2009年9月1日火曜日

頭の切り替えが必要なのは?


 テレビの開票速報というのは、時間勝負のあだ花である。時が経てばはっきりするものを、ほんの少し早く勝った負けたと伝える。技術の進歩か、今回はやけに早かった。だが、あまりに「当選」「当確」が早いと、正直「大丈夫かよ」と心配になる。

 事実間違いはよくあるし、今回も散見した。ただ、テレビはすぐさま訂正ができるから、翌日まで訂正ができない新聞と違って、気楽に未確定情報を流しているように見える。

 いちばん先走っていたのがテレ朝で、ついでTBS。NHKが一番控えめだった。今回の焦点は政権交代だから、自民の大物が苦戦したり、落選したりという展開が見どころ。先走って数字をどんどん伸ばしてくれた方が、見る方としては面白い。

 中継はテレビだけが持つ強みである。勝った、負けたのほか競り合いもある。女性候補に追いつめられた森喜朗氏の事務所は、灯りも消え、カーテンを閉め切って、一時報道陣の立ち入りも禁止していた。これほど当夜の自民党を象徴する絵はなかったろう。

 大勢が見えたのも早かったが、民主が308とは恐れ入った。小選挙区制のマジック。前回は自民がこれをやって、「小泉チルドレン」が生まれた。今度は「小沢チルドレン」だ。党が支持を保ち続けないと「明日はわが身」になる。その意味では真剣勝負になろう。

 そのためなのか、民主党の幹部は一様に笑顔が少なく、発言も慎重だった。鳩山代表は、「数におごってはならない」と控えめで、別の幹部は「いよいよわれわれが試される」といった。

 民主党がやろうとしていることは、全くの未体験ゾーンである。しきりにいわれた「財源」には、「予算の組み替え」をやるといい、「国家戦略局」 の設置、党と政府の一元化、事務次官会議の廃止、省庁に政治家を100人配置‥‥どれも自民党がやってきたことの裏返し。霞ヶ関と永田町をひっくり返す話 である。

 こうした場合、もっとも変化に対応できないのが、当の政治家たちであり、ジャーナリストたちである。長年にわたって55年体制、自民ルールにひたってきたのだから仕方がない。

 細川連立政権が誕生したときがそうだった。あれは8派の寄り集まりで、新聞には「八岐大蛇(やまたのおろち)」みたいな愉快な怪獣のマンガが 載った。8つの頭は考え方が少しづつ違うのだから、閣僚の発言がときにずれた。すると、野党の自民党が「閣内不一致だ」と責め立てる。新聞も書く。

 連立政権というのは、個別の政策で一致していればそれでいい。それぞれの党の存立に関わるような哲学の一致までは無理だ。だからこそ連立なので あって、ドイツでもイタリアでも、連立の国はみなそうしている。だから政策がまとまるまでにも時間がかかる。民主主義とはそういうものなのだ。

 これがわかっていなかった。次の自社連立でもこれは変わらず、再び自民の多数時代になって、今度は参院のねじれに対応できなかった。新聞、テレビは二言目には「衆参のねじれがあるから動きがとれない」と書く。福田首相はこれと選挙の重圧で政権を投げ出してしまった。

 ねじれに対応するには、参院で野党の法案修正に応じるなど話し合いに頭を切り替えるしかない。だが、これができない。結局は55年体制なのであ る。自民党の政調と霞ヶ関が作った政策を、粛々と衆参両院を通すことしか頭にないから、修正などとんでもない。政治とはそういうものだと。

 民主党の青写真は、これにまとめて決着を付けようとしている。「国家戦略局」と「一元化」は、予算策定を官僚の手からとりあげ、党と政府のカベ をなくすものだ。特別会計のヤミも、野党ではのぞくことすらできなかったものを、初めて手にするわけである。何が出てくるかわからない。

 とんでもない大変革である。本当の発案者がだれなのか、知りたいくらいだが、はたしてメディアは頭の切り替えができるだろうか? 連立政権すら理解できなかった政治記者たち。なにしろ彼らの頭の中は、古いルールでいっぱいなのだから。

 政権交代が現実のものになったというのに、翌朝のテレビトークでは相変わらず、「財源はどこに?」「霞ヶ関とどう折り合いをつけるか」とか、新聞にも「参院は単独過半数ではないから、安定が‥‥」なんて話がおどっている。

 鳩山体制が動き出したとたんに、ひとつ先のシナリオになっているはずだが、いまはまだ、頭がついていっていない。そして遅かれ早かれ、日本中が切り替えを迫られることになる。もたもたしてると、国民にも置いていかれるぞよ。

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