2011年7月12日火曜日

やらせメールのどこがおかしい?


 玄海原発の再稼働をめぐって、経産省が先月26日佐賀で開いた説明会に、九州電力が子会社や事業所に「賛成メール」を送るよう指示していたことがわかった。日本中が原発に目を剥いているというのに、まあ無神経なことである。

 6日の衆院予算委で、共産党の笠井亮氏が持ち出して大騒ぎになった。この説明会は、ケーブルテレビとネットで中継されたもので、住民の出席は経産省が選んだ7人だけ。傍聴者なし、報道関係にも非公開だった。

 ために笠井氏ははじめ、「もっとオープンな場で聞くべきだ」と問い、これを海江田経産相が「CATVとネットのライブだから公開だ」と突っぱねた。そこでこの話を持ち出したものだから、経産相も菅首相もギャフンだ。「けしからん話だ」といわざるを得なかった。

 九電も社長が会見して事実を認めたのだが、これがまたひどいものだった。何をきかれても「コメントしかねます」ばかりで、途中で紙が1枚入って、それを見ながら「責任はわたしにあります」というまでに30分はかかった。あの紙は何なんだ。

 おかげで、再稼働に同意していた玄海町長が同意を取り消し、当面の再稼働は吹っ飛んだ。九電はこれまでもそうしたやり方を通してきたのだろうから、「やらせメール」自体にはさして驚きもしないが、腑に落ちないのは情報の出方と伝わり方である。

 共産党議員がいきなり国会で、というのは近年珍しい。おかしいなと思ったら、すでに「しんぶん赤旗」が2日付けで伝えていた。さらにこれを受けて、4日の鹿児島県議会原子力安全対策特別委で質問が出て、九電が否定していた。いったいどういうことだ。

 一番大きく1面トップで伝えた朝日新聞(7日朝刊)は、社会面に「6月下旬に情報を入手したが、九電広報は、『メールで指示は考えられない』といっていた」とあった。読売も似たような書き方だ。つまり、「赤旗」が伝える前からそういった情報が流れていたのだが、取材は正面玄関をたたいただけで、広報に突っぱねられて「はいそうですか」と引き下がっていた。

 続報をみると、説明会前日の25日、九電子会社の社員が共産党のどこかの事務所を訪れて、社内で流れたメールを示して、「コンプライアンスに反する行為は会社のためにならない」といったという。立派な内部告発である。

 さらに、武藤明美・佐賀県議(共産)が、説明会当日の26日朝、佐賀県幹部にこの旨を伝えたが、県はそのまま放置したという。党は告発者がだれかは教えなかったが、コメントが各社全く同じだから、武藤県議が出したものに違いない。

 結局どこもウラがとれなかったのだろう。「赤旗」にしてからが、メールの文面を手にしていながら2日朝刊である。1週間も何をしていたのか。しかも「赤旗」に出てからも、各社動かなかった。そして4日後、国会での発言となる。佐賀の取材網は眠っていたのか? 共産党情報だからと、色眼鏡で見ていたのか?

 まだある。真っ当な内部告発なのに、なぜ報道機関でなく共産党へいったのかだ。その社員が党員だった可能性は高い。しかし、それならなぜ「赤旗」が報ずるまでに1週間かかったのかが腑に落ちない。現に県幹部には即座に話しているのだ。会見を開いて、説明会をぶち壊すこともできたはずである。

 このあたり、共産党の情報の扱いもうさんくさいが、各社が情報をつかんだのは、おそらく県幹部か周辺だ。そこで県議にも取材はした。が、ソースはわからない。で、九電に「モシモシ」してそれで終わりか。

 もし、告発者が党員でなかったとしたら、メディアとしては深刻だ。かつてメディアは、とりわけ新聞は、反体制的な情報の一番の持ち込み先だった。扱いにも慣れていた。情報提供者がわからないように、かつ満足がいくような紙面づくりで応える。その結果が次につながる。

 新聞の信頼感は、そうした積み重ねでできていたはず。それが崩れているのではないか。例の尖閣諸島での中国漁船の映像騒ぎがいい例だ。神戸の海上保安官は、映像をCNNに送ったが、そのあとはYouTubeだった。日本のメディアは眼中にない。

 一線の記者の存在感が薄くなっているのかもしれない。便利なネット情報の活用に慣れて、地道に歩き回る姿が見えにくくなっているのではないか。タレコミの多くは、そうした姿をたどってくる。人から人、口から口。情報とはそういうものである。

 少し心配しすぎかもしれない。今回は党員だった可能性が高そうだ。しかし、それでも端緒はあった。にもかかわらず、玄関取材だけであっさり引き下がってしまう、素直でお人好しがひっかかるのである。まして「赤旗」が報じて、鹿児島県議会でも話が出たというのに、鈍感にもほどがある。

 根はひとつではなかろうか。メディアとしての信頼が一朝一夕に得られるものではないのと同様に、失うのも突然ではあるまい。日々の報道がじわじわと劣化していった結果ではないのか。今回のお粗末は、日々の紙面のおかしさ、かくのごとし、という実例である。

0 件のコメント:

コメントを投稿