2011年10月29日土曜日

ハントシノイノチ


 福島・南相馬市の市立病院が9月末に行った検査で、市内の小中学生527人を調べた結果、半分の268人から放射性セシウム137が検出されていたことがわかった(25日朝日朝刊)。「2人に1人」は確かに衝撃だ。

 ただ、体重 1キロ当り10ベクレル(Bq)未満が199人、20Bq未満が65人と大半で、35Bq以下の要注意は4人だった。記事は、「今後の経過を」と当たり前の書き方だったが、肝心のことが抜け落ちていた。

 セシウム(半減期30年)は排せつが比較的早く、大人で100日、新陳代謝の高い低学年だと30日くらいで半減する。小中学生をかりに平均60日で半減としても、検査の時点で6ヶ月経っているのだから、8分の1になっている計算だ。被ばく直後はいったいどれくらいの濃度だったか。

 記事にある学者のコメントも、「数カ月後に検査して推移をみれば……」なんていっている。おいおい、さらに6ヶ月後なら単純計算で当初の60分の1以下、低学年なら何百分の1だ。半年というのは、そういう時間なのである。

 このところ、古い話がしきりに出ている。(日付は新聞掲載日)
・ 福島原発の電源連結見送り(23日)。東電の元幹部が口を開いた。
・ セシウム汚染マップ(24日)。文科省の発表だ。
・ 東電の黒塗り文書公表(25日)。保安院発表。
・ 核燃料の再処理は割高、事故コストの試算(24、25日)。原子力安全委。
・ ヨウ素剤を服用すべきだと、原子量安全委が政府に助言(26日)。政府は動かなかったと。

 いずれも、数カ月前に伝えられて当たり前の情報ばかりである。7ヶ月も経って、核燃料は割高? バカにするな。そんなことはもう日本中が知ってる。黒塗り資料だって、いまできるなら半年前にできたはずだ。ヨウ素剤の服用では、科学者ならば当然わめき続けるべきを、そこで沈黙しておいていまになって話す、その神経がわからない。

 一方で、日本エネルギー経済研究所の「原発建設鈍ればCO2増」という「脅し」の試算もちゃんと載っていた。手前味噌の試算でも、ご用聞きの記者たちは律儀に書く。「その筋」はしっかりと動いている。

 そんななか、朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」が、福島原発事故直後の政府の情報管理に切り込んでいる。最初のシリーズ「防護服の男」では、原発周辺の住民や自治体までもが、高い汚染の放射線情報からシャットアウトされたさまが、ナマの証言で示された。しかも、情報は「上から」封じられていたと。ただごとでない。

 証言を積み重ねて追い詰めていく手法は、手間もヒマもかかる。人数を動員できる大きなメディアでないとなかなか難しいが、出てきたものは動かぬ証拠である。ただ、最初のシリーズは証言だけで終わってしまい、ちょっと肩すかし。住民が最初に不審を抱いた「防護服の男たち」にもたどり着いていない。

 しかし、手がかりは十分だ。たどり着けないはずはない。データを温存してじわじわと追い詰める手法かなと思っていたら、次のシリーズ「研究者の辞表」でやっぱり切り込んだ。

 この研究者は、事故発生と同時に現地入りの準備を始めたところ、所属していた研究機関から動きを止められた。そこで辞表を出して、NHKのスタッフと一緒に現地に乗り込んでいた。現地では様々なものが見えた。

・ 文科省は放射能予測システム・SPEEDIで、いちはやく高濃度汚染地を予測していた。しかし実測の結果は、住んでいる住民には伝えられなかった。
・ 日本気象学会は、3月18日の時点で会員に独自の研究結果の公表を控えるよう呼びかけていた。
・ 警察・自衛隊、政府機関も研究機関も「上から」数値の公表を禁じられていた。住民に「何者だ」と問いつめられて、「下請けだ」などといった‥‥。
・ この研究者の現地入りに待ったをかけたのは、誰なのか、もある。

 後に汚染を知って怒りを伝える住民の証言は切実だ。計測をした当事者の話にはさらに説得力がある。先を急ぎたい読者に、連載の展開はややかったるいが、「上から」が政府のどこなのかが焦点だ。いずれは官邸にたどり着くものだろう。

 ただ、書き方からは、官邸以外に「上から」がいくつもあったような嫌な予感もある。例えば、海江田経産相も枝野官房長官もSPEEDIの予測をあとまで知らなかったとか。文科省は予測データを報告したが、住民への告知は「うちの仕事じゃない」とか。

 展開が日々スリリングで、真綿で首を絞めていくような嫌らしさもある。ご用聞き記事ばかりの福島原発報道のなかでは出色だ。読み物としても面白い。

 ただ、読んでいてどうしても拭えないのが、なんでいまごろ? という思いである。連載のなかで、文科省の職員が「330マイクロSv/h」という計測結果に「大変だ」と叫んだのは、7ヶ月前なのだ。この時間を、書き手はどう感じているか。

 今回大手メディアは、原発周辺への立ち入りを自粛した。これは歴史に残る汚点になるだろう。しかし情報はとれる。電話取材ででも何でも、かき集めたデータで、少なくともその時点での真実に近いものにはなるのである。ただし、やるのはその時だ。

 一部住民はまだ住んでいた。多くの人が防護服で、あるいはなしで出入りしていた。連載は、その同じ人たちを取材した結果である。しかも内容は、連載で悠長に読むものではない。半年の遅れは何だったのか。酷なようだがやっぱり聞きたい。半年前お前は何をしていた?

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