2009年10月31日土曜日

香典の上前をはねるな


 先輩が亡くなって、葬儀に出られなかったので、弔電を打った。いまは、NTT東日本のホームページからパソコンで文面を送れる。便利なものだ。電信紙にカタカナで書いた時代があったなんでウソのようだ。

 ところがである。手続きを進めるうちに妙なことになってきた。まず「封筒を選ぶ」というのがあって、これが最高1万円から5000円、3000 円‥‥といろいろある。高いものは生の花がついたかごのようなものらしい。それが押し花になったり、刺しゅうになったりと、だんだん安くなる。

 では下の方はとみると、昔ながらの封筒みたいなのがあって、それには「ベーシック 0円」、つまり無料なのだった。カタカナ時代そのままである。しかしランクがあるとなると、さてどれを選ぶかは、かなり悩ましいことになる。いやらしいやり方だ。

 そして、申し込みを受け付けた確認のメールこそタダだったが、先方への配達の確認などその他もろもろはすべて有料で、それぞれに消費税額がついている。で、最後に電文の料金計算は?となって、これはまあ、あいた口がふさがらなかった。

 25文字以下660円(税込 693円)から始まって5文字90円刻みになっている。一般電報だと、はじめが440円(税込 462円)で以後60円(税込 63円)刻みだ。要するに、カタカナ時代と同じなのだった。

 ちょっと待てよ。5文字くくりとはいえ、ひと文字いくらという考えは、トンツーで打っていた前島密の時代のものだろう。手間もコストもかかるから、というのは誰もが納得する料金設定だった。ところがいまは、メールと全く同じ方式なのである。

 こちらの原文を、カナ漢字でそのまま貼付けて申し込むと、プリントされる結果も画面で確かめられる。われわれが日常送受信しているメールとプリントそのものである。25文字だろうと100文字だろうと、手間もコストも変わらないはずだ。

 にもかかわらず、ひと文字いくらという計算がいまもって生きている。いったいどういう神経か。また、文句をつける人はいないのだろうか。

 弔電や祝電は滅多に打つものではないから、だれもどんな形で届けられるのかを確認もすまい。定型の文面を選択すれば、「いくらです」という金額だけの話になる。利用者の無関心をいいことに、明治以来を続けているのである。

 数年前に打ったときはまだ電話の申し込みで、料金も「何文字でいくらです」と結果を聞くだけだったから、なんとなくカタカナの延長の気分でいた。昔から電報とはそういうものであったのだから。しかし、ホームページで仕組みが全部見えてしまうと、これはひどいものである。

 私の電文は104文字だったから、100文字=2,010円(税込 2,110.5円)プラス90円(税込 94.5円)。で、封筒もゼロではなんだからと、まあ、1500円(むろん消費税がつく)で、計3千数百円である。

 少し長めに書いたら、軽く5000円は超える。さらに封筒に凝ったりしようものなら、お香典の額になってしまうだろう。コストからいえば、文面 が短くても長くても一緒なのに、亡くなった人への思いが深い(長く書く)ほどぼろもうけ。さらに封筒で利用者の「見栄」をくすぐって、金額を積上げる。

 いってみれば、香典の上前をはねているようなものではないか。そんなくらいなら、現金書留で香典を送った方がよっぽどいい。

 それにしても、いったい誰が封筒に1万円だ5000円だという金を出すのだろう。代議士先生か? いや彼らはちゃんと香典を届けているはずである。でないと、票にならない。ではだれが? 会社関係か?

 弔電自体がもはや葬式のセレモニーの一部である。しかしなおも「電報」を騙ることで、死者を弔う善意のかなりの部分がNTTの懐に入っているのは間違いない。とうの昔に民営化したんだから、「明治の亡霊」をだしに商売なんかするなよ、まったく。

0 件のコメント:

コメントを投稿