2011年11月27日日曜日

8ヶ月の時間


 福島第1原発の空撮写真が、朝日新聞に載った。「東電が空撮?」と思ったら、「本社機から」だった。「やっと飛んだか、8ヶ月も経って」。だが、「高度1万3千㍍から撮影」とある。なんてことだ。

 国交省が30km圏内上空の飛行禁止を設定したのは、3号機爆発直後の3月15日である。5月31日には20km圏内になり、その後条件は少し緩んだが、飛行禁止そのものは続いている。この写真は、20km離れた高空から望遠レンズで撮ったというわけだ。

 だったら、なぜ5月に撮らなかった?と聞きたくなる。この8ヶ月間に原発上空を飛んだのは、自衛隊の放水ヘリ以外は、無人機だけである。今回の事故で、メディアは政府の規制をそのまま受け入れ、地上でも30km圏内の立ち入りを自粛した。空からの規制も律儀に守っているわけだ。

 規制は本来一般人のためのもの。警察や自衛隊が入れる以上、報道もまた特別に扱われて当然だが、これを認めないのは、「見せたくなかった」からであろう。しかし、大手メディアはこれに異を唱えなかった。いや、唱えたかもしれないが、突き破れなければ同じことだ。ゲリラ突破すらやっていない。

 放射能の危険はあった。が、防護服と線量計で安全の限界は見極められたはずである。現に警察や自衛隊は、そうして規制区域内に入っていた。にもかかわらずメディアは,一般人になったのである。1万㍍上空なら真上だって大丈夫だろうに、ここでも一般人になった。なぜかくも従順なのか。あるいは、規制を幸いと逃げたように思える。

 写真には、原子炉建屋の内陸に、汚染水のタンクがずらりと並んでいた。東京ドーム8個分の敷地だという。一般人の知らぬ間の大工事だ。写っていたのは8ヶ月という時間だった。

 これに先立って、第1原発に事故後はじめて取材陣が入った(12日)。しかし、記者は東京、福島、外通の36人がバスに乗ったまま、原子炉の周辺を回り、免震重要棟を訪れただけ。ガラス越しとはいえプロのカメラがとらえた映像は鮮明だ。津波と爆発のすごさにはあらためて驚く。しかし、どれもみなすでに知っている光景である。

 「防護服を着て」「息を飲んだ」「無惨な」‥‥新聞・テレビが伝えるどんな言葉も空しく響く。初めて会見に応じた吉田昌郎所長は「もう死ぬだろうと何度も思った」といった。8ヶ月も経って聞きたい言葉じゃない。映像も言葉も、事故直後でこそ報道ではないか。

 原発内の状況の悪さは予想をはるかに上回った。原型をとどめないほどぶっ壊れた3号炉建屋付近では、放射線量はバスの中で最高1㍉シーベルトにもなった。しかし、汚染の低いところには,防護服姿の作業員の姿がある。彼らの作業環境はよくなったという。よくなかった時を見過ごしておいてなにを今更である。
 
 朝日新聞は、ずっと取材を申し入れていたと書いていた。しかし、そんな言い訳自体が敗北である。この8ヶ月を恥じよ。この日は、メディア敗北の記念日だと思ってしかるべきだ。

 そんな中、朝日の連載「プロメテウスの罠」が面白い。事故直後、さまざまに研究者の動きを縛った元凶を突き止めて、こちらでは8ヶ月前を引き戻したのである。

 気象庁気象研究所(筑波)の海洋、大気の放射能汚染観測は世界最長を誇る。事故のあと文科省が「予算を他にまわす」と中止をいってきた。民主党参院議員が動いて7月予算が戻った。この間、予算的には止まっていたのだが、研究者はよそからの援助で観測を続けていた。長期観測の記録はかろうじて途切れずにすんだのだった。

 ところが、記事を見た文科省が、「助けたのはだれか」と記者にまで聞いてきた。「予算を返してもらう」のだと。未曾有の事故にも観測実績が途切れることにも無頓着。「財務省がうるさいから」というのだから呆れる。

 気象研の所長は、研究者の学会誌への発表を止めた。海外の専門家との共同執筆だった。世界中が待っているデータでもあった。しかし、自分の論理と保身だけで動く役人たちには、余分なトラブルのタネとしか映らなかったらしい。

 これらが全部実名で出てくるのだから、17日にあった気象庁長官の定例会見は、連載内容の質問一色になったそうだ。しかし、長官は「文科省に聞いてくれ」の一点張り。「文科省」を16回も繰り返したと、連載が書く。

 汚染状況の把握と公表が滞ったのは、東電と官邸のせいばかりではなかったことがよくわかる。見事な取材だ。部分的には、敗北のアナを埋めている。ついつい,これがリアルタイムだったらなぁ,と思ってしまうのは、へその曲がりすぎだろうか。

 このシリーズは3つ目の「観測中止令」が終わったところだが、まだまだ続く。何が出てくるのか,大いに楽しみだ。ただ、連載でちょろちょろと小出しに続くのが、何ともかったるい。

2011年11月20日日曜日

巨人内紛で見えたもの


 読売巨人軍の清武英利球団代表兼ゼネラル・マネージャーGMが、ナベツネこと渡辺恒雄球団会長を批判したのには驚いた。いわば飼い犬が手を噛んだわけだが、いつか誰かがやるだろうと、誰もがこの20年余思っていたことでもある。

 巨人とプロ野球界でのナベツネの専横は周知の事実だ。とにかく巨人のことだけ。いい選手がとれないとドラフトに枠をはめる。近鉄がなくなったときの冷たさ。他球団は眼中にない。さらには取材記者への柄の悪さは「老害」とまでいわれていた。新聞・テレビが大きく報道したのは当然だろう。

 ただ、情報の流れがこれまでと違った。11日午前9時、文科省の記者クラブにあった会見の予告を、メディアは一斉にネットで流し、ツイッターは「不祥事か?」といった予測も交えてふくれあがった。午後2時からの会見には100人もが詰めかけ、生中継した「ニコニコ動画」は28万人余が視聴した。新聞・テレビが伝える前に、これだけの数が中身を知っていたのである。

 夕方から各テレビ局がたっぷりと時間を割き、新聞も12日朝刊で大きく展開した。一番張り切ったのは産経で、1面、政治面、運動面から社会面まで6ページに関連記事が出た。まあ、ごくろうさまである。対照的に、日本テレビはちょこっと。当の読売は運動面にベタ記事で、「ヨミがどう書くか」と期待した向きはがっかりだった。

 一方のツイッターはほぼ「祭り」状態で、ほとんどが清武支持。「ナベツネ辞めろ」の大合唱で、読売の扱いに失望したという声も少なくなかった。これらメディアの伝え方までを克明に報じたのは、yahooやJcastといったネットのニュースサイトである。

 翌12日、渡辺会長が反論を出した。「事実誤認、名誉毀損、悪質なデマゴギー」と痛烈だった。清武会見は確かに、筋としておかしい。日本シリーズという時期も最悪だった。反論には説得力があって、これも大きく報じられた。

 スポーツ紙は、中日スポーツ以外は全紙が1面で、日本シリーズ第一戦が見事に吹っ飛んだ。まあ、前代未聞である。笑ったのが当の読売で、運動面の長~いベタ記事。最初がベタだったから、大きくしたくてもできない。さすがに清武代表を切った時は、1面だったが‥‥。

 いってみれば、巨人が勝てないことからきた、つまらぬ内紛なのだが、新聞・テレビが大きく報じたのは、ナベツネの専横はプロ野球だけではなかったからである。むしろ本業の新聞の世界で、彼の落とした影は大きい。

 彼の登場以来、在京6紙の論調は常に3:3ないしは4:2に割れる。日経があっちこっちするからだが、発行部数で一番の新聞のトップが、自民党政権と深く関わった影響は決して小さくはなかった。

 官邸から警視庁にいたる記者クラブの、権力監視という一枚看板が崩れ、メディア間の連帯が失われた。事件の現場に報道陣が押しかけるのは変わらないが、いま彼らの仲間意識は希薄だ。互いにかばい合う空気は全くない。

 ペルーの日本大使館がゲリラに占拠されたとき、テレビ朝日の記者がスキをついて中に入ったことがあった。出てきた記者はペルーの警察に身柄を拘束されたが、現場に何十人といた日本人記者は、何のアクションも起こさなかった。抗議の声明を出したのはペルーの記者たちだ。ニュースを見ていて心底恥ずかしかった。

 このときナベツネは「人質を危険にさらした」と非難し、これが世論になる。哀れテレ朝の記者は特ダネをほめられるどころか、内部で処分された。しかし、ゲリラはすでに一部記者を招き入れており、人質に危険なぞなかった。もしこれが読売の記者だったら、ナベツネは「何が悪い」と開き直っただろう。

 彼はまた、新聞協会での世論形勢にも力を発揮し、長く協会を左右した。むろん他紙の腰抜けぶりも非難されるべきだろうが、彼にそれだけの迫力があったことも事実である。しかし、これが30年近くも続いた結果、メディア全体の劣化の遠因になったと、私は思っている。

 彼は政局にも堂々と関わった。ロッキード事件で有罪となった佐藤孝行氏(故人)の入閣をメディアがこぞって攻撃したとき、仕組んだのがナベツネだとわかって、読売の政治記者は悲惨なことになった。政権交代後も、ことあるごとに彼の影がちらつく。

 ナベツネ本人は気がついてもいまいが、その結果は読売の紙面に表れている。在京6紙のなかで読売が一番面白くない。記者が自由な発想を抑えられたときどうなるか、の見本である。部数競争では勝った。ナベツネの魅力で優秀な人材も流れた。その結果がこれだ。恐ろしいものである。

 かつての読売はもっとやんちゃで元気があった。いま彼らは、主筆であるナベツネの枠の中でしか動けない。他紙の記者に「オレは書けないけど、がんばってくれ」と声をかけた、なんていう話が聞こえて来る。彼らの目に、清武造反がどう写ったか。

 巨人の内紛報道では、新聞もテレビも、情報の早さ奥行きでネットにかなわなかった。ネットのお陰で、新聞も変身を迫られている。福島以来メディアへの信頼も揺らいだ。老害も賞味期限切れが近いかもしれない。

 その時読売で何が起るか。今回は切られてしまったが、第2、第3の清武は出るのか、ちょっと楽しみではある。

2011年11月4日金曜日

もうひとつの世界


 先月初めに放送された「BSスカパー!」開局記念番組であったバトルが、いまだに話題になっている。ネットの動画でいつでも見られるからだ。ナマで見逃しても大丈夫と、友人がネットで教えてくれた。とんでもない時代になったものである。

 この特番は10月1日、土日34時間にわたる構成で、総合司会は、フジ「とくダネ!」の小倉智昭と日テレ「スッキリ」の加藤浩次。朝の人気番組の顔が並んだ。バトルがあったのは1日深夜の時間帯、福島原発事故を追った岩井俊二監督のドキュメンタリー作品「friends after 3.11」だった。

 スタジオトークに岩井監督、俳優の山本太郎らが出た。山本は、テレビ番組を降り、所属事務所もやめて、福島の被災者支援に打ち込んでいる。その山本が「毒を垂れ流す東電ばりに毒を吐きます!」と宣言して、司会の2人に突っかかった。

 「キー局での皆さんの番組では、おそらく局側がブレーキをかけている」と地上波・情報番組の伝え方に異を唱えた。小倉は「ブレーキというより、入ってくる情報が、東電や政府の発表しかないから……」「それを流すだけでは、報道機関としてどうなのか。オリジナルの取材はしているのか? 放射能被害をきちんと追求しているのか」

 加藤が、「踏み込んでるよ。少ない人数で取材をしているけれど」と応じたが、山本は「それでは、ただの御用局ですよ!」とまでいった。その後も、加藤と山本の「(事実を)隠していない」「隠している」という応酬が続いた。

 テレビとしては耳の痛い話だ。情報番組の取材力なんてリポーターのレベルでしかないが、それをいうわけにもいかない。山本も報道番組との区別がついてない。といって、報道もあのていたらくである。つまり、山本の批判は新聞にも当てはまる。

 「friends after 3.11」は見応えがあった。とくに、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章のインタビューは出色だった。ナマの声はやはり活字とは違う。

 「私の目からみると……戦争よりもひどいことが進行してる、福島で。でも殆どの人が気がついていない。ここは関西(京大)ではほとんど他人事です。汚染を正確に知ってほしい」

 「原子力は衰退します。でも原子力が産み出してしまった核のゴミに立ち向かうという、どうしても必要な仕事がある。もう1度人生を生きられるなら、このためなら戻って来ます。原子力をすすめるためには二度と来ません」

 もとはスカパーだが、ネットに載るといつでも、何度でも見られるのである。しかし、パソコンにもスマホにも無縁の人には別世界だ。存在すら知らない。にもかかわらずいま、人々は薄々感じている。山本のいう「情報」、新聞やテレビが伝えない情報がどこかにあると。

 人々が集めた、あるいは接した情報や受ける実感が、メディアが伝える国や東電の発表としばしば食い違うからだ。メディアが隠すことはまずないが、真実を掘り出せなければ同じことである。本当に必要な情報が出てこなければ、向こうの世界の存在感が増す。ボールはいつも、こちら側にあるのだ。

 ネットで発言する人たちの多くは、こちらの世界には顔を出さない。山本のように、自ら決別しないといけないのが現実だ。小倉も加藤も今回は両方に顔を出したことになるが、こちらの世界でレギュラーを持っていると、局にたてつくことはできない。

 失うものがあるか、ないか。そして自分のアイデンティティーはどちらにあるかであろう。 先に会見で、内閣府の園田政務官が、浄化処理した原発の汚染水を飲んでみせるシーンがあった。ここで2つの世界がぶつかり合った。

 東電は、処理した水を発電所内に散布していた。これを「安全か」と問われて東電は「口にしても大丈夫」「海水浴場の基準を満たしている」といった。「じゃあ一杯飲んでみたら」といったのは、フリーの記者だった。これに政務官が「いつでも」と応じ、次の会見で実行したのだ。

 もともと飲用水ではないものを「飲め」というのは非常識だ。カイワレダイコンとはわけが違う。しかも飲んだ後に、「それで安全性が担保されたと思うか」と聞いたのもフリーの記者だった。その程度の人間をまともに受けた政務官もバカだ。これでは子どものケンカである。

 フリーの記者を納得させればすむことだ。原発の現場、水の採取から検査の中身まで、洗いざらい見せればいい。一般メディアには、政府・東電はウソをつくまいという暗黙の了解がある。が、フリーの記者にそんなものはない。また、現地へ行かず、発表をそのまま書き、ウソをつかれても怒らない、既存メディアへの不信感もある。

 もし記者のだれかが、「飲む必要はない」と園田氏を止めていたら、完璧だった。しかし飲ませちゃった以上、クラブもフリーもない、その場にいた記者全員が非常識、同罪である。フリーの記者だけを責めることはできまい。

 もとはといえば、メディアが役割を果たしていないからである。市民は報道に首を傾げ、ネットに耳をそばだてる。もし役割をきちんと果たしていれば、ネット情報はゴミになる。

2011年10月29日土曜日

ハントシノイノチ


 福島・南相馬市の市立病院が9月末に行った検査で、市内の小中学生527人を調べた結果、半分の268人から放射性セシウム137が検出されていたことがわかった(25日朝日朝刊)。「2人に1人」は確かに衝撃だ。

 ただ、体重 1キロ当り10ベクレル(Bq)未満が199人、20Bq未満が65人と大半で、35Bq以下の要注意は4人だった。記事は、「今後の経過を」と当たり前の書き方だったが、肝心のことが抜け落ちていた。

 セシウム(半減期30年)は排せつが比較的早く、大人で100日、新陳代謝の高い低学年だと30日くらいで半減する。小中学生をかりに平均60日で半減としても、検査の時点で6ヶ月経っているのだから、8分の1になっている計算だ。被ばく直後はいったいどれくらいの濃度だったか。

 記事にある学者のコメントも、「数カ月後に検査して推移をみれば……」なんていっている。おいおい、さらに6ヶ月後なら単純計算で当初の60分の1以下、低学年なら何百分の1だ。半年というのは、そういう時間なのである。

 このところ、古い話がしきりに出ている。(日付は新聞掲載日)
・ 福島原発の電源連結見送り(23日)。東電の元幹部が口を開いた。
・ セシウム汚染マップ(24日)。文科省の発表だ。
・ 東電の黒塗り文書公表(25日)。保安院発表。
・ 核燃料の再処理は割高、事故コストの試算(24、25日)。原子力安全委。
・ ヨウ素剤を服用すべきだと、原子量安全委が政府に助言(26日)。政府は動かなかったと。

 いずれも、数カ月前に伝えられて当たり前の情報ばかりである。7ヶ月も経って、核燃料は割高? バカにするな。そんなことはもう日本中が知ってる。黒塗り資料だって、いまできるなら半年前にできたはずだ。ヨウ素剤の服用では、科学者ならば当然わめき続けるべきを、そこで沈黙しておいていまになって話す、その神経がわからない。

 一方で、日本エネルギー経済研究所の「原発建設鈍ればCO2増」という「脅し」の試算もちゃんと載っていた。手前味噌の試算でも、ご用聞きの記者たちは律儀に書く。「その筋」はしっかりと動いている。

 そんななか、朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」が、福島原発事故直後の政府の情報管理に切り込んでいる。最初のシリーズ「防護服の男」では、原発周辺の住民や自治体までもが、高い汚染の放射線情報からシャットアウトされたさまが、ナマの証言で示された。しかも、情報は「上から」封じられていたと。ただごとでない。

 証言を積み重ねて追い詰めていく手法は、手間もヒマもかかる。人数を動員できる大きなメディアでないとなかなか難しいが、出てきたものは動かぬ証拠である。ただ、最初のシリーズは証言だけで終わってしまい、ちょっと肩すかし。住民が最初に不審を抱いた「防護服の男たち」にもたどり着いていない。

 しかし、手がかりは十分だ。たどり着けないはずはない。データを温存してじわじわと追い詰める手法かなと思っていたら、次のシリーズ「研究者の辞表」でやっぱり切り込んだ。

 この研究者は、事故発生と同時に現地入りの準備を始めたところ、所属していた研究機関から動きを止められた。そこで辞表を出して、NHKのスタッフと一緒に現地に乗り込んでいた。現地では様々なものが見えた。

・ 文科省は放射能予測システム・SPEEDIで、いちはやく高濃度汚染地を予測していた。しかし実測の結果は、住んでいる住民には伝えられなかった。
・ 日本気象学会は、3月18日の時点で会員に独自の研究結果の公表を控えるよう呼びかけていた。
・ 警察・自衛隊、政府機関も研究機関も「上から」数値の公表を禁じられていた。住民に「何者だ」と問いつめられて、「下請けだ」などといった‥‥。
・ この研究者の現地入りに待ったをかけたのは、誰なのか、もある。

 後に汚染を知って怒りを伝える住民の証言は切実だ。計測をした当事者の話にはさらに説得力がある。先を急ぎたい読者に、連載の展開はややかったるいが、「上から」が政府のどこなのかが焦点だ。いずれは官邸にたどり着くものだろう。

 ただ、書き方からは、官邸以外に「上から」がいくつもあったような嫌な予感もある。例えば、海江田経産相も枝野官房長官もSPEEDIの予測をあとまで知らなかったとか。文科省は予測データを報告したが、住民への告知は「うちの仕事じゃない」とか。

 展開が日々スリリングで、真綿で首を絞めていくような嫌らしさもある。ご用聞き記事ばかりの福島原発報道のなかでは出色だ。読み物としても面白い。

 ただ、読んでいてどうしても拭えないのが、なんでいまごろ? という思いである。連載のなかで、文科省の職員が「330マイクロSv/h」という計測結果に「大変だ」と叫んだのは、7ヶ月前なのだ。この時間を、書き手はどう感じているか。

 今回大手メディアは、原発周辺への立ち入りを自粛した。これは歴史に残る汚点になるだろう。しかし情報はとれる。電話取材ででも何でも、かき集めたデータで、少なくともその時点での真実に近いものにはなるのである。ただし、やるのはその時だ。

 一部住民はまだ住んでいた。多くの人が防護服で、あるいはなしで出入りしていた。連載は、その同じ人たちを取材した結果である。しかも内容は、連載で悠長に読むものではない。半年の遅れは何だったのか。酷なようだがやっぱり聞きたい。半年前お前は何をしていた?

2011年10月25日火曜日

オレオレを逃した


 電話が鳴って「はい」と出たら珍しくせがれからで、「オレだけど」と「いたずら電話とか無言電話はない?」とかもごもごいう。耳がよく聞こえないから、「そんなものはないよ」と、受話器を女房に渡してしまった。

 せがれが用事があるのは女房に決まっているし、ときどき聞き間違えては叱られているからでもあった。あとで聞いてみると、無言電話がやたらかかるので、携帯電話の番号を変えたということだった。「5万円もかかったんだって」「エー? ずいぶん高いな」

 翌朝、警察の委託を受けているという女の声の電話があって、○○高校の同窓会名簿をもとに、オレオレ詐欺が仕掛けられているからご注意を、ということだった。「オレにはかかってこないなぁ。楽しみにしてるんだが‥‥金がないとわかるのかなぁ」なんていってるうちに、話がおかしくなってきた。

 女房がせがれにメールをしたところ、「携帯なんか変えてない。電話もしてない」とわかったのだ。前夜の電話は新しい番号というのを知らせていて、「そっちからかけてみて」といわれて、女房は1回かけていたのだった。

 「オレオレ詐欺よ。声が違うなと思ったんだけど」。なんでも体調が悪くて、下痢が続いているといっていたので、疑わなかったらしい。

 そうか、もとはオレか。てっきりせがれだと思って、名前をいいながら受話器を渡していたから、女房もそのつもりだったと。案の定、そのあと何度か女房の携帯にはかかってきたのだが、素早い女房はその前に件の番号を「受信拒否」にしてしまっていたために、記録だけが残っていた。

 敵もしびれを切らしたのか、夕方には最初にかかった固定電話にかけてきて、なんとせがれの名前を名乗ったのだそうだ。女房はとぼけて「ハァー?」を連発したら、最後は「バカヤロー、このやろう」と切ってしまったという。いや惜しかった。

 耳さえちゃんと聞こえていれば、敵の誘いに乗って、かわいいせがれのために走り回る父親の役を演じてやろうと、日頃から手ぐすね引いて待っていたというのに。むろん、ちゃんと警察に手を回してである。携帯電話はリアルタイムで発信地がわかるから、面白い話になるぞーーなんていうシナリオも、ちゃんと声の聞き分けができてこそだ。

 それにしても、朝の電話の「警察の委託を受けて」というのも、ちょっと引っかかる。本物の可能性もあるらしいが、「オレオレの一味」とも考えられる。何しろ、最近のは手が込んでいるそうだから、「○○警察ですが」なんてのが現れたかもしれない。

 そうなると本物のお巡りさんを見慣れている私としては、ますます面白かったのに。う~残念。女房は「その耳じゃね」という。ごもっともである。

 その昔、取材で一度詐欺師をだましたことがある。そのときわかった詐欺師の最大の弱点は、自分がだまされるなんて夢にも思っていないことだった。これで見事にひっかけて、「詐欺師はいた!」という珍しい記事になった。

 カメラマンも離れたところから隠し撮りをして、といっても私をだまそうとしているのだから、詐欺は未遂だ。顔を出すわけにはいかない。しかし、カメラマンはさすがに腕達者だった。「カモがかかった」と上機嫌で去っていく詐欺師の後ろ姿をわざとブレブレに撮って、社会面のトップに仕立てたのだった。

 そうした古典的な詐欺師に較べたら、いまの「オレオレ」は何とも陰湿である。年寄りのなけなしの蓄えを、情け容赦もなく持っていく。被害はこのところ減ったが、かつては年百億単位だったのだから目を疑ってしまう。

 なんと善良で疑うことを知らない人が多いことか、と思うが、考えてみれば私も女房もそのとば口には引き込まれていたわけだ。こっちは金なんかないから気楽なものだが、これが1人暮らしのお年寄りだったりすると、引っかかるのかなぁと、あらためて考えこんでしまう。

 なればこそ、その「バカヤロー」のお兄ちゃんだけでも、ふん捕まえてみたかった。彼らだって、自分がだまされるなんて、夢にも思っていないに違いないのだから。敵が残していった電話番号は「080-4604-8369」。絶対にかけちゃいけませんよ。非通知設定か公衆電話以外は。

2011年10月21日金曜日

ラジウムの教え


 世田谷の「ラジウム騒動」は、多くのことを教えてくれているように思う。姿の見えない放射線と、どうつき合っていくか。科学知識の限界。そしてメディアの果たすべき役割‥‥これらを冷静に考える時間をくれたのではないだろうか。

 ラジウムはどうやら、戦前のものらしい。その謎解きはともかく、福島の原発事故がなければ、おそらくだれも気づかなかった。市民までが放射線測定器を持ち歩くようになった結果である。

 その家には50年以上、夫婦が住んでいた。夫はすでに90歳で他界。80代(90歳とも)の妻は今年の2月まで住んでいて、いまも施設に健在という。係累がどうかは不明だが、おそらく、子どもたちもここで育った‥‥しかし今のところ、放射線障害の話は出ていない。

 家の中の放射線量は年間17㍉シーベルト(mSv)というから相当なものだ。ひょっとして50年間もその中で暮らしてきたとなれば、大変な人体実験をしていたことになる。彼らの過去、現在の健康状態がどうであるかは、貴重なデータかもしれない。

 放射線被ばくによる人体への影響は、広島、長崎の生存者と、チェルノブイリ事故の追跡調査しかない。国際原子力機関(IAEA)の基準もこれらが元になっている。しかし、その基準自体が論争のタネだ。

 年間被ばく量1 mSvが安全というが、一方で「緊急時には20mSvでも」といい、原発作業での被ばく限度は「通常は100mSv」「緊急時は250mSv」だのと、いろんな数字が歩き回る。こうなると人間のご都合次第である。

 これでは一般の人はどれを信じていいかわからない。小さな子どもを持つお母さんたちの心配も、風評被害もすべてこれが元である。そうした中で、科学者たちの頼りなさも明らかになった。

 科学的にはゼロが一番。これは間違いない。が、どこまでなら安全かという「しきい値」はない、というのも統一見解だ。一方で、放射線はDNAにキズを付け、がんの発生につながると、これまた正しいとなると、だれも断定ができない。科学者の見解が頼りのメディアもまた、うろうろするばかり。

 世田谷の騒動が「ラジウム」と聞いたとき、だれもが思い浮かべたのが、各地のラジウム、ラドンの鉱泉だ。古来「身体にいい」と庶民に愛されてきた。朝日新聞がそのひとつ、山梨の「増富温泉」の話を伝えていたのが面白い。

 「何百年もこの温泉につかってきたわれわれが、元気に暮らしている」(のが答えだ)と、これは動かぬ証拠である。これに専門家が、「濃度次第。ラドン温泉の入浴程度なら問題ない」といっていたが、数値がいくらなら大丈夫とも言わない。それではもう科学とはいえまい。

 この家の放射線量は、とても「入浴程度」ではなかった。これが何年続いていたのか。家主夫婦は長命なようだが、家族の健康状態はどうなのか。ラジウムとセシウムではどう違うのか。日本中がいまいちばん知りたいところだろう。

 だが、ラジウムが福島と無関係とわかったとたんに、報道は止まってしまい、またホットスポット探しに戻った。福島、千葉、東京、神奈川と連日のように高い値が伝えられるが、科学者までが報道のレベルになってしまっては困る。

 どのみち、雨水の吹きだまりである。「心配することはありませんよ」「じゃぶじゃぶと洗い流してしまえばいい」と、はっきりといい切れないものか。いえないのだったら、口をつぐんでいてくれ。余分な物言いは、不安を煽るばかりなのだから。

 われわれはずっと人体実験をされているようなものだ。広島、長崎、第5福竜丸、世界中を放射能が覆った核実験時代を経て、チェルノブイリがあって、福島である。世田谷の夫婦はそのうえラジウムの放射線を長年浴びていた。が、90歳なら長寿のうちだろう。

 日本原子力研究開発機構の海洋汚染シミュレーションで、「この9月で核実験時代と同レベル」というのがあった。われわれは50年前、ちょうどいまと大差ない状況を何年にもわたって生きたのである。当時は汚染のことなど、だれも教えてくれなかった。その結果いま、日本は長寿世界一になった。見事、人体実験を生き延びた優等生というわけだ。

 しかし、今のままではいつまでたっても答えは出ない。ここはひとつ発想の転換が必要ではないか。すでにある低線量被ばくデータの解析である。欲しい答えはただひとつ、どの程度なら「無視できる」か、「しきい値」を探すことだ。科学者は否定するかもしれないが、絶対にある。「われわれが元気に暮らしている」のが何より証拠ではないか。

 比較的高い放射線のもとで仕事をしていた人たちはいくらでもいる。まずは原発作業員、医療従事者、治療を受けた患者、国際線の乗務員、ラジウム温泉のようにもともと線量の高いところもある。
 
 膨大な聞き取りと統計処理の作業だ。疫学の出番である。必ずしも放射線の専門家である必要はない。的を絞って知恵を絞れば、必ず何らかの結果は出て来るはずだ。もし政府が呼びかけたら、あちこちの大学や研究機関から手が上がるだろう。まだだれも知らない世界なのだから。

 かつて環境汚染に新たな目を開いた「奪われし未来」を思い出す。3人の著者は化学の専門家ではない。すでにあるデータを、問題意識をもって並べ直してみた結果、新しいものが見えたのだった。今回の放射線でも、問題意識さえあれば、素人のメディアでもひょっとしてと、そんな気がしている。

2011年10月16日日曜日

取材過程がさらされる


 小沢一郎・民主党元代表の記者会見はひどいものだった。小沢氏には、後になって批判が出たりしているが、まあ当然だろう。しかしそんなことはどうでもいい。問題は記者の方である。世界中を探しても、全体主義国家以外でかくも従順なメディアはないだろう。

 「国会での説明責任」を問うた記者に、小沢氏は「君はどう考えているの、三権分立を」と逆質問。この詭弁に記者が立往生して「もっと勉強して来なさい」とやられてしまった。そこで引き下がってどうする。他の記者から助太刀も出ない。

 また、4億円の素性を聞いた記者には、「検察に聞いて下さい」。さらに3人目の質問には、「ルールを守りなさいよ」ときた。司会者が冒頭、質問を4つに限り、新聞・テレビとフリーの記者に各2問としたのを「ルール」だという。最初につぶやいた「今日はサービスするか」が聞いて呆れる。

 しかし、記者たちは反論せず、「ルール」を黙って受け入れた。「三権分立」も想定済みの切り返しだろうが、詭弁である。三権は分立しているからこそ、国会での証言を拒む理由にはならない。裁判に影響するといういい方自体が、裁判官に失礼だろう。しかし、こうしこうした言葉が記者の口から出ることはなかった。

 テレビ会見の怖さは、取材過程がさらけ出されることだ。カメラは何でも記録する。記者がへっぽこだと、それがそのまま視聴者に伝わってしまう。まして言い負かされてしまっては、あとでいくら立派な記事を書いたところで、だれも信用してくれないだろう。自分たちも見られているーーこの怖さを、記者たちがどれだけ自覚しているか。

 あれは、小泉首相だった。イラクへPKOを派遣する根拠に、「憲法の前文に、世界平和に貢献し、とある」とやった。側近の入れ知恵だと後で聞いた。これに対してだれ1人、「総理、憲法には本文もありますよ」といわなかった。テレビニュースを見ていて、記者がなぜ反論しないのかと、いらいらした人は少なくなかったのである。

 小沢会見はそもそも、記者会見なんてものではなかった。「オープンの会見」と呼んでいたらしいが、ちゃんちゃらおかしい。記者会もフリーの記者もいたというだけのこと。小沢氏はこの1年ほど、フリーの記者たちのネットの会見によく出ている。つまり、フリーと記者会とで対等だということらしい。どちらであれ、「ルール」を受け入れた時点で、記者の側の負けである。

 もしこれが30年前、40年前だったら、「質問を4つだけ」というだけで、その場にいた全員が口々に叫んでいただろう。「何でだ?」「そんな会見があるか」「質問が怖いのか」「聞きたいことは山ほどあるんだよ」

 「君はどう考えているの?」なんて言おうものなら、四方八方から矢が飛んできただろう。日頃激しく競争してはいても、理不尽なことにはみなひとつになったから、質問に質問が重なって、ああいえばこういうも当たり前。ただし、どちらも真剣だった。小沢氏のような、はすっぱな調子で記者をバカにする政治家なんていなかった。

 思うに、今の記者たちはむろんのこと、小沢氏自身がその時代を知らないのであろう。すでに国会議員だったと思うが、まだ駆け出し。自民党幹部として記者たちに囲まれるようになるのは、20年もあとだ。その頃は両者の力関係が変わっていた。

 「メディアは、オレがいった通りを書けばいい」が小沢流だ。これ実は、小沢氏が大嫌いな検察官の言い草というのも皮肉だが、記者たちがこんなことを守るはずはない。とりわけ小沢氏の場合は、見出しになる言葉が少なく、思わせぶりばかりだから、だれも素直には書かない。

 身辺が身ぎれいでないから、逆に嫌な質問は山ほどある。これが嫌だからと、インタビューはおろか会見もしない。これを自民党幹事長時代からずっと通してきた。民主党になってからでも、「会見はサービス」といっていた。許してしまったのはメディアの側である。

 記者たちはなぜ、こんなにおとなしくなってしまったのか。ひとつはテレビがあるようだ。テレビカメラは、映像も音声も丸々記録してしまう。かつてのような、ざっくばらんな、時にははげしいお言葉の応酬はなくなり、紋切り型の質問ばかりになった。

 最近はまた、音はICレコーダーで録り、パソコンを持ち込んで発言をいきなり叩いている。だから、発言のフルテキストがすぐ出てくるのだそうだが、これではキーパンチャーであって、とても記者とはいえまい。

 おかしな答えや失言があっても、文句やブーイングすらないのも合点がいく。瞬時の切り返しはおろか、ああいえばこういうができるわけがない。ひたすらキーを叩き続けるご用聞きである。

 だから、あんな政治家ができる。小沢一郎を作ったのは、だれなんだ。テレビの視聴者は、とうにそれに気づいている。気づかないのは記者ばかり。これで報道の自由なんていえるのか。