2010年11月24日水曜日

権力とハサミは使いよう



 フジの朝のワイド「とくダネ」が、面白いアンケートをやっていた。「いま菅政権にいいたいこと」というのを、日曜日の銀座で100人に聞いたのだと。ただの○×ではなく言葉で書き込むのだから、100人がよくも答えたと思うが、MCの小倉智昭によると、「アッという間に集計できた」そうだ。

 それだけ、関心も高く、いいたいことがいっぱい、というのがよくわかる。スタジオに張り出した様も壮観だった。A4くらいの紙が100枚ずらりである。これをまた、内閣を「支持しない」「支持する」「どちらでもない」に分けたら、53:20:27と圧倒的に不支持だった。

 中野美奈子アナが拾い読みをすると、「不支持」からは、「期待していただけにがっかり」「私たちの一票はどぶに捨てられた」、「支持」からも「しっかりしろ」、「どちらでもない」からは「守れない約束はしないで」と、どれも1年前には「支持」だった人たちの声である。

 何ともストレートな結果で、ただのアンケートよりぐっと響いてくる。能書きをたれるには本来向いていないテレビでも、アイデアひとつで、結構インパクトの強い結果が出せるものだな、とあらためて感心した。

 それよりも、これを民主党がどう受け止めるかである。枝野幸男・幹事長代理が、「政治というものが、野党と与党でこんなにも違うとは」といっていたそうだ。政権に就いて1年も経ってから?と驚くが、まだそれに気がつかないのもいるようだから、長過ぎた野党暮らしのツケとはいえ、つくづく人間の頭の切り替えは容易でないとわかる。

 最近ようやく、「未熟だ」「権力慣れしていない」といういい方が新聞でも当たり前になってきたが、それはもう、昨年の鳩山首相から始まっていた。毎日記者団に取り囲まれるなんてことは、野党時代にはなかったことだから、ついつい口が滑って、「発言がぶれる」などといわれた。

 閣僚も党幹部も、権力があればこそ発言は重い、というイロハがよくわかっていなかった。これに小沢幹事長の横車が入ったりすると、ますます発言がうろうろとおぼつかなくなり、支持率を下げた。

 政治と金の問題から小鳩の退陣で、すっきりしたと思われたのだが、代わって登壇した菅首相がまた、権力の使い方と官僚との距離感がわかっていなかった。参院選で唐突に「消費税」をいい出したのがその典型で、結果は惨敗。以来首相は貝になってしまい、個別の案件は閣僚に丸投げになった。

 不思議なのは、「消費税」をいい出したとき、党内からだれも「菅さん、それはまずいよ」といわなかったことだ。トータルな権力のあり方、党の理念、政策の優先順位での首相のリーダーシップについて、かくあるべしという、確たる姿を思い描いている人がいなかった、心を通わす友もいない、むしろ敵だらけということであろう。

 政権に就けば、政策は日常業務になる。景気対策、雇用、年金・医療、マニフェストの約束、その財源をどうする‥‥おまけに尖閣問題、北方領土。これらを乗り切るのに何よりも必要な、首相の意志が見えない。国会で答弁はしているのだが、何を考えているのかが見えない。

 かつて、野党の代表質問をペーパーなしでやってのけた菅直人は別人か? このところ「いい間違えないように」とメモを読む姿ばかり。先の胡錦涛会談で、目も合わせずにメモを読む菅首相を、胡錦涛が哀れむように見つめていた。「あれがわが総理大臣か」と、これが民の声である。

 官僚との距離感はもっと難しい。野党時代には官僚は敵で、菅直人は追及の急先鋒だったから、いまもって間合いがとれないらしい。財務相時代には逆に取り込まれて、それが「消費税発言」につながったともいわれる。官僚を使いこなすどころか、すっかりなめられている。

 先週終わった事業仕分けで、最後に与党同士のやり合いになったのは皮肉だった。昨年の仕分けで廃止・縮減になった事業が、続々と復活していた。メディアが「ゾンビ」と名付けたやつだ。それを再仕分けしたところが、政務官が「閣議決定してる」と反発していた。それもひとつやふたつではない。

 仕分けられた事業を平気でまた出してくる官僚も官僚だが、本来、それに真っ先に気づくはずの政務三役が、見逃したのか丸め込まれたのか、中には新成長戦略の項目に入っていたものもあるのだから驚く。

 閣議は膨大な予算書の内容までは精査しない。各省と政務三役がちゃんとみているという建前で、予算案を決める。その決定をたてに抵抗するのだから、立派な族議員だ。首相は官僚だけでなく、閣僚にもなめられたことになる。

 メディアは、仕分けと内閣との整合性がとれていない、などと他人事のように伝えているが、そんな話ではないだろう。行政刷新会議は民主党の、いわば基本理念である。そこへ「ゾンビ」を仕立ててくるのは、明らかな造反だ。首相は怒ってみせないといけなかった。閣議をだまくらかしたのだから。

 それよりも事前に「そんなことは絶対に許さない」といっておけば、いかに厚顔無恥な役人でも予算書から削除したはず。そのひとことが、権力なのだ。「俺が後ろから見ているぞ」という重石でもある。

 これがないから、怒りもない。顔も見えない。存在感がない。失言大臣の首ひとつ切るにもうじうじ。そのくせ一兵卒・小沢一郎の首は切れないでいる。支持率は下がって当たり前だろう。(今朝のTVでは21.8%というのがあった)

 政権交代を経験したのは、政治家だけじゃない。いまや国民も、権力を与えたのは自分たちだと実感している。銀座の100人の声は、ただの世論ではない。ある意味「主権宣言」であり、権力の使い方をきびしく問うていた。

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