2011年7月7日木曜日

政治家との距離感


 松本龍・復興担当相の辞任は、まさに身から出たサビ。それにしてもひどい発言だった。

 岩手の達増拓也知事には、「知恵を出さないヤツは助けない。そのくらいの気持ちを持て」。宮城の村井嘉浩知事には「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれは何もしないぞ。ちゃんとやれ、そういうのは」

 しかも遅れて部屋に入った村井知事に、「お客さんが来るときには、自分が入ってからお客さんを呼べ、いいか‥‥長幼の序がわかっている自衛隊なら(知事は自衛隊出身)そんなことやるぞ。わかった? しっかりやれよ」

 まだあった。今度は記者に向かって、「いまの最後の発言はオフレコです。いいですか。みなさんいいですか? 書いたらもうその社は終わりだから……」

 気になるのはメディアの伝え方だ。異様ともいえる命令口調には、記者たちもカチンときたのだろう。一斉に「放言」と伝えたのはいいが、最後の「オフレコです」を載せたのは、見たかぎりでは毎日だけ。ただ、「書いた社は終わり」はなかった。

 産経以外は各社概ね内容を伝えてはいたものの、いわゆる雑報であって、何より問題の「命令口調」が出ていなかった。「オフレコ」が半分は効いていたのか。ナマの言葉が出てきたのは、騒ぎが大きくなってからだ。

 ここで力があったのはテレビ映像だ。直接見てはいなが、東北放送が発言をそのまま流したのが皮切りだったらしい。それがYouTubeにのってネットで騒ぎになった。各局も流し出す。命令口調がそのまま。オフレコのところも、まるまる出た。

 それにしても、オフレコとはなめられたものである。松本氏は日頃それで通してきたのであろう。それを許してきた責任はメディアの側にある。生温い伝え方にそれが出ている。

 発言のその場で、「知事にその言い方は失礼でしょう」「書いたら終わりとは、どういうことだ」というべきだろう。これもメディアの役割のはずだ。もし、大臣といい合いになれば、それはそれで立派なニュースである。

 それをいわずにおいて、あとで「放言」とやんわり書いて、すったもんだ3日もかけて大臣の首を飛ばして、今度は辛口の論評をして、それでよしとするのか? だから傍観メディアといわれるのだ。怒りには瞬発力が要る。

 もし岩手の段階で、「大臣、あのいい方はきつ過ぎますよ」と声をかける記者がいたら、どうだったろう。宮城ではああはならなかったかも知れない。記者との距離をうまく保つのも、政治家の才覚のうちである。

 また記者にしても、政治家の失言やクビの話なんか書きたくはなかろう。それよりも仕事をしてくれ、まともな記事が書きたいと、そのはずである。ところがこのところの政治記事ときたら、そっちの話ばかり。「菅辞めろ」にしても、半分はメディアが騒いでいるようなものだ。被災地復興の足を引っ張っているのはだれなんだといいたくなる。

 オフレコについていうと、そもそもあれはルール違反である。自分の都合だけで勝手に網をかけて、すべて封じられると思うこと自体、思い上がりだ。いい悪いは別として、記者との間に一種の信頼関係がないと、オフレコも成り立たないものである。

 しかし、それが悪しき慣習として政界に蔓延してきたことは事実。そのために報道の辻褄が合わなくなった例は多い。09年3月、西松建設から小沢一郎氏への献金がらみで出た漆間巌官房副長官の発言なんか、まるでマンガだった。

 にもかかわらずその後も許してきたのは、報道の側である。この時は自民党だったが、それが民主党になっても続いてきたということだ。そんなだからなめられるのである。この罪は深い。

 松本氏は、復興相就任から、どこかトチ狂った風があった。会見にサングラス、「民主も自民も公明も嫌いだ」といってみたり。気持ちを問われて、ピーター・ポール&マリーの「ALL MY TRIALS(私の試練)」を持ち出して、「これで仕事に打ち込む。深読みできたら1万円」とナゾをかけた。

 若い記者たちは昔のトレンドなんか知る由もない。ところがフジの「とくダネ」でキャスターの小倉智昭が、聞いて即座に「もらえた」といった。彼は歌詞を諳んじていて、「All my trials, Lord, soon be overだよ」という。「私の世代はそれで育ったんだもん」

 歌詞の意味は「私の試練は間もなく終わる」というもので、大臣を引き受けたがすぐに終わる‥‥と読める。しかも、退任の会見では、カズオ・イシグロの著書を出して「NEVER LET ME GO(私を離さないで)」と口走っている。訳がわからない。

 彼は復興相就任を、政治キャリアに弾みをつけるチャンスと踏んだのかもしれない。ただ、地道に復興に取り組むのではなく、パフォーマンスに走ってドジを踏んだーーまあそんなところであろう。

 菅首相という、これまた歴史に名を残す千載一遇のチャンスを棒に振った男の下にいたのも、めぐりあわせなのであろう。菅という人もまた、新聞記者との距離がわからない人らしい。小沢氏もしかり。
 
 政治家は概ねメディアが嫌いだが、名を残した大物はみなメディアとの距離感を心得ていた。例外はない。

2011年7月2日土曜日

猿知恵メディアは要らない


 日本原子力研究開発機構が、福島原発から流出した放射性セシウム137の拡散状況をシミュレーションした。保安院発表をもとに、放出量を8450兆ベクレル(??)と仮定し、海流から1年後に4000キロ沖合、3年後にハワイ、5年後には米西海岸に達するが、結論を言うと、薄められて人体への影響はない、という内容だ。

 この報道が奇妙だった。産経は、「1年後の濃度は、核実験が繰り返された昭和30年代の3分の1」として、それが見出しになっている。毎日は、「半年後には過去のピーク時のレベル、7年後には10分の1」として、見出しは「海に拡散、濃度は低下」とだけ。

 また両紙とも、1年間汚染海域でとれた海産物を摂取した場合は、「年間1.8マイクロ・シーベルト」で、一般人の内部被曝限度量1㍉シーベルトの500分の1と書いている。ただ、これを「過去のピーク時(同1.7)とほぼ同じ」と書いたのは産経だけだった。

 他紙には載っていない。時事通信は、「5年後に米西海岸に到達。海水の放射能濃度を10%押し上げる」と。共同通信も「1年後には、50年前の3分の1、7年後には過去の汚染と見分けがつかなくなる」と、ともに短信並みだ。朝日はasahi.comだけ、それも時事電だった。どういう判断なのか、理解に苦しむ。

 同じ資料なのに、どこをつまむかで印象が大きく違う。いちばん「安全だ」と読めるのが産経で、毎日はほぼ同じ内容だが、見出しが弱い。テレビは知らないが、新聞各紙の関心は薄い。安全ならニュースではないのか。

 気仙沼で動き出したカツオをはじめ、魚介類の安全はいま最も関心が高いテーマだ。が、まだデータがない。水産庁の調査も、広い太平洋に点がひとつ、ふたつといったところだ。たとえシミュレーションでも、漁業関係者にも消費者にも明るい手がかりである。これを無視、軽視するとなれば、何か理由がありそうだ。

 「シミュレーションなんか」というのか。事故のあと、放射性物質拡散を予測したSPEEDIのシミュレーションをネグった結果をもう忘れたのか。それとも、原子力機構は「東電のお仲間だから」とでもいうのか。下手をすれば機構自体が危なくなるという状況下で、危険な賭けをするほど狡猾ではあるまい。では何だ?

 ひょっとして、50年前についての理解の差かな、と思ってしまう。産経はすでに、つくば市の気象研究所のデータをもとに、「いまの東京の土壌の放射線量は、1960年代初めと同じ」という記事を大きく載せている。これは60歳以上には覚えのあることで、まだ子どもだった50代でも、「雨に濡れると頭が禿げるぞ」といわれたのを覚えていよう。

 米ソの核実験競争の結果、地球の汚染はそれほどひどかったのである。しかし、これを字にしたのは産経と週刊誌の一部だけで、他の一般紙もテレビもほとんど触れていない。「東電を利する」と見られるのを恐れたのか? こういうのを猿知恵というのだ。

 いまの50歳以上の日本人は全員、いや世界中が、現在の関東・東北とそう変わらない汚染の元で一時期を生きたことは事実なのだ。冷戦下で情報は抑えられ、知識もなかったからパニックにもならず。また地球上どこにも、逃げていくところなんかなかったのである。

 その結果、ガンの発生率がどれだけ高くなったか、そんなことはだれにもわからない。これだけの歳月を経てもなお、放射能の人体への影響は、ほとんどわかっていない。基準値に幅があるのも、科学的根拠から直接導かれたものではないからだ。

 明らかなのは、ある時期全地球人がモルモット状態におかれて、その汚染下で生きた年代が、バタバタ死ぬどころか大方は元気で、寿命さえ伸びていることである。だから、福島原発の近辺はともかくとして、東京だのもっと西の地域までがうろたえる必要などないのだ。

 若い人たちは、人間の愚かさの実例として、この事実は知っておかないといけない。新聞は知らせないといけない。これを意図的に抑えるのは、結果的にパニックをあおったといわれても、仕方がなかろう。もっとも、恐ろしくて30キロ圏内に入っても行けないメディア自体が、すでにパニックだったといえなくもないが‥‥。

 どうも世論の流れに迎合して、記事を選んではいないかと気になる。これは、民放テレビではとうのむかしに始まっている。スポンサーもあるし、ある意味宿命みたいなものだ。しかし、もし新聞までがそうだとしたら、そんな新聞要らない。読みたくない。

 週刊ダイヤモンドのオンライン版に、群馬大が実測値から作成した放射能汚染地図が載った。地形図の等高線みたいに、等値線で描いているから、汚染の広がりと濃度が一目瞭然だ。ちょっと衝撃的ですらある。

 で、その記事がよかった。「新聞報道は、数字だけで要領をえない。新聞より雑誌のほうが役に立つ」と、他の週刊誌の例もひいていた。たしかに新聞の汚染地図は日々の数値を網羅しているが、読む方が考えないといけない。

 ITの時代だ。日々の放射線量の推移を、群馬大方式に置き換えることなどたやすいことだろう。頭を柔らかく、先入観なし、猿知恵なしに、伝えるべきものを見落とさないでもらいたいものだ。

2011年6月27日月曜日

やっぱり「哀史」だった


 「作業員69人所在不明」(21日付け各紙)という見出しを見たとき、「やっぱり哀史だ」と合点した。福島原発の事故のあと、大量動員された作業員のうちで、連絡が取れない、実在の名前かどうかすらわからない人数である。被曝の追跡調査でわかった。厚労省は「ずさんだ」といったが、こんなものとうに予想できたことである。

 第1原発だけで1万人以上もいたという記事を読んだ時、自分がいかに原発を知らなかったか、思い知った。原発といえば最先端技術と安全がイメージで、ボタン操作だから人間なんか少ないと思っていた。それが労働集約型だと?

 事情を知る友人に聞いたら、原子力でも火力でも、発電所とはそういうものだという。原発の場合は検査・点検がとくにやかましいから、むしろ人手が要ると。

 1万人超のうち東電の社員は1850人。関連・協力会社の社員が9500人(昨年7月)で、これらは一部技術者を除けば、大方単純労働の作業員だともわかってきた。彼らの劣悪な労働環境が部分的に漏れ伝わってきたからだ。防護服のままごろ寝。食事は日に2回でレトルト食品が主だ、などなど。

 未曾有の災害を受けた上に爆発まで起って、現場が大混乱であったことはわかる。現に先頃ようやく明らかにされた事故直後の作業メモも、それを裏付けた。しかし、作業していた人間がどうであったかは、けが人も出た(自衛隊員もいた)はずなのにまったく触れられていない。

 その後作業員はいわき港の帆船ホテルや湯本温泉などで休養をとるようになり、取材も入るようになった。しかし、常時500人とも800人ともいわれる作業員が、日々何をしているのかは一切公表されなかった。

 東京で東電の発表を聞いている記者たちは、これにほとんど無関心だった。作業員は、放射能の危険の中で原発の復旧作業に献身している「英雄」のイメージで止まったままだ。それも生身の人間としてではなくて、あくまで数字の上での存在だ。

 彼らの日当はよくわからないが、3万円とも十数万円ともいわれる。宿泊費も食費もかからないから、短期間でもかなりの金額を手にできる。しかし高い日当は被曝と、悪くいえば命と引き換えだ。おまけに被曝量は積算されるから、限度を超えたらもう働けない。

 そもそも年間の被曝限度が、事故の後それまでの100㍉シーベルト(mSv)から250mSvに引き上げられたのもよくわからない。高濃度汚染の中では、100mSvではたちまち限度に達して、人ぐりがつかなくなるというのだろうが、「非常事態」の一言にメディアまでが押し流されてしまった。

 被曝量の管理がずさんだというのは、さすがにいくつか報道された。線量計の数が足らないからと、線量計1個をグループで使ったり、付けなかったりもあったと。しかし、多くは健康管理面の追及が主眼で、原発を支えている労働集約の中身にまでは切り込んでいなかった。

 これを伝えたのは週刊誌などである。人集めの手段は人材派遣会社系と暴力団系があるとか、原発の人集めは2次、3次の下請けまであって、中にはホームレスまがいを集めてピンハネ‥‥これらはおそらく本当なのだ。今回出てきた「69人不明」は、この部分を暗示している。

 この件で朝日が伝えた作業員の話は怖い。「被曝情報がきちんと登録されるようになったのは5月くらいから。(69人は)初期の作業で高線量の被曝をした人たちではないか」「(原発での労働実態は)事故の前も今も変わらない」

 北朝鮮拉致被害者、蓮池薫さんの兄透さん(56)は東電の社員だった。実家が柏原刈羽原発から3キロ圏で、父の勧めで77年東電に入って09年まで在籍。最初の配属先が福島第1原発だった。のち本店に異動、また戻って通算で福島に6年余勤務した。新聞などに語った内容が、興味深い。

 作業員の実態は、下請けの複雑さから東電でもわからないという。名簿はあるが、リストだけのもので、どんな人なのかもわからない。これは町で電柱に登って作業している人たちも同じだという。確かなのは、原発では確実に被曝していること。

 東電の社員は「管理者」なので、原子炉に入ることはない。しかし蓮池さんは累積で100mSvは被曝しているという。事故以前の年間被曝限度だが、蓮池さんはこれを6年間に受けているわけだ。「事故ではなく、通常の作業でもこれだけになる」

 現場では、放射線を沢山あびると「女の子しか生まれない」という噂があった。蓮池さんは「子どもは3人だが、全員女の子」という。噂が本当かどうか、低線量の人体への影響なんて、まだだれにもわからない。

 蓮池さんはいま、作業員の被曝を心配している。が、東電は被曝データを公表しようとしない。東電にとって、彼らは使い捨て、将棋の駒。高い日当だけの関係だ。長年そうしてきて、これからもそうなのだろう。

 だれだって、英雄になんかなりたくはない。雇用関係から、選択の余地がなかった人も少なくないはずだ。69人は、そうした網からももれた人たちである。これこそが哀史の哀史たる所以だ。「何人被爆」と数字で伝えているかぎり、メディアもまた、同じ目で見ていることになる。

2011年6月20日月曜日

年寄りの冷やウイルス


 出版社にメールしたら、「ウイルスチェックに引っかかりましたよ。やられてませんか」と返信があった。聞けば、バイアグラかなにかの添付書類がくっついていたという。むろんそんなものに覚えはないから、「こいつはやられたか」となった。

 もともとマックだから、アンチウイルス・ソフトなんていうやっかいなものもなしで、無防備のまま10年以上になる。マックといえども100%安全というわけではないそうだが、ウイルスやワームのほとんどは、数の多いウインドウズが標的だから、とたかをくくっていた。

 この間。知り合いからのメールに、妙な添付書類がついていたこともあったし、「なんだろう」と突っついちゃったこともある。一度だけ、自分から自分へのスパムメールが出たことがあって、さすがに「ワームかな」と思ったりもしたのだが、結局何事も起らなかった。

 今回奇妙なのは、同じようにメールを出している他の人たちからは、何ら不都合の指摘がないことだ。マック使いの1人に聞いてみたが、なんともないという。彼は「念のために調べた方がいい」と、無料のウイルス駆除ソフトをダウンロードできるサイトを教えてくれた。

 懇切丁寧に、ダウンロードの仕方も解説してくれたが、こいつが何よりやっかいだ。文字列がゾロゾロと並んでいるのを、ああしろこうしろとある。見ただけでうんざりしていたら、追っかけてメールで、「ワームがみつかった」という。私が感染源という口ぶりだ。ただ、日付は3月11日で、その頃私のメールは出ていない。彼の受信記録でも、心当たりはないという。はて?

 とにかく最近のウイルスやワームは、一段と悪質になっているのだそうだ。訪問者の多いサイトの入り口に網を張って、訪問者に取り付いてもすぐに悪さをするでもなく、あるとき突然、サイバー攻撃の手先にされてしまったりするのだという。

 私みたいな年寄りは、もともと警戒心が薄いから、それでも気づかない。捜査の手が及んでも、「エーッ?」というばかり。テレビの報道で、そんなお年寄りを見たことがあった。が、そのときも「オレはマックだから大丈夫」と安心していたものだ。

 しかし、どうやら尻に火がついてきた。意を決してダウンロードをやってみると、な~にややこしいこともなくスラスラとダウンロードできて、文字列のお世話にもならずに、勝手にウイルススキャンを始めた。なんと便利なものよ。

 まず「デスクトップ」は大丈夫。ついで「書類」という文書と写真のファイルをやったが、これもセーフ。そこで、コンピューターを丸ごとやってみた。さすがにこれは20分以上もかかって、なにやらコトコトやっていたが、出てきた結果は「No infected files were found(汚染ファイルなし)」だった。なんのこっちゃ。

 この旨を友人に伝えると、彼もワームの元を突き止めていた。中国からのビジネスメールに取りついていたのを、プロバイダーに報告するつもりで隔離しておいたのだが、その後入院したりしてけろっと忘れていたのだという。「あなたの疑いは晴れました」だと。何をいうてけつかる。

 まあコンピューターとは便利なものである。ややこしい文字列なんかわからなくても、文章を書いて、メールして、写真を処理して、保存して、ニュースや専門サイトの情報も読める。お陰で年寄りでも、昔よりははるかにお手軽に知的な時間と空間を、つまり余生を長持ちさせることができる。考え出した人はたいしたものである。

 ところが、ひとたび予期せぬクラッシュやウイルスに見舞われると、もうお手上げだ。マニュアルを読んでも、何が何だかさっぱりわからない。あとは誰かに聞くしかないのだが、これがなかなか見つからない。マックとなれば、ますます少ない。

 考えてみれば、わたしのマックもすでに四代目で、二代目まではいまのに較べたらまあ、おもちゃみたいなもので、三代目はまだかろうじて動いてはいるものの、ソフトがもう時代に合わなくなった。

 ありがたいことに、件の友人はこの間ずっとトラブルシューターをつとめてくれている。そういう人が身近にいるだけでも幸運である。彼の話によると、救いの手を差し伸べる人も大勢いて、お助け情報はネットにちゃんとあるのだそうだ。

 今回お世話になったウイルス駆除ソフトも、そんな誰かが考え出したものだという。世の中よくしたものだ。こういう人にはノーベル賞をやりたいくらいのものだ。むろんウイルス野郎は死刑である。

 というわけで、勇んで出版社にこの旨のメールをした。ところが、このメールにも、「添付画像をブロックしました」とウイルス駆除ソフトの表示が出たという。話は振り出しに戻ってしまった。くそったれ。といって、どうしたらいいか。

 思案しながらも、添付で別のところへ原稿を送ったりしているのだが、何ともないらしい。何ともスッキリしないのだが、そんなわけですので、みなさん、わたしのメールにはご注意ください。

 ったく、ウイルス野郎は市中引き回しの上、獄門、磔り付けじゃあ。
^^^^^^^^^^
 と、ひと騒ぎしたあと、結局ウイルスはないことがわかりました。ご安心を。

2011年6月17日金曜日

首相の笑顔のわけは


 菅首相の笑顔はいつもとびきりである。本年度予算が通ったとき、フランスでのサミット、不信任案否決の翌朝の閣議、梅娘を迎えて‥‥「そんなに嬉しいの?」と聞きたくなるほどだ。苦笑いやシニカルな笑いはない。きっと根はいい人なんだろう。

 しかし、内閣不信任案をめぐる土壇場で、鳩山前首相のお人好しを手玉に取ったあたりは、相当なワルである。おまけに、退陣宣言とされた「一定のメドがついたら」を逆手にとって、半年先のことを口走ったから、与野党もメディアも収拾がつかなくなった。

 鳩山氏の「ペテン師」にも驚いたが、小沢グループの痛手も大きい。勇んで次の調整に乗り出した仙谷官房副長官も、もくろみが外れて赤っ恥をかいた。枝野官房長官も岡田幹事長らも、首相の後追いに精一杯だ。

 「いつ辞める」と聞いても、「辞めたいと思っていても、そんなことは公にしない。前の日に決断することだってある」というのだから、野党もどうしていいかわからない。自民は不信任のあとの支持率が下がって、さすがに世論が気になり始める。公明党も含めて、手詰まり間は否めない。

 「大連立だ」「次はだれだ」と型通りに先走りしたメディアも、前代未聞にはもろい。先が読めない。「こんな政治家見たことない」「恥ずかしい」など、与野党幹部の歯ぎしりを伝えるばかり。しかしこれ、小泉首相のときさんざん聞いた言葉ではなかったか。そういえば、2人の共通点は一匹狼である。

 逆に首相を励ましている亀井静香氏は、「腹を切らないというのに、介錯の話ばかり」とうまいことをいった。むろん、大連立なんかされたら、国民新党がかすんでしまうからのけん制だから、これもまたキツネとタヌキ。

 菅氏は不信任案否決の後、昔の市民運動の仲間を官邸に呼んで酒を飲み、「オレは辞めないぞ。任期は来年9月までだ」といっていたそうだ。これを仲間がペラペラしゃべると、織り込み済みだったか。だとしたら相当なものだが。

 そうしておいて、「1.5補正」といってみたり、震災復興基本法では、「復興担当大臣が必要だ」と内閣改造をほのめかしたり、15日には、再生エネルギー促進の集まりに出て、「菅の顔だけは見たくないって‥‥ホントに見たくないのか」と3度くりかえして、「それなら早いことこの法案を通した方がいいよ」とやって拍手喝采。全開の笑顔だった。

 この粘り腰に、日テレの「とくダネ」で小倉智昭が、「ボクらは菅さんのどこが悪いのかが見えない。がれきがどうとか、福島原発とか、菅さんの責任なのか他の人だったらどうなのか、よくわからない。きょうのニュースをみると、仮設住宅なんか意外に進んでいる」といいだした。

 たしかに「菅ではダメ」「菅がいなくなれば」という論理はよくわからない。小沢派の造反からいつのまにか、与野党、メディアこぞって「菅はダメ」が定着してしまった。そこで世論調査をすれば内閣支持率は落ちる、この繰り返しだ。大元はことごとに足を引っ張ってきた小沢派だろうに。

 いまの制度では、首相本人が「辞める」といわないかぎり、だれも辞めさせることはできないらしい。肝心なのは、被災地と原発をどうするかだ。これが動きさえすれば、首相なんか誰だっていいということだろう。ところが首相を動かす代わりに、あてのない首のすげかえとは、ますますわからない。

 菅氏は、政権をとったとたんに、中枢にいながら顔が見えなくなった不思議な人だ。国家戦略担当相でも財務相でも、何をしているのかが一向に見えなかった。それが首相になったとたんの参院選で、突然「消費税」とわめき出して、選挙はぼろ負け。これでますます顔が見えなくなった。

 政治家はとにもかくにも、「見出しになる言葉」をはかないといけない。失言ばかりが見出しになったのが、森、麻生両氏で、菅氏の場合は、「最小不幸社会」「消費税」のあとは「一定のメド」だから、まあ似たり寄ったりである。違うのは、東日本大震災という未曾有の危機をかかえていることだ。

 震災が起ったとき、被災者には申しわけないが、「これで菅氏は生き返るか」と思った。支持率も小沢派も参院のねじれもなにも、まとめて蹴散らすことができる事態だ。歴史に名を残す千載一遇のチャンスだったろう。

 しかし、彼はこれを生かせなかった。権力の使い方も官僚組織の生かし方もわかないまま、周囲を信頼せず、全てを抱え込んでしまった。国民の前に出てきて、語りかけなければいけないときに、姿が見えなくなった。日本の顔が見えなくなったのである。これだけでも首相失格だろう。

 それでも、ことが動いていればよかったが、それも見えなかった。不幸は、彼に親身になって進言する人間がいなかったことだ。彼が聞く耳をもたなかったことは、どうやら本当らしいが、怒鳴ってでもなぐってでも動かそうとしなかった与党幹部もまた、同罪ではないのか。あげくに首のすげ替え、というのは話が逆であろう。

 またそうした事情を熟知しながら、ただ傍観していたメディアの責任も問われるべきだと、わたしは思う。「もう菅を見限った」とは聞いていた。が、大震災を前にしてなお、永田町の論理に乗って「菅やめろ」とは。自分の国の危機、自分たちの政治ではないか。傍観していられること自体が、信じられない。

2011年6月11日土曜日

写真から見えてきたもの


 朝日新聞が7日朝刊で伝えた、岩手・山田湾の海底の写真は衝撃だった。父と娘らしい姿が写った写真が1枚、海草とがれきの中にポツンとある。別のカットでは、家が一軒丸ごと沈んでいた。ガラス障子がはまったままだ。

 津波による不明者を、いまも探しているNPOと一緒に、記者が潜ったルポだった。漁具がからんだ白いトラックもあった。陸から見れば、海は平らな姿に戻っていても、底では3月11日が、平和だった三陸の日常が、無惨に凍り付いていた。家の住人は、無事に逃げおおせただろうか。(写真の主の方は無事で、写真も手渡したと、今朝の紙面に出ていた)

 これがメディアの仕事である。どんなに人手を投じたって、大震災を丸ごと伝えるなんてできっこない。が、切り取った断片でいかに全体像に迫るか。アイデアをめぐらし、身体を張るしかない。写真はときに言葉より雄弁だが、この短い記事はNPOの存在にも触れていた。いい仕事だった。

 だが、同じ日の夕刊に載った4枚の写真には、戸惑った。福島第1原発での汚染水の浄化装置の設置作業が進んでいるという記事である。写真はいずれも東京電力提供とある。

 汚染水は、炉心と燃料プールへの注水と降雨で増え続け、あふれないようにと、タンクや貯水槽に移す作業が延々と続いている。最後は汚染を浄化した水を循環させて冷却すると、「収束の工程表」にもあった。それを読みながら、「そんな装置、どうやって作るんだ」と訝ったものだった。

 その装置の写真がドーンと出てきたのである。驚いた。撮影の日付はなかったが、ネット版で見ると、5月末から今月の初めである。もう装置はほとんど完成している。しかも、セシウム吸着と放射性物質沈殿装置は、ともにプラントといっていいくらいの大きさだ。防護服姿の作業員が写っているから、福島原発は間違いない。

 一体だれがこんなものを設計して、どこが作ったのか。そんな知識がどこにあった? 記事はもっぱら浄化プロセスの解説ばかりで、そうした一切の説明はない。まずは汚染水と油を分離して、セシウムなどを吸着、沈殿させて、最後は淡水化する。4つの装置だから、写真も4枚というわけだ。

 別の報道で、これらがフランスのアレバ社や米の会社のものだとあった。こんな大規模な浄化装置を必要とする事故はこれが始めてだから、新たに設計したのは間違いない。となると、話の始まりは3月に乗り込んできたアレバ社の女性CEOとサルコジ大統領か。

 あれは、ようやく消防での注水に成功して、外部電源が確保されたという段階で、メルトダウンの疑いはあったものの、格納容器の底が抜けてるなんて、だれも思わなかった。汚染水が報道されるのは、ずっと後である。

 しかし、プラントの出来具合からみれば、その段階から汚染水処理が動き出していたことは明らかだ。「工程表」もそれらの進捗状況を踏まえて作られたということであろう。わずか2ヶ月で、これだけのものを設計し、形にする技術力は確かにすごい。

 それはいいが、政府はこれをどこまで掌握していたのか。作ったのはどこで、組み立てたのはだれか。資材はいつごろ運び入れた? これらが計画段階から報道されなかったのはなぜ? 書いた記者は何も思わなかったのだろうか。

 原発の中でかなりのことが行われている、という感じはあった。海への汚染水の流出をブロックするためにと、突然巨大な鉄製のパネルが現れたとき、「いつの間にこんなものを?」と思ったのが最初だ。

 部外者が撮った映像に、多数の貯水タンクが並んでいるのが写っていたり。4号機の燃料プールに支柱を立てる、と発表したと思ったら、ピカピカの鉄柱の写真が出たり。突然、浄化装置が稼働しましたと発表される。

 この日記で、「原発の顔が見えない」「何百人もの作業員は何をしている?」と繰り返し書いてきたのは、そうしてちょろちょろと見える動きの奥を知りたかったからだ。4枚の写真と記事が、その答えというわけである。他のメディアにも、断片的には出てはいたが、これほどの装置とは思わなかった。

 これだけの大工事なら、まずは大量の資材が運び込まれる。それらを作ったのはどこなのか。しかも突貫工事だから、設計・施行の技術者から単純労働者まで、大変な人手が連日動員されていたはずだ。

 こんなことは、隠す話じゃない。が、東電は黙っていた。メディアは関連企業の取材すらしていなかったのだろう。おまけに放射能と立ち入り禁止で、原発への人とモノの出入りも人目に触れない。東電は楽勝だった。

 政府も知らなかったのか? もしそうだとしたら、大問題だろう。知っていたら? 情報の値打ちを理解できなかった鈍感さが問われてしかるべきだ。そして哀れなメディア。2ヶ月もかけた大工事を「ハイできました」と写真で見せられて、「よかったですね」では情けない。

 メディアもなめられたもんだ。全ては、原発に踏み込まなかったためである。朝日だけじゃない。原発の全容を見ようともせず、発表だけ書いているなんて、恥ずかしくはないのか。

 被災地報道には、この危機をともに生きているという意識がある。メディアの本領だ。が、福島原発にはそれがない。現場を踏んでいないからである。この落差にあらためてがく然とする。

2011年6月1日水曜日

カオは見えたが‥‥


 ようやく「顔」が見えた。福島原発1号機への海水注入をめぐるすったもんだで、話の核心にいたのは、吉田昌郎・原発所長(執行役員)だった。事故から70日以上もの間原発を仕切っていながら、メディアに登場しない思議な存在だった。

 東電は26日、やや唐突に「3月12日夜の海水注入に中断はなかった」と発表した。21日の統合対策本部の発表で、「午後7時25分ころから約55分間中断した」としていたものだ。中断させたのは菅首相だった、との報道が出て、騒ぎになっていた。それが一転、中断自体がなかったという。

 東電の説明はこうだ。12日午後の水素爆発のあと、すでに海水注入を始めていたところへ、官邸にいた東電の連絡担当者から「総理の了解がえられていない。実施できない空気だ」という連絡が入った。東電は福島とテレビ会議を開き、あいまいに中止と決めた。が、吉田所長は自分の判断で継続していた、というのだ。

 その理由を、原子炉の安全を優先させたという。なぜいまになって?に、吉田氏は、IAEA調査団のヒアリングを考えて、「正しい事実」を話すことにしたのだという。調査団は翌27日、現地に入った。

 あきれた。まるで関東軍ではないか。参謀本部(東電本社)はおろか政府、国民も眼中にない。それよりIAEAだというわけだ。おそらく注水継続は正しい判断だったろう。むしろ、首相の「イラ菅」ぶりにうろうろした本社の方がおかしいのは確かだ。しかし、国会まで巻き込んだ大騒ぎにも平気でいる神経には恐れ入る。

 福島と本社との齟齬をうかがわせるものはいくつもあった。最初の段階での「ベント」するかどうか、3号機の爆発のあとのごたごた、いずれも菅首相が登場するのだが、カギを握るのは福島だった。そして東京消防庁の放水の最中、吉田所長は本社の指示を無視して外部電源の復旧に成功した。

 このとき吉田氏は、「本社は何もわかってない」「かまわん、無視しろ」で押し切ったという。現場だけがもつ危機感と使命感だろうが、「ど素人の雑音なんか」という傲慢さもすけて見える。

 彼はまた、世間が原発をどう見ているかも眼中にないらしい。出てくるのは原子炉の話ばかり(それが何より緊急なのはわかるが)。「原子力村」の常識なのか、放射能が隠れ蓑なのか、何百人という作業員が日々なにをしているのかも、原発の全体像も全く見せなかった。所内が壊滅状態に近いことがわかったのは、2ヶ月以上も経ってからである。

 これがどれだけ、東京が、国民が、あるいは世界がことを理解し知恵を働かせる妨げになったか。印象を悪くしたか。しかし、メディアの多くはこの点に無頓着だった。福島が関東軍でいられたのも、メディアにしつこさが足らなかったからだ。

 今度の一件で、カオが見えてきたのがもう1人いる。他ならぬ菅首相だ。「ベントしろ」といったのも、海水注入の指示も、首相だということになっていたのが怪しくなってきた。化けの皮がはがれてきたのである。

 あらためてメディアが取材し直した結果(というのが悲しいが)、当夜の首相は、独断専行、聞く耳を持たない、周囲を信用しない、やたらどなりちらす‥‥断片的にいわれていた全てが本当だった。

 もともと不思議だった。専門家がずらりといながら、一刻も早い注水を首相に進言しなかったのかと。しかし、みなが覚えているのは、「聞いてないぞ」などというどなり声ばかりだ。その剣幕に東電がおびえたのも、わからないでもないが、福島にしてみれば「つきあいきれない」ということであろう。

 わかってみると、原子力安全委の班目委員長の「再臨界」発言にしても、首相をとりつくろう辻褄を合わせの作文で、統合対策本部がドジを踏んだもののようである。首相本人は、何にも知らなかっただろう。周囲はまた、これでどなられていたに違いない。

 なまじ理系で、原子力の知識があったというのが、不幸だったようだ。原発事故のあと、首相の注意は原発にいってしまい、震災救援の方は、自衛隊出動以外は、国よりも地方やボランティアの動きの方が早かった。おまけに、理系の割には理詰めでない。出たがり屋で思いつきで動くから、行政は振り回されるばかりで動き出せない。これの連続である。

 ドービルのサミットで菅首相は、「主役」といわれてご機嫌だったようだ。が、目玉のスピーチでぶちあげた「太陽光発電推進」を、海江田経産相が「聞いてない」というのでびっくりだ。ただちに外通が伝えたはずだから、首相のカオが世界からもも見えただろう。まったく困ったことだ。

 今回の騒動の発端は、安倍元首相のメルマガだった。「海水注入を中断させたのは菅首相だ」と意図的である。経産省筋から自民党への情報だったらしい。何とも生臭いことだが、結果的に、首相を救ったのは福島原発の吉田所長だった。皮肉というより、もうマンガである。