2009年10月21日水曜日

思い込みのルーツが知りたい


 元金融相中川昭一氏の通夜、合同葬には驚いた。それぞれ3000人、2500人というのだから、フジテレビで小倉智昭が、「元閣僚で落選した人で?」といったのは無理もない。「死ぬといい人になることは多いが‥‥」と。

 普通なら通夜が新聞に載るケースではない。今回はウエブで逃げたところが多かった。ところがテレビは、歴代首相が並んだりして絵になるものだか ら、大張り切り。ワイドで、「繊細でいい人だった」とか、盟友だった安倍晋三氏が、「もっと国のために闘ってほしかった」という映像までが流れた。

 例のNHKの番組改編騒動で、朝日と対決したのが安倍、中川両氏だった。あのときの中川氏の話は支離滅裂。朝日が記事にしたとき、彼はちょうどパリにいて、朝日の取材に「ダメだといったんだ」と答えている。

 これが「圧力」と伝えられるのだが、帰国すると一転、「NHK幹部と会ったのは、放送後だった」といいだした。事務所のスケジュール表がそうなっていたと。そんなバカな。放送しちゃった後で「ダメだ」はあるまい。

 しかし刑事事件でもなし、朝日の突っ込みも今ひとつで、おまけに取材側の不手際なんかもあって、うやむやと争点がそれ、うまいこと朝日とNHKの喧嘩にしてしまった。

 騒ぎのもとは「タカ派」にある。教科書や拉致問題から核武装まで、中川氏は大物風を吹かして積極的に発言・行動していた。また、自民党も霞ヶ関もメディアも、「実力者だ」と甘やかしていた。これが結局、例のヘロヘロ会見につながるのだから、いいような悪いような‥‥。

 安倍、中川両氏のいうことを聞いていると、いったいどんな歴史教育を受けてきたのかと、訝ってしまう。文部省が近代史をちゃんと教えないから、 まともな人は自分で勉強するしかない。その場合、どの本を読んだか、誰の話を聞いたかで、話が決まってしまう。肝心なのは、何が書いてあるかではなく、何 が「書いてないか」「語っていないか」である。

 いま国会方面で勇ましいことを言ってる人たちに共通するのは、戦争を知らないこと、自分たちだけが正しいという思い込みである。まともに歴史を 読んでいないから、異説を知らないし知ろうともしない。要するに、歴史上の出来事なのだ。それが実力者などと奉られたりしたら、とんでもないことになる。

 こうした思い込みは、どうやって作られたのか。どうしても関心はそこへいく。彼らはひょっとして、戦争でひどい目に遭わなかったか、あるいはむしろいい思いをした人たちの子孫なのではないかと、実は疑っている。

 アンケートをしてみたらいい。「4親等以内で戦死、あるいは戦災で死んだ人が何人いるか?」「空襲で自宅が焼けたか?」。歴代の首相をずらっと並べて、「父親は戦争にいったか?」。この3つの問いだけで、相当なことが見えてくるはずである。

 徴兵制度に抜け道があることは、だれもが知っていた。社会の上層にあった人たちは、これを巧みに使った。国政・地方の議員に赤紙は来ないし、大 学進学も徴兵猶予の道のひとつだった。また、軍隊にとられても、配属先で手心を加える余地があった。しかし、本当の庶民には、赤紙を逃れるすべはなかっ た。

 私の家では、叔父、伯父が1人づつ戦死している。父親もとられるところを、若い頃オートバイ事故で足を骨折して、丙種だったお陰で助かった。「同時にとられたあいつも、あいつも中支で死んじゃった」とよくいっていたものだ。

 千葉の空襲で自宅も焼け、わたしは目の前で小学校が焼け落ちるのを見た。裏の一家が防空壕で全滅しているのも見た。これが戦争や安全保障を考える原点になっている。小学校2年生だったから、戦争を記憶している最後の世代だろう。

 国会でも同じことだ。同じに保守であり右翼であっても、戦争をどう実体験したか(ひどい目にあったかどうか)で違うし、それが戦後世代にまで及んでいる、という思いはぬぐえない。

 いまや議員の3分の2は戦争を知らない。また2世3世議員の多くが、靖国に参拝し、憲法改正をとなえている。安倍、中川両氏がその代表選手だった。まあ、何を考えようと勝手だから、それはいい。

 気になるのは、それらが様々に再生産されていることだ。靖国神社をみるがいい。歴史教科書では「書かない」ことを競っている。空自参謀長は、単細胞の論を隊内に広めていた。小林としのりが歴史だと思い込む若者は多い。

 その意味で中川氏は危ない存在だった。安倍氏の「彼から闘うことを学んだ」という言葉に如実に表れている。闘うのは勝手だが、それを「国のために」といわれては、大いに迷惑である。

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