2011年1月16日日曜日

傍観メディアなんかいらない


 日比谷のプレス・センターで、かつての新聞仲間と久しぶりに会った。互いに「ちょっと痩せた?」といった変化は当然だが、見たところ元気そうなのに、ペースメーカーが入っているんだと。こちらは「耳が聞こえないんだ」と、補聴器代わりのICレコーダーだ。

 友人は、ちょうどメディアの現状を語る元記者たちの集まりに出てきたところだった。メディアもいろいろだったらしいが、みなこのところの報道のありように、懸念を抱いていたという。

 それも、いましきりにいわれるメディア激変や経営の話ではない。報道現場のありように「どうなっちゃったんだ」「これでいいのか」というストレートな懸念である。まさに、「ご用聞き取材」など、このブログでいつも書いているようなことだ。

 友人は、朝日の夕刊をもってきて「素粒子」を指した。コラムの最後に「どうやら何も持ってなさそうな菅首相」さらに「一緒に沈んでしまいそうな日本」とあった。友人は、「ここまで書いていいのか」という。ああ、やはり同じことを感じていたんだ。

 私も実は、その1行が気になっていた。引っかかったのは、その突き放したような無責任ないい方である。これを読んだ読者の多くは、「菅首相のもとでは日本は沈む」と合点するだろう。日頃民主党政権に感じていることとそう違わないから、すんなりと落ちる。素粒子にはそれだけの影響力がある。

 しかし、語っているのは、アフリカやアジアの国のことではない。この日本の政治なのだ。そんな切迫感のない、よそ事みたいないい方を見ると、「お前は、どこの国の人間だ」といいたくなってしまう。不愉快だし、表現にも華がない。

 しかし友人によると、この記事の話をしたら、その場にいた朝日のOBは、「(朝日は)もう菅を見限っている」といったそうだ。これには、彼もあぜんとしたという。

 沈まないためにどうすればいいかを考えれば、いまは菅内閣を盛り立てる以外に選択肢はあるまい。その足を引っ張って、次の展望はあるのか? ちょうど内閣改造の日で、産経ですら一種のエールを送っていたのは皮肉だった。

 実はこうした口ぶりは、テレビのワイドなどでは当たり前で、みのもんたあたりは毎日のように口走っている。で、「いったい日本はどうなっちゃうんでしょう」で終わり。テレビとはそういうものだ。

 この結果、「菅はダメ」「政権交代は意味がなかった」というネガティブなイメージだけは確実に定着し、世論が形成されていく。それをまた世論調査ですくいあげては、「やっぱり支持率低下」という、いわば“自作自演”の繰り返しだ。

 前にも触れたが、御厨貴・東大教授が「メディアは政権交代を否定せず、育てるようにしてもらいたい」と懸念を述べていた、まさにそれである。素粒子がその片棒をかついでどうする。

 現実の政治に立ち戻れば、民主党は絶対に解散なんかしない。それこそ死にものぐるいで建て直しにかかるのは当然で、今回の改造で与謝野馨を起用したのが、象徴的だ。このある意味むちゃくちゃな葛藤から、次の時代を生み出してもらわないと困る。だが、メディアはこれにも、「一種の賭けだ」などと突き放し、「ポスト菅」をにらむ。

 民主党の政権運営がまずいのはたしかだが、ごたごたの大元をたどれば、あらかた小沢一郎にたどり着く。菅はその小沢を切ることに踏み切った。これは大転換で、むしろ遅すぎたくらいだ。政倫審がどうあれ、小沢は間もなく表舞台では動けなくなる。

 しかし、「ようやくすっきり」「再出発」というような論評は出てこない。相変わらず、「人事のバランス」「党内世論」がどうのこうのと、政局報道に終始している。なんという浮世離れ。自分の国の政治だというのに、危機感がない、当事者意識がない、怒りが足らない。

 報道の中立というのとも違う。現に自民党時代には、本気で肩入れする記者が大勢いたし、読売、産経は新聞としても方向がはっきりしている。そんな中で、政権交代も、小鳩の退陣も大方のメディアが歓迎したのではなかったか。

 にもかかわらず、菅政権に対してよそよそしいのはなぜか。まだ小沢かぶれが続いているのだろうか。だとしたら、民主党以上に、メディアの方向感覚はおかしい。政権交代の意義を正しくとらえているのか?と疑いたくなる。

 メディアがもし、ある時点で民主党支持を、あるいは政権交代支持を明言していたとしたらどうだったか。政権の行方にもこうまで傍観者ではいられないはずだ。アメリカのメディアは堂々と政治に踏み込む。だからこそ論に説得力もある。むろん、賛否はあるにしても。

 メディアが傍観論を流し続ければ、国民もまた傍観者になろう。それでなくても日本人には、「政治はお上がしてくれるもの」という根深い思い込みがある。民主主義を阻む元凶だ。政権交代は、これに深くくさびを打ち込んだのだった。国民もそれを知った。

 政治を考え直すまたとない機会に、ただ水をかけているだけのメディアとは何なのだろう。ひょっとして、これがご用聞き取材の根源なのではないかと、嫌な思いになる。

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