2013年1月3日木曜日

「男女平等」のウラのウラ



 日本国憲法の草案作成に携わった最後の生き残り、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなった。89歳だった。22歳のとき書いた「男女の平等」草案は、立派に戦後の日本社会を支える柱となった。その作成過程をみると、むしろ「22歳だからできた」という面もあったようだ。 

 憲法改正論者には、「そんな小娘の作ったものを」というのがあるのは間違いない。しかし、「男女の平等」に関しては、別に面白い証言が残っている。 

 連合国軍総司令部(GHQ)で、財閥解体を主導したエレノア・M・ハドレーという女性がいた。戦前の日本政府給費留学生で、日本国内から支那事変の中国にまで足を伸ばして、軍部と財閥の関係をつぶさに見ていた。後に国務省の経済担当官になり、日本の民主化には財閥解体が必須と主張した人だ。これが統合参謀本部の指令として占領政策の柱になった。 

 財閥側は巻き返しに出た。GHQの担当者を「酒と女」の接待作戦で籠絡、指令は相当程度骨抜きになりかかった。そこへ乗込んできたハドレーは、「指令をはずれている」と元の厳格な方針に戻してしまう。女に「酒と女」は通用しなかったのである。 

 面白いのはこの先だ。彼女は、同じ財閥解体を担当するチームの男性スタッフよりひとつ後の船で、たった1人で赴任してきた。その理由を彼女は「女だったから」という。また、国務省でも、同じ部屋の男性スタッフから昼食に誘われたことは一度もなかったという。 

 彼女が特別ブスだったり鼻持ちならない女だったわけではない。写真を見ても魅力的な美形である。日本在勤中、外国特派員協会の記者たちとは多いに交流して、GHQの参謀2部(G2)から「共産主義者」のレッテルを貼られているほどだった。 

 彼女は「当時はそれが当たり前だった」といっている。ハーバード大へいけなかったのも、同大が女性を受け入れなかったからだ。アメリカの男女平等を日本人が目のあたりにしたのは、女性将校に男性兵士の護衛がついている姿だった。これは鮮烈だった。だが、そのアメリカでも男女差別は厳然としてあったのである。 

 当時の米国憲法に男女平等がうたわれていたかどうかは知らない。たとえ書かれていたとしても、ゴードンさんの頭には、アメリカの現実があったはずである。「アメリカにもないものを」と一種の理想を追う姿は、憲法以外にも占領政策の随所に見られるのである。

 憲法草案作成には2つの面がある。ひとつは、日本人にはどうしても作れない部分があったこと。天皇の地位がいい例で、廃位とする共産党以外は、日本側のどの草案も帝国憲法を引きずっていた。日本国は天皇のものなのだ。主権在民といういまでは当たり前のことすら満足に出てこなかった。GHQが、日本側の策定作業を見限るに至った大きな理由である。 

 もうひとつは、リベラリズムや学問上から理想とされる形を、日本という民主主義形成の実験場に持ち込んだことだ。一種の政治的取引であった「戦争の放棄」は別として、ある意味日本国憲法は「あるべき理想」だったのである。草案はむろん日本側との擦り合わせを経て確定している。 

 通訳も務めたゴードンさんは、「その結果多くの修正がなされた」といっている。いま改憲論者がしきりにいう「アメリカが作った」という主張は、必ずしも正しくない。日本側だってイエスマンばかりではなかった。GHQが100%押し付けたわけではなかったのである。 

 民主主義の本家を自認するアメリカは、なかなかに律儀であった。軍国主義者排除のために強行した公職追放でも、実は異議の申し立てができた。日本側とGHQと二段階の審査機関が設けられ、カテゴリーによっては40%近くも異議が通っている。 

 戦後経済建て直しのドッジラインを税制面で支えた「シャウプ勧告」は、当時のアメリカの最高の専門家の手になる。課税の平等が大きな柱だった。なかで有価証券取引への課税など、アメリカではウォール街の圧力で実現できないものも含んでいた。これも「理想」である。 

 勧告は前文で「勧告の一部が排除されると、他の部分は価値を減じ有害ともなる。その責任は負わない」とあった。が、占領の終了とともに、「理想」はズタズタになった。勧告のひとつの柱だった地方税の拡充強化は、いまだにできていない。責任を負うべきは、日本側なのである。 

 先の選挙で声高にいわれた改憲論の多くは、作成過程を無視したステレオタイプの批判と論点のすり替えである。曰く、家族がおかしくなった。教えたのは日教組だ。そうさせたのは憲法だと。違うだろ。だれも憲法なんか気にしていない。社会規範がおかしくなったのも、憲法のせいじゃなかろう。 

 その憲法のもとで、自由を目一杯享受して育った世代が、憲法を変えようという奇妙。現行憲法を尊重しない連中が、新しく作る憲法は尊重しろだと? よくいうよ、まったく。 
   
 ゴードンさんは最後まで、日本の女性の権利を心配していたそうだ。60年前のアメリカと同様、実態は条文の外にある。閣僚や経営幹部に女性が少なくても、決して憲法の文言のせいではない。