2011年7月7日木曜日

政治家との距離感


 松本龍・復興担当相の辞任は、まさに身から出たサビ。それにしてもひどい発言だった。

 岩手の達増拓也知事には、「知恵を出さないヤツは助けない。そのくらいの気持ちを持て」。宮城の村井嘉浩知事には「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれは何もしないぞ。ちゃんとやれ、そういうのは」

 しかも遅れて部屋に入った村井知事に、「お客さんが来るときには、自分が入ってからお客さんを呼べ、いいか‥‥長幼の序がわかっている自衛隊なら(知事は自衛隊出身)そんなことやるぞ。わかった? しっかりやれよ」

 まだあった。今度は記者に向かって、「いまの最後の発言はオフレコです。いいですか。みなさんいいですか? 書いたらもうその社は終わりだから……」

 気になるのはメディアの伝え方だ。異様ともいえる命令口調には、記者たちもカチンときたのだろう。一斉に「放言」と伝えたのはいいが、最後の「オフレコです」を載せたのは、見たかぎりでは毎日だけ。ただ、「書いた社は終わり」はなかった。

 産経以外は各社概ね内容を伝えてはいたものの、いわゆる雑報であって、何より問題の「命令口調」が出ていなかった。「オフレコ」が半分は効いていたのか。ナマの言葉が出てきたのは、騒ぎが大きくなってからだ。

 ここで力があったのはテレビ映像だ。直接見てはいなが、東北放送が発言をそのまま流したのが皮切りだったらしい。それがYouTubeにのってネットで騒ぎになった。各局も流し出す。命令口調がそのまま。オフレコのところも、まるまる出た。

 それにしても、オフレコとはなめられたものである。松本氏は日頃それで通してきたのであろう。それを許してきた責任はメディアの側にある。生温い伝え方にそれが出ている。

 発言のその場で、「知事にその言い方は失礼でしょう」「書いたら終わりとは、どういうことだ」というべきだろう。これもメディアの役割のはずだ。もし、大臣といい合いになれば、それはそれで立派なニュースである。

 それをいわずにおいて、あとで「放言」とやんわり書いて、すったもんだ3日もかけて大臣の首を飛ばして、今度は辛口の論評をして、それでよしとするのか? だから傍観メディアといわれるのだ。怒りには瞬発力が要る。

 もし岩手の段階で、「大臣、あのいい方はきつ過ぎますよ」と声をかける記者がいたら、どうだったろう。宮城ではああはならなかったかも知れない。記者との距離をうまく保つのも、政治家の才覚のうちである。

 また記者にしても、政治家の失言やクビの話なんか書きたくはなかろう。それよりも仕事をしてくれ、まともな記事が書きたいと、そのはずである。ところがこのところの政治記事ときたら、そっちの話ばかり。「菅辞めろ」にしても、半分はメディアが騒いでいるようなものだ。被災地復興の足を引っ張っているのはだれなんだといいたくなる。

 オフレコについていうと、そもそもあれはルール違反である。自分の都合だけで勝手に網をかけて、すべて封じられると思うこと自体、思い上がりだ。いい悪いは別として、記者との間に一種の信頼関係がないと、オフレコも成り立たないものである。

 しかし、それが悪しき慣習として政界に蔓延してきたことは事実。そのために報道の辻褄が合わなくなった例は多い。09年3月、西松建設から小沢一郎氏への献金がらみで出た漆間巌官房副長官の発言なんか、まるでマンガだった。

 にもかかわらずその後も許してきたのは、報道の側である。この時は自民党だったが、それが民主党になっても続いてきたということだ。そんなだからなめられるのである。この罪は深い。

 松本氏は、復興相就任から、どこかトチ狂った風があった。会見にサングラス、「民主も自民も公明も嫌いだ」といってみたり。気持ちを問われて、ピーター・ポール&マリーの「ALL MY TRIALS(私の試練)」を持ち出して、「これで仕事に打ち込む。深読みできたら1万円」とナゾをかけた。

 若い記者たちは昔のトレンドなんか知る由もない。ところがフジの「とくダネ」でキャスターの小倉智昭が、聞いて即座に「もらえた」といった。彼は歌詞を諳んじていて、「All my trials, Lord, soon be overだよ」という。「私の世代はそれで育ったんだもん」

 歌詞の意味は「私の試練は間もなく終わる」というもので、大臣を引き受けたがすぐに終わる‥‥と読める。しかも、退任の会見では、カズオ・イシグロの著書を出して「NEVER LET ME GO(私を離さないで)」と口走っている。訳がわからない。

 彼は復興相就任を、政治キャリアに弾みをつけるチャンスと踏んだのかもしれない。ただ、地道に復興に取り組むのではなく、パフォーマンスに走ってドジを踏んだーーまあそんなところであろう。

 菅首相という、これまた歴史に名を残す千載一遇のチャンスを棒に振った男の下にいたのも、めぐりあわせなのであろう。菅という人もまた、新聞記者との距離がわからない人らしい。小沢氏もしかり。
 
 政治家は概ねメディアが嫌いだが、名を残した大物はみなメディアとの距離感を心得ていた。例外はない。

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