2011年5月2日月曜日

知ってないといけないこと


 ようやく読みたい記事が紙面に出た。産経の29日付一面トップ、「いまの東京の土壌の放射線量は、60年代初めと同じ」というヤツだ。年配の人たちはみな知っている(が、忘れている?)こと、統計数字もずっと残っているものなのに、いまごろである。

 データは「気象研究所」(つくば市)のもので、過去最高は63年6月の東京で、放射性セシウム137が1ヶ月間で1㎡当たり550ベクレルだった。福島原発事故後の都健康安全研究センターの測定では、4月11日の同170ベクレルが最高で、単純計算で月間数百ベクレル。まさに同レベルである。

 気象研究所のグラフを見ると、60年代から数値はどんどんさがって、近年では最高時の1万分の1の水準だった。途中でポンと高くなっているのが、96年のチェルノブイリ事故で、次は今回の事故、とはっきりしている。

 60年代は、米ソが大気圏内での核実験を繰り返した結果で、遅れて中国なども加わっている。当時子どもたちは、「とくに雨の降り始めには、濡れないように」と注意を受けたものだったが、パニックになることはなかった。騒いだところで、どうにもならない。また、日本にはすでに、広島、長崎も第5福竜丸もあった。

 わたしはこのころ大学で山登りをしていたから、散々雨に濡れて、しかもハアハアと放射性物質をたっぷり吸い込みながら歩き回っていたものだ。といって、その後仲間がパタパタとがんで死ぬなんてこともなかった。

 記事は、「それでも健康被害が生じたというデータはなく、専門家も『過度な心配は不要』といっている」となっていたが、これは因果関係がわからないというだけのこと。実際は影響があったかもしれない。が、そんなことよりも、この事実だけは日本中が、いや世界中が知っておかないといけない。汚染は地球全域に及んでいたのだから。

 事故の直後、一部のテレビの解説で、このグラフを見せて「心配することはない」という専門家もいた。それが大きな声にならなかったのは、東電に味方すると受け取られかねなかったからだろう。また一部週刊誌も報じていたようだが、いま産経が出した。他の新聞は知らなかったのか。知っていて出さなかったのか、ここが気になる。

 年配者の実感からいうと、アメリカの外交官が逃げ出したり、中国の観光客が一斉に来なくなったりなんぞ、笑止千万である。彼らにいってやらないといけない。「お前らの親父やじいさんが何をしたか、知ってるのか」と。アメリカは爆弾まで落としている。

 もっともこれらの国では、とりわけ放射能の人体への影響は民衆には知らされなかった。中国は「軍事機密」ですむから話は簡単だが、アメリカの場合は手がこんでいた。広島、長崎での結果について、軍が報道管制と強烈なネガティブキャンペーンを張って、押さえ込みに「成功」したのである。

 東京湾の戦艦ミズーリで行われた日本の降伏調印式(1945年9月2日)をすっぽかして、2人の従軍記者が、夜行列車を乗り継いで広島へ乗り込んでいた。オーストラリア人のW・バーチェットとNYタイムズのW・H・ローレンスだ。「新型爆弾の威力」ルポは、セレモニーなんかよりはるかに値打ちだった。

 しかし、彼らが衝撃を受けたのは、1発で広島を灰燼に帰した爆発の威力よりも、被爆者の白血球の減少、出血、発熱、毛髪の抜け落ち‥‥一見無傷の人間が、バタバタと死んでいく不気味さだった。

 バーチェットは英紙デーリー・エクスプレス(9月5日)に、「アトムの疫病」を載せ、「未知の異変を、世界に警告する」と書いた。ローレンスも同じ日、NYタイムズに「日に100人もが死んでいる。残留放射能だ」と書いた。

 米軍はただちに動いた。翌6日東京での記者会見で、放射線障害を完全否定しただけでなく、19日にはプレス・コード(検閲)を発して、原爆についての不穏当な記事を全て握りつぶす。

 同時に本国の科学記者たちをニューメキシコの核実験場へ招いて、ありとあらゆる偽のデータを示して、「原爆は安全」というキャンペーン記事を書かせた。あげくにNYタイムズの記者は、これでピュリッツァー賞までとってしまう。(先頃、これを取り消すという報道があったようだが‥‥)

 その後、たったひとり米軍の規制をかいくぐった記者がいた。米人ジョン・ハーシーで、「ニューヨーカー」は丸々一冊の原爆特集(46年8月31日号)を組んで、即日完売という大反響だった。が、高まる米ソの核軍拡競争のなかで世論にはならなかった。

 だからこそ、その後の核実験時代にも、冷戦の論理がすべてに優先できた。そして核実験停止、核不拡散の動きを経て、冷戦体制が集結したころには、世界中が忘れてしまったのである。

 ちょうど80年代の初め、「デイアフター(原爆の翌日)」という映画が西欧諸国で大きな反響を巻き起こしたことがあった。作り物の映画だというのに、「あまりにも悲惨だ」と。こちらにいわせれば「バカヤロウ、何をいまごろ」であった。欧米の原爆理解はその程度だったのだ。まして目に見えない放射能なんて、実感できるはずがない。米のキャンペーンの効果が40年も持続したとは、実に驚くべきことである。

 そのしばらく後のチェルノブイリで、世界はようやく気がつく。それもまた、四半世紀を経て忘れかけていたところだった。その意味でも福島は、貴重な「覚せい剤」でなければならないのだが‥‥当の日本人までが風評で踊るとは、まさに世も末としかいいようがない。

0 件のコメント:

コメントを投稿