2011年1月8日土曜日

ウィキリークスの時代



 内部告発サイト「ウィキリークス」には、どの国のメディアも戸惑ったようだ。これまでの情報秘匿の常識をくずかごに放り込んだのだから、まあ当然ではあろう。だいいちこれがいいことなのかどうかも、人によって判断が分かれる。

 情報を持ち出された方にしてみれば、政府だろうと企業だろうと、隠す以上はれっきとした理由があるわけで、それが表に出てしまうのだから、理不尽この上ない。「犯罪行為だ」というのも当然だろう。

 しかし、一般の人間にしてみれば、これまで新聞に出ていたことと違う事実や理屈がわかるのだから、「だましやがったな」と怒ることにもなるし、対岸の火事を見守るヤジ馬としては、これ以上面白いものはない。「もっとやれぇ」てなもんである。

 だから、その間に立ったメディアは困った。4月に流れたイラクでの民間人殺害の映像のように、ストレートなものなら、「ウィキリークスが」と右から左へ流しておけばいいが、企業や政府の文書とか、今回のような外交文書となると、どこまで本当なのかをみきわめないといけない。掲載責任というものがあるからだ。

 専門の記者がみれば、大きな流れの中で見当がつくものもあるが、多くはウラのとれない(だから秘密)事柄だ。メディアは「ウィキが流したが本当か」と当事者に迫ることになる。そこでつっぱねられたら、さあ、載せていいものかどうか‥‥。

 ウィキリークスの方も、独自の検証で本物だとはいっているものの、事前に大手新聞に流している。メディアは、中身が面白ければ必死に確認をとろうとするから、これを利用しているわけだ。ずるいといえばずるい。そのくせ、最終的に本物かどうかはわからない。なんとも始末が悪い。

 報ずるメディアにしても、とくに国益にかかわるとなれば、公開することは即ち相手を利することになる。これは悩ましい判断だ。このあたりはお国柄にもよるが、下手をすれば売国奴と非難されかねない。

 しかし、ここが面白いところだが、アメリカ人の言論・報道の自由についての考え方は、他の国とは大いに違う。イラク戦争が始まって間もなくだったが、NYTに「今後米軍はこのルートからこれこれの戦略でいく」という記事が出た。これにはびっくりした。どうみてもイラクを利することは明らかだ。

 だが米政府、軍は何の反応も見せなかった。勝ち戦だったこともあろうが、国民の知る権利は軍の機密より上、これが米国民のコンセンサスだったのだ。あらためて、民主主義の底堅さに感心したものだった。

 今回一番の被害者は、クリントン国務長官だろう。米外交の顔としてはバツが悪いことこのうえない。しかし、メディアの視線はそんなところにはない。あくまで、国民の利益になるかどうか、これだけだ。となれば、知らない方がいい情報なんて、きわめて限られるのではないか。

 総数25万件といわれる米外交情報の公開はいまも続いている。しかし、全部が報じられるわけではない。玉石混淆の石の方が多いということだろう。朝日新聞が最初のリークの一部を、外務省の情報分析官だった佐藤優氏に分析させていたが、これが面白かった。

 一口に言うと、いい加減な情報が多いという。彼はソ連の専門家だったから、ロシア関係情報では具体的にアナを指摘して説得力があった。なかには外交官が自分を売り込むためと思われるものもあって、米外交官の質までが読み取れるといっていた。

 確かに、公開しない方がいい情報もあるだろう。しかし、どこで非公開の線を引くかはこれまで政治家や官僚が決めていた。ウィキリークスはナマ情報を流すことで、その境界を吹っ飛ばしてしまった。情報を抱え込むことで専門家面してはいられなくなった。しかも、もはや後戻りはできない。

 ウィキリークスの本当の衝撃はここにある。現にアイスランドでは、金融情報が流されたために、一般人までが情報を共有して金融機関を告発し、政府を動かすまでになった。ナマ情報には歯止めがない。これに新たな境界を設定することはできるのだろうか。政府も企業もメディアも、あらためて考えざるをえなくなった。

 とりあえずは、どこでも内部告発に備えて情報管理を厳しくすることになろう。何でもかんでもマル秘になれば、情報はますますとりにくくなる。これは間違いない。しかし、そんなことを心配しても始まらない。

 情報を漏らそうとする人間にとっては、新聞やテレビよりウィキリークスやYouTubeの影響力の方が、はるかに魅力的だろう。先の警視庁情報のように、ネットを巧妙に使えば、ウィキリークスの必要もなくなる。

 「混沌とした荒野」と呼ぶ人もいる。これがはたしていいのか悪いのか。だれもすっきりとした答えを出せないでいる間に、われわれの方がリークに慣れてしまうのではないか。これがちょっと怖い。

0 件のコメント:

コメントを投稿