2011年3月21日月曜日

そしてみんなバカになった


 福島第一原発の1、2号機で19日、電源が復旧した。実に地震発生から丸8日である。新聞も「冷却再開に一歩」と書く。だが、これは地震の当日に、徹夜してでもやらなければならないことだった。

 地震で原子炉は自動停止し、ジーゼル発電機12台による炉心冷却が作動した。が、間もなく津波で11台が止まってしまう。うち9台が水冷式だった。津波で冷却水の取水口が破壊され、2つのジーゼル燃料タンクも吹っ飛んだ。津波は内陸300メートルにまで達したという。確かに想定外の事態だった。

 問題はその後だ。バックアップ電源確保の選択肢は、発電機の復旧か外部電源かしかない。東電には、外部からの送電線の引き込みの方が簡単だったはず。電気屋なんだから。しかもことは一刻を争う。放射線量はまだ正常で、屋外作業ができた。「徹夜してでも」といったのはこのことである。

 もし電源がないとどんなことになるか、この時点で知っていたのは原子炉の管理者だけだった。しかし、その後の展開を見ると、彼らに「何が何でも」という危機感があったとはとても思えない。結果、天災を人災にしてしまい、原発4基をオシャカにした。40年の原発の歴史と信頼はおろか、ある意味未来までをも危うくしてしまった。この責任はきわめて重い。

 海水注入を最初にいったのは、菅首相だったという。だが廃炉になるからと、東電は受け入れなかった。われこそは専門家だと、「半可通が何をいう」と、また原発を「東電のもの」だと思っていたのであろう。そうじゃない、災厄は日本のものだ。成り行きを世界中が注目する。

 事故が起こってからでも、この東電の体質はいたるところに出た。情報が遅い。詳細を明かさない。敷地内の画像がない。4基の原子炉の無惨な姿の詳細は、米の衛星写真が第一報だった。なんということ。しかもなお、30キロ以内は撮影禁止。近辺は飛行禁止。メディアがなぜかくも従順なのか、不思議である。

 東電は14日の時点で、社員を引き上げたがっていた。菅首相が乗り込んだのは、このためもあったという。「腹を決めろ」「撤退したら東電は 100%つぶれる」とまでいったそうだ。そりゃあそうだろう。おっ放り出されて、チェルノブイリを3つも4つも作られてはたまらない。

 始末はだれかがやらなければならないのだ。結局は自衛隊、警視庁、東京消防庁が突撃隊になった。その使命感には頭が下がる。また、東電の現地社員もいる。地震のとき原発にいた作業員のなかには、避難から戻ってくる者もいるという。今後収束のシナリオを描くうえでも、彼らは大きな力になるだろう。

 この事故による電力不足から、前代未聞の計画停電となった。東電は節電も呼びかけ、鉄道各社は運行数を削減したが、利用者に大きな混乱はなかった。外国メディアは「さすが日本人」と書いたのだが、買いだめが起こったのは予想外だった。

 コンビニのパン類の棚が空っぽだったのには、あぜんとした。「菓子パンなんか買ってどうするんだ? 被災地のことを考えろ」。スーパーでも、あふれ返っていたカップ麺の棚が見事に空っぽ。コメもない。お陰でわが家はコメが買えずに、この4、5日は分けのわからんものを食っている。全然売れてなかった電池までが消えた。「電池買いだめてどうする? バカか」

 バカは日本だけじゃなかった。円高である。これまでの最高値は、阪神大震災のあとの79円75銭だったそうだが、これが76円台にまでなった。地震で日本企業が外貨建ての資産処分に動くという思惑なのだそうだ。これで株も大きく下げた。世界同時株安に?なんていってる。なんともバカバカしいことだが、値動きは現実のものだから始末が悪い。欲の皮の突っ張ったやつにつける薬はない。

 環八の交差点を渡ろうとしたら、夜なのにずらりと車が並んでいる。1キロほど先にあるガソリンスタンドは、値上げの前にはいつも列ができる。しかし、今回はたかが停電だろう。被災地ならいざ知らず、東京で並んでどうする?

 そして極めつけが放射能だった。福島県の牛乳とほうれん草から、通常より高い値が出たと新聞・テレビが伝える。牛乳の方は、「出荷もしていないのに」と名指しされた村人がぼやいていた。もともと輸送がだめで、捨てていたのだそうだ。

 ほうれん草では、専門家と称するのが「洗えば落ちる。心配なら湯がいて」なんていってる。そんなこといわれて、だれが食う気になるか。どちらもレントゲン検査の何十分の1だというのに、「通常の何十倍」なんていえば、煽っているようなものだ。まるでマンガである。

 福島からは、他県に避難する人が続出しているが、福島からとわかって、宿泊を断られたというのだからあきれる。いったいいつから日本人はこんなにバカになっちゃったのか。だいいち、広島、長崎で被爆した人たちに失礼だろう。

 一方で津波の被災地からは、これぞ人間、というような温かくまた悲痛なドラマが連日伝えられる。この落差は何なのか。福島から南、どうも我利我利亡者の国になっているらしい。

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