2010年1月6日水曜日

象徴がひとり歩き


 暮れの朝日新聞を見て驚いた。例の天皇と中国・副主席の会見のことだ。記事の書き出しが、「ポイントはルールの妥当性でも天皇の健康でもない」とあったので、「じゃあ何なんだ」と読み進んだら、民主党のごり押しが「象徴天皇制を犯した」という書生論である。あきれた。

 民主党の対応はたしかに生煮えだった。与党慣れしていないから、おそらくは、天皇制なんぞわれわれの手の内だ、というのがもろに出てしまった結果だろう。小沢幹事長の言葉はきつかったが、「たかが役人の分際で」と、ポイントははずしていない。

 問題は「1ヶ月ルール」という訳の分からない決めにある。天皇のご健康からというが、日数の算定に根拠などあろうはずがない。朝日はそこを全部すっ飛ばしているから、話があらぬ方へいってしまう。

 まずは、小沢のいった「国事行為」ではなく「公的行為」だと長々と論証(そんなことはどうでもいい)したあとで、「象徴天皇制」の意味合いをい う。曰く「内閣が責任を負うとは‥‥天皇を意のままに動かしていいわけではない」「象徴天皇にふさわしい非政治性、中立性・公平性を損なわないよう責任を もつのが本来の趣旨だ」と。

 当たり前すぎて異を唱える人間なんかいまい。しかし、「本来の趣旨」とはいいもいったり。後段はそれ自体が解釈であろう。憲法に象徴の意味なん か書いてない。では今回のことで、天皇の「非政治性、中立性・公平性」は損なわれたか。とんでもない。損なわれたのは「1ヶ月ルール」だけなのだ。

 そもそも「象徴天皇制」は、「国体の護持」、即ち天皇制を存続させるための最後の条件であった。きわめて政治的な駆け引きの結果だ。「天皇に実権がなければそれでいい」と、それがマッカーサーの趣旨である。それ以外はすべて後付けの理屈にすぎない。

 ところがその理屈が、いつの間にやら一人歩き。象徴という普通名詞までが、非政治性、中立性などという衣をまとい、絶対的なものであるかのよう にいう。国連、国連とありがたがっている書生論を見るようで、ちゃんちゃらおかしい。要するに、国内の事情だけで天皇制を見ているからそうなるのである。

 一歩日本を出てみるがいい。天皇が「象徴」だなんて、誰も信じまい。アメリカ大統領ですら、1ヶ月前に申し込まないと会見できない人物が、ただの象徴? わかれという方が無理だ。

 70年代の半ば、シンガポールで結婚式に夫婦で招かれたことがある。と、1人の老婆が「日本人は出ていけ」とわめき出した。周囲がとりおさえた のだが、老婆は最後まで憎悪に燃える目でわれわれをにらみつけていた。華僑系のシンガポール人は家系をたどれば必ず1人や2人、日本軍に殺されているとさえいわれ る。

 文科省は近代史を教えないから、若い日本人はほとんど何も知らないが、戦渦を受けた国では、少なくとも悪い話はしっかりと後の世代に伝えている。韓国・朝鮮、中国、台湾、フィリピン‥‥アジアだけではない。

 80年代の半ば、オランダの田舎町で行われた「スリーデーマーチ」を日本人グループは日の丸を掲げて歩いた。取材の帰りにヒッチハイクで乗せて くれた女性に国籍を聞かれ、「日本だ」といったとたん、「まあ、なんということ。私はきのう、40年ぶりに日本人を見たというのに」と絶句した。

 「オランダ」「日本人」「40年ぶり(その時点で)」とくれば、答えはひとつしかない。「インドネシアにいたのか?」「イエス」。彼女は私と同い年だった。終戦時小学2年生である。「私は子どもだったが……母はひどい目にあった」とだけいって、それ以上語らなかった。

 この人たちにとって、天皇は依然として「あのひどい日本人」の象徴(憲法のとは違う)なのである。これらにけりをつけることができたたったひとりの人、昭和天皇は何も語らずに逝った。語らせなかったのは、歴代首相と宮内庁長官である。これ以上政治的な配慮はあるまい。

 昭和天皇にキズをつけまいとしたのは浅知恵だった。結果、お気の毒にもいまの天皇が、自らはあずかり知らぬ重荷を背負わされているのだから。それに口を拭って、象徴だなどときれいごとで通る話ではないはずである。

 宮内庁長官は天上がりの頂点だ。認証官でもあり、歴代内閣もある種特別の扱いをしてきた。それを勘違いしてはいないか。現代版「家令」のつもり かもしれないが、皇太子に「子どもをつくれ」とは思い上がりもいいところ。「1ヶ月ルール」だって、めのこでつくった決めにすぎまい。

 しかも、それを盾に政府に異を唱えるとなると、ある種の権力を形作っているとすら思えてくる。まして「天皇の象徴性」を盾に、政府や外交の業務に妙な物差しを強いるなんて、トンチンカンもいいところだ。そんな「非政治」「中立」など、現実にはありえないのだから。

 政府が責任を持つ以上、ルールの妥当性は調べ直してしかるべきであろう。朝日はこれを「杓子定規こそ中立性の防波堤」などと書いていた。狂った物差しをありがたがってどうする。

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