2011年2月2日水曜日

トレーニングが必要なのは?


 全豪オープンで、シャラポワやウォズニアッキが記者団に毒づいたという。一方評判のいいのがクルム伊達公子で、何を聞いても平然としていて、記者の1人は「メディア・トレーニングのたまもの」といったそうだ。

 「メディア・トレーニング」とは面白いいい方だ。確かに伊達の会見での受け答えは、日本人離れしている。かつてはメディア嫌いだったらしいが、一度引退してゼロからのスタートで、雑念がなくなったのか。「結婚生活は?」という嫌な質問にも平然と向き合う。なによりも自分の言葉で語っている。

 日本のスポーツ選手の言葉はとかく単調だ。一番多いのが「嬉しく思います」「がんばりますので、応援よろしくお願いします」というヤツだ。「嬉しく思います」は、いまやすっかり日本語になったが、初めて聞いた時は本当にびっくりした。

 もうずいぶん前である。オリンピックか何かで勝った選手がインタビューで口にした。これ日本語としては実に奇妙ないい方で、びっくりしたのも、天皇陛下かその昔の殿様しか使わない言葉だとばかり思っていたからだ。元は「(朕は)嬉しく思う」。それを「ですます」にしただけだ。

 が、「これは流行るかな」という予感もあった。案の定、それからは選手だけではない、一般人の常套句になってしまった。ただ「嬉しいです」「嬉しい」よりも、あらたまった気分になるらしい。

 「応援よろしく」もプロ野球のだれか、お調子者がお立ち台で発したのが最初だったと思う。そのときの雰囲気にぴたっときていたから、スタンドもものすごい反応だった。「プロ野球ニュース」かなんかで見たとき、これも「流行るな」と思った。またまた案の定だった。

 冒頭のシャラポワじゃないが、トップアスリートや人気芸能人には往々人間的にどうかというのがあって、それがまた、妙に口が達者だったりするとかわいげがない。多くはトレーニング不足である。朝青龍や沢尻エリカなんて、その口だろう。

 しかしトレーニングは確実に進んでいて、若い選手たちの多くは、けっこう滑らかにしゃべる。高校野球、スケート、マラソン‥‥かつては「ごっつぁんです」ばかりだった相撲まで。若いほど力も抜けていて自然だ。例の「チッ、せーな」のスノボの選手だって、転倒して顔から血を流しながらの受け答えは普通だった。彼は見事にレッスンを受けたのだ。

 これがイチローや斎藤佑樹、ゴルフの石川遼、横綱白鵬あたりになると、ちょっとできすぎ。いつもテレビカメラに追い回され、カメラが特別なものでなくなった時代の落とし子だ。むしろ、トレーニングが必要なのは、メディアの方じゃないかと思うことが少なくない。

 代表インタビューでさんざんしゃべらせた後で、「最後にファンにひと言」なんてのもそうだ。思わず「もう全部しゃべっちゃってるじゃないか」と選手や監督が気の毒になるが、みな何とか答えているから、そっちの方がたいしたものである。

 最近驚いたのは、市川海老蔵の例の暴行事件の会見だった。芸能記者が「その時の自分に声をかけるとすれば、何といいますか」と聞いた。一般紙の記者にはまずできない、何ともかったるい質問だが、海老蔵はしばらく考えて、「出かけるのはやめなさい」といった。

 ホントに驚いた。慣れているのか、大物なのか、多分その両方だろう。記者を見据える目といい、声の落ち着きといい、さすが役者だった。

 これにひきかえ、四六時中メディアに取り巻かれているというのに、トレーニングができていないのが、国会周辺だ。このところの民主党中枢からは、まともに見出しになる言葉が出てこない。大きく載るのは失言の類いや、政権をののしる小沢派や野党の言葉ばかりだ。

 これは聞く方にも問題があって、例えばさきの菅首相の「疎い」というヤツでも、その場で「疎いとはどういうことだ?」と聞き返さないから、半日もたってから、なんだ、なんだとなる。いわば双方バカ丸出し。

 強制起訴された小沢一郎の会見でも、「離党も議員辞職もしない。民主党議員でがんばる」といったのだから、「がんばって何をやるのか(菅の足を引っ張るのか?)」と、嫌みのひとつも投げないといけない。みんなハイハイと聞いているだけだから、あんな政治家ができてしまう。

 あの歳ではもうトレーニングは無理だろうが、取材側はまだ若い。本来はともに世代交代していくのだから、トレーニングは絶えず続けるものだ。そうして投げた質問と答えがぴたっときたときに、いい記事ができる。

 これで思い出すシーンがひとつある。85年のレーガン・ゴルバチョフ会談(ジュネーブ)でのテレビ中継だ。記者席からかなり離れたところを通り過ぎる両首脳に、1人の記者が何か叫んだ。寒い屋外だから普通なら無視して通り過ぎる状況だ。

 ところが、レーガン大統領が足を止めて振り向き、笑顔で答えたのである。いかに彼が抜群の役者だったとしても、ひと声で振り向かせるとは、たいしたものである。あの言葉は何だったのかと、いまでもときどき気になる。(文中敬称略)

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