2010年3月22日月曜日

悲しき居酒屋



 補聴器がとうとう寿命になって、長時間の使用ができなくなった。7年以上も使ってきたから、何かがへたってしまったらしい。ちょっと信じられないのだが、物知りによると、補聴器のコアは岩塩なのだそうで、湿気で元へ戻らないところまできてしまったのだと。

 ただ、乾燥剤に入れておくと、1時間半から2時間くらいは何とか機能を回復する。で、限界になると、突然ご臨終だ。雑音になったり聞こえなくなったり。もう半年以上になるが、話をしていて、「あ、申しわけありません。終わりました」と話を切り上げることが多い。

 左はもうほとんど聞こえず、残りの右を頼りに補聴器を使っていた。メーカーに聞いたら、「この型は修理が終わりました」と、マイクロソフトみたいなことをいう。「新しいのを買え」と。しかし、これが結構な値段なのだ。イヌと散歩しているただのおじいさんが、大枚をはたく必要があるかどうか、大いに悩む。補聴器には限界があるからである。

 悲しいかなマイクだから、あらゆる音を均等に拾ってしまう。こちらが必要なのは人の声だけなのに、マイクは町の騒音もテレビの音も隣の人の話声も、何もかも一緒くたに拾って増幅する。

 最初に補聴器を付けたときは、まあ世の中こんなに騒音にあふれていたのか、が実感である。デジタル技術で多少音質を調整したり雑音をカットすることはできるのだが、がやがやわいわいの「居酒屋状態」にはどんな高級機種も対応できない。

 人間の耳は、騒音の中でも自分の聞きたい音を拾い分ける。耳だけではなく、脳で聞いているのだ。難聴はその機能が失われているから、いわば耳自体もマイク化している。そこへ補聴器のマイクを重ねて音量をアップしても、元の耳とはほど遠いものを聞かされることになる。

 その割にはよく使っていた方だと思う。仕事の上でも必要だった。しかし、多人数で重なって飛び交う言葉がつかまえられない。小声の冗談が聞こえない。滑舌の悪い人が聞きとれない。空調の音や小さなテレビの音が邪魔‥‥必要な音の40%もつかまえられただろうか。おそらくそれ以下である。

 そんな風だから、いまたとえ新しい補聴器を仕入れても、結果の見当がついてしまう。効果の割には高すぎるよ、それなら、必要なときだけ時限装置つきの補聴器でいいやと、そういうことなのである。テレビは直接イヤホンで聴く。パソコン見るのに音は要らない。

 ただ、家族との会話はほとんどできなくなった。車も運転できないから、免許証も捨てた。平衡感覚もおかしいから、山登りやスキーはできない。かくて、音の少ない静かな生活は、ひょっとしてぼけるんじゃないか‥‥これはあまりいい気分のものではない。

 ところが、ひょんなことから新兵器が見つかった。前から気になっていたICレコーダーというヤツである。以前はインタビューのときMDを使っていたが、録音状態をモニターすると、補聴器よりはるかに有効だった。そのMDがぶっ壊れたのだ。

 さて最新の機器はどの程度の聞こえなのか。イヤホンをもってヨドバシへいって、片っ端から聞き較べてみた。これが実によく聞こえる。補聴器とくらべても遜色がない。係のお兄さんに「補聴器より音がいいねぇ」といったら、「そりゃそうですよ。マイクが違います」だと。なるほど、補聴器のマイクなんて哀れなほど小さい。

 それでいて、お値段は補聴器の10分の1よりはるかに安い。イヤホンをつけていても、音楽を聴いてるように見えるだろう。これこれ、というので仕入れてきた。デジカメ用のネックストラップで首からぶら下げたり、胸のポケットへ入れたりして、目下テスト中だ。少しづつ不都合もわかってきたが、いざとなったら、相手の目の前に本体を突き出すか、外付けマイクを使えばいい。これで時間切れというのはなくなりそうである。

 現に昨夜、知り合いと食事をしたのだが、「居酒屋状態」の中で、テーブルに本体を放り出しておいたら、なんとかなった。科学技術の進歩はすごいものだ。

 ICレコーダーは、オモチャみたいなメモリチップに音が記録される。しかも12時間とか連続でOKなのだそうだ。かつて国連の記者会見などで、記者たちが弁当箱みたいな録音機を一斉に突き出していた光景を思い出す。小さな新型は決まって日本人だった。それがマイクロテープになりMDになり、いまはだれもがICなのだろう。

 パソコンや携帯電話にしてもそうだ。これらがなかった時代、みんなどうしていたんだろう。あらためて、昔のお年寄りを思う。父も聞こえが悪かった。母は最後まで聞こえていたが、目がダメだった。ふたりとも静かにこたつにすわって、テレビを観たり居眠りしていた。どんな思いで老いに耐えていたのか。

 わたしのいまの聞こえは両親よりはるかにひどいものだが、科学技術のおかげで、まだなんとか健常者(嫌な言葉)の中に入っていくことができる。パソコンのおかげで、文章でのやりとりやブログの発信は普通にできる。遅く生まれた幸せというものなのかなと、つい遠い目になる。

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