2011年10月21日金曜日

ラジウムの教え


 世田谷の「ラジウム騒動」は、多くのことを教えてくれているように思う。姿の見えない放射線と、どうつき合っていくか。科学知識の限界。そしてメディアの果たすべき役割‥‥これらを冷静に考える時間をくれたのではないだろうか。

 ラジウムはどうやら、戦前のものらしい。その謎解きはともかく、福島の原発事故がなければ、おそらくだれも気づかなかった。市民までが放射線測定器を持ち歩くようになった結果である。

 その家には50年以上、夫婦が住んでいた。夫はすでに90歳で他界。80代(90歳とも)の妻は今年の2月まで住んでいて、いまも施設に健在という。係累がどうかは不明だが、おそらく、子どもたちもここで育った‥‥しかし今のところ、放射線障害の話は出ていない。

 家の中の放射線量は年間17㍉シーベルト(mSv)というから相当なものだ。ひょっとして50年間もその中で暮らしてきたとなれば、大変な人体実験をしていたことになる。彼らの過去、現在の健康状態がどうであるかは、貴重なデータかもしれない。

 放射線被ばくによる人体への影響は、広島、長崎の生存者と、チェルノブイリ事故の追跡調査しかない。国際原子力機関(IAEA)の基準もこれらが元になっている。しかし、その基準自体が論争のタネだ。

 年間被ばく量1 mSvが安全というが、一方で「緊急時には20mSvでも」といい、原発作業での被ばく限度は「通常は100mSv」「緊急時は250mSv」だのと、いろんな数字が歩き回る。こうなると人間のご都合次第である。

 これでは一般の人はどれを信じていいかわからない。小さな子どもを持つお母さんたちの心配も、風評被害もすべてこれが元である。そうした中で、科学者たちの頼りなさも明らかになった。

 科学的にはゼロが一番。これは間違いない。が、どこまでなら安全かという「しきい値」はない、というのも統一見解だ。一方で、放射線はDNAにキズを付け、がんの発生につながると、これまた正しいとなると、だれも断定ができない。科学者の見解が頼りのメディアもまた、うろうろするばかり。

 世田谷の騒動が「ラジウム」と聞いたとき、だれもが思い浮かべたのが、各地のラジウム、ラドンの鉱泉だ。古来「身体にいい」と庶民に愛されてきた。朝日新聞がそのひとつ、山梨の「増富温泉」の話を伝えていたのが面白い。

 「何百年もこの温泉につかってきたわれわれが、元気に暮らしている」(のが答えだ)と、これは動かぬ証拠である。これに専門家が、「濃度次第。ラドン温泉の入浴程度なら問題ない」といっていたが、数値がいくらなら大丈夫とも言わない。それではもう科学とはいえまい。

 この家の放射線量は、とても「入浴程度」ではなかった。これが何年続いていたのか。家主夫婦は長命なようだが、家族の健康状態はどうなのか。ラジウムとセシウムではどう違うのか。日本中がいまいちばん知りたいところだろう。

 だが、ラジウムが福島と無関係とわかったとたんに、報道は止まってしまい、またホットスポット探しに戻った。福島、千葉、東京、神奈川と連日のように高い値が伝えられるが、科学者までが報道のレベルになってしまっては困る。

 どのみち、雨水の吹きだまりである。「心配することはありませんよ」「じゃぶじゃぶと洗い流してしまえばいい」と、はっきりといい切れないものか。いえないのだったら、口をつぐんでいてくれ。余分な物言いは、不安を煽るばかりなのだから。

 われわれはずっと人体実験をされているようなものだ。広島、長崎、第5福竜丸、世界中を放射能が覆った核実験時代を経て、チェルノブイリがあって、福島である。世田谷の夫婦はそのうえラジウムの放射線を長年浴びていた。が、90歳なら長寿のうちだろう。

 日本原子力研究開発機構の海洋汚染シミュレーションで、「この9月で核実験時代と同レベル」というのがあった。われわれは50年前、ちょうどいまと大差ない状況を何年にもわたって生きたのである。当時は汚染のことなど、だれも教えてくれなかった。その結果いま、日本は長寿世界一になった。見事、人体実験を生き延びた優等生というわけだ。

 しかし、今のままではいつまでたっても答えは出ない。ここはひとつ発想の転換が必要ではないか。すでにある低線量被ばくデータの解析である。欲しい答えはただひとつ、どの程度なら「無視できる」か、「しきい値」を探すことだ。科学者は否定するかもしれないが、絶対にある。「われわれが元気に暮らしている」のが何より証拠ではないか。

 比較的高い放射線のもとで仕事をしていた人たちはいくらでもいる。まずは原発作業員、医療従事者、治療を受けた患者、国際線の乗務員、ラジウム温泉のようにもともと線量の高いところもある。
 
 膨大な聞き取りと統計処理の作業だ。疫学の出番である。必ずしも放射線の専門家である必要はない。的を絞って知恵を絞れば、必ず何らかの結果は出て来るはずだ。もし政府が呼びかけたら、あちこちの大学や研究機関から手が上がるだろう。まだだれも知らない世界なのだから。

 かつて環境汚染に新たな目を開いた「奪われし未来」を思い出す。3人の著者は化学の専門家ではない。すでにあるデータを、問題意識をもって並べ直してみた結果、新しいものが見えたのだった。今回の放射線でも、問題意識さえあれば、素人のメディアでもひょっとしてと、そんな気がしている。

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