2011年6月27日月曜日

やっぱり「哀史」だった


 「作業員69人所在不明」(21日付け各紙)という見出しを見たとき、「やっぱり哀史だ」と合点した。福島原発の事故のあと、大量動員された作業員のうちで、連絡が取れない、実在の名前かどうかすらわからない人数である。被曝の追跡調査でわかった。厚労省は「ずさんだ」といったが、こんなものとうに予想できたことである。

 第1原発だけで1万人以上もいたという記事を読んだ時、自分がいかに原発を知らなかったか、思い知った。原発といえば最先端技術と安全がイメージで、ボタン操作だから人間なんか少ないと思っていた。それが労働集約型だと?

 事情を知る友人に聞いたら、原子力でも火力でも、発電所とはそういうものだという。原発の場合は検査・点検がとくにやかましいから、むしろ人手が要ると。

 1万人超のうち東電の社員は1850人。関連・協力会社の社員が9500人(昨年7月)で、これらは一部技術者を除けば、大方単純労働の作業員だともわかってきた。彼らの劣悪な労働環境が部分的に漏れ伝わってきたからだ。防護服のままごろ寝。食事は日に2回でレトルト食品が主だ、などなど。

 未曾有の災害を受けた上に爆発まで起って、現場が大混乱であったことはわかる。現に先頃ようやく明らかにされた事故直後の作業メモも、それを裏付けた。しかし、作業していた人間がどうであったかは、けが人も出た(自衛隊員もいた)はずなのにまったく触れられていない。

 その後作業員はいわき港の帆船ホテルや湯本温泉などで休養をとるようになり、取材も入るようになった。しかし、常時500人とも800人ともいわれる作業員が、日々何をしているのかは一切公表されなかった。

 東京で東電の発表を聞いている記者たちは、これにほとんど無関心だった。作業員は、放射能の危険の中で原発の復旧作業に献身している「英雄」のイメージで止まったままだ。それも生身の人間としてではなくて、あくまで数字の上での存在だ。

 彼らの日当はよくわからないが、3万円とも十数万円ともいわれる。宿泊費も食費もかからないから、短期間でもかなりの金額を手にできる。しかし高い日当は被曝と、悪くいえば命と引き換えだ。おまけに被曝量は積算されるから、限度を超えたらもう働けない。

 そもそも年間の被曝限度が、事故の後それまでの100㍉シーベルト(mSv)から250mSvに引き上げられたのもよくわからない。高濃度汚染の中では、100mSvではたちまち限度に達して、人ぐりがつかなくなるというのだろうが、「非常事態」の一言にメディアまでが押し流されてしまった。

 被曝量の管理がずさんだというのは、さすがにいくつか報道された。線量計の数が足らないからと、線量計1個をグループで使ったり、付けなかったりもあったと。しかし、多くは健康管理面の追及が主眼で、原発を支えている労働集約の中身にまでは切り込んでいなかった。

 これを伝えたのは週刊誌などである。人集めの手段は人材派遣会社系と暴力団系があるとか、原発の人集めは2次、3次の下請けまであって、中にはホームレスまがいを集めてピンハネ‥‥これらはおそらく本当なのだ。今回出てきた「69人不明」は、この部分を暗示している。

 この件で朝日が伝えた作業員の話は怖い。「被曝情報がきちんと登録されるようになったのは5月くらいから。(69人は)初期の作業で高線量の被曝をした人たちではないか」「(原発での労働実態は)事故の前も今も変わらない」

 北朝鮮拉致被害者、蓮池薫さんの兄透さん(56)は東電の社員だった。実家が柏原刈羽原発から3キロ圏で、父の勧めで77年東電に入って09年まで在籍。最初の配属先が福島第1原発だった。のち本店に異動、また戻って通算で福島に6年余勤務した。新聞などに語った内容が、興味深い。

 作業員の実態は、下請けの複雑さから東電でもわからないという。名簿はあるが、リストだけのもので、どんな人なのかもわからない。これは町で電柱に登って作業している人たちも同じだという。確かなのは、原発では確実に被曝していること。

 東電の社員は「管理者」なので、原子炉に入ることはない。しかし蓮池さんは累積で100mSvは被曝しているという。事故以前の年間被曝限度だが、蓮池さんはこれを6年間に受けているわけだ。「事故ではなく、通常の作業でもこれだけになる」

 現場では、放射線を沢山あびると「女の子しか生まれない」という噂があった。蓮池さんは「子どもは3人だが、全員女の子」という。噂が本当かどうか、低線量の人体への影響なんて、まだだれにもわからない。

 蓮池さんはいま、作業員の被曝を心配している。が、東電は被曝データを公表しようとしない。東電にとって、彼らは使い捨て、将棋の駒。高い日当だけの関係だ。長年そうしてきて、これからもそうなのだろう。

 だれだって、英雄になんかなりたくはない。雇用関係から、選択の余地がなかった人も少なくないはずだ。69人は、そうした網からももれた人たちである。これこそが哀史の哀史たる所以だ。「何人被爆」と数字で伝えているかぎり、メディアもまた、同じ目で見ていることになる。

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