2011年12月31日土曜日

いつまでブラックボックス?


 年末のテレビの回顧番組は,当然ながら東日本大震災がメインだ。津波の凄まじさと、それを乗り切った人たちを追ったドキュメンタリー(フジ)などは、迫力があった。今を生きる人々、支援を続ける人々の力には感動する。

 それに引き換え、福島原発事故の方はいまだにブラックボックスである。部分的には報じられた話ばかりだが、肝心の菅首相のところが,詰め切れてなかった。各テレビとも,菅前首相はじめキーパーソンの話をもとに再構成したドラマ仕立ては,なかなか面白かった。しかし、9ヶ月も経って「そのとき官邸は」が焦点とは、やっぱりどうかしている。

 東電の首脳や原子力安全委などの専門家のウロウロぶり、情報の流れのおぼつかなさはよく出ていたが、閣僚は概して堂々としていた。怒鳴りまくって,周囲を萎縮させていたという菅首相ですら、なかなかのものだった。

 ところが、現地対策本部長だった池田元久・経産副大臣(当時)が発表した覚え書きでは,全く違う。

 情報が来ないことに苛立って3月12日早朝,原発に乗り込んだ首相は、出迎えた武藤栄副社長を「なぜベントをやらないのか」「何のためにオレがここに来たと思ってるのか」と怒鳴りまくり、免震棟でも、作業員の前で幹部を罵倒したという。池田氏は、「作業員の前はまずい」「あきれた」「指導者の資質を考えざるをえなかった」と書いている。

 テレビでも、3号機の爆発のあと東電が「撤退したい」といってきた時,官邸内で班目春樹・原子力安全委員長らを「どう思う」と詰問する様が描かれていたが、そうした証言を見るかぎり、かなり抑えた再現だったようだ。実際は,悪い情報を伝えるのもためらうほど、彼はぴりぴりしていた。

 いら立ちのもとはむろん、東電からの情報が来ないことと、専門家が適切な答えを出せないことにあった。ために,誰のいうことにも耳を貸さず、外部の人物に助言を求めることまでしていた。

 最初に原子力災害対策基本法に基づく緊急事態宣言をだす時も、原発からの緊急事態を受けて2時間経っても、官邸内では六法全書のコピーをしている始末だった(TBS)。一方で菅首相は、「ベント」や「海水注入」という技術のことまで仕切ろうとした。結果として彼は,優秀な官僚組織を動かす代わりに自分で全てを背負い込んでしまったのだ。

 トップがそうなると、官僚は上ばかりを見ることになる。1号機が爆発したとき、福島県警のヘリが近くを飛んでいた。爆発の15分後に、建屋の上部が吹き飛んでいることを確認。ただちに官邸に伝えられたが、官邸は「政府は認識していない」と再確認を求めたという(TBS)。誰だったのか、顔が見たいもんだ。その2時間も後に会見した枝野官房長官はまだ「何らかの爆発的事象」といっていた。

 放射能拡散をシミュレーションした「SPEEDI」のデータの扱いもそうだった。16日までに原子力安全・保安院に45回、文科省に38回も伝えられながら、住民には知らされなかった。官邸にも伝えられていない。なぜか。

 「政府が同心円で避難地域を設定したから,出る幕ではないと」(SPEEDIネットワーク),「あれは保安院の所管」(文科省),「放出源データがないとあてにならない,仮の数字」(保安院)‥‥班目氏に至っては「記憶にありません。聞かれたら答えた」というのだから呆れる。官邸が知ったのは15日の報道だという。この間に、住民はもっとも放射線量の高い地域へ避難していた。

 これを伝えたテレ朝の報道ステーションは,「人間に問題があった」「住民のことをだれも考えていなかった」といったが、菅首相以下も、過去の訓練では,住民避難区域設定の根拠になるデータとして見ているはず。130億もかけて作ったシステムを,誰も信用していなかったのである。

 こうした様子を見ていた東工大で同窓の日比野靖氏(のち内閣顧問)が、「彼は若くして政治家になったので、組織を動かした経験がなかった」と、素顔を言いあてていた。政治主導がどうとかいう問題でもなく、権力の使い方も知らなかったのである。これは民主党の幹部全体にもいえることだ。

 このあと出された「政府の事故調査委」の中間報告では、東電の情報の扱いと,官邸内の意思疎通のお粗末が、手厳しく指摘された。さもありなん。

 日テレの再現映像で、官邸地下の対策本部のシーンがあった。大部屋にとんでもない数の人間がワーワーいっている。各省庁から要員が集まればそうなるだろう。だが、だれがこれを仕切っていたのかが気になった。浮かんだのは、「船頭多くして‥‥」である。

 おそらくそこに流れ込んだ情報の大部分は津波だっただろう。これを見て、なぜ津波対策の出足が遅かったのかが、わかったような気がした。菅首相の頭は、ほぼ100%原発へいってしまっていた。官邸が,津波にも原発にも司令塔の役を果たせなかったのは事実だ。だが、官邸がそんな状態だったなんて,一度でも伝えられたか?

 どの番組でも、菅前首相は取材に答えている。しかしその答えからは、いい合いになるような厳しい質問が出たとは思えない。どことなくおとなしい。結果、まだブラックボックスは完全には開いていないと見た。

 事故調査委の菅首相からの聞き取りはこれからだ。多分容赦ない質問にさらされるだろう。そこで何かが出てきたとき、テレビの取材のアナが見えるのではないかと、いまから心配になる。