2009年5月14日木曜日

どんな取材をしてるんだ?

 どうも事件報道がおかしい。連休のはじめに、名古屋近郊で母子3人が死傷する事件があった。いまだに物取りか怨恨かすらわからない奇妙な事件だが、それ以上に奇妙なのが警察と報道である。こんなぐうたら捜査と気のない報道は見たことがない。

 少し長くなるが、事件のあらましはこうだ。5月1日の夜、夕食をすませたあとにまず母親(57)がスパナで殴り殺された。次に帰宅した次男 (26)が包丁で刺され死亡。日付が変わって2日午前2時過ぎに帰宅した三男(25)が、ナイフで首の辺りを刺され、粘着テープで縛り上げられた。

 次男が出勤しないのを不審に思った勤め先の上司が、午後零時過ぎになって、警察官を伴ってこの家を訪れた。中から縛られたままの三男が飛び出してきて警官に「中に2人殺されている。犯人は逃げた」と告げた。警官が中をのぞくと、黒っぽい服装の男がうずくまっていた。

 警官は家族だと思い、「大丈夫か」と声をかけたが、本署から無線連絡が入ったので外で交信。2分後に戻ったときには、男はいなかった。中へ入って、次男の遺体を発見、大騒ぎになった。

 ここから話は、いっそう奇妙になる。警察は近辺で緊急配備を敷いたが、「若い男」「黒っぽい服装」という情報を、「不確実だ」と捜査員に伝えなかった。

 家の中の血痕はきれいにふきとられていて、浴槽と洗濯機の中に血の付いたタオルなどが入っていた。凶器とみられるスパナ、柄が折れた包丁、ナイフがみつかった。

 しかし、母親の姿がみつからないまま、その日の捜査を終わっている。その母親の遺体を押し入れの中でみつけたのが、なんと翌3日である。押し入れには、飼い猫の死体もあった。

 あらためて調べると、犯人は母親を殺害してから、推定で14時間以上もこの家にとどまって、室内の血痕を入念に拭き取ったり、財布から現金を抜き取っていた。食事をした形跡もあるとか、三男とは言葉のやり取りもしていた、などが明らかになった。とにかく奇妙だ。

 ただ、こうして話がつながるのは、実はこれまでの報道のつなぎ合わせ。遺体がみつかったまではすぐに発表したものの、細かい現場の状況について、警察はどうやらまともな発表をしていないらしい。

 警官が犯人を見ていたとわかったのは、発生から6日も経った8日。それも新聞・テレビ一斉にではない。9日になって「捜査幹部が明らかにした」などと書いているところもあるくらいだから、警察全体が初動のドジにすくみあがって、貝になってしまったらしい。

 こうした情報はどれも、発生から1日も経てばすべてわかっていたことばかり。それを一週間も経ってから、「血が付いた小刀、三男を襲った凶器か」とか「三男は衣類を被せられ粘着テープでぐるぐる巻き」などと報じているのだから、間が抜けているなんてもんじゃない。

 いったいどんな取材してるんだ、といいたくなってしまう。つまり報道と警察の関係はどうなっているんだと。
 
 警察は隠すのが仕事。いまいま始まったことじゃない。その固い口をこじ開けるのが報道の仕事だ。カギは人間関係である。どうやるのかは、人それぞれ。仲良くならないと、情報もとれないし、夜討ち朝駆けもできない。

 一番手っ取り早いのが、飲み仲間になること。新聞に入って真っ先に教えられるのが、「警官と役人にいくら飲ませ食わせしても罪にはならない」ということだった。だから、警視庁担当になったりすると、取材費では足らないから、借金が増えるなんて話はよく聞いた。

 わたしは酒がダメだから、その手は使えなかったが、ひょんなことから気に入られて、特ダネにつながることもないではなかった。こうした警察取材が、その後の記者活動の基本になるのである。どこへいっても、情報の大半は人間関係からしか出てこないものだからだ。

 ところが、最近の事件報道をみていると、その基本のところが壊れちゃったな、思える事例が後を絶たない。決して愛知だけのことではないのである。

 広島で女の子が外国人に殺害された事件のとき、犯人が逮捕された日の朝刊に、どうでもいい捜査経過の記事が載っていて、唖然としたものだった。

 つまり、間もなく逮捕という状況が全くとれていない、信頼関係ができていないんだな、ということであった。それだけ警察内部の情報管理が整ったのだといえなくもない。

 しかし、それならそれで、手の打ちようはあるはず。向こうがそうなら、各メディアが結束して、情報をきちんと出すよう正面玄関から申し入れるようでないとおかしい。むろん、警察庁も突っつく必要がある。総力戦なのだ。

 今回の情報の出方をみていると、そうしたイロハすら、もはや機能していないのかなと思ってしまう。「やり方がまずいんじゃないの?」と苦言もいえないとしたら、問題は警察よりも報道側にある。

 事件での警察情報なんてシンプルなものだ。その警察官の口もこじ開けることができずに、中央官庁の役人や政治家、財界の海千山千の口を開かせることなんかできるわけがない。

 それでなくても、ネットで簡単に情報がとれるようになって、若い記者たちが机に座っている時間が長くなったとよく聞く。人と会う労を惜しんでいては、ウソを見抜くこともできなくなるだろう。最近は紙面の作りも変わって、かっこいい調査報道や解説記事が幅を利かせている。

 しかし、泥臭い事件取材をおろそかにしたら、必ずつけはまわってくる。ストレートに情報をとる能力が衰えれば、いずれどこかできびしいしっぺ返しを食らうだろう。近年よくある誤報や盗用が、将来の姿を映しているような気がしてならない。

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