2011年3月12日土曜日

テレビはいらない?


 NHKの「クローズアップ現代」が10日、カベをひとつ踏み破った。急速に存在感を増しているインターネット放送に入り込み、放送後はプロデューサーらが「ニコニコ動画」のトークに加わった。タイトルが「テレビはいらない?」ときたもんだ。

 「果敢に」というよりむしろ、いつかはそうなる、といった方がいいかもしれない。「ニコニコ動画」や「Ustrem」の存在感は、すでに無視できないレベルにある。イベントの実況、ネットアーティストの活動、政治家や官庁の会見、さらに個人の放送だけでも57万人という。まさにⅠ億総放送局である。

 テレビの中継といえばこれまで、中継車、カメラ、照明、音声と大そうな仕掛けが必要だった。が、ネット放送は、小さなカメラとパソコン、あるいはスマートフォンだけでできてしまう。だから、お坊さんが説法をしたり、中学生が散歩の風景を流す、サラリーマンがその日の昼飯を見せる‥‥何でもありだ。

 25歳の女性の部屋にはテレビがなかった。「以前はそこにあったけど、見ないから捨てた」。見るのはもっぱらネットのアーティストである。パフォーマンスを見ながら書き込みをすると、「弾幕」といって、文言が画面にゾロゾロと出てくる。アーティストはそれを読みながら、映像と声でリアルタイムで答える。

 「ホントに身近で、これを見たらテレビが味気なくなる」。書き込みは、何万という数になるのだそうだ。ところがこの「弾幕」、画面の右から左へ流れていくのだが、読むスピードが遅くなっている年寄りにはとても追いきれない。完全に若者の世界である。

 民主党の小沢元代表が、昨年暮れから立て続けに出演している「ニコニコ動画」。テレビと違うのは、編集されないこと。嫌な質問がない、余計な論評がつかない。彼はこの3つが何より嫌いで、政治部記者が嫌いな理由でもある。これがないから、小沢氏はいつもニコニコ。20万人が視聴しているという。

 「クロ現」の女性プロデューサーは、番組終了後駆けつけた「ニコニコ動画」のスタジオで、このテーマに切り込んだ理由を「テレビは視聴者の空気感を知らない。それを実感できないか。また、テレビがこれからどうなるか、もあった」といっていた。

 彼女が到着すると「弾幕」は、「WWWW」「8888」(パチパチの意らしい)「美人熟女」「美人ですなー」「ちゅっちゅっ」‥‥てな具合だ。「クロ現」の番組中にも、「ネット放送はどうなると思うか?」と聞いたところ、たちどころに「ニコニコ」の視聴者から、「コラボすると思いますよ」と返事があった。

 いや驚いた。すごいの一言。とんでもない世界である。これで合点がいった。朝日新聞が昨年3月末から夕刊で続けている連載「メディア激変」は間もなく1年、10日が227回目だった。激変の核にあるのは、ネット・メディアだ。

 シリーズを一口で言うと、新聞、テレビ、出版‥‥あらゆる既存のメディアが、ネット社会とどう折り合いをつけるかの物語である。スタートはネット放送だった。それがなぜこんなに長々と続いたのか。メディアが多岐にわたるうえに、動きが世界と連動していておそろしく早いからである。

 例えば「電子書籍元年」というシリーズは、アマゾンだマックだグーグルだと「侵攻」を分析したが、その後のiPadの普及などで、半年も経たずに「電子書籍その後」をやらざるをえなかった。ぼやぼやしていたら、置いていかれる早さなのだ。

 といっても別に、浮き足立つことはない。一般の人の大半はネットなしで生活しているし、だからといって、大いに不利益をこうむるわけでもない。どうしても必要なニュースは、少し遅れで既存のメディアが流してくれるからだ。

 しかも、ゼロからニュースを拾い上げる能力では、依然として既存メディアは王様だ。ネットのニュースサイトだって、新聞・通信の配信なしでは成り立たない。ただ、既存メディアが「ニュースだ」と判断したもの以外にもニュースはある。これが、ネット・メディアの教えなのである。

 翌11日の東北・太平洋地震で、夜になって発生した気仙沼市の火災は、自衛隊のヘリが撮った映像が第一報だった。再三の津波で壊滅状態の地区だったから、市も状況がつかめない。そこで市は、わかった分をツイッターで発信した。

 するとNHKがこれを拾い上げて、速報で伝えていた。はからずも、前日の「クロ現」で視聴者が予言した「コラボ」が、立派に機能していたのだった。何というタイミングの良さ。

 新聞・通信もテレビも雑誌も、沢山の情報の中から伝えるべきものを選んで(編集)流してきた。それは今後も変わるまい。だが、ネット放送はまさに対極にある。選ぶのは視聴者だと。ツイッターしかり、facebookしかり。全く別のメディアだが、存在感と利用価値はますます高い。既婚メディアも踏み込まざるをえないところまできた。

 新しいものをどう取り込むかは、古い世代次第だ。人は常にそうして歴史を開いてきた。だがさて、今回はどう折り合いをつけるか。頭の切り替えに、少し時間がかかりそうである。

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