2011年9月26日月曜日

あきれた「小沢首相待望論」


 「小沢氏は首相で勝負せよ」には、わが目を疑った。24日の朝日新聞朝刊「記者有論」である。筆者は8月まで1年8ヶ月小沢番の政治記者だった。転勤になっていま、仙台の東北復興取材センターにいるという。

 記事は「被災地に転勤してきて率直に思う。やはり小沢氏は首相になるべきだ。岩手出身として東北復興の先頭に立つべきだ」という。野田内閣については「前途多難だ」と一言で片付けている。まだ予算委も開いていないのに、また自らも転勤3週間だというのに、いささか話が早過ぎないか。

 だいいちこの半年、小沢氏が東北に何かしたという話があったか? 現地に足を運んでも、支持者のところだけで、反対派は素通りという話はあったようだが‥‥。

 本文もひどい。小沢氏はこの20年、「政局的手腕」は評価されながら、ずっと裏方だった。このままだとまた「闇将軍」になってしまう、と希望的観測を列挙して、「政治的手腕」を発揮できれば「名宰相とうたわれるだろう」とある。いやはや、とんでもないところに応援団がいたものだ。

 政権交代以来、民主党政権に立った波風は大方小沢一郎氏が元である。これを支えたのが、「ねじれも予算も役人も、小沢氏の剛腕で」‥‥という「小沢神話」だ。メディアが不必要に小沢氏の動向を伝えるのが、ずっと腑に落ちなかった。

 理由がわかったのが、昨年の代表選の前である。朝日に載った、歴代の小沢担当記者6人の座談会だ。このブログですでに触れているものの再録になるので、いささかの重複をお許しいただこう。

 座談会は小沢氏が代表選に出馬するかどうかが焦点だった。6人は「出る」「出ない」という見通しから「出るべきでない。1回休み」「いや出るべきだ」まで。理由はともかく、小沢氏がトップに立ったときの危うさを、だれも疑っていないことに驚いた。どころか、明らかに期待していた。

 これで初めて「あ、時代が違うんだ」とわかったのだった。年代からいって、彼らが小沢氏を担当したのは自自連立あたりからだ。自民党幹事長の頃は、6人のうちいちばん年かさの記者でもまだ駆け出し、政治部員にもなっていない。

 古い世代にとって、小沢氏の剛腕とは即ち独断専行だ。「数の政治」の信奉者だから、選挙のためなら何でもあり。政治資金から政党交付金まで不審な金の話が絶えずついて回った。政権の実質ナンバー2なのに、首相にという声がついになかったのも、身辺が身ぎれいでなかったからだ。

 彼はまた、健康診断を理由によく海外へ出た。出先支局ではパパラッチを雇って彼の追跡をしたが、とうとうしっぽを出さなかった。「メディア評価研究会」のインタビューで野中広務氏は、「あれは健康じゃなくて、金のため」といっていた。真偽はわからないが、健康で雲隠れする必要はあるまい。

 小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反で26日、東京地裁は元秘書3人に有罪を言い渡した。ゼネコンからの裏金の授受を認定したのが大きい。これはそのまま、小沢氏の政治手法につながる。いまもって、自民党時代そのままなのだ。

 新聞記者嫌いも変わらない。下野してかなり変わったとはいうが、「会見はサービス」などと、相変わらず政治記者を見下している。そのくせニューヨーク・タイムスだのワシントン・ポストにはホイホイと会う。「自国の記者だけが嫌いな政治家なんて信用できるか」。これだけでも、小沢氏を好きな記者なんかいなかったろう。

 最近は、嫌な質問の出ない「ニコニコ動画」がごひいきだ。要するに、メディアは、いったことをそのまま書けばいいと。これは今の記者なら、百も承知だろう。昔話だって知らないはずはない。しかし、肌で知らないとは何と恐ろしいことか。

 昨年の代表選の後、玄葉光一郎氏が「ベテラン記者までが、小沢神話に引きずられていた」と嘆いたと、朝日のコラムが書いていた。なかに小沢担当記者が「小沢が政策を語るのが新鮮だった。中身より小沢の対応に興味があった」といっていたともあった。これが多分、この記事の筆者だろう。

 政治家に記者が心酔するのは、珍しいことではない。政治家にはみな何かがある。しかし、まともな記者ならば、片足は永田町に置いても片足はこちら側にあるはずである。だからこそ周囲も見える。小沢氏とその政治手法が賞味期限切れに近いことも見えるはずだ。

 朝日新聞のいいところは、社説とはまったく逆の主張でも、平気で紙面に載ることである。むろん論拠がしっかりしていないとダメだが‥‥。

 かつて小選挙区制導入が論議になった時、論説が「容認」に傾いていく中で、ひとり「中選挙区制」を主張し続けた編集委員(故人)がいた。米英の制度までを検証して、「民意の反映にならない」「政権交代にはつながらない」という主張は、社説よりはるかに説得力があった。

 むしろ、彼が鋭くついた現行制度の矛盾が、いまの見直し論とつながっているのは、感慨深い。政権交代は実現したが、はたして制度のお陰だったか? その前に国民が自民党を見限っていた。制度は確かに大差をもたらしたが、ふくらんだ数の多くが「小沢チルドレン」である。

 「小沢神話」はなお健在だ。国会議員はあの通り。チルドレンもいる。記者だって彼1人ではなかろう。記者が何を考えようと自由だが、こんな論拠も薄弱な「応援歌」が紙面に載ること自体、何かが壊れている証拠である。

2011年9月24日土曜日

見えているのに見ていない


 台風15号が東日本を縦断した。テレビはいつものようにあちこちリポーターを出して、ヘリが飛んで、大忙しだったが、ナマの映像を見ながらイライラするのもいつも通りだった。

 都心で風速36メートルとは聞いたことがないが、コメントでも聞いたことがないのがいくつか。お台場のルポで、女子アナが「キャー」といって「まるでアラシのようです」には笑った。嵐を取材してるんでしょうよ、お嬢さん。

 東京というとなぜか新宿駅南口だ。電車が止まって「大混雑です」というのだが、見たところいつもの混み具合と変わらない。あそこはいつもああなのだよ。違うのは立ち止まっている人が多いこと。これがこの日のニュースだった。わざわざ濡れるところでしゃべって、カメラがパンすると、濡れてもいない乗客がカメラに手をあげたりしている。間抜けなことこの上ない。

 城ヶ島のリポーターは、ヘルメットを飛ばされそうな風のなかでわめいていた。10年一日のごとく、こんな中でしゃべることはないよ。彼は三浦半島一帯で何度も暴風雨の中に立った。まことにご苦労様だったが、ひと言いわせてもらうと、いつも画面の真ん中にいるお前さんが邪魔だ。後ろの波の様子が見えないじゃないか。

 現場ルポの怖さは風や雨じゃない。リアルタイムに現状を伝える映像に、しゃべりが勝てるかどうか、その怖さだ。さらに、写っていないものも含めて全体状況も伝えないといけない。だが、多くは舌足らずで、写っている絵にも追いつかない。といって恥じてる風もない。

 ヘリの中継もそうだ。岐阜・御嵩町の土砂崩れの現場で、土砂の中から車がみつかった。大きく崩れた土砂の末端に救助作業の人が見える。ライブの映像がそこを映し出した。白いミニバンが横転して泥に埋まり、運転席のドアが開いている。一瞬「運転者は脱出したのか?」と思う。

 ところがヘリからは「車でしょうか?」、東京のスタジオも「あの白いのが?」なんていってる。現場は何を見ている? スタジオのモニターは安物か? 車は前夜から不明だった男性のものだった。

 台風上陸前のいちばんの関心は、紀伊半島の土砂ダムの成り行きだった。そのひとつ和歌山・熊野では、流れが堤を超えていた。「勢い良く泥水が流れ出しています。決壊しているように見えます」。まだ決壊じゃないだろう。越流だ(この越流というのも、今回初めて聞いた言葉だが)。

 下流では泥流が民家のある岸辺にどどんとぶち当たっていた。「民家に迫っています」。んなもの全部見えてるよ。それよりも、越流とは別に、土手の途中からも流れが見える(写真参照)のだが、リポーターは気づかない。「オーイ、穴が開いてるぞー」

 十津川・赤谷では、水位が増えた後、急激に水位が下がったというモニター・ブイの情報。ヘリが飛べないから、国交省では「理由がわからない」という。わからないじゃないだろう。低いとことに穴が開いたに決まってる。大分遅れて「穴が開いたと思われる」と発表があった。

 台風に限らず何でもそうだ。カメラの性能は素晴らしいから、何でも写っちゃう。ところが人間がそれを見ていないのだ。リポーターも東京も、見えてるものを見ていない。だからテレビを見ている方が、へとへとに疲れてしまうのである。

2011年9月14日水曜日

お祭りメディアはもうたくさん


 またまた大臣が失言で辞めた。ついこの間も、それで1人辞めたというのに、学習能力のなさにあきれるが、もっと気になるのがメディアである。いったい何を考えているのか。

 初めて大臣になれば誰だって舞い上がる。それまで縁のなかった記者たちに毎日囲まれるのだから、つい口が軽くなって、前後を忘れて持論を展開したり、軽口が引っかかったりーー自民、民主を問わず、新内閣では当たり前のことである。

 ただ、野田内閣では10人が初入閣のうえに、党内融和で危なっかしい人材もいたから、即座に2、3人はやるだろうと思っていたが、いや出るわ出るわ。一川防衛相の「シビリアンコントロール」、小宮山厚労相の「たばこ700円」‥‥うち鉢呂経産省の「死の町」「放射能つけちゃうぞ」が、言い逃れできなかったわけだ。

 ただの議員と大臣との違いがわかるまでには時間がかかる。かつて、失言ばかりが新聞の見出しになった森喜朗・元首相なんかは、最後まで議員と首相の違いがわからなかった口だ。野田内閣だって、まだ出るだろう。閣外でも、平野国対委員長の「不十分内閣」、前原政調会長の対中発言など危なっかしい。

 しかし、騒ぎになる経緯を見ていると、メディアが大いに片棒をかついでいることがわかる。鉢呂大臣は警戒区域を視察したあとで、町の様子を「死の町」といったが、だれが見たって「死の町」に違いはなかろう。そのあとに「なんとか町をかつての姿に」とか何とか付け加えていれば、何の問題もなかったはずである。

 ところがメディアは「死の町」だけをつかまえて、首相に、福島に伝える。首相はびくりして「謝罪を」といい、福島県民は怒る。その声をくっつけて記事にする。おまけに、前日防護服姿で視察から帰った大臣が、待ち受けた記者に「放射能つけちゃうぞ」といった、冗談までも書いてしまう。

 しかも書いたのは翌日、「死の町」発言と抱き合わせだから明らかに意図的で、こっちの方が致命傷になった。「福島の人たちの苦しみを何だと思ってるのか」という決めつけだ。しかしこれ、大臣としての能力とはおよそ無関係だ。むしろ彼は福島には何度も足を運んで、もともと農協出身だから農業の実情はよく知っていた。福島を貶める気なぞ、さらさらなかったろう。

 あらためて考えてみる。いま新聞・テレビの野田内閣についての報道は、「素人ばかり」「未知数」「先が目ない」と、そんな決めつけばかりである。2年前までは野党議員だったのだから、「素人」は当たり前ではないか。それよりも、野田首相は事務次官を集めて「協力」を呼びかけ、「政治主導」では事実上白幡を掲げた。いってみれば、だれが大臣であろうと同じ、といったも同然である。

 現に、大臣がいなくても、経産省はそのまま動いている。次の大臣にだれがきても、何事もなかったようにーーそれが日本の官僚組織だ。外務省でも財務省でも同じである。

 そんな大臣のあげ足取りに、バカバカしい時間と労力をかけている場合ではなかろう。それでなくても首相の首のすげ替えに5ヶ月も大騒ぎして、これは間違いなく災害復興の足を引っ張った。騒ぎの半分はメディアがつくったようなものである。

 なぜこんなことになるのか。目の前で展開している政治が、自分の国の政治だ、という自覚がないのではないかとすら思えてくる。まるでよその国の出来事を見るような傍観、情報を右から左へと流すだけのご用聞き、騒ぎをあおり立てるお祭り根性‥‥。

 だから、本当の不条理に対する怒りが足らない。失言の現場での瞬発力もない。何もいわずにそのまま書いて、騒ぎになって大臣の首が飛ぶ。それをまた書く。ほとんど「いじめ」ではないか。そんな記事読みたくもない。

 朝日新聞がまた「メディア欄」で、このいきさつの検証みたいなことをやっていた。そのときどこの社がいて、どんな記事を書いた、やあ何だかんだと、いつものヤツだ。まあ、書いたのは別の記者なのだろうが、自分のところも1枚噛んでいるというのに、よくやるよてなもんだ。

 この半年間を見れば、メディアがなすべきことは何を置いてもまずは復興の尻をたたくこと、放射能の影響についてのあらゆる情報を届けること、永田町の混乱の元凶をあばくことであったはずだ。しかし現実は、「菅が悪い」の大合唱、放射能情報の追及不足と鈍感、永田町のお祭りーー要は霞ヶ関と永田町の後ろを走っていたのである。そんなメディアを誰が信用するか。

 経産相の後任は結局、枝野幸男・前官房長官になった。「即戦力」というが、彼のこれまでの福島問題への姿勢を考えると、その筋には思わぬ誤算かもしれない。まあ、これはじっくりと見守るとしよう。

 その枝野氏を、朝日夕刊の「素粒子」が、「従者だけ復活」とサンチョ・パンサになぞらえて、菅・前首相をドン・キホーテにしてしまった。これは上手い。しかしその後がいけない。「失言追及と弁明の国会が始まるかと思うとうんざり」だと。火を付けておきながら、その言い草はないだろう。

2011年9月8日木曜日

どじょう宰相の本当の顔は?


 野田佳彦・首相の誕生を、メディアは予想できなかった。そんな記事を読まされるのも情けない話だが、テレ朝に細川護煕・元首相が登場して、代表選前に小沢一郎氏と3人で会談したと明かしたのには驚いた。もしこれが事前にもれていたら、代表選の形勢は変わっていたかもしれない。 ここでもメディアは1本とられた。

 野田氏は代表選で、相田みつをの言葉を引いて自らを「どじょう」に例え、実直なイメージを定着させた。これも細川氏が前日の演説を「財務相演説だ。もっと人間味を出せ」と指摘したのを受けて、がらりと切り替えたのだという。しかも「どじょう」は、小沢氏側近の輿石東氏を幹事長に引き込む布石だった。こんな政治家、これまでいたか?

 演説のうまさは評判通りだ。間合いといい、言葉の確かさといい、例の小沢・鳩山・菅のトロイカとは段違いだ。ぶら下がり取材でも、嫌な質問にも平然。そのうち下手な質問には切り返しかねない。とても「どじょう」なんてもんじゃない。

 テレビを見ながら、本人がルックスを自慢していたという話を思い出した。多分国対委員長だったころ、フリーのジャーナリストに、「いま、こういう風に作っている。いいでしょう」といったというのだ。以前とはイメージを変えたらしい。

 それが今の姿そのまま。どうみても自民党のたたきあげ陣笠代議士だ。当時の代表がスマートな前原誠司氏だったから、いま思えば、それが「金魚とどじょう」だったのだろう。しかしこの見かけ、中身にもつながるらしい。

 政治家としての野田氏を、朝日新聞は「土着の保守政治家タイプ」と書いていた。県議時代から大臣になるまで24年間、船橋駅前で辻説法を続けてた泥臭さは、自民お得意のドブ板選挙も真っ青である。政治信条でも、A級戦犯について自民党に質問書を出すなど、確かに保守的だ。

 代表選出後は、真っ先に輿石幹事長を決め、次いで党執行部・閣僚・政務3役までの入念な派閥均衡人事。さらには政調会長の権限強化、事務次官会議の復活などで、党内の体制を固めた。唯一の誤算が、岡田克也氏の官房長官固辞だったが、実務型内閣には問題はなさそうだ。

 とくに驚くのは、細川氏が仲介した3者会談だ。ここで小沢票が来ないことはわかったはず。それでも勝ったときにどうするか。その時点から、敵である輿石氏を取り込む戦略を立てていたわけだから、これは相当なタマである。このあたり保守の老かいな政治家を思わせる。

 細川氏も「彼は保守ですよ」という。「安定・保守、こげつかないテフロン・フライパン」と面白いいい方をしていた。野田氏がはじめて国政に出たのが、細川氏の日本新党からだった。以来野田氏をずっと見てきて、政治的資質を高く評価しているといっていた。

 メディアは「未経験の大臣ばかり」なんて書いているが、政権交代2年で経験者がいるはずがなかろう。1人2人バカな大臣も出るだろうが、要は首相の舵取りの才であろう。閣内掌握、小沢派の動向、官僚との間合い、焦げ付きのタネはいくらでもあるが、それがテフロンフライパンということか。

 しばらく前、朝日新聞の「耕論」が、「松下政経塾に任せられるか」というのを組んだ。故松下幸之助の発想から32年で、いま国会議員38人、地方議員30人、首長10人だという。奇しくも野田氏をはじめ、政権の中枢に塾出身者がぞろぞろと並んだいま、読み返してみるといろいろ面白い。

 論者の1人、元松下政経塾頭の上甲晃さんは、「塾が、普通の若者と政治をつなぐ役割をはたしたのは確かだが、『かれらが首相になれば』とは、いまや誰もいいません」と現状を嘆いていたのだったが、首相になっちゃいましたね。

 早稲田・雄弁会出身の荒井広幸・参院議員は、「地盤・看板・かばんのない人間が、政治家になるルート、という点では似ているが、政経塾が司馬遼太郎的なら、雄弁会は藤沢周平的で草の根保守なんです」とうまいいい方をしていた。ん? これも話が違ってきたのでは?

 もう1人、自民党の派閥抗争が大好きだったというロック歌手の西寺郷太さんは、「徒手空拳で訴えた理想を見失い、そこそこ優秀な『規格品』になってしまった」と手厳しかった。だが、いまその「理想」と「規格品」との兼ね合いが問われることになった。

 すでに当選を重ねている議員を、政経塾だからどうというのもおかしなことだ。が、最後の西寺さんの問いは、今後も続くだろう。実際に塾出身の首相や閣僚が日本を動かし始めたのだから。

 政治家の才のひとつに、「見出しになる言葉」がある。小泉純一郎氏以降久しく、そんな言葉をはく政治家はいなかった。政治家の言葉は、ときに中身より明晰さ、わかりやすさである。だから見出しになる。どうやら野田氏にはそれがあるようだ。長年の辻立ちの成果であろう。

 震災復興、景気浮揚、財源、行政改革、増税‥‥実務をこなす中で、どれだけの「見出しの言葉」をはけるか。意外に「どじょう」が大化けするような、そんな予感がする。

 そしてもうひとつ、外交の場での言葉の重み。野田氏にとっては、国連総会と日米首脳会談が最初の場となる。外国メディアを含めた会見、これもひとつの見せ場だ。どんなことになるか。実はちょっと楽しみにしている。

2011年8月13日土曜日

傍観ばかりの木偶の坊


 津波で倒れた岩手・陸前高田の松原の松を、京都の大文字焼きで焼くという計画が、「放射能汚染だ」という騒ぎで中止になった。その後復活することになったが、何ともバカな話である。それ以上のバカが、報道だった。

 どこの記事も経緯を書いた最後に「汚染の心配はない」という学者の談話がついている。白黒がはっきりしているというのに、「何をバカなことを」とズバリ書かない。「京都市に文句が殺到」などと、脇で見ているだけの「傍観報道」である。

 大臣の放言も同じだ。その場で「おかしい」といわずにそのまま書いて、2日3日経って大臣が辞任したと、また書きたてる。そんな大臣は、その場でよってたかってこらしめて、仕事をさせる方が先だろう。これは「お祭り報道」だ。

 しかし、7月27日の衆院厚生労働委での児玉龍彦・東大教授の参考人説明は、どんなへっぽこ報道人でも、見過ごしてはならないものだった。

 アイソトープセンター長の児玉教授は、福島第1原発から放出された放射性物質の総量に言及した。教授もいうように、今回事故の総量は全く報告されていない。同センターが推計した結果は、衝撃的だった。教授は「熱量換算で広島原爆29.6個分、ウラン換算で20個分」といったのだ。根拠はよくわからないが、まさか、という数字である。

 これを踏まえて教授は、汚染地域での測定の必要、子どもたちへの汚染の懸念、などを訴え、最後に「国会は一体何をやっているのか」とまでいった。普通の記者なら、終わったとたんに教授を追いかけ、詳細を取材して、大臣や議員の反応を聞く。それだけのネタである。

 しかし驚いたことに、これを報じた新聞・テレビはなかった。いまだに何も出てこない。だから、これを知ったのはネット情報からYouTubeの映像である。これでメディアといえるのか?

 公開の場だから、1社が動けばみんながバタバタとなるはず。だれも書かないということは、ニュースと気づかなかったか、だれかに入れ知恵されたか。いや、後者なら少なくとも騒ぎにはなるはずだから、やっぱり動かなかったのだろう。国会議員も含めて、まさしく木偶の坊の集団である。

 福島からの放出量は、いくつかの推計があるらしい。6月に日本原子力研究開発機構が出した海洋汚染のシミュレーションでも、これを書いた私のブログを見て、「注目すべきは別のところ」と指摘してくれた人がいた。

 あらためて資料を見ると、グラフに「今年9月時点で核実験時代の汚染とイコール」というのがあった。今の汚染はそれ以上、ということだ。会見では説明がなかったらしく、載せない社もあったし、載せたところも「1年後には昭和30年代の3分の1」などと書いた。

 その人は、「汚染を少しでも低くみせようという意図がうかがえる」といった。グラフにはちゃんと載せた。記者が気づかなければ知らん顔、というわけである。狙い通りの報道内容に、同機構はほくそ笑んでいただろう。

 稲わらの汚染も、元はといえば、農水省が農作業と飼料としての流通の実態を知らなかったため。一種の人災である。稲わらに放射性物質が残りやすいことすら思いいたらなかった。損害賠償の矛先を向けられても仕方がないくらいの失態だ。

 しかし、これを認めた大臣会見では、今後の調査項目だったか、目をそらせるものが織り込まれていて、記者たちは見事これにだまされていた。役人の狡猾さに較べ、何とお人好しの記者たちよ。

 放射能では、気になる事がまだまだある。戦後広島、長崎で生まれ育った人はいくらでもいる。60歳以上は、みな60年代の核実験時代を生きてきた。私もその世代だが、世代全体として放射能が健康に影響したという実感はない。「騒ぎ過ぎじゃないか」と思うことすらある。

 いまの不安のもとは、低線量汚染が人体に与える影響がわかっていないことだ。だからこそ、いまがどの程度の「地獄」なのかは知りたい。放出総量は手がかりのひとつだし、広島の20倍と聞けば「エッ」と思うのが当たり前だ。しかし、これにもメディアは恐ろしく鈍感である。

 先日のNHKスペシャルに、原爆投下時に広島上空を飛行中だったという、戦闘機紫電改のパイロットが登場したので驚いた。よくも見つけ出したものである。彼は「突然吹き飛ばされ、コントロール失って500メートルほど高度を落としたところで機体を立て直した。さきほどまであった広島の町が消えていた」と証言していた。

 見たとたんに、「相当な放射能も浴びていたのでは?」と思ったが、テーマが「情報戦」だったからか、番組はそれには触れなかった。推測するに、高高度を飛行中に閃光を機体の下から浴びたのが幸運だったのだろう。その御仁は、90歳近かったと思うがまだお元気だった。

 広島原爆の爆風と閃光をもろにあびて、無傷で生き残っている人なんて他にはいまい。むしろ、どうしていままで登場しなかったのかが不思議なくらいである。もう一度登場してもらう値打ちは十分だ。NHKも気づかないことはないと思うが、他の報道を見ていると、ひょっとしてと、心配になってしまう。

 かつて大本営発表を書かされていた記者たちには、本当に書きたい記事が別にあった。しかし、今の記者たちには、お上の発表がすべてらしい。アナも見抜けない。目の前にぶら下がっているネタにも気づかない。傍観に慣れてしまった結果だろう。どう考えても、木偶の坊という言葉しか浮かばない。

2011年8月3日水曜日

グリコ・森永事件のトラウマ


 NHKスペシャル「グリコ・森永事件」が面白かった。1年をかけて当時の捜査関係者から記者まで300人を取材して、新聞記者を中心にしたドラマに再現。2晩にわたって計4時間という異例の放送だった。NHKは贅沢なことをやる。

 しかしこれで新たにわかったことは、あまりなかった。ただ、展開は思っていた以上に複雑で、その過程で警察とメディアの関係が崩れていったことがよくわかった。とくに大阪府警の秘密主義に押し切られたメディアには、事件が一種のトラウマになったらしい。その後の事件報道でいつも感じる違和感の大元が、これだったのかと合点がいった。

 昭和59年3月、グリコの江崎社長が、猟銃をもった覆面の男3人に自宅から誘拐されたのが発端だ。社長は3日後自力で脱出したが、そこから前代未聞の劇場型犯罪が始まった。

 「けいさつのあほども つかまえてみい」という挑戦状が届く。「グリコのせいひんに せいさんソーダいれた かい人21面相」。大阪府警とマスコミへの挑戦状と企業(グリコ・丸大・森永など)への脅迫状は140通を超えた。

 特ダネ競争のメディアと秘密捜査を守りたい大阪府警は大混乱に陥る。さらに「どくいり きけん 食べたら 死ぬで」と書かれた森永製品がコンビニなどでみつかって、メディアは「報道すべきか」と悩む。しかし1社が書けば終わりだ。結果、否応なしに利用されたのだった。

 事件のヤマは3つあった。いずれも失敗に終わる現金受け渡しーーグリコの3億円(6月2日摂津市内)、丸大食品の5000万円(同28日京都行き国電内)、ハウス食品の1億円(11月14日名神高速)だ。

 はじめの現場に現れた男は、犯人グループに脅迫された一般人だった。次の京都行き国電内と、3つ目の名神・大津SAで、捜査員は不審な「キツネ目の男」を見る。が、捜査員の職質を上層部は禁じた。いずれもその後男を見失う。

 名神では、指定場所付近でパトカーの職質を振り切って逃走した不審車があった。みつかった車からは、警察無線受信機など犯人をうかがわせる遺留品が多数みつかった。滋賀県警は、この日の捜査を一線の警官には知らせていなかった。ために非難をあび、翌年夏県警本部長は自殺する。

 だが、元は大阪府警である。近畿管内の県警に「手を出すな」と縛っていた。府警は「現金受け渡し時に一網打尽」が方針で、「キツネ目」の職質を認めなかったのもそのためだった。当時の捜査員は27年経ったいまも、「あのとき職質をしていれば」と、夢にまでみるという。

 メディアははじめ、府警が「書くな」という情報を書いていた。ために府警は10月、在阪社会部長会と異例の「報道協定」までして報道を封じていた。この秘密主義は最後まで変わらなかった。

 コンビニの怪しい男の映像、犯人の指示の声(子ども、女性の録音)、「キツネ目」の似顔絵、いずれも時間が経ったあとの公開である。似顔絵などは、年が明けて1月だった。これがメディアにはトラウマになる。

 「かい人21面相」はその後も、いくつかの企業に脅迫状を送るなどしたが、翌60年8月、滋賀県警本部長の自殺を機に、「もお やめや」と収束宣言。以後消息を断ったまま平成12年2月13日、事件は時効になった。

 ドラマのモデルになった1人、当時毎日新聞の吉山利嗣氏(64)は、「あれが挙がらなかったから、閉塞感の漂う日本になったと思う」という。挙がる挙がらないはともかく、警察とメディアの関係を問い直すべきだったのは確かだ。

 番組はそこまで踏み込んではいない。が、秘密捜査と情報公開のタイミングについて、少なくとも事件のあと警察とメディアが一緒に検証すべきだったと思う。公開は早ければ早いほど有効だからだ。

 現に、08年JR大阪駅で起った通り魔事件では、防犯カメラの映像公開で、あっという間に犯人を割り出した。何百万人というテレビ視聴者の目である。同じ大阪府警の決断というのも皮肉だが、実はいまもって例外中の例外である。日本全国で警察の秘密主義はますます強くなっている。

 未解決事件で、時効間近になって警察がビラを配っているニュースをいくつ見たことか。目撃情報が欲しければ、記憶が新しいうちに限る。人の記憶はせいぜいが1週間だ。

 番組で「グリコ・森永事件」当時の府警本部長はいまも、「怪しいだけでは逮捕できない」といい続けていた。延べ130万人の警官を投入しながら解決できなかったというのに、自分の方針が間違っていたとも思っていない。まして、今のおかしな事件報道につながっている、メディアや一般人の目を生かすなど、思いも及ばないだろう。

 警察とは、もともと隠すのが商売。その口をこじ開けるのが記者の腕だった。しかし、近年の事件の公表経緯を見ていると、両者の信頼関係が崩壊して、記者はご用聞きになり下がっている。報道に生気がない。記事が面白くない。

 事件担当は辛いばかりだ。警視庁担当になった若手が、「もう2度とお目にかかることはないと思いますが」と笑わせたことがあったが、それはまた「花形」の証でもあった。それとて、相手が貝になってしまえば終わり。

 この状態に風穴を開け、警察を動かせるのはメディアだけである。何よりも信頼関係の回復だろう。そして、もっと筋の通った、開かれて生き生きとした事件報道を読みたいと思う。

2011年7月27日水曜日

地デジがいまもってわからない


 とうとう慣れ親しんだアナログテレビが消えて、地上波デジタルに移行した。例の「2000年問題」と同じで、過ぎてしまえば何のことはない。20万人ほどが、しばらくテレビが見られなくなったそうだが、テレビがなくてもそれほど困らないことが確認できて、かえっていいかもしれない。

 わが家は恥ずかしながら、家電量販店の安売り宣伝に乗った家人が、受像機だけは早くに地デジ対応にしてしまったので、スリルを味わうこともなかった。ただ、ひとつだけ頭を悩ませたのは、録画装置だった。ブルーレイだの何だのは、決して安くはない。そんなものまで強制されてたまるか。

 画像は素晴らしいというが、もともとメガネをかけてようやく見えているような目だから、たいした違いはない。ところがこれもJCOMが、当分はアナログ変換の画像を流してくれるとわかって問題解消。こんなことなら、テレビも古いままでよかったのに、と思ったが後の祭りである。

 この地デジというやつ、いまもってよくわからない。電波の有効利用のための国策で、総務相が2000億円、NHKと民放が中継局や機器の導入に1兆5000億円を投じたというが、それ以上に全国民に「テレビを買い替えろ」と強いたのだから、とんでもないことである。

 そもそもは、NHKと総務省の筋書きである。民放なぞは嫌々だった。そりゃあそうだ。投資額が半端じゃない。そのころNHKの研究所でデジタルの実験を見たことがある。民放からも来ていて、いろいろメリットを並べていた。「双方向になりますから、番組に視聴者が参加できます」という。

 「例えば?」「クイズに応募できます」「こんな大金をかけてクイズかよ」「‥‥」。その後地デジ化がどんどん進行しても、発想が深まることはなかった。肝心の電波の有効利用の方は、まだこれからなのだという。そのメリットとやらを、早いとこ見せてもらおうじゃないか。

 たしかに画像は鮮明で、データ放送だとかマルチ編成だとか、可能性がいろいろあるとはいう。しかし、大方の視聴者は「いまのままでいい」といっていたのだし、現に地デジになっても放送内容に大差はない。夜なんぞはどこを見てもバラエティーばかりで、大枚をはたいたメリットが見えてこない。現に、テレビの平均視聴時間は減っているというではないか。

 こんなものを訳もなく強制されて、よくまあ暴動を起こさないものだと、日本人の従順さにあらためて驚く。買い替えのために減税だの何だのと「国策」を振り回して、またそれに応えて家電量販店に人々は群がった。何と御しやすい国民だろう。

 新聞はみな社説で、「地デジ時代」に触れた。しかし、その内容を見ると、混乱を最小限にしたいとか、「電波の全体利用計画をわかりやすく」とか、新聞自体が地デジ化をよくわかっていないのがありありだ。

 また、地デジの楽しみ方の解説もあった。誰もが見てわかるのが画質だからこれはいいとして、データ放送はたしかに便利なものだが、はたして使える人がどれだけいるか。マルチ編成で3つの番組まで同時に見えるといったところで、聖徳太子じゃあるまいし。みんなテレビにそこまでを求めちゃいまい。

 多チャンネル化もひとつの売りだが、これは有料番組が増えるというお話だ。ほとんどが映画、スポーツ、娯楽だろう。代わりの手段はいくらでもある。さらにインターネットとの連動となると、わざわざテレビがやることか、といいたくなる。そのうちテレビにキーボードを、てなことになるのだろうか。そんなものだれが使うか。

 それよりも、アナログ停止で空いた電波をどう使うかだ。携帯端末向けのマルチメディア放送が来春スタートするという。が、それはもはやテレビの話ではあるまい。携帯の方が進歩しているのだ。その携帯用の周波数帯を広げるのが本来の目的であろう。

 そちらが公平に広がらないようだったら、みんなしてテレビを買い替えた意味がない。視聴者は口を出す権利を買ったようなものである。双方向性は、ここでこそ確保しないといけない。

 地デジ切り替えの前日や当日になって、家電の店にやってきた人たちが相当数あった。「最後は安くなるだろう」という思惑は、残念ながらはずれたらしい。また画面が見えなくなったあと、総務相のコールセンターに問い合わせが10万件もあった。こちらの多くはお年寄りだという。

 テレビニュースは、「間抜けな人たち」といった口調で伝えていたが、とんでもない、最後まで政府に踊らされなかった立派な人たちである。彼らがそこでひと騒動起こせば完璧だったのだが、惜しむらくは、騒ぎとは無縁な善良な日本人ばかりだったらしい。