2010年4月22日木曜日

また集団ヒステリー



 だれもおかしいと思わないんだろうか? 子どものライター遊びによる火災が増えているというので、ライターにストッパーをつけろとか、なんだかんだ‥‥。またいつものヒステリーが始まった。

 たしかにこのところ、子どもがライターで遊んでいたためと見られる火災が続く。アパートで子どもと父親が死んだり、車の中で子ども4人が‥‥とか、悲惨な話だ。これを伝える新聞、テレビの記事は、どれも同じ組み立てである。

 まず東京消防庁のデータで、過去10年間に12歳以下の火遊びによる火災が700件、うちライターによるものが500件。ライターに限ると、5 歳未満の死傷者発生率は79.6%。住宅火災の死者のうち、出火者の年齢では、3歳が飛び抜けて多く、次いで2歳、4歳、5歳だと。

 ライターの販売数は年間約6億個だが、安全基準はない。そこでまた、アメリカだ。1994年に安全基準を設けて、レバーを重くしたり、ストッパーやロック機構をつけたりしたら、ライターが原因の死亡事故(5歳以下)が4分の1以下に減ったと(当たり前だ)。だから、ライターを何とかしないといけないと。

 哀れライターの業界団体、日本喫煙具協会は、ひたすら「やれることから1日も早くやる」と答えるばかりだった。経産省も5月には安全基準を出すという。これでおさまりのいい記事が、一丁あがりである。

 だが、ちょっと待ってもらいたい。ことの大前提がおかしくはないか。ライターは昔からある。子どもだっていつもいるものだ。何も変わっちゃいない。そもそも最近増えているというのは本当か?

 上の数字は、よく見ると実は何もわからない数字なのだ。火をつけた子どもの死亡率が高いのは、当たり前だろう。このところ連続したのを、増えていると勘違いしてはいないか。数字で、ことをあおってはいないか。

 またもし増えているとしたら、何が変わったのか。タバコを吸う人が減った。子どもの数も少し減った。これは間違いない。あと考えられるのは、子どもがバカになったか? それはなかろう。では親がバカになったか。うん、これはありうる?

 その昔はマッチだった。子どもにはマッチのほうがずっと面白い。親もそれはわかっていたから、十分注意深かったはずだ。火は本来危険なもの、恐ろしいものだが、その火をちゃんと使えるからこそ人間なのであって、ぼんくらでも火事を起こさないライターを、なんてのは話が逆だろう。

 いま起こっていることは、集団ヒステリーの典型のように見える。その結果かわいそうに、メーカーが余分なコストアップを強いられる。いまわが家にあるライターは、ほとんどが景品の中国製だが、中国のメーカーを泣かせればいいとでも思っているのだろうか?

 わたしは18、9からタバコを吸っているから、布団を焦がしたり、畳や絨毯、スボンの焼けこげはしょっちゅうだ。親の代から家中にライターが転がっている家だった。2人の子どもは3歳だったことも、2歳も4歳も5歳のときもあった。しかし、家の中で火をつけたことはない。

 火は危ないもの、お湯は熱いもの、これは体感させるからわかる。ちょっとやけどしそうになったり、「アッチッチ」の実感が必要なのだ。知らずに育てば、火を怖いと思わない人間ができるだろう。

 雨や雪でもスリップしない車を作るのはけっこうだが、車とはそういうものだと思う世代が、やがて出てくる。絶対ぶつからない車ができれば、よそ見をしながら運転するヤツが出てくるだろう。人間とはそういうものではないのか。

 安全といえば聞こえはいいが、いってみれば「便利」の話である。便利のためにコストの高いものを作るのが本当にいいのだろうか。ましてそれが「規制」になってしまえば、それ以外のものは、存在しなくなるのである。

 メディアも、もう少し思考の幅を広げてもらわないと困る。取材で数字にまどわされることは、ままある。しかし、10人に1人くらい、「おかしいぞ」といい出すヤツがいてもいいはず。それがいないらしい。その方がライターよりずっと怖い。

 集団ヒステリーでは、アメリカは先進国だ。なにしろ禁酒法を作った国である。戦後のマッカーシー旋風、近年では9.11‥‥禁煙もそれにあたるだろう。

 そのアメリカで、ライターが問題になったのは94年。EUでは06年、日本では今年である。この差は何なのか? この意味を考えることで、問題の本当の所在がわかってくるのではないか。そんな気がするのだが、どうだろう。