2012年3月26日月曜日

足りないのは驚きと怒りだ


 菅首相(当時)が東電幹部を怒鳴っている映像があった、というので驚いた。福島原発の事故のあと、そこらじゅうで怒鳴りまくった「いら菅」ぶりは様々に伝えられているが、すべて文字で読むばかりだった。動く絵があったら大ニュースではないか。リーダーの資質を見る材料にもなる。ところが、話はストレートには出てこなかった。

 国会の事故調査委(14日)で、映像を見た委員の1人が、「菅総理が東電の幹部を前に10分以上非常に激しく演説されていた」と話した。東電には、本店と原発などとのテレビ会議の際には、録画するシステムがあったのだ。

 委員によると、原発2号機が危機的状況になった昨年3月15日未明、撤退をいいだした東京電力本社に乗込んだ菅首相(当時)が、幹部を怒鳴っているシーンだった。その最中に4号機の爆発があり、現地が動揺した様も写っていた。だが、奇妙なことに音声は入っていなかった。委員が「演説」という変ないい方をしたのもそのため。なにをいってるのかがわからない。

 東電はこれまで映像の存在を公表しておらず、委員会後の会見でも公表を拒んだ。そのせいか、翌日の新聞は、参考人として出席した武藤栄顧問(当時副社長)の証言を中心に、気のない報道ぶりだった。

 朝日は「事故対策の不備を陳謝」として、記事のあとの方で「無音声映像があったことが判明した」とだけ。読売も、東電が「全員撤退とはいっていない」という部分だけで、映像には触れず。毎日は、映像を中心に書いていながら、焦点は「4号機の爆発」の方においていた。

 問題のシーンについて武藤顧問は、「(菅首相は)大変激しい口調で、全員撤退はありえないと、厳しく叱責をされた」とだけで、言葉にはせず。公表を拒む東電に、記者団が「映像を見せろ」と迫る気迫もなかった。記者に驚きや怒りがなければ、ニュースもニュースにならないという典型である。

 奇妙なことだが、ストレートに「菅前首相の怒鳴り込みビデオあった」と報じたのは、日刊スポーツだった。委員会のやり取りでも、委員が「初動時のビデオがなく、菅氏の場面も音声がないのはなぜか」とただしたのに、武藤氏が「経緯は知らない」と答えたと書いている。何もわからなかったにしても、少なくともニュースのツボはつかんでいた。

 話が動いたのが、2日後だ。枝野経産相が閣議後の会見で、ビデオについて、「なぜ公開しないのか意味不明。東電は公開すべきだ」といってからである。テレビはさっそく、取材したまま眠っていた委員会の映像の中から、ビデオに関するやりとりを拾い出す。冒頭に引いた発言はテレビで見たものだ。それらを見ればだれだって「なぜ公表しない」「なぜ音声がないんだ」と思うのは当たり前だろう。

 少し遅れて業界紙の「電気新聞」が、おそらく東電から取材したのだろう、そのときの様子を伝えていた。それによると、菅首相は東電幹部に「逃げようとしたのは、お前か、お前か」とひとり1人を指差したという。東電はこれを通常通り録音していたが、「(首相の)同行者の1人が録音しないよう働きかけた」と、関係者が証言しているそうだ。

 だれがそんな余計なことをいったんだ? これだって、調べればすぐにわかることだ。それに、音はなくても、顔が写ってさえいれば、唇を読むことだって可能だ。それが明らかになって具合が悪いのは、東電だけではないのかもしれないが、メディアこぞってビデオそのものに関心がないのだから、話にならない。

 東電は公表しない理由を、「社内資料」「プライバシーに関わる」といっている。いまもってあの事故を「社内のこと」だと思っているわけだ。全ての元凶はここにある。

 福島で起こったことは、東電はもちろん政府の対応やその後の経緯も含めて、全ての国に細大漏らさず伝えねばならないものだった。地震や津波は想定外だとしても、電源喪失以降の経緯は、世界中の専門家に知らせるべきものだ。東電はこれがわかっていない。

 先に公表された民間事故調の報告でもっとも重要なのは、日米間で情報の共有ができなかったために、原子炉の状況判断から対処能力、避難区域の設定にまでそごをきたし、誤解さえまねいたとしている部分だ。すべて、東電の情報欠如が元である。ことと次第によっては、刑事告発されてもおかしくない。東電はそれがまったくわかっていない。

 ビデオには意味がある。声は聞こえなくても、一国の首相が凄まじい形相でののしっているのに、平然とデータを小出しにし続ける民間企業とは何なのか、を世界中が実感するだろう。またそれを容認している政府もメディアも理解されまい。この1年の日本がひどく幼い国にみえるに違いない。

 ビデオは突破口になる。おそらく初動のときのビデオがないというのもウソだろう。録画システムがありながら、肝心の時のやり取りだけがないというのは、どう考えても不自然だ。しかし、メディアが疑うことを知らないと、道は開けない。

 メディアの命は率直な驚きと怒りだ。そして疑り深くへそ曲がりでないといけない。ウソをつかれても怒らず、素直なご用聞きメディアなんか、犬に食われちまえ。

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