2011年9月14日水曜日

お祭りメディアはもうたくさん


 またまた大臣が失言で辞めた。ついこの間も、それで1人辞めたというのに、学習能力のなさにあきれるが、もっと気になるのがメディアである。いったい何を考えているのか。

 初めて大臣になれば誰だって舞い上がる。それまで縁のなかった記者たちに毎日囲まれるのだから、つい口が軽くなって、前後を忘れて持論を展開したり、軽口が引っかかったりーー自民、民主を問わず、新内閣では当たり前のことである。

 ただ、野田内閣では10人が初入閣のうえに、党内融和で危なっかしい人材もいたから、即座に2、3人はやるだろうと思っていたが、いや出るわ出るわ。一川防衛相の「シビリアンコントロール」、小宮山厚労相の「たばこ700円」‥‥うち鉢呂経産省の「死の町」「放射能つけちゃうぞ」が、言い逃れできなかったわけだ。

 ただの議員と大臣との違いがわかるまでには時間がかかる。かつて、失言ばかりが新聞の見出しになった森喜朗・元首相なんかは、最後まで議員と首相の違いがわからなかった口だ。野田内閣だって、まだ出るだろう。閣外でも、平野国対委員長の「不十分内閣」、前原政調会長の対中発言など危なっかしい。

 しかし、騒ぎになる経緯を見ていると、メディアが大いに片棒をかついでいることがわかる。鉢呂大臣は警戒区域を視察したあとで、町の様子を「死の町」といったが、だれが見たって「死の町」に違いはなかろう。そのあとに「なんとか町をかつての姿に」とか何とか付け加えていれば、何の問題もなかったはずである。

 ところがメディアは「死の町」だけをつかまえて、首相に、福島に伝える。首相はびくりして「謝罪を」といい、福島県民は怒る。その声をくっつけて記事にする。おまけに、前日防護服姿で視察から帰った大臣が、待ち受けた記者に「放射能つけちゃうぞ」といった、冗談までも書いてしまう。

 しかも書いたのは翌日、「死の町」発言と抱き合わせだから明らかに意図的で、こっちの方が致命傷になった。「福島の人たちの苦しみを何だと思ってるのか」という決めつけだ。しかしこれ、大臣としての能力とはおよそ無関係だ。むしろ彼は福島には何度も足を運んで、もともと農協出身だから農業の実情はよく知っていた。福島を貶める気なぞ、さらさらなかったろう。

 あらためて考えてみる。いま新聞・テレビの野田内閣についての報道は、「素人ばかり」「未知数」「先が目ない」と、そんな決めつけばかりである。2年前までは野党議員だったのだから、「素人」は当たり前ではないか。それよりも、野田首相は事務次官を集めて「協力」を呼びかけ、「政治主導」では事実上白幡を掲げた。いってみれば、だれが大臣であろうと同じ、といったも同然である。

 現に、大臣がいなくても、経産省はそのまま動いている。次の大臣にだれがきても、何事もなかったようにーーそれが日本の官僚組織だ。外務省でも財務省でも同じである。

 そんな大臣のあげ足取りに、バカバカしい時間と労力をかけている場合ではなかろう。それでなくても首相の首のすげ替えに5ヶ月も大騒ぎして、これは間違いなく災害復興の足を引っ張った。騒ぎの半分はメディアがつくったようなものである。

 なぜこんなことになるのか。目の前で展開している政治が、自分の国の政治だ、という自覚がないのではないかとすら思えてくる。まるでよその国の出来事を見るような傍観、情報を右から左へと流すだけのご用聞き、騒ぎをあおり立てるお祭り根性‥‥。

 だから、本当の不条理に対する怒りが足らない。失言の現場での瞬発力もない。何もいわずにそのまま書いて、騒ぎになって大臣の首が飛ぶ。それをまた書く。ほとんど「いじめ」ではないか。そんな記事読みたくもない。

 朝日新聞がまた「メディア欄」で、このいきさつの検証みたいなことをやっていた。そのときどこの社がいて、どんな記事を書いた、やあ何だかんだと、いつものヤツだ。まあ、書いたのは別の記者なのだろうが、自分のところも1枚噛んでいるというのに、よくやるよてなもんだ。

 この半年間を見れば、メディアがなすべきことは何を置いてもまずは復興の尻をたたくこと、放射能の影響についてのあらゆる情報を届けること、永田町の混乱の元凶をあばくことであったはずだ。しかし現実は、「菅が悪い」の大合唱、放射能情報の追及不足と鈍感、永田町のお祭りーー要は霞ヶ関と永田町の後ろを走っていたのである。そんなメディアを誰が信用するか。

 経産相の後任は結局、枝野幸男・前官房長官になった。「即戦力」というが、彼のこれまでの福島問題への姿勢を考えると、その筋には思わぬ誤算かもしれない。まあ、これはじっくりと見守るとしよう。

 その枝野氏を、朝日夕刊の「素粒子」が、「従者だけ復活」とサンチョ・パンサになぞらえて、菅・前首相をドン・キホーテにしてしまった。これは上手い。しかしその後がいけない。「失言追及と弁明の国会が始まるかと思うとうんざり」だと。火を付けておきながら、その言い草はないだろう。

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