2011年6月11日土曜日

写真から見えてきたもの


 朝日新聞が7日朝刊で伝えた、岩手・山田湾の海底の写真は衝撃だった。父と娘らしい姿が写った写真が1枚、海草とがれきの中にポツンとある。別のカットでは、家が一軒丸ごと沈んでいた。ガラス障子がはまったままだ。

 津波による不明者を、いまも探しているNPOと一緒に、記者が潜ったルポだった。漁具がからんだ白いトラックもあった。陸から見れば、海は平らな姿に戻っていても、底では3月11日が、平和だった三陸の日常が、無惨に凍り付いていた。家の住人は、無事に逃げおおせただろうか。(写真の主の方は無事で、写真も手渡したと、今朝の紙面に出ていた)

 これがメディアの仕事である。どんなに人手を投じたって、大震災を丸ごと伝えるなんてできっこない。が、切り取った断片でいかに全体像に迫るか。アイデアをめぐらし、身体を張るしかない。写真はときに言葉より雄弁だが、この短い記事はNPOの存在にも触れていた。いい仕事だった。

 だが、同じ日の夕刊に載った4枚の写真には、戸惑った。福島第1原発での汚染水の浄化装置の設置作業が進んでいるという記事である。写真はいずれも東京電力提供とある。

 汚染水は、炉心と燃料プールへの注水と降雨で増え続け、あふれないようにと、タンクや貯水槽に移す作業が延々と続いている。最後は汚染を浄化した水を循環させて冷却すると、「収束の工程表」にもあった。それを読みながら、「そんな装置、どうやって作るんだ」と訝ったものだった。

 その装置の写真がドーンと出てきたのである。驚いた。撮影の日付はなかったが、ネット版で見ると、5月末から今月の初めである。もう装置はほとんど完成している。しかも、セシウム吸着と放射性物質沈殿装置は、ともにプラントといっていいくらいの大きさだ。防護服姿の作業員が写っているから、福島原発は間違いない。

 一体だれがこんなものを設計して、どこが作ったのか。そんな知識がどこにあった? 記事はもっぱら浄化プロセスの解説ばかりで、そうした一切の説明はない。まずは汚染水と油を分離して、セシウムなどを吸着、沈殿させて、最後は淡水化する。4つの装置だから、写真も4枚というわけだ。

 別の報道で、これらがフランスのアレバ社や米の会社のものだとあった。こんな大規模な浄化装置を必要とする事故はこれが始めてだから、新たに設計したのは間違いない。となると、話の始まりは3月に乗り込んできたアレバ社の女性CEOとサルコジ大統領か。

 あれは、ようやく消防での注水に成功して、外部電源が確保されたという段階で、メルトダウンの疑いはあったものの、格納容器の底が抜けてるなんて、だれも思わなかった。汚染水が報道されるのは、ずっと後である。

 しかし、プラントの出来具合からみれば、その段階から汚染水処理が動き出していたことは明らかだ。「工程表」もそれらの進捗状況を踏まえて作られたということであろう。わずか2ヶ月で、これだけのものを設計し、形にする技術力は確かにすごい。

 それはいいが、政府はこれをどこまで掌握していたのか。作ったのはどこで、組み立てたのはだれか。資材はいつごろ運び入れた? これらが計画段階から報道されなかったのはなぜ? 書いた記者は何も思わなかったのだろうか。

 原発の中でかなりのことが行われている、という感じはあった。海への汚染水の流出をブロックするためにと、突然巨大な鉄製のパネルが現れたとき、「いつの間にこんなものを?」と思ったのが最初だ。

 部外者が撮った映像に、多数の貯水タンクが並んでいるのが写っていたり。4号機の燃料プールに支柱を立てる、と発表したと思ったら、ピカピカの鉄柱の写真が出たり。突然、浄化装置が稼働しましたと発表される。

 この日記で、「原発の顔が見えない」「何百人もの作業員は何をしている?」と繰り返し書いてきたのは、そうしてちょろちょろと見える動きの奥を知りたかったからだ。4枚の写真と記事が、その答えというわけである。他のメディアにも、断片的には出てはいたが、これほどの装置とは思わなかった。

 これだけの大工事なら、まずは大量の資材が運び込まれる。それらを作ったのはどこなのか。しかも突貫工事だから、設計・施行の技術者から単純労働者まで、大変な人手が連日動員されていたはずだ。

 こんなことは、隠す話じゃない。が、東電は黙っていた。メディアは関連企業の取材すらしていなかったのだろう。おまけに放射能と立ち入り禁止で、原発への人とモノの出入りも人目に触れない。東電は楽勝だった。

 政府も知らなかったのか? もしそうだとしたら、大問題だろう。知っていたら? 情報の値打ちを理解できなかった鈍感さが問われてしかるべきだ。そして哀れなメディア。2ヶ月もかけた大工事を「ハイできました」と写真で見せられて、「よかったですね」では情けない。

 メディアもなめられたもんだ。全ては、原発に踏み込まなかったためである。朝日だけじゃない。原発の全容を見ようともせず、発表だけ書いているなんて、恥ずかしくはないのか。

 被災地報道には、この危機をともに生きているという意識がある。メディアの本領だ。が、福島原発にはそれがない。現場を踏んでいないからである。この落差にあらためてがく然とする。

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