2011年2月8日火曜日

だれのための「太平洋戦争」?


 テレビに突然、「太平洋戦争」という巨大な文字が出た。朝日新聞がDVDを出すというCMだった。みな動く映像だ。「真珠湾攻撃」「学徒出陣」「戦場で笑顔を見せる兵士たち」「沖縄戦で震えている子ども」‥‥そして「詳しくは今日の朝刊で」

 その1月31日の紙面は、別刷り4ページの広告だった。戦艦大和の見開き写真に、「貴重な実録映像集」「命を懸けた攻防のすべてが明らかになる」などなど。長い戦争のうち、満州事変からガダルカナルあたりまでの第一集全5巻だから、まだ二集以降がある。「総合監修・半藤一利」とある。

 しかし、その内容は「作戦内容から戦闘まで詳細に」「戦地での実態がありあり」「今こそ語り継ぎたい戦争の記憶」‥‥最後のページに「これが戦争の悲惨さです」というのが、なにやら付け足しのようなつくりだ。

 はて、これが朝日新聞かよ。まあ、朝日がやることだし、監修が半藤一利氏なら、押さえるところは押さえてあるだろう。しかし、紙面を見ているうちに、だんだん心配になってきた。

 この広告を見た人たちはおそらく、朝日新聞がもっていた映像を出してきた、と思うだろう。しかし、朝日にそんな動画なんかない。スチル写真ですら、米軍に渡してなるものかと、終戦直後にすべて廃棄してしまっている。これは同盟通信も読売報知も同じ。東京新聞は空襲で丸焼け。隠し通したのは毎日新聞だけである。

 DVDの記録を売るのに、こんなにも派手なテレビCMをやったことがあったか? だいいち、なぜいま太平洋戦争なんだ? 別刷りには、朝日購読者に記念特典付きというハガキがついていて、宛先はユーキャンだった。あらためて探すと、「朝日新聞」の題字下、「保存版・商品広告特集」の下に小さく、「ユーキャン」とあった。ああ、そういうことか。

 これを発案したのも、作ったのも、また解説やナレーションを書いたのも、戦争を知らない世代。映像だって、商業的にかき集めたものであろう。朝日はこの企画の中身にどこまでかかわっていたのだろうか。

 近現代史に限らず、歴史の理解は、どの本を読んだか、誰の話を聞いたかで、決まってしまう。ナマの映像にウソはない。が、解説の仕方ひとつであらぬ方へいってしまう可能性は常にある。ここでの頼りは、半藤一利氏たった1人ということか? 

 こうしたものを買う人たちは誰かを考えたとき、真っ先に浮かぶのは、九段の昭和館で戦争映像をみている人たちだ。昭和館は厚労省所管のアーカイブズである。戦争に限らず、昭和のあらゆるものがあるが、その5階に映像資料室がある。やや時代遅れのブラウン管の画像閲覧システムがあって、休日にはけっこうな数の人たちが利用している。

 私はスチル画像をよく利用する(無料で印刷物に載せられる)のだが、ほかにスチルを利用している人は見たことがない。みな動画だ。それとなく内容を見ていると、大方は支那事変から太平洋戦争あたりのニュース映画、米軍提供の戦場記録である。

 老人ばかりかと思うとそうではない、若い人もいるし、時には幼い子どもを連れた人もいる。個別のボックスで、音はイヤホンで聞くのだから、大部屋の中は静かなまま。だが、見ている映像が映像だ。それは異様な光景である。いったいどんな人たちなのだろうと、いつも思う。

 いうまでもなく、すぐお隣は靖国神社だ。遊就館の展示は、「自衛戦争」で塗り固められているが、驚くほど若者の数が多い。彼らはおそらく、展示物につけられた勇ましいキャプションを歴史だと思っているだろう。小林としのりが歴史だと。

 歴史は、何が書いてあるかよりも、「何が書かれてないか」が肝心だ。「書かない」ことで、危うい歴史観を再生産している人たちがいる。例の空自参謀長は、いまやすっかり有名人で、全国を講演して歩いてメシが食えているらしい。彼は戦争を知らない世代だ。聴衆の大部分もまたしかり。それらが何かを共有している様を思い浮かべると、やはり背筋が寒くなる。

 このDVDはそうした人たちが買うのだろうか。別刷り広告の見出しは、その筋の人たちに訴えるような、危ない表現があふれている。中身も見ずに乱暴は承知の上だが、見出しは中身を表す。言葉は怖い。同じ言葉が全く違う意味で語られるのをどれだけ見てきたことか。

 野坂昭如氏が何年か前の雑誌に、「もっと書いておくべきだった」と書いていた。あれだけ書いた男でもそう思うのである。それほど世の中「知らない人間」ばかりになってしまった。人口の3分の2が戦争を知らないのだ。

 まさか朝日が、そうした怪しげな歴史観の再生産に手を貸すなどと、思いたくはない。杞憂であればいい。半藤氏の名前がダシに使われていないことを祈るばかりである。

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