2011年6月17日金曜日

首相の笑顔のわけは


 菅首相の笑顔はいつもとびきりである。本年度予算が通ったとき、フランスでのサミット、不信任案否決の翌朝の閣議、梅娘を迎えて‥‥「そんなに嬉しいの?」と聞きたくなるほどだ。苦笑いやシニカルな笑いはない。きっと根はいい人なんだろう。

 しかし、内閣不信任案をめぐる土壇場で、鳩山前首相のお人好しを手玉に取ったあたりは、相当なワルである。おまけに、退陣宣言とされた「一定のメドがついたら」を逆手にとって、半年先のことを口走ったから、与野党もメディアも収拾がつかなくなった。

 鳩山氏の「ペテン師」にも驚いたが、小沢グループの痛手も大きい。勇んで次の調整に乗り出した仙谷官房副長官も、もくろみが外れて赤っ恥をかいた。枝野官房長官も岡田幹事長らも、首相の後追いに精一杯だ。

 「いつ辞める」と聞いても、「辞めたいと思っていても、そんなことは公にしない。前の日に決断することだってある」というのだから、野党もどうしていいかわからない。自民は不信任のあとの支持率が下がって、さすがに世論が気になり始める。公明党も含めて、手詰まり間は否めない。

 「大連立だ」「次はだれだ」と型通りに先走りしたメディアも、前代未聞にはもろい。先が読めない。「こんな政治家見たことない」「恥ずかしい」など、与野党幹部の歯ぎしりを伝えるばかり。しかしこれ、小泉首相のときさんざん聞いた言葉ではなかったか。そういえば、2人の共通点は一匹狼である。

 逆に首相を励ましている亀井静香氏は、「腹を切らないというのに、介錯の話ばかり」とうまいことをいった。むろん、大連立なんかされたら、国民新党がかすんでしまうからのけん制だから、これもまたキツネとタヌキ。

 菅氏は不信任案否決の後、昔の市民運動の仲間を官邸に呼んで酒を飲み、「オレは辞めないぞ。任期は来年9月までだ」といっていたそうだ。これを仲間がペラペラしゃべると、織り込み済みだったか。だとしたら相当なものだが。

 そうしておいて、「1.5補正」といってみたり、震災復興基本法では、「復興担当大臣が必要だ」と内閣改造をほのめかしたり、15日には、再生エネルギー促進の集まりに出て、「菅の顔だけは見たくないって‥‥ホントに見たくないのか」と3度くりかえして、「それなら早いことこの法案を通した方がいいよ」とやって拍手喝采。全開の笑顔だった。

 この粘り腰に、日テレの「とくダネ」で小倉智昭が、「ボクらは菅さんのどこが悪いのかが見えない。がれきがどうとか、福島原発とか、菅さんの責任なのか他の人だったらどうなのか、よくわからない。きょうのニュースをみると、仮設住宅なんか意外に進んでいる」といいだした。

 たしかに「菅ではダメ」「菅がいなくなれば」という論理はよくわからない。小沢派の造反からいつのまにか、与野党、メディアこぞって「菅はダメ」が定着してしまった。そこで世論調査をすれば内閣支持率は落ちる、この繰り返しだ。大元はことごとに足を引っ張ってきた小沢派だろうに。

 いまの制度では、首相本人が「辞める」といわないかぎり、だれも辞めさせることはできないらしい。肝心なのは、被災地と原発をどうするかだ。これが動きさえすれば、首相なんか誰だっていいということだろう。ところが首相を動かす代わりに、あてのない首のすげかえとは、ますますわからない。

 菅氏は、政権をとったとたんに、中枢にいながら顔が見えなくなった不思議な人だ。国家戦略担当相でも財務相でも、何をしているのかが一向に見えなかった。それが首相になったとたんの参院選で、突然「消費税」とわめき出して、選挙はぼろ負け。これでますます顔が見えなくなった。

 政治家はとにもかくにも、「見出しになる言葉」をはかないといけない。失言ばかりが見出しになったのが、森、麻生両氏で、菅氏の場合は、「最小不幸社会」「消費税」のあとは「一定のメド」だから、まあ似たり寄ったりである。違うのは、東日本大震災という未曾有の危機をかかえていることだ。

 震災が起ったとき、被災者には申しわけないが、「これで菅氏は生き返るか」と思った。支持率も小沢派も参院のねじれもなにも、まとめて蹴散らすことができる事態だ。歴史に名を残す千載一遇のチャンスだったろう。

 しかし、彼はこれを生かせなかった。権力の使い方も官僚組織の生かし方もわかないまま、周囲を信頼せず、全てを抱え込んでしまった。国民の前に出てきて、語りかけなければいけないときに、姿が見えなくなった。日本の顔が見えなくなったのである。これだけでも首相失格だろう。

 それでも、ことが動いていればよかったが、それも見えなかった。不幸は、彼に親身になって進言する人間がいなかったことだ。彼が聞く耳をもたなかったことは、どうやら本当らしいが、怒鳴ってでもなぐってでも動かそうとしなかった与党幹部もまた、同罪ではないのか。あげくに首のすげ替え、というのは話が逆であろう。

 またそうした事情を熟知しながら、ただ傍観していたメディアの責任も問われるべきだと、わたしは思う。「もう菅を見限った」とは聞いていた。が、大震災を前にしてなお、永田町の論理に乗って「菅やめろ」とは。自分の国の危機、自分たちの政治ではないか。傍観していられること自体が、信じられない。

0 件のコメント:

コメントを投稿