2012年5月22日火曜日

問われている本物度

 週刊誌の草分け「サンデー毎日」と「週刊朝日」が、卒寿を迎えたそうだ。毎日の企画を、朝日があわてて追いかけたのだと、天声人語が書いていた。張り合いは、大阪での「大毎」「大朝」以来だから100年以上になる。ライバルあればこそ、互いに磨かれた。

 両社のカラーの違いを、毎日出身でNHK会長だった阿部慎之助が、「朝日の編集局は小学校の職員室。毎日? ああ、あれは飯場だよ」といった(週刊朝日)ことがある。実にうまいいい方だった。それも、地方でも東京でも海外でも、職員室と飯場の違いがあるのだから驚く。

 いってみれば、毎日の記者は油断も隙もならない。なに、向こうも同じことをいうだろうが、少なくとも個性的で「オレが、オレが」が多かった。それが毎日の強みであり、スター記者を育てる風もあった。一方朝日は、全員がすぐ歯車になれる。記事に名前は出さない。スター記者も本多勝一氏以後はいない。自ずとそれがカラーの違いになる。大学を出るまでは一緒なのに、面白いものである。

 同じ一般紙でも違うのだから、媒体が違えば記者はもっと違う。社会部の書き手で、頭も筆もやわらかい男が週刊朝日に移ったら、目一杯やわらかく書いても、「まだ硬い」といわれたそうだ。同じ会社の新聞と週刊誌でそんなに違うのなら、出版社系の週刊誌やスポーツ新聞だったらもっと違うんだろう。

 面白かったのが、ロス保険金疑惑だ。テレビも週刊誌もスポーツ紙もそれでもちきり。日本中が知っているというのに、一般紙には一向に記事が出ない。朝日にはとうとう、「なぜ書かないか」という前代未聞の記事が出た。要するに、いくら取材しても「尻尾がつかめなかった」のである。

 だが、他のメディアは「疑い」「うわさ」だけでも書ける。放送できる。メディアの特性の違いを、これほどはっきりと実感した例はなかった。ただこの事件では、突っ走ったメディアの多くが、手痛いレッスンを受けることになった。

 拘留中の三浦和義氏(故人)が、印刷メディアを徹底的に読んで、片っ端から名誉毀損で訴えたのだ。結果、事件の本筋では「真実と信ずるに足る根拠」で通っても、彼の私生活や生い立ち、事件に直接関係のない記事では軒並みメディアが負けた。皮肉にも裁判が、「どこまで書けるか」を示す結果になった。

 とはいえ、これは名誉や人権の話である。メディアがインチキというわけではない。記者の感覚は大いに異なっても、それぞれに読者、視聴者をもっている、どれも必要なメディアだ。それぞれの特性の違いをはっきりと意識させた事件であった。

 そのメディアはいま、さらに多様化した。とりわけネットは、情報のスピードと利便性で、情報の流れすら変えてしまった。主としてここで活躍するフリーのジャーナリストたちは、既存メディアの記者たちより自由で、思い切った切り込みも可能だ。いわば新しい血である。

 ところが、既存のメディアは彼らを「鬼っ子」扱いだ。記者クラブにいれない。政府や企業が彼らを会見から閉め出しても、異を唱えない。看板や記者クラブに守られて、どうも勘違いをしているらしい。

 ジャーナリストは、どんな組織にいようと価値観が違おうと、最後は個人である。媒体のカラーによる違いはあっても、書くものが「本物」かどうかで決まる。フリーの記者は看板がないだけに、「本物」をかけて厳しい日々を生きている。書いたものを読み、行動や主張をみれば、本物度は一目でわかる。

 むしろこの1年余、それを疑われてきたのは、既存メディアの方である。福島原発報道では、天下に恥をさらした。国の規制を受け入れ、上空を飛ぶことも現地に入ることもしなかった。代わりに防護服を着て突っ込んだのは、フリーの記者たちだ。外国の記者までが入っている。恥を知れ、といいたい。

 政府のバリアも東電のカベも突き崩せなかった。「あの日(311日)何があったか」を書き始めたのが年末である。疑うことを知らないお人好し。ご用聞き。権力と戦うことも知らない。それが「老舗のジャーナリストでござい」とばかりに、フリーを差別してどうする。

 ジャーナリズムをなんだと思っているのか。クラブで発表を聞き、記者会見に出て、ネットで情報集めて上手にまとめて‥‥これではサラリーマンと大差ない。いや、サラリーマンには、儲かった損したと真剣勝負がある。大看板のジャーナリストには、それすらないのだ。

 情報とりはもっといかがわしいワザである。ネタは会見やネットには転がっていない。嫌がる相手に食らいつくのも、籠絡するのも、場合によっては脅すのもワザのうちだ。本当のニュースは人の口からしか出てこない。

 しかし、それを可能にするのは、権力に向き合う姿勢だ。反骨だ。怒りだ。そしてメディアとしての連帯感。もう長いことここにひびが入っている。だから権力は安泰だし、メディアはなめられる。ばかりか、フリーの側からも、不信感を突きつけられている。既存メディアは自ら、敵を増やしているのだ。本当の敵はそっちじゃない。

2012年5月8日火曜日

引退勧告とは痛快な


 小沢一郎氏の無罪判決は、大方の予想通りだった。起訴の根拠になっていた検察調書がインチキだったのだから、理の当然であろう。問われたのも、政治資金報告書の虚偽記載を、小沢氏が知っていたかどうか。いってみれば、どうでもいい話だ。国民が知りたいのはそんなことではない。

 それでも裁判は裁判、無罪は無罪だ。さっそく翌日から小沢氏は元気に野田内閣の攻撃を始め、新聞・テレビもそれを大きく伝える。「今後の政局は」「党員資格停止処分解除」と完全な「小沢ペース」だ。なかでたった1人、ずばり本筋に切り込んだのが、屋山太郎氏(写真)が産経の「正論」に書いた「小沢氏よ『無罪』を引退の花道に」だ。これは痛快だった。

 まずは不動産である。07年に13カ所もの小沢氏名義の不動産所有が問題になった時、「政治団体では登記できないために小沢名義にした。実際は陸山会のものである」という「確認書」を示した。今回裁判で問われた世田谷の土地も含まれる。

 ところが裁判では、「自己資金で買った」とすりかわった。あの「確認書」は何だった。うち6通は、あとから同じ日付で作られたものだ。そもそも13もの不動産をなぜ買いあさったのか、と屋山氏はたたみかけ、師匠の田中角栄氏を真似ているのだと断じた。角栄流は、政治は数、数は選挙、選挙は金、金は不動産から……で、そのまま小沢流である。

 まだある。「角栄氏は党のカネも自分のカネも使ったが、小沢氏は自分のカネを使わず、政党助成金を握って大派閥を形成した」。民主党はむろんのこと、解党した新進党の残り分も私物化した。公金で「党中党」を築いた。「人のふんどしで相撲をとった」とボロクソだ。

 マニフェスト、外交を例にあげて、民主党をつまずかせた「張本人は小沢氏」で、反省もせず野田氏を攻めるのは「恥知らず」ときめつけ、最後に「強く政界引退を勧めたい」と結んでいた。実にすっきり。いまの小沢氏には、これがいちばんふさわしい。

 とはいえ、これらはすでに表に出ている話である。なのになぜ、メディアも国会も押さないのかが解せない。どうせ尻尾はつかめまいということなのか。何か勘違いをしてはいないか。自ら追及して「恐れ入りました」といわせようなんて、とんだ心得違いだ。刑事責任は裁判所にまかせておけばいい。国会やメディアができることは、しゃべらせること、これに尽きる。

 しかし、屋山氏も書いているように、「自分に都合の悪いことは黙る」のが小沢流。国会喚問には、小沢派議員が防波堤になって抵抗する。周到なのだ。「恐れ入りました」がメディアの方では情けない。

 小沢氏をめぐる話の大元が、不動産とカネのいかがわしさにあることは、誰もが知っている。検察は「我こそは正義」とばかりに捜査に入り、いわばとば口の虚偽記載で秘書たちを起訴したが、肝心のカネの動きでは尻尾がつかめなかった。小沢氏本人は「嫌疑不十分」で不起訴になった。

 これを受けた検察審査会が起訴に持ち込むのだが、起訴判断資料になった秘書の証言がでっち上げだったのだから、ひどい話だ。検察はそれを知らん顔して見ていたわけだ。審査会もいい面の皮である。ただ、刑事責任では無罪とした判決も「いかがわしさ」に言及していた。道義的な責任はそのままである。

 なぜ政治資金で土地や建物を買った? 資金はどこから? 「確認書」とは何なのか。この大元こそ、国会が追及すべきことではないのか。道義責任で十分ではないか。内容の重さでいえば、裁判で争われた虚偽記載なぞ、屁みたいなものだ。

 団体では不動産登記できないということは、団体が持ってはいけないということだろう。そんなことをする国会議員はほかにいない。小沢氏がぽっくりいったら、主のいない政治団体の不動産はどうなる? 法的には小沢氏のものだ。税務署はどう見るかな? 国会の追及はこれで十分なのだ。

 アメリカなら、真っ当な説明ができないというだけで、議員は政治生命を絶たれるだろう。小沢流の「だんまり」は通用しない。あらためて、民主主義の深度の違いを感ずる。アメリカの有権者なら、小沢氏の行動を見逃しはしない。メディアだって黙ってはいまい。「臭いの元」にも突っ込めない日本メディアのふがいなさを、あらためて思う。

 いまのメディアにはなお「剛腕待望論」が根強いように見える。氏の実像を知らないのだ。彼の行政実務経験は、わずか8ヶ月の自治大臣だけ。直後に「若くして」自民党幹事長に抜擢され、自民党をおん出て以後は政局の人である。

 民主党のマニフェストだって、選挙目当てのバラマキだ。財務省を締め上げれば財源は出ると豪語していた。が、いざ政権に就いてみたら、そんな単純なものではなかった。これがいまの混乱のもとである。にもかかわらずなお「マニフェスト」と言い続けているおかしさを、メディアは書こうとしない。剛腕は、カネがなくては振るえないのである。

 いまのメディアを象徴する光景が記憶にある。参考人招致を問われた小沢氏が「三権分立をどう思っているの?」と逆襲した。質問した記者はこれで立往生。昔なら、他の記者から「三権分立だからできるんです」「刑事裁判に影響するとは、裁判官に失礼でしょう」「あなたこそ三権分立をどう思っているのか」と、声が飛んだことだろう。
 なぜ切り返せないのか。国民はちゃんと見ている。この方がはるかに怖いぞ。

2012年3月26日月曜日

足りないのは驚きと怒りだ


 菅首相(当時)が東電幹部を怒鳴っている映像があった、というので驚いた。福島原発の事故のあと、そこらじゅうで怒鳴りまくった「いら菅」ぶりは様々に伝えられているが、すべて文字で読むばかりだった。動く絵があったら大ニュースではないか。リーダーの資質を見る材料にもなる。ところが、話はストレートには出てこなかった。

 国会の事故調査委(14日)で、映像を見た委員の1人が、「菅総理が東電の幹部を前に10分以上非常に激しく演説されていた」と話した。東電には、本店と原発などとのテレビ会議の際には、録画するシステムがあったのだ。

 委員によると、原発2号機が危機的状況になった昨年3月15日未明、撤退をいいだした東京電力本社に乗込んだ菅首相(当時)が、幹部を怒鳴っているシーンだった。その最中に4号機の爆発があり、現地が動揺した様も写っていた。だが、奇妙なことに音声は入っていなかった。委員が「演説」という変ないい方をしたのもそのため。なにをいってるのかがわからない。

 東電はこれまで映像の存在を公表しておらず、委員会後の会見でも公表を拒んだ。そのせいか、翌日の新聞は、参考人として出席した武藤栄顧問(当時副社長)の証言を中心に、気のない報道ぶりだった。

 朝日は「事故対策の不備を陳謝」として、記事のあとの方で「無音声映像があったことが判明した」とだけ。読売も、東電が「全員撤退とはいっていない」という部分だけで、映像には触れず。毎日は、映像を中心に書いていながら、焦点は「4号機の爆発」の方においていた。

 問題のシーンについて武藤顧問は、「(菅首相は)大変激しい口調で、全員撤退はありえないと、厳しく叱責をされた」とだけで、言葉にはせず。公表を拒む東電に、記者団が「映像を見せろ」と迫る気迫もなかった。記者に驚きや怒りがなければ、ニュースもニュースにならないという典型である。

 奇妙なことだが、ストレートに「菅前首相の怒鳴り込みビデオあった」と報じたのは、日刊スポーツだった。委員会のやり取りでも、委員が「初動時のビデオがなく、菅氏の場面も音声がないのはなぜか」とただしたのに、武藤氏が「経緯は知らない」と答えたと書いている。何もわからなかったにしても、少なくともニュースのツボはつかんでいた。

 話が動いたのが、2日後だ。枝野経産相が閣議後の会見で、ビデオについて、「なぜ公開しないのか意味不明。東電は公開すべきだ」といってからである。テレビはさっそく、取材したまま眠っていた委員会の映像の中から、ビデオに関するやりとりを拾い出す。冒頭に引いた発言はテレビで見たものだ。それらを見ればだれだって「なぜ公表しない」「なぜ音声がないんだ」と思うのは当たり前だろう。

 少し遅れて業界紙の「電気新聞」が、おそらく東電から取材したのだろう、そのときの様子を伝えていた。それによると、菅首相は東電幹部に「逃げようとしたのは、お前か、お前か」とひとり1人を指差したという。東電はこれを通常通り録音していたが、「(首相の)同行者の1人が録音しないよう働きかけた」と、関係者が証言しているそうだ。

 だれがそんな余計なことをいったんだ? これだって、調べればすぐにわかることだ。それに、音はなくても、顔が写ってさえいれば、唇を読むことだって可能だ。それが明らかになって具合が悪いのは、東電だけではないのかもしれないが、メディアこぞってビデオそのものに関心がないのだから、話にならない。

 東電は公表しない理由を、「社内資料」「プライバシーに関わる」といっている。いまもってあの事故を「社内のこと」だと思っているわけだ。全ての元凶はここにある。

 福島で起こったことは、東電はもちろん政府の対応やその後の経緯も含めて、全ての国に細大漏らさず伝えねばならないものだった。地震や津波は想定外だとしても、電源喪失以降の経緯は、世界中の専門家に知らせるべきものだ。東電はこれがわかっていない。

 先に公表された民間事故調の報告でもっとも重要なのは、日米間で情報の共有ができなかったために、原子炉の状況判断から対処能力、避難区域の設定にまでそごをきたし、誤解さえまねいたとしている部分だ。すべて、東電の情報欠如が元である。ことと次第によっては、刑事告発されてもおかしくない。東電はそれがまったくわかっていない。

 ビデオには意味がある。声は聞こえなくても、一国の首相が凄まじい形相でののしっているのに、平然とデータを小出しにし続ける民間企業とは何なのか、を世界中が実感するだろう。またそれを容認している政府もメディアも理解されまい。この1年の日本がひどく幼い国にみえるに違いない。

 ビデオは突破口になる。おそらく初動のときのビデオがないというのもウソだろう。録画システムがありながら、肝心の時のやり取りだけがないというのは、どう考えても不自然だ。しかし、メディアが疑うことを知らないと、道は開けない。

 メディアの命は率直な驚きと怒りだ。そして疑り深くへそ曲がりでないといけない。ウソをつかれても怒らず、素直なご用聞きメディアなんか、犬に食われちまえ。

2012年3月24日土曜日

球団と新聞の区別もつかないとは


 日本テレビの朝のワイド「とくダネ」で、キャスターの小倉智昭が、「今日(15日)の朝日新聞を見た人は、スポーツ新聞かと思ったかも」といった。たしかに1面トップで、読売巨人軍が6人の選手に計36億円の契約を結んでいて、12球団が申し合わせた最高標準額を超えていたとある。

 いまのルールでは「1億円+出来高払い5000万円」である。04年に横浜と西武が当時の最高標準額(申し合わせ。金額は一緒)を越える契約をしていたことが、07年に明らかになって、大騒ぎの末に2球団はコミッショナーから厳重注意処分を受けて、さらに「最高標準額」もルールになった。

 これをたてに巨人は、朝日の取材に「ルールは07年1月にできた。それまでは球団の申し合わせで、ひとつの目安だった。6選手の話は、97年から04年度の間だ。だからルール違反ではない」と突っぱねていた。ま、モラルに目をつぶればばその通りである。

 ただ、朝日が「内部資料をもとに」と並べた金額は、モラルなんてものではなかった。阿部慎之助(2000年)10億円、野間口貴彦(04年)7億円、高橋由伸(97年)6億5000万円、上原浩治(98年)5億円、二岡智宏(98年)5億円、内海哲也(03年)2億5000万円である。

 巨人と金の話はいまいま始まったことではないし、ドラフトを札束でゆがめてきたことは、日本中が知っている。それでもこの金額には、だれもが絶句した。あらためて、高橋がヤクルト、上原は大リーグ、二岡は広島と報じられていたのが、どたんばでひっくり返ったあたりを、「やっぱり」と思い出す向きもあった。

 しかし面白いもので、怒り方は人それぞれだ。筋金入りの西武ファンである小倉のいいたいことは別のところにあった。
 「04年に横浜や西武があれだけ大きなニュースになって、西武なんか上層部が責任をとった。あれは何なの? 野間口も同じ04年ですよ。その時になんで巨人さん、バックアップしてくれなかったのよ。『ルールじゃないんだよ』と。そう思うじゃないですか」

 わたしの先輩になる朝日のOBは、別のことで怒っていた。「これがどうしてけしからんのか。記事を読む限り、巨人がいうようにルール違反ではない。それがどうして1面トップなんだ。朝日はいつからプロ野球の守護神になった?」

 で、わたしはというと、また別のところでひっかかった。朝日の取材を受けた巨人は、まだ記事も出ていないのに、報道機関に反論書を配った。「朝日はこういう取材をしているが」とご丁寧に朝日の質問書までつけていた。これはルール違反である。

 いや、別にきちっとしたルールがあるわけではないが、報道機関の取材内容を他の報道機関に見せるのは、信義にもとる。たとえあったとしても本来ウラ技であって、ファクスで堂々と流してしまっては、みもふたもない。

 またこれを受けて、読売(こちらは新聞)が巨人の反論と識者の談話などを派手に並べてみせた。朝日の記事と同じ15日の朝刊で反論という珍妙なことになった。報道機関としては、「朝日の記事を見てから」と巨人をたしなめるのが筋だろうに、一緒に熱くなっちゃった。明らかに勇み足である。もし朝日が掲載を遅らせていたら、ヨミの「裸踊り」になるところだ。

 まあこの辺りは、早番を届けるスパイが必ずいるから、お互いさま。わたしが担当だったら、早番でちょろっと顔を出しておいて、途中で引っ込めて、最終版でドカーンと遊んでやるところだが、いまの朝日にはへそ曲がりはいないらしい。

 どっちにしても、読売は新聞と球団の区別もつかないほど動揺していた。巨人は、朝日の取材資料配布で謝罪する一方で、朝日に抗議した。これを伝える読売もまた、資料の入手先や確認方法などを「本紙が朝日新聞にたずねた」などと、恥ずかし気もなく書く。大新聞どころか、政党新聞のレベルである。

 おまけに、朝日の記事の翌日には、先にナベツネこと渡辺恒雄氏とのあつれきで巨人の球団代表を辞めた、清武英利氏の暴露本が出た。これにも読売は、「球界から批判が噴出」などと書き、巨人はこれを伝えた共同通信と産経新聞に抗議する始末。

 文句をつけるにしても、朝日や清武本の内容を説明しないといけないのだから、かえって中身を吹聴する結果になった。なによりも、新聞が新聞に向かって、「ニュースソースを言え」なんて、まるで漫画だ。

 一方ナベツネはといえば、資料流出の犯人を清武氏と決めつけたうえに、「ドブネズミか泥棒ネコか」と警察沙汰にもしかねない口ぶりだ。この問題で世間が見ているのはそんなことじゃあるまいに。

 清武氏が代表になったのは04年。今回の著書はそれ以後の話だから、04年までを書いた朝日の内容とは時期が違う。ただ、なかに「過去の資料」について、「代表室の金庫にあったものを、社長室へもっていった」というくだりがある。これがかえって「怪しい」と見る向きもあるらしい。

 まあ、どっちでもいい。答えは出ているのだ。この大金が払われた8年間に、巨人はリーグ優勝3回、日本一は2回。その後の7年間は2回と1回だ。そのバカバカしさを数字で出しただけで、勝負ありである。

2012年3月13日火曜日

北方領土は人間ごといただこう


 ロシアのプーチン首相の大統領返り咲きが決まった。その選挙直前に行った日欧メディアとの会見では、北方領土問題を「最終決着させたい」といった。柔道になぞらえて、落としどころを「ひきわけ」、交渉には「はじめ」と日本語でいった。日本メディアは、朝日新聞の若宮敬文主筆だけだったから、彼に真っ向からボールを投げてきたわけだ。実に面白い。

 日ロ関係は、2010年11月のメドベージェフ大統領の北方領土訪問に、当時の菅首相が「許しがたい暴挙」とやったために、おかしくなったままだ。次の大統領が、この問題に何らかの腹づもりをもっていることを明らかにしたのだから、日本側もそのつもりになってしかるべきだろう。

 若宮氏は「最悪の関係を元に戻そうとしているのは明らか」「ボタンをかけ直せ」と前向きに受け取っていた。野田首相もプーチン氏へのお祝いの電話で、この問題解決への期待を表明したという。むろん一方で「だまされるな」といった論調も相変わらずある。

 北方領土問題が動かないのは、主として日本側が原則論を繰り返すばかりだからだ。19世紀の条約を持ち出す。終戦直後の占領は不法である。従って4島へのロシアの主権は認めない。返還は4島であるべきだーー理屈はその通りである。

 しかし、現実感覚というものがない。返還されたあとどうするのかのビジョンもない。菅発言はそれを端的に表していた。本気で返してほしいのなら、あのいい方はない。外務省のいう通りに紙でも読んだのだろう。困ったものだ。

 そもそも大統領を辺境の北方領土まで来させてしまったのは、日本側のミスである。戦後60年の歳月を無視して、オウムのように同じことを繰り返しているだけでは、解決の意志なしとみされても仕方がない。

 現に、朝日の「プーチン会見」が出た後でも、関係者のなかには「4島返還の原則を譲るくらいなら、いまのままでいた方がいい」などという発言まであった。要するに筋を通せ、土地を返せというだけだ。本当に北方領土を必要としているのか、と聞きたくなる。

 むしろ、現地の方が冷静だったように見える。菅発言後のぎくしゃくの中で、ビザなし交流20回目になる昨年は、ロシア側は7回で、若い人たちは日本語を勉強していたとか。日本からは9回で、前原元外相もいた。報道陣は、例年より多くが入ったようだ。

 彼らは、建物の建設が進んだり、北朝鮮の労働者がいたなど、明らかに大統領訪問で動き出した現地を伝えた。そして異口同音に「道路が舗装されていた」と驚いていた。それまで舗装道路ひとつなかった、ロシアでもおそらく最も取り残された地である。

 しかしその地でロシア人はすでに、66年の歴史を持つ。ソ連の占領がいかに理不尽であれ、そこで生まれた人にはもう孫がいる。彼らにはかけがえのない故郷だ。ひるがえって、北方領土を「故郷だ」といえる日本人がいまどれだけいるか。この現実を見ずに、「不法占拠だ」「4島が筋だ」と100年叫んだところで、島が還って来るはずがない。

 その頃、朝日のモスクワ特派員が「現島民のことも考えて」と書いた。「実際にいま住んでいるのはロシア人だ。私たちと同じように、生活や人生、家族や仲間がある。大統領の訪問を『暴挙』と切り捨てるだけでは‥‥あんまりな気がする」

 カギのひとつは、宮沢政権が92年にエリツィン政権に伝えたメッセージだと、記者はいう。「北方領土に居住するロシア国民の人権、利益、希望は返還後も十分に尊重していく」というのがそれだ。これは人間の話。「2島だ」「4島だ」は土地の話である。人間の話に日本側がどこまで本気か、ここであろう。

 しばらく前の朝日新聞の投書欄にも、北方領土返還は「暮らす視点から」というのがあった。「日本には復帰のビジョンがない。ロシア人と日本人が共に暮らす形での解決が望ましい」といっていた。この問題で一般の人の意見は珍しいが、的は突いていた。

 一歩踏み込んで、島民に「あなた方はそのままでいいんですよ。在日朝鮮・韓国人と同じです」といったらどうだろう。彼らの生活も歴史もひっくるめて、引き受けますよと。さらに、4島の未来図を見せないといけない。どんな島にするのか。

 2島だっていい。日本人が入れば、彼らの「故郷」は変わる。辺境の地ではなくなる。しかも、ロシア人がロシア国籍のまま、日本の連絡船で釧路から札幌、東京に自由に行けるのだとしたら? あとの2島のロシア人はどう見るか。最後は、現に住んでいるロシア人が決めるだろう。

 プーチン首相がいった「ひきわけ」には、自ら手がけた大ウスリー島などの国境解決が頭にある。「あれだけ時間をかけてもひきわけ」といったらしい。かの地は、中ロ両国を結ぶいわばメインストリートである。利害もイーブンだろう。しかし、北方領土は違う。

 圧倒的に地の利は日本にある。ロシアである限り辺境の辺境だが、日本になれば釧路は目と鼻の先だ。ロシア人にとっても目と鼻である。むろん話は簡単ではないが、少なくともこれまでとは違うボールを投げ返さないと、ことは動かない。「ボタンのかけ直し」どころではない、発想の転換が必要になる。

2012年2月28日火曜日

賞味期限伸ばしに手を貸すな


 いや驚いた。23日の朝日新聞1面に小沢一郎氏の大きな写真と「インタビュー」である。しかもご丁寧に「あすの朝刊に詳報」ときた。その「詳報」は、オピニオン面をドカンと埋めていた。彼が紙面に「囲み」で出るのは、10日余の間に4回である。朝日はどうかしちゃったか?

 小沢氏は、世の中乱れると決まって元気になる。「消費増税」では与野党とも賛否が分かれたから、まさに絶好というのだろう。あちこちで激しく野田政権を攻撃して、「倒閣に動き出した」とまでいわれている。

 また、小沢氏が被告になっている政治資金規制法違反の証拠採否で東京地裁が17日、元秘書で衆院議員の石川知裕氏の調書を証拠採用しなかった。検察官役の指定弁護士にしてみれば、「小沢氏関与」立証の大きな柱を失った。小沢氏には追い風だ。

 さっそく翌18日には鹿児島で、「正しいことを貫く政治家が少ない」などと語っているのだから恐れ入る。この場には鳩山由紀夫元首相もいて、「消費増税」に「ノー」といっていた。選挙が念頭にあるとはいえ、とても同じ政党の人間とは思えない。

 消費税では一昨年の参院選でもそうだった。当時の菅首相が突然「消費税」といい出して党内が困惑しているとき、小沢氏は自分の子飼の選挙区を回っては、「消費税は上げません」とやっていた。それをまた、テレビが流す。そんな政党だれが信用するか。案の定選挙は惨敗で、参院のねじれを作ってしまう。

 するとまた、小沢氏は元気になった。さすがに代表選には出なかったが、ことごとく菅内閣の足を引っ張って、長い長い「菅おろし」を展開する。陸山会の土地取得問題で強制起訴され、さらに東日本大震災が起って、いっときはなりをひそめたが、菅首相の災害対策がまずいと見ると、小沢グループが動き出した。その後のすったもんだはご存知の通り。

 小沢氏の誤算は、代表選で野田氏に破れたことだった。絶対に勝てるはずが、「どじょう」のひとことでひっくり返る。まさに天の配剤だったのだろうが、小沢氏の存在は相変わらず、民主党の機能不全のもとになっている。「消費増税」をテコに今度こそは、と思っているのだろうか。

 まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも,これを報ずるメディアの方だ。この間実にていねいに小沢氏の動向を字にしている。最近では「小沢一郎政治塾」(13日)。ほとんど内容もないのに各紙とも格好をつけている。前述の鹿児島も必要のない記事だ。朝日はおまけに単独インタビューときた。

 小沢氏が政局のひとつの目であるのは確かだが,いってることは消費増税反対とマニフェストを守れ、それ以外は政局だ。マニフェストがとても守れないことは,国民の方が知っている。消費税論議でも、有権者はかなり考えたうえでの賛否になっている。

 それ以上に、小沢グループが、民主党混乱の元凶であることもわかっている。ところが,彼らが何をしているのかが全く見えない。未曾有の震災でも、小沢氏をはじめ彼らが知恵を出したり汗を流したという話は皆無だ。

 数では党内最大とはいえ、その大部分はチルドレン。その一年生議員に「君らの仕事は次の選挙で勝つこと」とぶったのが、小沢氏だ。メディアはそれをそのまま伝えて、恥ずかしいとも思わない。有権者に聞けば、「世界一高い歳費をもらっていながら、そんな議員要らない」というだろう。

 派内には人材もいない。送り込む大臣は問題続出で、これまた政府の足を引っ張っているのだが、そんなことは知らん顔。おまけに彼は被告の身だが、裁判でカギとなる証拠が不採用になったことで、またぞろ元気になってきた。

 消費増税法案の提出をめぐっては、「不信任案に同調も」という脅しをちらつかせる。「党を割ったら民主党は終わり」「だから解散はあるまい」という読みである。ところがどっこい「どじょう」宰相の「不退転」は,どうやら本気。「小沢グループを切ってでも」という読みが出てきた。となるとこれは面白いチキンレースだ。

 不信任案に賛成して、グループが除名を食らったところで解散となったら、チルドレンは丸裸で選挙戦に放り出される。実績も名前もない彼らがどうなるかは火を見るより明らかだ。チルドレンだってバカじゃない。どこまで親分についていくか。民主党だって,小沢一派がいなくなったらすっきりする。

 それに選挙となれば、焦点は大阪、名古屋方面の動きになろう。自民党を見限って政権交代をさせた民意は、いまや民主党をも見限っている。「強いリーダーを」という声が求めているのは、小沢流の「剛腕」ではあるまい。小沢氏も彼の政治手法ももはや賞味期限切れなのである。

 にもかかわらず、報道が小沢氏にかくも手厚いのはなぜか。それも朝日がなぜこれほどまでに?

 「いった通りを書け」「質問も論評も要らない」――これが小沢流である。発言垂れ流しの「ニコニコ動画」が大好きなのはそのためだ。朝日が単独インタビューできたのは、「その通り書きます」と約束したからだろう。「ニコニコ動画」になったわけだ。いってみれば、賞味期限伸ばしに手を貸しているようなもの。有権者はバカじゃないぞ。

2012年2月3日金曜日

ニュースのお値段


 朝日新聞の電子版「アサヒコム」が「朝日新聞デジタル」に統合された。正月に「デジタルで1年間の検索が可能になりました」とあったので、「やっと気がついたか」と思ったのだが、どうやら違った。むしろ有料化が一歩進んだようだ。

 昨年5月にスタートした「朝日新聞デジタル」はいま、契約者が6万人という。しかしそのほとんどが紙との併読で、年齢層も40-50歳だそうだ。この年齢を下げるべく努力しているというが、これは至難のワザだろう。30歳以下は、子どもの頃からPCとネットがあって、「ネットの情報はタダ」が当たり前だ。

 朝日は「ネットでも価値ある情報は有料で」と主張するが、いまひとつ説得力に欠ける。全部HPに出ている官庁の発表が、有料ページに出ているというバカな話。ナマの発言まで見られるテレビのサイトや、紙面そのものが読める新聞サイトもあるというのに、同じニュースに金を払えといっても、若者が寄りつくはずがあるまい。

 統合された後、「デジタル」の記事は,紙面でいう前書きだけになってしまった。つづきを読みたい人は「ログイン」画面に誘導されてしまう。大方はそこで、別のソースを探しにかかるはずである。同じ記事はどこかに無料であるからだ。

 冒頭「気がついたか」といったのはこのことである。googleなどでニュース検索をすると、産経、毎日などに較べ朝日の記事は極端に少ない。ニュースサイトへの提供もなく,リストから消えるのも早い(役に立たないからすぐ下位になってしまう)。ネットでは、朝日はほとんど存在しないも同然なのだ。このマイナスをわかっているのだろうか。

 こうした課金モデルで押しているのは日経と朝日だ。これまでの「アサヒコム」はCMモデルというらしい。つまりは宣伝。タダが基本だが、深い検索は有料という考えだったが、「朝日デジタル」1本になった。他の新聞は概ねCMモデルで、ネットのニュースサイトへも提供するなど無料の幅が大きく、それがネット検索での差に出ている。

 これらも春にはほぼ一斉にスマホ向けの有料化に動くようだが、カギはやはり料金だろう。「朝デジ」式に新聞購読料に近い値段だと、たちまちカベにぶつかるはずだ。「朝デジ」の契約数と内容がそれを裏付けている。

 読者が求めているのは、スマホやタブレットで読める新聞そのものなのである。動画でもなければデジタル独自のコンテンツでもない。玉石混淆のネットの世界だからこそ、新聞情報は信頼性で最後のよりどころになる。できれば連載も読みたい、評論も読みたい。

 さて、そこでいくらまでなら払う気になるかだ。「朝デジ」は新聞との併読で月1000円だが、新聞とほぼ同じものに金を払うのは、外出している間に携帯端末で読もうということだろう。これに1000円は高くはないか。これがもし、500円、300円だったらどうか。話はがらりと変わるのではないか。

 ましてネットだけの契約は3800円と、ほぼ新聞購読料と同じだ。これは日経でも、一部雑誌でも似たような値付けである。多分横を見ら見ながらの設定だが、ネットの常識からは、いかにも高い。投資したのだから、はわかるが、読んでくれなければ始まらない。「価値ある情報?」。笑わせるな。そんなもの年に何回もあるものか。

 朝日の収益は、90%近くが紙の新聞による。この割合をなんとか下げたいと、四半世紀も前から様々なことをやった。が、何ひとつ成功しなかった。逆にいえば、新聞がいかに強いかである。読者の信頼も紙にあり、記者も紙から育つ。

 新戦略は「紙とデジタルの融合」だという。4-50人の「デジタル編集部」を立ち上げて、独自の記事も出るというから、新しい媒体を立ち上げるということである。しかし、採算に乗るには「5年か10年」と気の長い話だ。

 電子版のそもそもは、取材記者のための社内の記事検索システムである。デジタル編集で朝日は1歩も2歩も、いや世界でも先端をいっていた。インターネットになって、その記事データを利用して始まったのが「アサヒコム」だ。これはぶっちぎりで新時代を開くと大いに期待されたものだった。

 安い値段で古い記事の検索ができれば、朝日のアーカイブスは,日本はおろか世界からも利用されるだろうと思ったものだ。しかしそうはならなかった。高い利用料金が立ちはだかったのである。

 一度、昔書いた記事を検索しようとしたことがある。料金はなんと1本80円だった。「バカヤロウ。オレの記事はそんなに高くねぇや」。そもそもを間違えたのである。ネットの効用を理解できなかった。理解していれば、googleになっていただろう。

 確かに経費はかかる。デジタル検索をするには、キーワードの設定だけでも、大変な人手が要る。機器やシステムの整備にも金はかかる。だが、それを利用料で回収しようとすること自体が間違いである。むしろ純然たるCMモデルでよかった。これ以上のCM効果が他にあるものか。

 とはいえ、もしこれが1本10円だったら? 20円だったら? ポイントはここだ。「朝デジ」も同じである。ネットは「タダ」が常識の世界。なれば「タダ」にどこまで近づけられるか。たとえ有料にしても、そこが勝負どころだろう。

 紙の新聞のデジタルデータは日々蓄積する。そのアーカイブスこそが値打ちなのである。CMモデルで,まずは利用者を増やすこと。ソロバン勘定や新たな城作りなぞは,読者が増えてから考えればいい。