2012年1月16日月曜日

脱獄騒ぎで気になったこと



 広島刑務所から脱走した中国人服役囚は,3日目になってようやく捕まった。実のところ、隠れ場所も食い物もなく、寒さの中を刑務所に戻る気だったらしい。まずはめでたしだが、どうにも気になって仕方がない。緊張感のなさは、刑務所だけではなかったからである。

 刑務所は川にはさまれているが、市内にはあと3本の川がある。警察は,橋を封鎖して封じ込める作戦に出て、800人からの捜索態勢をしいた。ところが逃走の足取りを追うと、服役囚は少なくとも2つの橋を渡っている。

 脱走した直後、東の公園まで逃げたが,臭いはそこで消えた。翌朝空き巣に入った家は、刑務所方向へ戻って刑務所を通り過ぎ、川を2つ超えたところだ。そしてさらに西へ進んだ先で目撃されたりした後、空き家で一夜を過ごしたらしい。翌日さらに北の市街地で捕まっている。

 警察官に発砲した殺人未遂の服役囚だから,特別手配になり手配写真が公表された。しかし捕まった男の顔は、写真とはまるで別人だった。白昼の大捕り物に見ていた市民は拍手したというが、その証言は「写真と違う。痩せていた」という。似てない手配写真とは、お笑いもいいところだ。

 結局見つけたのは,児童の登下校を警戒していた私服の女性警官だった。が、その警官は、男が着ていたジャンパーに日本人名があったために一瞬戸惑ったという。彼は、特徴のある毛糸の帽子をかぶっていた。盗まれた衣類の情報が,一線の警官にも通っていなかったのである。

 市民もまた、「凶悪犯だ」「怖い」といいながら、のんびりしていたように見える。白昼下着姿で歩いていた男を、大都市広島で,だれ1人見ていない。そんなことってあるのか? 

 翌日以降はいくつか通報があったようだが、捕まっていない。ということは、通報が遅かったのか。逆に、空き巣や空き家への出入りが騒ぎになると、たちまち目撃者が現れて、「物音がした」「怪しいなと思った」と、テレビカメラに話す。が、多くはそのときは通報していない。

 これは各地で起る他の事件でも実に多い。何年か前、博多で一家四人が殺されて博多湾に沈められた事件があった。犯人が何かを(後に死体とわかる)車に積むのを近所中が見ていた。後で「大勢でわいわいしていた」と証言していたが、だれ1人通報しなかった。

 だれしも覚えがあろう。「悲鳴が聞こえた」「争う物音がした」などの後追い証言をどれだけ見たことか。どうして記者は「なぜすぐ通報しなかったのですか」と聞かないのか。そのひとことで、みな気づくはずだ。

 「空き家に男が出たり入ったりしているので、おかしいなと思った」という若い男性。空き巣に入った家の隣家の男性は、「ミシミシと歩く音がした」。事務所で見かけた男性は、「何してんだ」と怒鳴ったという。だが、しゃべり出すのは騒ぎになってからである。

 この事件では、メディアもひたすら警察発表を追うばかりだった。空き巣に入った。黒いダウンジャケットなどを盗んでいった。飲み食いをして,唾液のDNAが服役囚と一致した。中国に電話をかけていた‥‥これは捜査であって、逃走している危険人物の情報を一刻も早く市民に知らせることとは別だ。

 男は囚人服を脱ぎ捨て、下着姿で逃げた。盗んだ服を着るしかあるまい。なれば、「盗まれた衣類」を絵にして出すべきだろう。捕まったときかぶっていた毛糸の帽子はよく目立つ変わった模様だった。テレビやネットの速報が生きる場面だが、「毛糸の帽子」と文字や言葉で報じてもなんの意味もない。

 男は捕まったとき、10円しか持っていなかった。その金をどうしたのかも不思議だが、逃げる気力を失っていたのが大きい。もし空き巣で現金でも手にして、堂々とコンビニで買い物をして,バスに乗ったらどうだったか。何しろ、手配写真とは顔が違ったのである。

 今回の顛末を、警察がどう総括するかが見ものだ。少なくとも手配写真は問われるだろう。市民の通報ぶりも,広島だけではないから、警察庁レベルで考えることになるだろう。オウムの平田信の「門前払い」やら,緊張感の欠けた話が続いているのだから。

 だが、警察の不手際をつくメディアはなさそうだ。発表をハイハイと聞いているだけのメディアは、結局同罪なのである。発表のアナを見つけて切り込む。市民に伝えるべき情報は何か、警察が出さなければ「出しなさい」「メディアをとことん利用しなさい」と、突っ込まないと警察はわからない。

 警察とはそういうものである。捜査情報はまずは囲い込もうとする。自分たちだけでやろうとする。しかし今回は隠す話ではない。公開の捜索なのだ。市民が一斉に目を光らせる必要がある事態だった。動員した警官の数は800人。対して市民の数は何十万人、目の数のけたが違う。

 これを生かすよう突っついて,仲立ちをするのがメディアの役割だろう。それには、警察とメディアの間に一種の信頼関係が必要なのだが、いまそれがない。どころか、陰の薄いメディアを警察が信用していない。

 ものいわぬメディアは,存在しないも同じだ。ご用聞き取材ばかりの事件報道を見ていると、惨憺たるものだった原発報道も,その延長上にあるのがよくわかる。こんなことを確認させられるのは,悲しいものである。

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