2010年1月27日水曜日

政治家に不動産?


 「民主党がこんなに早く崩れるとは思わなかった」と小泉前首相がいっていた。そしてこう続けた。「政治家が土地やマンション買うなんて聞いたことがない」と。この人の感覚はたしかに鋭い。まさしくそこが核心なのだ。

 小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」が世田谷に買った土地の代金をめぐって、国会も肝心の予算審議が脇へいっちゃうような騒ぎ。また、鳩山首相が余分なことをいうものだから、メディアも忙しいことだが、報道もひとつピントがはずれているような気がしてならない。

 この事件では3人の元秘書が逮捕されているが、容疑は政治資金収支報告書への虚偽記載。土地取得をなぜか次の年に記していた。単なる間違いなら修正ですむのが普通だが、今回はその意図が問われている。

 もうひとつは、土地購入代金3億5000万円だかの出所だ。検察は、ダム建設にからむ建設業界のヤミ献金とのからみを疑っているようで、いわば贈収賄の線である。が、職務権限のない野党の人間だったときの話。いかに小沢氏が「天の声」といわれていようと、ゼネコンからとんでもない暴露でもないかぎり、絵に描いたような結果は予想しにくい。

 現に、マスコミの大騒ぎの中で行われた事情聴取のあと、小沢氏は予定になかった会見までして、「事務には関わってない」「金は父の遺産と家族の金だ。不正なことは一切ない」といいきった。どころか「幕引き?」という声も出るほどの落ち着きぶりである。

 過去19年分だか20年分だかの銀行口座を検察に押えられてもなお、「何も出てこない」という自信の表れであろう。検察が3人を逮捕したのは、当然何かを握っているとみるのが常識だが、小沢氏は平然と各地を飛び回って、「幹事長職を全うする」と言い続けている。

 法律でいかに攻められても大丈夫という自信とみていい。多分そうなのだ。むしろ目を向けるべきは、合法の中で彼が何をしてきたか、ではないのか。とくに政治家が不動産を買う意味である。

 自民党の追及チームが、都内の小沢不動産を見て歩いた。バス2台を列ね、それをメディアが追うというばか騒ぎだった。しかし、自宅以外に、いま問題の土地が世田谷に、9カ所のマンション・事務所は都心の一等地というのには驚いた。ほかに地元や沖縄にまで持っている。日本中が「何で?」と思ったことだろう。

 ツアーに参加した平沢勝栄氏も、「驚いた。あるところにはあるもんだ」といっていた。平沢氏はテレビで給与を公開して、「私ですら年間5、6千万円はかかる。だから献金は必要」といっていたが、小沢不動産はそろばんを入れると10億とかいうのだから、そりゃぁびっくりする。

 おまけに、家族ぐるみで3億だ4億だという金が長年金庫に眠っているとはどういうことか? 献金なしには不可能であろう。その実態は? 国民がいま目を向けているのは、そこだ。虚偽記載なんかじゃない。

 テレ朝の「スパモニ」が、政党助成金で面白い絵解きをやっていた。総額319億円が、議員数プラス得票率で配分され、得票率が高いと沢山行く(共産党はもらっていない)。議員一人あたり4千万から5千万円になる。

 助成金は、余ったり、解党しても返す必要はない。また、A党100人が分裂して、A党50人、B党50人になったとする。お金はA党が100人分をとり、B党はゼロ(翌年からになる)。使途については「制限してはならない」(政党助成法4条)とある。ただし「借金の返済」と「貸す(投機)」ことはいけない。

 合法であるかぎり、検察は手を出さない。しかし、資料はすべて検察の手の中にあるのだから、立件できない部分についても、とりわけ金の流れは入念に追うはずだ。そこで何が出てくるか。これは面白い。

 小沢氏でいま問題になっているのが、自由党が解党したときの、助成金の行方である。金に色はついていないから、水掛け論になる可能性はあるにしても、トータルだけでも読めるものはあるはず。

 そこであらためて、なぜ虚偽記載をしたか、複雑な預金の移し替えなどをしたか。それが不動産取得の十分な説明にならなかったら? 合法だろうとなんだろうと国民は黙っていない。それでも幹事長のイスに座っていたら、選挙はもつまい。

 むろん検察は、ヤミ献金の線を追い続けている。小沢幹事長の聴取のあと、元特捜幹部は「隠し玉があっても、あそこでぶつけるようなことはしない」といっていた。政権党の幹事長にまで手を伸ばした以上、真剣勝負だろう。隠し玉は本当にあるのか。3人を逮捕した攻めの根拠は?

 事情聴取のあとも、検察の情報リークは続いている。しかしだんだん話が細かくなってきた。メディアはその袋小路に入り込まない方がいい。

2010年1月6日水曜日

象徴がひとり歩き


 暮れの朝日新聞を見て驚いた。例の天皇と中国・副主席の会見のことだ。記事の書き出しが、「ポイントはルールの妥当性でも天皇の健康でもない」とあったので、「じゃあ何なんだ」と読み進んだら、民主党のごり押しが「象徴天皇制を犯した」という書生論である。あきれた。

 民主党の対応はたしかに生煮えだった。与党慣れしていないから、おそらくは、天皇制なんぞわれわれの手の内だ、というのがもろに出てしまった結果だろう。小沢幹事長の言葉はきつかったが、「たかが役人の分際で」と、ポイントははずしていない。

 問題は「1ヶ月ルール」という訳の分からない決めにある。天皇のご健康からというが、日数の算定に根拠などあろうはずがない。朝日はそこを全部すっ飛ばしているから、話があらぬ方へいってしまう。

 まずは、小沢のいった「国事行為」ではなく「公的行為」だと長々と論証(そんなことはどうでもいい)したあとで、「象徴天皇制」の意味合いをい う。曰く「内閣が責任を負うとは‥‥天皇を意のままに動かしていいわけではない」「象徴天皇にふさわしい非政治性、中立性・公平性を損なわないよう責任を もつのが本来の趣旨だ」と。

 当たり前すぎて異を唱える人間なんかいまい。しかし、「本来の趣旨」とはいいもいったり。後段はそれ自体が解釈であろう。憲法に象徴の意味なん か書いてない。では今回のことで、天皇の「非政治性、中立性・公平性」は損なわれたか。とんでもない。損なわれたのは「1ヶ月ルール」だけなのだ。

 そもそも「象徴天皇制」は、「国体の護持」、即ち天皇制を存続させるための最後の条件であった。きわめて政治的な駆け引きの結果だ。「天皇に実権がなければそれでいい」と、それがマッカーサーの趣旨である。それ以外はすべて後付けの理屈にすぎない。

 ところがその理屈が、いつの間にやら一人歩き。象徴という普通名詞までが、非政治性、中立性などという衣をまとい、絶対的なものであるかのよう にいう。国連、国連とありがたがっている書生論を見るようで、ちゃんちゃらおかしい。要するに、国内の事情だけで天皇制を見ているからそうなるのである。

 一歩日本を出てみるがいい。天皇が「象徴」だなんて、誰も信じまい。アメリカ大統領ですら、1ヶ月前に申し込まないと会見できない人物が、ただの象徴? わかれという方が無理だ。

 70年代の半ば、シンガポールで結婚式に夫婦で招かれたことがある。と、1人の老婆が「日本人は出ていけ」とわめき出した。周囲がとりおさえた のだが、老婆は最後まで憎悪に燃える目でわれわれをにらみつけていた。華僑系のシンガポール人は家系をたどれば必ず1人や2人、日本軍に殺されているとさえいわれ る。

 文科省は近代史を教えないから、若い日本人はほとんど何も知らないが、戦渦を受けた国では、少なくとも悪い話はしっかりと後の世代に伝えている。韓国・朝鮮、中国、台湾、フィリピン‥‥アジアだけではない。

 80年代の半ば、オランダの田舎町で行われた「スリーデーマーチ」を日本人グループは日の丸を掲げて歩いた。取材の帰りにヒッチハイクで乗せて くれた女性に国籍を聞かれ、「日本だ」といったとたん、「まあ、なんということ。私はきのう、40年ぶりに日本人を見たというのに」と絶句した。

 「オランダ」「日本人」「40年ぶり(その時点で)」とくれば、答えはひとつしかない。「インドネシアにいたのか?」「イエス」。彼女は私と同い年だった。終戦時小学2年生である。「私は子どもだったが……母はひどい目にあった」とだけいって、それ以上語らなかった。

 この人たちにとって、天皇は依然として「あのひどい日本人」の象徴(憲法のとは違う)なのである。これらにけりをつけることができたたったひとりの人、昭和天皇は何も語らずに逝った。語らせなかったのは、歴代首相と宮内庁長官である。これ以上政治的な配慮はあるまい。

 昭和天皇にキズをつけまいとしたのは浅知恵だった。結果、お気の毒にもいまの天皇が、自らはあずかり知らぬ重荷を背負わされているのだから。それに口を拭って、象徴だなどときれいごとで通る話ではないはずである。

 宮内庁長官は天上がりの頂点だ。認証官でもあり、歴代内閣もある種特別の扱いをしてきた。それを勘違いしてはいないか。現代版「家令」のつもり かもしれないが、皇太子に「子どもをつくれ」とは思い上がりもいいところ。「1ヶ月ルール」だって、めのこでつくった決めにすぎまい。

 しかも、それを盾に政府に異を唱えるとなると、ある種の権力を形作っているとすら思えてくる。まして「天皇の象徴性」を盾に、政府や外交の業務に妙な物差しを強いるなんて、トンチンカンもいいところだ。そんな「非政治」「中立」など、現実にはありえないのだから。

 政府が責任を持つ以上、ルールの妥当性は調べ直してしかるべきであろう。朝日はこれを「杓子定規こそ中立性の防波堤」などと書いていた。狂った物差しをありがたがってどうする。