」とか何とか付け加えていれば、何の問題もなかったはずである。

 ところがメディアは「死の町」だけをつかまえて、首相に、福島に伝える。首相はびくりして「謝罪を」といい、福島県民は怒る。その声をくっつけて記事にする。おまけに、前日防護服姿で視察から帰った大臣が、待ち受けた記者に「放射能つけちゃうぞ」といった、冗談までも書いてしまう。

 しかも書いたのは翌日、「死の町」発言と抱き合わせだから明らかに意図的で、こっちの方が致命傷になった。「福島の人たちの苦しみを何だと思ってるのか」という決めつけだ。しかしこれ、大臣としての能力とはおよそ無関係だ。むしろ彼は福島には何度も足を運んで、もともと農協出身だから農業の実情はよく知っていた。福島を貶める気なぞ、さらさらなかったろう。

 あらためて考えてみる。いま新聞・テレビの野田内閣についての報道は、「素人ばかり」「未知数」「先が目ない」と、そんな決めつけばかりである。2年前までは野党議員だったのだから、「素人」は当たり前ではないか。それよりも、野田首相は事務次官を集めて「協力」を呼びかけ、「政治主導」では事実上白幡を掲げた。いってみれば、だれが大臣であろうと同じ、といったも同然である。

 現に、大臣がいなくても、経産省はそのまま動いている。次の大臣にだれがきても、何事もなかったようにーーそれが日本の官僚組織だ。外務省でも財務省でも同じである。

 そんな大臣のあげ足取りに、バカバカしい時間と労力をかけている場合ではなかろう。それでなくても首相の首のすげ替えに5ヶ月も大騒ぎして、これは間違いなく災害復興の足を引っ張った。騒ぎの半分はメディアがつくったようなものである。

 なぜこんなことになるのか。目の前で展開している政治が、自分の国の政治だ、という自覚がないのではないかとすら思えてくる。まるでよその国の出来事を見るような傍観、情報を右から左へと流すだけのご用聞き、騒ぎをあおり立てるお祭り根性‥‥。

 だから、本当の不条理に対する怒りが足らない。失言の現場での瞬発力もない。何もいわずにそのまま書いて、騒ぎになって大臣の首が飛ぶ。それをまた書く。ほとんど「いじめ」ではないか。そんな記事読みたくもない。

 朝日新聞がまた「メディア欄」で、このいきさつの検証みたいなことをやっていた。そのときどこの社がいて、どんな記事を書いた、やあ何だかんだと、いつものヤツだ。まあ、書いたのは別の記者なのだろうが、自分のところも1枚噛んでいるというのに、よくやるよてなもんだ。

 この半年間を見れば、メディアがなすべきことは何を置いてもまずは復興の尻をたたくこと、放射能の影響についてのあらゆる情報を届けること、永田町の混乱の元凶をあばくことであったはずだ。しかし現実は、「菅が悪い」の大合唱、放射能情報の追及不足と鈍感、永田町のお祭りーー要は霞ヶ関と永田町の後ろを走っていたのである。そんなメディアを誰が信用するか。

 経産相の後任は結局、枝野幸男・前官房長官になった。「即戦力」というが、彼のこれまでの福島問題への姿勢を考えると、その筋には思わぬ誤算かもしれない。まあ、これはじっくりと見守るとしよう。

 その枝野氏を、朝日夕刊の「素粒子」が、「従者だけ復活」とサンチョ・パンサになぞらえて、菅・前首相をドン・キホーテにしてしまった。これは上手い。しかしその後がいけない。「失言追及と弁明の国会が始まるかと思うとうんざり」だと。火を付けておきながら、その言い草はないだろう。

2011年9月8日木曜日

どじょう宰相の本当の顔は?


 野田佳彦・首相の誕生を、メディアは予想できなかった。そんな記事を読まされるのも情けない話だが、テレ朝に細川護煕・元首相が登場して、代表選前に小沢一郎氏と3人で会談したと明かしたのには驚いた。もしこれが事前にもれていたら、代表選の形勢は変わっていたかもしれない。 ここでもメディアは1本とられた。

 野田氏は代表選で、相田みつをの言葉を引いて自らを「どじょう」に例え、実直なイメージを定着させた。これも細川氏が前日の演説を「財務相演説だ。もっと人間味を出せ」と指摘したのを受けて、がらりと切り替えたのだという。しかも「どじょう」は、小沢氏側近の輿石東氏を幹事長に引き込む布石だった。こんな政治家、これまでいたか?

 演説のうまさは評判通りだ。間合いといい、言葉の確かさといい、例の小沢・鳩山・菅のトロイカとは段違いだ。ぶら下がり取材でも、嫌な質問にも平然。そのうち下手な質問には切り返しかねない。とても「どじょう」なんてもんじゃない。

 テレビを見ながら、本人がルックスを自慢していたという話を思い出した。多分国対委員長だったころ、フリーのジャーナリストに、「いま、こういう風に作っている。いいでしょう」といったというのだ。以前とはイメージを変えたらしい。

 それが今の姿そのまま。どうみても自民党のたたきあげ陣笠代議士だ。当時の代表がスマートな前原誠司氏だったから、いま思えば、それが「金魚とどじょう」だったのだろう。しかしこの見かけ、中身にもつながるらしい。

 政治家としての野田氏を、朝日新聞は「土着の保守政治家タイプ」と書いていた。県議時代から大臣になるまで24年間、船橋駅前で辻説法を続けてた泥臭さは、自民お得意のドブ板選挙も真っ青である。政治信条でも、A級戦犯について自民党に質問書を出すなど、確かに保守的だ。

 代表選出後は、真っ先に輿石幹事長を決め、次いで党執行部・閣僚・政務3役までの入念な派閥均衡人事。さらには政調会長の権限強化、事務次官会議の復活などで、党内の体制を固めた。唯一の誤算が、岡田克也氏の官房長官固辞だったが、実務型内閣には問題はなさそうだ。

 とくに驚くのは、細川氏が仲介した3者会談だ。ここで小沢票が来ないことはわかったはず。それでも勝ったときにどうするか。その時点から、敵である輿石氏を取り込む戦略を立てていたわけだから、これは相当なタマである。このあたり保守の老かいな政治家を思わせる。

 細川氏も「彼は保守ですよ」という。「安定・保守、こげつかないテフロン・フライパン」と面白いいい方をしていた。野田氏がはじめて国政に出たのが、細川氏の日本新党からだった。以来野田氏をずっと見てきて、政治的資質を高く評価しているといっていた。

 メディアは「未経験の大臣ばかり」なんて書いているが、政権交代2年で経験者がいるはずがなかろう。1人2人バカな大臣も出るだろうが、要は首相の舵取りの才であろう。閣内掌握、小沢派の動向、官僚との間合い、焦げ付きのタネはいくらでもあるが、それがテフロンフライパンということか。

 しばらく前、朝日新聞の「耕論」が、「松下政経塾に任せられるか」というのを組んだ。故松下幸之助の発想から32年で、いま国会議員38人、地方議員30人、首長10人だという。奇しくも野田氏をはじめ、政権の中枢に塾出身者がぞろぞろと並んだいま、読み返してみるといろいろ面白い。

 論者の1人、元松下政経塾頭の上甲晃さんは、「塾が、普通の若者と政治をつなぐ役割をはたしたのは確かだが、『かれらが首相になれば』とは、いまや誰もいいません」と現状を嘆いていたのだったが、首相になっちゃいましたね。

 早稲田・雄弁会出身の荒井広幸・参院議員は、「地盤・看板・かばんのない人間が、政治家になるルート、という点では似ているが、政経塾が司馬遼太郎的なら、雄弁会は藤沢周平的で草の根保守なんです」とうまいいい方をしていた。ん? これも話が違ってきたのでは?

 もう1人、自民党の派閥抗争が大好きだったというロック歌手の西寺郷太さんは、「徒手空拳で訴えた理想を見失い、そこそこ優秀な『規格品』になってしまった」と手厳しかった。だが、いまその「理想」と「規格品」との兼ね合いが問われることになった。

 すでに当選を重ねている議員を、政経塾だからどうというのもおかしなことだ。が、最後の西寺さんの問いは、今後も続くだろう。実際に塾出身の首相や閣僚が日本を動かし始めたのだから。

 政治家の才のひとつに、「見出しになる言葉」がある。小泉純一郎氏以降久しく、そんな言葉をはく政治家はいなかった。政治家の言葉は、ときに中身より明晰さ、わかりやすさである。だから見出しになる。どうやら野田氏にはそれがあるようだ。長年の辻立ちの成果であろう。

 震災復興、景気浮揚、財源、行政改革、増税‥‥実務をこなす中で、どれだけの「見出しの言葉」をはけるか。意外に「どじょう」が大化けするような、そんな予感がする。

 そしてもうひとつ、外交の場での言葉の重み。野田氏にとっては、国連総会と日米首脳会談が最初の場となる。外国メディアを含めた会見、これもひとつの見せ場だ。どんなことになるか。実はちょっと楽しみにしている。