2010年6月5日土曜日

iPadは老人に福音か?


 別にマックのユーザーだからというわけではないが、iPhoneとiPadには気が動く。ひとつは、指一本、画面上での操作性だ。マウスでアイコンを突っつくのはもともとマックのお家芸だが、そのマウスもいらない。モバイルだから、面倒な配線もいらない。

 しばらく前、友人がアメリカで初めてiPadに触ってみたときの印象を、「今後のコンピュータと人間の接点を定義するものになるような気がする」とブログに書いていたのが、ずっと頭に残っている。

 iPhoneを見せてもらったことがあるので、およその見当はつく。あるとき、カメラ仲間でお茶を飲んでいた。1人が黙ってiPhoneをにらんでいたと思ったら、「レンズを手に入れました」という。ネットオークションで札をいれていたのだった。

 「エーッ、それじゃパソコンじゃないか」「そうです」

 以来、アップルストアへ行っては、「iPhoneにキーボードをつけろ」などと店員を困らせていたのだが、それが形になったのがiPadというわけだ(書籍端末というのが予想外だったが)。パソコンとの接し方が変わる? 年寄りにやさしい? という予感である。

 しばらく前、元通産官僚の岸博幸・慶大教授が、朝日新聞のインタビューで「米国発のネット帝国主義を許すな」と危機感を訴えていた。彼は、官僚時代はIT化推進の急先鋒だった、と自ら認める。それがいまや、グーグルだクラウドだと、政府機能まで左右されかねないと。なんだ、今頃気がついたのか。

 その彼も、もうひとつの失敗には気がついていないようだった。マイクロソフトの支配に手を貸したことである。OSももちろんだが、ナビゲーターのInternet Explorerが、政府機関から全国の自治体、学校にいたるまで行き渡っている。ひところ官民をあげて、商売人にすぎないビル・ゲイツを、あたかも先駆者みたいにありがたがった結果だ。

 その一方で、日本製の優れたOS「トロン」を通産省は無視した。日本の産業育成を司る役所として失格である。もし役所だけでもトロンにしていれば、少なくともサイバー攻撃やウイルスの被害を被ることはなかったろう。まあ、トロンはパソコン以外の分野では大いに使われているというが‥‥。

 先頃、フランスとドイツは、政府がInternet Explorerを使わないと宣言したそうだ。不具合が政府の業務の支障になるということらしい。が、日本のお役所はまだ、それに気づいてもいないようだ。他のソフトを知らなければ、そういうものだと思ってしまう。むろん、OSにしてもしかり。

 GMがおかしくなったとき、友人が面白いやりとりを見せてくれた。
 ビル・ゲイツが「コンピューター業界のような競争にさらされていたら、車は25ドルになっていて、燃費はガロン1000マイルになっていただろう」とうそぶいたのだそうだ。これに対してGMが「マイクロソフトの技術があったらこんな車になる」と反論したものだった。これには笑った。

 少し長くなるが、いくつかを抜き出してみると‥‥
 1.特に理由がなくても,2日に1回はクラッシュする。
 2.道路のラインが引き直されるたびに新しい車を買わなくてはならない。
 3.車に乗れるのは,1台に1人だけ。座席は人数分買う必要がある。
 4.エアバッグ動作には「本当に動作して良いか?」という確認がある。
 5.運転操作は,ニューモデル毎に覚え直す。以前の車とは共通性がないから。
 6.エンジンを止めるときは「スタート」ボタンを押す‥‥などなど。
 みんな覚えがあるから、これに書き込みが延々と続いた。ウインドウズの使いにくさとMSの傲岸不遜を皮肉ったらきりがない。

 そもそもソフトで金をとるなんて発想は、草創期の混乱の中だから通用したものだろう。どさくさで大もうけしたビル・ゲイツの商才はたいしたものだが、ソフトの使い勝手を改良しているだけでは、iPod、iPhone、iPadといった発想は生まれてこない。

 シェアを10%に落としながら、頑固にハードとソフトをひとつのものとして抱え込んできたアップルだからこそ、できたのだろう。意地なのか哲学なのか。面白いものである。

 で、いざiPadを手にすれば、もうOSやナビゲーターが何であるか、なんて考える必要もない。用途に応じたソフトだって、よっぽど特殊なものは別として、どんどん無料でダウンロードできるようになるだろう。

 iPadを発売初日に手にした人の感想に、「文字入力はパソコンの方が上」というのがあった。平らな画面上の仮想キーボードは、確かに使いにくそうだ。アップルもわかっていて別売のキーボードがあるらしい。

 うん、それなら当方の望むものに近くなるか? いやいや、そうでもない。老人にゲームはいらない。余命が少ないのにそんなヒマはない。余分なナビも要らない。耳が聞こえないんだから、音楽も要らない。もっとシンプルな端末がほしい。

 友人にそういったら、「使わないもソフトは捨てればいい」といわれてしまった。なるほど、そりゃそうだ。前出の別の友人はすでにiPadを手にしたというから、そのうち感想を聞かせてくれるだろう。それをまた、老人風に翻訳しないといけない。難儀なことだがちょっと楽しみである。