2012年2月3日金曜日

ニュースのお値段


 朝日新聞の電子版「アサヒコム」が「朝日新聞デジタル」に統合された。正月に「デジタルで1年間の検索が可能になりました」とあったので、「やっと気がついたか」と思ったのだが、どうやら違った。むしろ有料化が一歩進んだようだ。

 昨年5月にスタートした「朝日新聞デジタル」はいま、契約者が6万人という。しかしそのほとんどが紙との併読で、年齢層も40-50歳だそうだ。この年齢を下げるべく努力しているというが、これは至難のワザだろう。30歳以下は、子どもの頃からPCとネットがあって、「ネットの情報はタダ」が当たり前だ。

 朝日は「ネットでも価値ある情報は有料で」と主張するが、いまひとつ説得力に欠ける。全部HPに出ている官庁の発表が、有料ページに出ているというバカな話。ナマの発言まで見られるテレビのサイトや、紙面そのものが読める新聞サイトもあるというのに、同じニュースに金を払えといっても、若者が寄りつくはずがあるまい。

 統合された後、「デジタル」の記事は,紙面でいう前書きだけになってしまった。つづきを読みたい人は「ログイン」画面に誘導されてしまう。大方はそこで、別のソースを探しにかかるはずである。同じ記事はどこかに無料であるからだ。

 冒頭「気がついたか」といったのはこのことである。googleなどでニュース検索をすると、産経、毎日などに較べ朝日の記事は極端に少ない。ニュースサイトへの提供もなく,リストから消えるのも早い(役に立たないからすぐ下位になってしまう)。ネットでは、朝日はほとんど存在しないも同然なのだ。このマイナスをわかっているのだろうか。

 こうした課金モデルで押しているのは日経と朝日だ。これまでの「アサヒコム」はCMモデルというらしい。つまりは宣伝。タダが基本だが、深い検索は有料という考えだったが、「朝日デジタル」1本になった。他の新聞は概ねCMモデルで、ネットのニュースサイトへも提供するなど無料の幅が大きく、それがネット検索での差に出ている。

 これらも春にはほぼ一斉にスマホ向けの有料化に動くようだが、カギはやはり料金だろう。「朝デジ」式に新聞購読料に近い値段だと、たちまちカベにぶつかるはずだ。「朝デジ」の契約数と内容がそれを裏付けている。

 読者が求めているのは、スマホやタブレットで読める新聞そのものなのである。動画でもなければデジタル独自のコンテンツでもない。玉石混淆のネットの世界だからこそ、新聞情報は信頼性で最後のよりどころになる。できれば連載も読みたい、評論も読みたい。

 さて、そこでいくらまでなら払う気になるかだ。「朝デジ」は新聞との併読で月1000円だが、新聞とほぼ同じものに金を払うのは、外出している間に携帯端末で読もうということだろう。これに1000円は高くはないか。これがもし、500円、300円だったらどうか。話はがらりと変わるのではないか。

 ましてネットだけの契約は3800円と、ほぼ新聞購読料と同じだ。これは日経でも、一部雑誌でも似たような値付けである。多分横を見ら見ながらの設定だが、ネットの常識からは、いかにも高い。投資したのだから、はわかるが、読んでくれなければ始まらない。「価値ある情報?」。笑わせるな。そんなもの年に何回もあるものか。

 朝日の収益は、90%近くが紙の新聞による。この割合をなんとか下げたいと、四半世紀も前から様々なことをやった。が、何ひとつ成功しなかった。逆にいえば、新聞がいかに強いかである。読者の信頼も紙にあり、記者も紙から育つ。

 新戦略は「紙とデジタルの融合」だという。4-50人の「デジタル編集部」を立ち上げて、独自の記事も出るというから、新しい媒体を立ち上げるということである。しかし、採算に乗るには「5年か10年」と気の長い話だ。

 電子版のそもそもは、取材記者のための社内の記事検索システムである。デジタル編集で朝日は1歩も2歩も、いや世界でも先端をいっていた。インターネットになって、その記事データを利用して始まったのが「アサヒコム」だ。これはぶっちぎりで新時代を開くと大いに期待されたものだった。

 安い値段で古い記事の検索ができれば、朝日のアーカイブスは,日本はおろか世界からも利用されるだろうと思ったものだ。しかしそうはならなかった。高い利用料金が立ちはだかったのである。

 一度、昔書いた記事を検索しようとしたことがある。料金はなんと1本80円だった。「バカヤロウ。オレの記事はそんなに高くねぇや」。そもそもを間違えたのである。ネットの効用を理解できなかった。理解していれば、googleになっていただろう。

 確かに経費はかかる。デジタル検索をするには、キーワードの設定だけでも、大変な人手が要る。機器やシステムの整備にも金はかかる。だが、それを利用料で回収しようとすること自体が間違いである。むしろ純然たるCMモデルでよかった。これ以上のCM効果が他にあるものか。

 とはいえ、もしこれが1本10円だったら? 20円だったら? ポイントはここだ。「朝デジ」も同じである。ネットは「タダ」が常識の世界。なれば「タダ」にどこまで近づけられるか。たとえ有料にしても、そこが勝負どころだろう。

 紙の新聞のデジタルデータは日々蓄積する。そのアーカイブスこそが値打ちなのである。CMモデルで,まずは利用者を増やすこと。ソロバン勘定や新たな城作りなぞは,読者が増えてから考えればいい。

2012年1月23日月曜日

羊よ、狼になれ


 電車ではよくiPhoneで新聞や雑誌の記事を読む。ところがしばしば肩を叩かれる。決まっておばあさんだ。優先席の窓の「携帯電話はご遠慮ください」を指差して,ダメという。「これ電話じゃありません。新聞読んでるんです」。時には「カメラですよ」とからかってやる。

 むろん多くは納得しない。にらんだりそっぽを向く。きっといい人たちなんだろう。決まりには従うのが当然だと。決めの当否や背景、機器の進歩までは考えない。まさに日本人。困ったことだ。

 外国人が日本人を評する言葉は「diciplined people(規律正しい人たち)」である。時間も信号もきちんと守る。大地震で電車が止まり,車が渋滞しても、騒ぎを起こす人はいない。略奪ひとつなかった。欧米の記者はこれに驚いて記事を書いていたが、こっちに言わせれば、それがニュースという方が驚きだ。

 日本人がいつもいつも規律正しいわけではないことは、歴史をみれば明らかである。ただ、概して「決まり」には従順だ。なかにはおかしな決まりもあるが、よくよくでないと声はあげない。そのいい例が、東京・千代田区から始まった禁煙条例とJRが始めた「携帯ご遠慮ください」だ。

 禁煙条例の初めはマンガだった。千代田区職員が歩行喫煙者捕まえるのを,テレビカメラが追い回す。ニュースを見ながら、有楽町の中央区側にずらりと並んで、一斉にたばこを吹かしてやろうか,などと考えたものだった。当時は,テレビに顔を出していたので、実際にやるわけにはいかなかったが‥‥。

 まだ評論家だった猪瀬直樹さんがテレビで「空気は千代田区のものじゃないよ」と名言を吐いていたが、その後副知事になってしまったのでどうなったか。条例はいまや地方にまで広がって、喫煙者はおとなしい羊のように、多く町中の喫煙スペースを守っている。

 「携帯ご遠慮」はもっと滑稽だ。携帯電話が出始めた時は、まだ機能も悪かったから大声でしゃべるのが目についた。お調子者がまた電車の中でこれ見よがしにやるものだから、JRが新幹線で、「携帯電話はデッキで」といったのが最初である。

 確かに持っている人も少なかったし、「他の乗客のご迷惑」ではあった。地下鉄や私鉄もこれを援用して、「車内の携帯禁止」が定着した。しかし今や、持っていない人の方が少ないくらいである。機能もよくなってささやくような声でも聞こえる。それでもダメというのは、電車の中ではしゃべるなというに等しい。しかし「そんなバカな」とは誰もいわない。

 機能はさらに進んで、スマートホンは小さなパソコンである。電波がくればどこでも可能だから、いまや電車内はメールやネットニュース、ゲームの場だ。唯一物理的にダメなのが、電波の届かない地下鉄だった。

 その地下鉄車内もついに「圏内」になるという。ソフトバンクの孫社長がツイッターでつぶやいたのが発端。東京都の猪瀬副知事と意見が一致して、まずは都営地下鉄から東京メトロ、名古屋、大阪へと進んだらしい。電波がとどかなかった駅と駅の間にアンテナを設置、通信会社4社が費用を出す。3月には一部をのぞいて実用化するそうだ。

 地下鉄車内でメールがやり取りできれば、ビジネスには大いにプラスだ。そんなことは,だれだってわかっているのに、当の地下鉄が「携帯はご遠慮を」とやってきた手前,消極的だったというから笑ってしまう。15年以上も前の「決め」に縛られる。実態に合わそうともしない。あのおばあさんたちと同じだ。

 こうした意味のない「決め」はまだまだある。ついでだから、カメラの三脚の話をしておこう。江戸東京博物館や恵比寿の東京都写真美術館は三脚禁止だ。守衛に「写真美術館だろう」といってもダメ。東京都の施設では全部そうだった。

 だが,なぜかはわからない。すると知人が、新宿の三井ビルの敷地内でやはり誰何された。黙って引っ込む人ではないので根拠を突っ込んだが,要領をえなかったという。これでようやく見当がついた。

 森ビルだか三井不動産だか知らないが、大規模スペースでの管理マニュアルが「三脚禁止」となっているらしい。それの引き移しで、わけもわからず禁止になったーーそれ以外に考えられない。

 しかも勝手な解釈もある。江戸東京博物館では「三脚は危険物だから」。新宿南口のJR敷地内は、レストランまで並んでいる公共スペースが,三脚はおろか写真撮影まで禁止である。JRの誰かが、三脚禁止を写真禁止と取り違えたに違いない。

 とがめられた人たちは、おそらく素直に従うのだろう。三脚はすたれていたのが、最近は見かけるようになった。デジタルの動画の時代になって、いい絵を撮りたいということらしい。もっと数が増えるといいのだが、羊ではダメだ。狼よ、出よ。へそ曲がりよ集まれ!

2012年1月16日月曜日

脱獄騒ぎで気になったこと



 広島刑務所から脱走した中国人服役囚は,3日目になってようやく捕まった。実のところ、隠れ場所も食い物もなく、寒さの中を刑務所に戻る気だったらしい。まずはめでたしだが、どうにも気になって仕方がない。緊張感のなさは、刑務所だけではなかったからである。

 刑務所は川にはさまれているが、市内にはあと3本の川がある。警察は,橋を封鎖して封じ込める作戦に出て、800人からの捜索態勢をしいた。ところが逃走の足取りを追うと、服役囚は少なくとも2つの橋を渡っている。

 脱走した直後、東の公園まで逃げたが,臭いはそこで消えた。翌朝空き巣に入った家は、刑務所方向へ戻って刑務所を通り過ぎ、川を2つ超えたところだ。そしてさらに西へ進んだ先で目撃されたりした後、空き家で一夜を過ごしたらしい。翌日さらに北の市街地で捕まっている。

 警察官に発砲した殺人未遂の服役囚だから,特別手配になり手配写真が公表された。しかし捕まった男の顔は、写真とはまるで別人だった。白昼の大捕り物に見ていた市民は拍手したというが、その証言は「写真と違う。痩せていた」という。似てない手配写真とは、お笑いもいいところだ。

 結局見つけたのは,児童の登下校を警戒していた私服の女性警官だった。が、その警官は、男が着ていたジャンパーに日本人名があったために一瞬戸惑ったという。彼は、特徴のある毛糸の帽子をかぶっていた。盗まれた衣類の情報が,一線の警官にも通っていなかったのである。

 市民もまた、「凶悪犯だ」「怖い」といいながら、のんびりしていたように見える。白昼下着姿で歩いていた男を、大都市広島で,だれ1人見ていない。そんなことってあるのか? 

 翌日以降はいくつか通報があったようだが、捕まっていない。ということは、通報が遅かったのか。逆に、空き巣や空き家への出入りが騒ぎになると、たちまち目撃者が現れて、「物音がした」「怪しいなと思った」と、テレビカメラに話す。が、多くはそのときは通報していない。

 これは各地で起る他の事件でも実に多い。何年か前、博多で一家四人が殺されて博多湾に沈められた事件があった。犯人が何かを(後に死体とわかる)車に積むのを近所中が見ていた。後で「大勢でわいわいしていた」と証言していたが、だれ1人通報しなかった。

 だれしも覚えがあろう。「悲鳴が聞こえた」「争う物音がした」などの後追い証言をどれだけ見たことか。どうして記者は「なぜすぐ通報しなかったのですか」と聞かないのか。そのひとことで、みな気づくはずだ。

 「空き家に男が出たり入ったりしているので、おかしいなと思った」という若い男性。空き巣に入った家の隣家の男性は、「ミシミシと歩く音がした」。事務所で見かけた男性は、「何してんだ」と怒鳴ったという。だが、しゃべり出すのは騒ぎになってからである。

 この事件では、メディアもひたすら警察発表を追うばかりだった。空き巣に入った。黒いダウンジャケットなどを盗んでいった。飲み食いをして,唾液のDNAが服役囚と一致した。中国に電話をかけていた‥‥これは捜査であって、逃走している危険人物の情報を一刻も早く市民に知らせることとは別だ。

 男は囚人服を脱ぎ捨て、下着姿で逃げた。盗んだ服を着るしかあるまい。なれば、「盗まれた衣類」を絵にして出すべきだろう。捕まったときかぶっていた毛糸の帽子はよく目立つ変わった模様だった。テレビやネットの速報が生きる場面だが、「毛糸の帽子」と文字や言葉で報じてもなんの意味もない。

 男は捕まったとき、10円しか持っていなかった。その金をどうしたのかも不思議だが、逃げる気力を失っていたのが大きい。もし空き巣で現金でも手にして、堂々とコンビニで買い物をして,バスに乗ったらどうだったか。何しろ、手配写真とは顔が違ったのである。

 今回の顛末を、警察がどう総括するかが見ものだ。少なくとも手配写真は問われるだろう。市民の通報ぶりも,広島だけではないから、警察庁レベルで考えることになるだろう。オウムの平田信の「門前払い」やら,緊張感の欠けた話が続いているのだから。

 だが、警察の不手際をつくメディアはなさそうだ。発表をハイハイと聞いているだけのメディアは、結局同罪なのである。発表のアナを見つけて切り込む。市民に伝えるべき情報は何か、警察が出さなければ「出しなさい」「メディアをとことん利用しなさい」と、突っ込まないと警察はわからない。

 警察とはそういうものである。捜査情報はまずは囲い込もうとする。自分たちだけでやろうとする。しかし今回は隠す話ではない。公開の捜索なのだ。市民が一斉に目を光らせる必要がある事態だった。動員した警官の数は800人。対して市民の数は何十万人、目の数のけたが違う。

 これを生かすよう突っついて,仲立ちをするのがメディアの役割だろう。それには、警察とメディアの間に一種の信頼関係が必要なのだが、いまそれがない。どころか、陰の薄いメディアを警察が信用していない。

 ものいわぬメディアは,存在しないも同じだ。ご用聞き取材ばかりの事件報道を見ていると、惨憺たるものだった原発報道も,その延長上にあるのがよくわかる。こんなことを確認させられるのは,悲しいものである。

2011年12月31日土曜日

いつまでブラックボックス?


 年末のテレビの回顧番組は,当然ながら東日本大震災がメインだ。津波の凄まじさと、それを乗り切った人たちを追ったドキュメンタリー(フジ)などは、迫力があった。今を生きる人々、支援を続ける人々の力には感動する。

 それに引き換え、福島原発事故の方はいまだにブラックボックスである。部分的には報じられた話ばかりだが、肝心の菅首相のところが,詰め切れてなかった。各テレビとも,菅前首相はじめキーパーソンの話をもとに再構成したドラマ仕立ては,なかなか面白かった。しかし、9ヶ月も経って「そのとき官邸は」が焦点とは、やっぱりどうかしている。

 東電の首脳や原子力安全委などの専門家のウロウロぶり、情報の流れのおぼつかなさはよく出ていたが、閣僚は概して堂々としていた。怒鳴りまくって,周囲を萎縮させていたという菅首相ですら、なかなかのものだった。

 ところが、現地対策本部長だった池田元久・経産副大臣(当時)が発表した覚え書きでは,全く違う。

 情報が来ないことに苛立って3月12日早朝,原発に乗り込んだ首相は、出迎えた武藤栄副社長を「なぜベントをやらないのか」「何のためにオレがここに来たと思ってるのか」と怒鳴りまくり、免震棟でも、作業員の前で幹部を罵倒したという。池田氏は、「作業員の前はまずい」「あきれた」「指導者の資質を考えざるをえなかった」と書いている。

 テレビでも、3号機の爆発のあと東電が「撤退したい」といってきた時,官邸内で班目春樹・原子力安全委員長らを「どう思う」と詰問する様が描かれていたが、そうした証言を見るかぎり、かなり抑えた再現だったようだ。実際は,悪い情報を伝えるのもためらうほど、彼はぴりぴりしていた。

 いら立ちのもとはむろん、東電からの情報が来ないことと、専門家が適切な答えを出せないことにあった。ために,誰のいうことにも耳を貸さず、外部の人物に助言を求めることまでしていた。

 最初に原子力災害対策基本法に基づく緊急事態宣言をだす時も、原発からの緊急事態を受けて2時間経っても、官邸内では六法全書のコピーをしている始末だった(TBS)。一方で菅首相は、「ベント」や「海水注入」という技術のことまで仕切ろうとした。結果として彼は,優秀な官僚組織を動かす代わりに自分で全てを背負い込んでしまったのだ。

 トップがそうなると、官僚は上ばかりを見ることになる。1号機が爆発したとき、福島県警のヘリが近くを飛んでいた。爆発の15分後に、建屋の上部が吹き飛んでいることを確認。ただちに官邸に伝えられたが、官邸は「政府は認識していない」と再確認を求めたという(TBS)。誰だったのか、顔が見たいもんだ。その2時間も後に会見した枝野官房長官はまだ「何らかの爆発的事象」といっていた。

 放射能拡散をシミュレーションした「SPEEDI」のデータの扱いもそうだった。16日までに原子力安全・保安院に45回、文科省に38回も伝えられながら、住民には知らされなかった。官邸にも伝えられていない。なぜか。

 「政府が同心円で避難地域を設定したから,出る幕ではないと」(SPEEDIネットワーク),「あれは保安院の所管」(文科省),「放出源データがないとあてにならない,仮の数字」(保安院)‥‥班目氏に至っては「記憶にありません。聞かれたら答えた」というのだから呆れる。官邸が知ったのは15日の報道だという。この間に、住民はもっとも放射線量の高い地域へ避難していた。

 これを伝えたテレ朝の報道ステーションは,「人間に問題があった」「住民のことをだれも考えていなかった」といったが、菅首相以下も、過去の訓練では,住民避難区域設定の根拠になるデータとして見ているはず。130億もかけて作ったシステムを,誰も信用していなかったのである。

 こうした様子を見ていた東工大で同窓の日比野靖氏(のち内閣顧問)が、「彼は若くして政治家になったので、組織を動かした経験がなかった」と、素顔を言いあてていた。政治主導がどうとかいう問題でもなく、権力の使い方も知らなかったのである。これは民主党の幹部全体にもいえることだ。

 このあと出された「政府の事故調査委」の中間報告では、東電の情報の扱いと,官邸内の意思疎通のお粗末が、手厳しく指摘された。さもありなん。

 日テレの再現映像で、官邸地下の対策本部のシーンがあった。大部屋にとんでもない数の人間がワーワーいっている。各省庁から要員が集まればそうなるだろう。だが、だれがこれを仕切っていたのかが気になった。浮かんだのは、「船頭多くして‥‥」である。

 おそらくそこに流れ込んだ情報の大部分は津波だっただろう。これを見て、なぜ津波対策の出足が遅かったのかが、わかったような気がした。菅首相の頭は、ほぼ100%原発へいってしまっていた。官邸が,津波にも原発にも司令塔の役を果たせなかったのは事実だ。だが、官邸がそんな状態だったなんて,一度でも伝えられたか?

 どの番組でも、菅前首相は取材に答えている。しかしその答えからは、いい合いになるような厳しい質問が出たとは思えない。どことなくおとなしい。結果、まだブラックボックスは完全には開いていないと見た。

 事故調査委の菅首相からの聞き取りはこれからだ。多分容赦ない質問にさらされるだろう。そこで何かが出てきたとき、テレビの取材のアナが見えるのではないかと、いまから心配になる。

2011年11月27日日曜日

8ヶ月の時間


 福島第1原発の空撮写真が、朝日新聞に載った。「東電が空撮?」と思ったら、「本社機から」だった。「やっと飛んだか、8ヶ月も経って」。だが、「高度1万3千㍍から撮影」とある。なんてことだ。

 国交省が30km圏内上空の飛行禁止を設定したのは、3号機爆発直後の3月15日である。5月31日には20km圏内になり、その後条件は少し緩んだが、飛行禁止そのものは続いている。この写真は、20km離れた高空から望遠レンズで撮ったというわけだ。

 だったら、なぜ5月に撮らなかった?と聞きたくなる。この8ヶ月間に原発上空を飛んだのは、自衛隊の放水ヘリ以外は、無人機だけである。今回の事故で、メディアは政府の規制をそのまま受け入れ、地上でも30km圏内の立ち入りを自粛した。空からの規制も律儀に守っているわけだ。

 規制は本来一般人のためのもの。警察や自衛隊が入れる以上、報道もまた特別に扱われて当然だが、これを認めないのは、「見せたくなかった」からであろう。しかし、大手メディアはこれに異を唱えなかった。いや、唱えたかもしれないが、突き破れなければ同じことだ。ゲリラ突破すらやっていない。

 放射能の危険はあった。が、防護服と線量計で安全の限界は見極められたはずである。現に警察や自衛隊は、そうして規制区域内に入っていた。にもかかわらずメディアは,一般人になったのである。1万㍍上空なら真上だって大丈夫だろうに、ここでも一般人になった。なぜかくも従順なのか。あるいは、規制を幸いと逃げたように思える。

 写真には、原子炉建屋の内陸に、汚染水のタンクがずらりと並んでいた。東京ドーム8個分の敷地だという。一般人の知らぬ間の大工事だ。写っていたのは8ヶ月という時間だった。

 これに先立って、第1原発に事故後はじめて取材陣が入った(12日)。しかし、記者は東京、福島、外通の36人がバスに乗ったまま、原子炉の周辺を回り、免震重要棟を訪れただけ。ガラス越しとはいえプロのカメラがとらえた映像は鮮明だ。津波と爆発のすごさにはあらためて驚く。しかし、どれもみなすでに知っている光景である。

 「防護服を着て」「息を飲んだ」「無惨な」‥‥新聞・テレビが伝えるどんな言葉も空しく響く。初めて会見に応じた吉田昌郎所長は「もう死ぬだろうと何度も思った」といった。8ヶ月も経って聞きたい言葉じゃない。映像も言葉も、事故直後でこそ報道ではないか。

 原発内の状況の悪さは予想をはるかに上回った。原型をとどめないほどぶっ壊れた3号炉建屋付近では、放射線量はバスの中で最高1㍉シーベルトにもなった。しかし、汚染の低いところには,防護服姿の作業員の姿がある。彼らの作業環境はよくなったという。よくなかった時を見過ごしておいてなにを今更である。
 
 朝日新聞は、ずっと取材を申し入れていたと書いていた。しかし、そんな言い訳自体が敗北である。この8ヶ月を恥じよ。この日は、メディア敗北の記念日だと思ってしかるべきだ。

 そんな中、朝日の連載「プロメテウスの罠」が面白い。事故直後、さまざまに研究者の動きを縛った元凶を突き止めて、こちらでは8ヶ月前を引き戻したのである。

 気象庁気象研究所(筑波)の海洋、大気の放射能汚染観測は世界最長を誇る。事故のあと文科省が「予算を他にまわす」と中止をいってきた。民主党参院議員が動いて7月予算が戻った。この間、予算的には止まっていたのだが、研究者はよそからの援助で観測を続けていた。長期観測の記録はかろうじて途切れずにすんだのだった。

 ところが、記事を見た文科省が、「助けたのはだれか」と記者にまで聞いてきた。「予算を返してもらう」のだと。未曾有の事故にも観測実績が途切れることにも無頓着。「財務省がうるさいから」というのだから呆れる。

 気象研の所長は、研究者の学会誌への発表を止めた。海外の専門家との共同執筆だった。世界中が待っているデータでもあった。しかし、自分の論理と保身だけで動く役人たちには、余分なトラブルのタネとしか映らなかったらしい。

 これらが全部実名で出てくるのだから、17日にあった気象庁長官の定例会見は、連載内容の質問一色になったそうだ。しかし、長官は「文科省に聞いてくれ」の一点張り。「文科省」を16回も繰り返したと、連載が書く。

 汚染状況の把握と公表が滞ったのは、東電と官邸のせいばかりではなかったことがよくわかる。見事な取材だ。部分的には、敗北のアナを埋めている。ついつい,これがリアルタイムだったらなぁ,と思ってしまうのは、へその曲がりすぎだろうか。

 このシリーズは3つ目の「観測中止令」が終わったところだが、まだまだ続く。何が出てくるのか,大いに楽しみだ。ただ、連載でちょろちょろと小出しに続くのが、何ともかったるい。

2011年11月20日日曜日

巨人内紛で見えたもの


 読売巨人軍の清武英利球団代表兼ゼネラル・マネージャーGMが、ナベツネこと渡辺恒雄球団会長を批判したのには驚いた。いわば飼い犬が手を噛んだわけだが、いつか誰かがやるだろうと、誰もがこの20年余思っていたことでもある。

 巨人とプロ野球界でのナベツネの専横は周知の事実だ。とにかく巨人のことだけ。いい選手がとれないとドラフトに枠をはめる。近鉄がなくなったときの冷たさ。他球団は眼中にない。さらには取材記者への柄の悪さは「老害」とまでいわれていた。新聞・テレビが大きく報道したのは当然だろう。

 ただ、情報の流れがこれまでと違った。11日午前9時、文科省の記者クラブにあった会見の予告を、メディアは一斉にネットで流し、ツイッターは「不祥事か?」といった予測も交えてふくれあがった。午後2時からの会見には100人もが詰めかけ、生中継した「ニコニコ動画」は28万人余が視聴した。新聞・テレビが伝える前に、これだけの数が中身を知っていたのである。

 夕方から各テレビ局がたっぷりと時間を割き、新聞も12日朝刊で大きく展開した。一番張り切ったのは産経で、1面、政治面、運動面から社会面まで6ページに関連記事が出た。まあ、ごくろうさまである。対照的に、日本テレビはちょこっと。当の読売は運動面にベタ記事で、「ヨミがどう書くか」と期待した向きはがっかりだった。

 一方のツイッターはほぼ「祭り」状態で、ほとんどが清武支持。「ナベツネ辞めろ」の大合唱で、読売の扱いに失望したという声も少なくなかった。これらメディアの伝え方までを克明に報じたのは、yahooやJcastといったネットのニュースサイトである。

 翌12日、渡辺会長が反論を出した。「事実誤認、名誉毀損、悪質なデマゴギー」と痛烈だった。清武会見は確かに、筋としておかしい。日本シリーズという時期も最悪だった。反論には説得力があって、これも大きく報じられた。

 スポーツ紙は、中日スポーツ以外は全紙が1面で、日本シリーズ第一戦が見事に吹っ飛んだ。まあ、前代未聞である。笑ったのが当の読売で、運動面の長~いベタ記事。最初がベタだったから、大きくしたくてもできない。さすがに清武代表を切った時は、1面だったが‥‥。

 いってみれば、巨人が勝てないことからきた、つまらぬ内紛なのだが、新聞・テレビが大きく報じたのは、ナベツネの専横はプロ野球だけではなかったからである。むしろ本業の新聞の世界で、彼の落とした影は大きい。

 彼の登場以来、在京6紙の論調は常に3:3ないしは4:2に割れる。日経があっちこっちするからだが、発行部数で一番の新聞のトップが、自民党政権と深く関わった影響は決して小さくはなかった。

 官邸から警視庁にいたる記者クラブの、権力監視という一枚看板が崩れ、メディア間の連帯が失われた。事件の現場に報道陣が押しかけるのは変わらないが、いま彼らの仲間意識は希薄だ。互いにかばい合う空気は全くない。

 ペルーの日本大使館がゲリラに占拠されたとき、テレビ朝日の記者がスキをついて中に入ったことがあった。出てきた記者はペルーの警察に身柄を拘束されたが、現場に何十人といた日本人記者は、何のアクションも起こさなかった。抗議の声明を出したのはペルーの記者たちだ。ニュースを見ていて心底恥ずかしかった。

 このときナベツネは「人質を危険にさらした」と非難し、これが世論になる。哀れテレ朝の記者は特ダネをほめられるどころか、内部で処分された。しかし、ゲリラはすでに一部記者を招き入れており、人質に危険なぞなかった。もしこれが読売の記者だったら、ナベツネは「何が悪い」と開き直っただろう。

 彼はまた、新聞協会での世論形勢にも力を発揮し、長く協会を左右した。むろん他紙の腰抜けぶりも非難されるべきだろうが、彼にそれだけの迫力があったことも事実である。しかし、これが30年近くも続いた結果、メディア全体の劣化の遠因になったと、私は思っている。

 彼は政局にも堂々と関わった。ロッキード事件で有罪となった佐藤孝行氏(故人)の入閣をメディアがこぞって攻撃したとき、仕組んだのがナベツネだとわかって、読売の政治記者は悲惨なことになった。政権交代後も、ことあるごとに彼の影がちらつく。

 ナベツネ本人は気がついてもいまいが、その結果は読売の紙面に表れている。在京6紙のなかで読売が一番面白くない。記者が自由な発想を抑えられたときどうなるか、の見本である。部数競争では勝った。ナベツネの魅力で優秀な人材も流れた。その結果がこれだ。恐ろしいものである。

 かつての読売はもっとやんちゃで元気があった。いま彼らは、主筆であるナベツネの枠の中でしか動けない。他紙の記者に「オレは書けないけど、がんばってくれ」と声をかけた、なんていう話が聞こえて来る。彼らの目に、清武造反がどう写ったか。

 巨人の内紛報道では、新聞もテレビも、情報の早さ奥行きでネットにかなわなかった。ネットのお陰で、新聞も変身を迫られている。福島以来メディアへの信頼も揺らいだ。老害も賞味期限切れが近いかもしれない。

 その時読売で何が起るか。今回は切られてしまったが、第2、第3の清武は出るのか、ちょっと楽しみではある。

2011年11月4日金曜日

もうひとつの世界


 先月初めに放送された「BSスカパー!」開局記念番組であったバトルが、いまだに話題になっている。ネットの動画でいつでも見られるからだ。ナマで見逃しても大丈夫と、友人がネットで教えてくれた。とんでもない時代になったものである。

 この特番は10月1日、土日34時間にわたる構成で、総合司会は、フジ「とくダネ!」の小倉智昭と日テレ「スッキリ」の加藤浩次。朝の人気番組の顔が並んだ。バトルがあったのは1日深夜の時間帯、福島原発事故を追った岩井俊二監督のドキュメンタリー作品「friends after 3.11」だった。

 スタジオトークに岩井監督、俳優の山本太郎らが出た。山本は、テレビ番組を降り、所属事務所もやめて、福島の被災者支援に打ち込んでいる。その山本が「毒を垂れ流す東電ばりに毒を吐きます!」と宣言して、司会の2人に突っかかった。

 「キー局での皆さんの番組では、おそらく局側がブレーキをかけている」と地上波・情報番組の伝え方に異を唱えた。小倉は「ブレーキというより、入ってくる情報が、東電や政府の発表しかないから……」「それを流すだけでは、報道機関としてどうなのか。オリジナルの取材はしているのか? 放射能被害をきちんと追求しているのか」

 加藤が、「踏み込んでるよ。少ない人数で取材をしているけれど」と応じたが、山本は「それでは、ただの御用局ですよ!」とまでいった。その後も、加藤と山本の「(事実を)隠していない」「隠している」という応酬が続いた。

 テレビとしては耳の痛い話だ。情報番組の取材力なんてリポーターのレベルでしかないが、それをいうわけにもいかない。山本も報道番組との区別がついてない。といって、報道もあのていたらくである。つまり、山本の批判は新聞にも当てはまる。

 「friends after 3.11」は見応えがあった。とくに、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章のインタビューは出色だった。ナマの声はやはり活字とは違う。

 「私の目からみると……戦争よりもひどいことが進行してる、福島で。でも殆どの人が気がついていない。ここは関西(京大)ではほとんど他人事です。汚染を正確に知ってほしい」

 「原子力は衰退します。でも原子力が産み出してしまった核のゴミに立ち向かうという、どうしても必要な仕事がある。もう1度人生を生きられるなら、このためなら戻って来ます。原子力をすすめるためには二度と来ません」

 もとはスカパーだが、ネットに載るといつでも、何度でも見られるのである。しかし、パソコンにもスマホにも無縁の人には別世界だ。存在すら知らない。にもかかわらずいま、人々は薄々感じている。山本のいう「情報」、新聞やテレビが伝えない情報がどこかにあると。

 人々が集めた、あるいは接した情報や受ける実感が、メディアが伝える国や東電の発表としばしば食い違うからだ。メディアが隠すことはまずないが、真実を掘り出せなければ同じことである。本当に必要な情報が出てこなければ、向こうの世界の存在感が増す。ボールはいつも、こちら側にあるのだ。

 ネットで発言する人たちの多くは、こちらの世界には顔を出さない。山本のように、自ら決別しないといけないのが現実だ。小倉も加藤も今回は両方に顔を出したことになるが、こちらの世界でレギュラーを持っていると、局にたてつくことはできない。

 失うものがあるか、ないか。そして自分のアイデンティティーはどちらにあるかであろう。 先に会見で、内閣府の園田政務官が、浄化処理した原発の汚染水を飲んでみせるシーンがあった。ここで2つの世界がぶつかり合った。

 東電は、処理した水を発電所内に散布していた。これを「安全か」と問われて東電は「口にしても大丈夫」「海水浴場の基準を満たしている」といった。「じゃあ一杯飲んでみたら」といったのは、フリーの記者だった。これに政務官が「いつでも」と応じ、次の会見で実行したのだ。

 もともと飲用水ではないものを「飲め」というのは非常識だ。カイワレダイコンとはわけが違う。しかも飲んだ後に、「それで安全性が担保されたと思うか」と聞いたのもフリーの記者だった。その程度の人間をまともに受けた政務官もバカだ。これでは子どものケンカである。

 フリーの記者を納得させればすむことだ。原発の現場、水の採取から検査の中身まで、洗いざらい見せればいい。一般メディアには、政府・東電はウソをつくまいという暗黙の了解がある。が、フリーの記者にそんなものはない。また、現地へ行かず、発表をそのまま書き、ウソをつかれても怒らない、既存メディアへの不信感もある。

 もし記者のだれかが、「飲む必要はない」と園田氏を止めていたら、完璧だった。しかし飲ませちゃった以上、クラブもフリーもない、その場にいた記者全員が非常識、同罪である。フリーの記者だけを責めることはできまい。

 もとはといえば、メディアが役割を果たしていないからである。市民は報道に首を傾げ、ネットに耳をそばだてる。もし役割をきちんと果たしていれば、ネット情報はゴミになる。