2011年8月13日土曜日

傍観ばかりの木偶の坊


 津波で倒れた岩手・陸前高田の松原の松を、京都の大文字焼きで焼くという計画が、「放射能汚染だ」という騒ぎで中止になった。その後復活することになったが、何ともバカな話である。それ以上のバカが、報道だった。

 どこの記事も経緯を書いた最後に「汚染の心配はない」という学者の談話がついている。白黒がはっきりしているというのに、「何をバカなことを」とズバリ書かない。「京都市に文句が殺到」などと、脇で見ているだけの「傍観報道」である。

 大臣の放言も同じだ。その場で「おかしい」といわずにそのまま書いて、2日3日経って大臣が辞任したと、また書きたてる。そんな大臣は、その場でよってたかってこらしめて、仕事をさせる方が先だろう。これは「お祭り報道」だ。

 しかし、7月27日の衆院厚生労働委での児玉龍彦・東大教授の参考人説明は、どんなへっぽこ報道人でも、見過ごしてはならないものだった。

 アイソトープセンター長の児玉教授は、福島第1原発から放出された放射性物質の総量に言及した。教授もいうように、今回事故の総量は全く報告されていない。同センターが推計した結果は、衝撃的だった。教授は「熱量換算で広島原爆29.6個分、ウラン換算で20個分」といったのだ。根拠はよくわからないが、まさか、という数字である。

 これを踏まえて教授は、汚染地域での測定の必要、子どもたちへの汚染の懸念、などを訴え、最後に「国会は一体何をやっているのか」とまでいった。普通の記者なら、終わったとたんに教授を追いかけ、詳細を取材して、大臣や議員の反応を聞く。それだけのネタである。

 しかし驚いたことに、これを報じた新聞・テレビはなかった。いまだに何も出てこない。だから、これを知ったのはネット情報からYouTubeの映像である。これでメディアといえるのか?

 公開の場だから、1社が動けばみんながバタバタとなるはず。だれも書かないということは、ニュースと気づかなかったか、だれかに入れ知恵されたか。いや、後者なら少なくとも騒ぎにはなるはずだから、やっぱり動かなかったのだろう。国会議員も含めて、まさしく木偶の坊の集団である。

 福島からの放出量は、いくつかの推計があるらしい。6月に日本原子力研究開発機構が出した海洋汚染のシミュレーションでも、これを書いた私のブログを見て、「注目すべきは別のところ」と指摘してくれた人がいた。

 あらためて資料を見ると、グラフに「今年9月時点で核実験時代の汚染とイコール」というのがあった。今の汚染はそれ以上、ということだ。会見では説明がなかったらしく、載せない社もあったし、載せたところも「1年後には昭和30年代の3分の1」などと書いた。

 その人は、「汚染を少しでも低くみせようという意図がうかがえる」といった。グラフにはちゃんと載せた。記者が気づかなければ知らん顔、というわけである。狙い通りの報道内容に、同機構はほくそ笑んでいただろう。

 稲わらの汚染も、元はといえば、農水省が農作業と飼料としての流通の実態を知らなかったため。一種の人災である。稲わらに放射性物質が残りやすいことすら思いいたらなかった。損害賠償の矛先を向けられても仕方がないくらいの失態だ。

 しかし、これを認めた大臣会見では、今後の調査項目だったか、目をそらせるものが織り込まれていて、記者たちは見事これにだまされていた。役人の狡猾さに較べ、何とお人好しの記者たちよ。

 放射能では、気になる事がまだまだある。戦後広島、長崎で生まれ育った人はいくらでもいる。60歳以上は、みな60年代の核実験時代を生きてきた。私もその世代だが、世代全体として放射能が健康に影響したという実感はない。「騒ぎ過ぎじゃないか」と思うことすらある。

 いまの不安のもとは、低線量汚染が人体に与える影響がわかっていないことだ。だからこそ、いまがどの程度の「地獄」なのかは知りたい。放出総量は手がかりのひとつだし、広島の20倍と聞けば「エッ」と思うのが当たり前だ。しかし、これにもメディアは恐ろしく鈍感である。

 先日のNHKスペシャルに、原爆投下時に広島上空を飛行中だったという、戦闘機紫電改のパイロットが登場したので驚いた。よくも見つけ出したものである。彼は「突然吹き飛ばされ、コントロール失って500メートルほど高度を落としたところで機体を立て直した。さきほどまであった広島の町が消えていた」と証言していた。

 見たとたんに、「相当な放射能も浴びていたのでは?」と思ったが、テーマが「情報戦」だったからか、番組はそれには触れなかった。推測するに、高高度を飛行中に閃光を機体の下から浴びたのが幸運だったのだろう。その御仁は、90歳近かったと思うがまだお元気だった。

 広島原爆の爆風と閃光をもろにあびて、無傷で生き残っている人なんて他にはいまい。むしろ、どうしていままで登場しなかったのかが不思議なくらいである。もう一度登場してもらう値打ちは十分だ。NHKも気づかないことはないと思うが、他の報道を見ていると、ひょっとしてと、心配になってしまう。

 かつて大本営発表を書かされていた記者たちには、本当に書きたい記事が別にあった。しかし、今の記者たちには、お上の発表がすべてらしい。アナも見抜けない。目の前にぶら下がっているネタにも気づかない。傍観に慣れてしまった結果だろう。どう考えても、木偶の坊という言葉しか浮かばない。

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