2009年6月22日月曜日

太蔵くんに聞いてみたいこと


 小泉チルドレンの杉村太蔵議員が、次の選挙に出ないと決めた。テレビでは、会見の映像が短く出たが、新聞では記事にもならなかった(多分ネットだけ)。まあ、その程度の話ではある。

 しかし、テレビというのは面白い。3年半前のシンデレラボーイ、太蔵君の映像と言葉が残っている。曰く「料亭と外車かぁ」「国会議員の給料って知ってますか? 2500万円ですよ」云々‥‥まあ、正直そのもの。とくに「料亭と外車」は、一般の人間が国会議員に抱いているイメージを端的に言い表して痛快だった。

 もともとニートだった若者が、なぜか自民党の比例代表名簿の下の方に載っていて、郵政選挙の圧勝で、間違って当選してしまった。おまけに正直に口を開いてしまうものだから、テレビは面白がって追いかけ回した。その言葉の数々である。

 小泉チルドレンは83人。小選挙区で刺客に仕立てられた強者もいれば、太蔵君のような“間違い”組もいた。とくに比例区の下位当選組は、当選したとたんから党執行部の頭痛のタネになった。本来当選するはずがない人たちだ。再度の大勝はありえないのだから、次の選挙で彼らをどうするか、どの選挙区にはめ込むかが、大問題だった。

 当人たちも、お定まりの道を歩む。党執行部や“親分”の言うままに、選挙区探し。議員活動の目的が、「次の選挙で当選すること」になったのである。この3年半に議員活動で存在感を示したのは、大甘にみても片手ほどもいない。あとは、2/3強行採決要員でしかなかった。

 太蔵君は、その点でも典型になった。親分の武部勤・元幹事長が北海道を用意したり、地元ともめる(当然だ)と「私は現職だ」などと議員風を吹かして総スカン。親分からも見放されて、次期公認の見通しがなくなったというわけだ。

 まあ、それだけでしかなかったといわれればその通りだが、彼にも起死回生のチャンスはあった。昨年秋からの金融危機で、派遣切りが大問題になったときだ。

 国会議員多しといえども、ニートの経歴を持つものは彼しかいまい。暮れの「テント村」騒動の際に、やろうと思えば「切られた者」の痛みを代弁できた。「わたしはニートだった」とメディアで声をあげ、派遣のナマの声を聞き、国会で質問し、本気になって支援に走り回れば上々だ。さらに学習して、雇用の仕組みにまで切り込んでいれば、道は大きく開けたかもしれない。

 まあ、次の当選すらおぼつかない議員に、役人が動いたかどうかはわからないが、少なくとも、テレビのネタにはなったはず。国民のために動き回る姿は、自身の勢いにもなっただろう。

 結局彼自身が、「料亭と外車」を守るつもりになったのだろう。国会議員が職業になってしまったら、それで一巻の終わりである。そんな議員は要らない。議員というのは、それまでの経歴を国会に持ち込まなければいけない。経歴そのものが、社会の矛盾や理不尽をたっぷり含んでいるのだから。

 しかし、国会を見渡せば、なんとまあ幸せな経歴の人たちばかりであることよ。高級官僚、いま焦点の二世三世、功なり名遂げた名士たち、議員秘書、松下政経塾‥‥いわば社会の上澄みを生きた人たちばかりである。

 彼らの多くが、「次に当選するため」だけに国会にいるのは、まぎれもない事実。国民が政治に感心をもたなくなった最大の理由である。だからこそ、「間違って当選した」若者が「開き直ってオオバケ」でもしてくれたら、ホント楽しいことになったろうにと、惜しまれる。

 ともあれ太蔵君は、あまりにも無垢で無知だった。メディアもそれなりの扱いしかしなかったが、彼がただの人になったときに、あらためて聞いてみたらいい。間違ってなった国会議員の一部始終をである。日々を克明に追うだけで、日本の政治の断面がスパッと切り取れると思うのだが、どうだろう。

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