2011年4月18日月曜日

放射能が隠れ蓑?


 高校の山登り仲間が亡くなって、習志野での通夜の席に同級生4人が顔を合わせた。みな同い年だから、元気だったのが先に逝ったら本来意気があがらないところだが、中の1人が東電のOBだったことから、お清めの席だというのに、例の話で盛り上がってしまった。

 この男は理工系で、東電では安全担当だったというのだから、話の核心である。ところが、彼にいわせると「安全の問題でいろいろ提言しても、まったく聞き入れてもらえなかった」というのだ。理詰めの論議が通らない、経営や原発のイメージを守るといった、まったく別の論理で原発は動いていたのだという。

 さすがに詳しいことは話さなかったが、「放射能がもれなくてよかったねぇ」という危ない綱渡りはいくつもあったという。東電はこれらを、鉄壁の秘密保持で切り抜けてきた。今回はじめて、その実情が見えてきたというのも、考えてみれば驚くべきことである。

 最新の技術の上に作られていながら、とてつもない数の手作業がそれを支えていた。労働力の大半は立地した地元の人たちで、雇用と安全との一種のバーターである。しかし、その労働実態は外には出さない。防護服と線量計に守られた何百人もの姿なんて、出せるわけもない。

 メディアもまた、東電のシナリオで動いていた。出てくるのは、理論と設計図と原子炉の仕組みと何重もの安全措置、だから安全だという結論と経済効果だけ。安全措置を支えるのが人海戦術であったというのが、すっぽりと抜け落ちていたのである。

 今回これをぶち破ったのは津波だった。安全基準がどうこういったところで、千年に一度の大津波を想定できなくてもある意味仕方があるまい。ここまでは天災だった。問題はそのあとだ。津波で原発全体がどうなったか、それを把握した上で、真っ先にやるべきことは何か。この判断を誤ったのである。

 なによりも東電の秘密主義があった。原発が壊れたらどうなるか、の安全判断よりも、他の論理が優先したのだ。科学的な事実、理詰めが必要なときに、長年の経営志向から抜けきれなかったトップの責任は重い。

 しかも秘密主義は、事故が起こってからも続いた。少しづつ小出しにされる事実にメディアも国民も、また各国の専門家、政治家もいらだった。サルコジ大統領がなぜ飛んできたのか。フランスの政治的思惑はともかく、東電をコントロールできない、日本政府に対する不信の表明は明らかだ。

 米軍は、最初の爆発事故の3日後には、無人偵察機「グローバルホーク」を原発上空に飛ばした。これがいまのところ、壊れた建屋の様子を間近に知る唯一のデータである。日本政府の要請ということになっているが、怪しいものだ。だれよりもアメリカが欲しいデータだったはずである。

 そもそも政府が出した「上空飛行禁止」がよくわからない。高度1000mでもだめなのか? 2000mでは? 「30キロ以内撮影禁止」なんて、メディアがなぜおとなしく従っているのかもわからない。防護服を着ればすむことではないか。原発の敷地内でだって撮れるはずだ。秘密主義はいまもって生きている。

 津波直後の福島第1、第2の映像・写真が10日、新聞.テレビに出た。「ああ、これでは」と、ひと目で被害のひどさがわかる。しかし発表が津波からひと月後である。これをもし直後に公表していたら、世界中が戦慄したはず。その後の専門家の論議も大きく違っただろう。

 しかし、東電も原子力安全・保安院も、爆発の被害や汚染、放水の話ばかりを流し続けた。あたかも原発全体は正常であるかのように‥‥メディアも概して全体像には無頓着だった。ここがもっとも肝心なところだ。

 写真と同時に被害状況も発表されたが、こちらはひょっとして、1ヶ月たってやっと把握したのではないのか。何百人という作業員の作業の実態は依然わからないままだ。が、メディアは相変わらず結果(発表)だけだ。

 ひと月の区切りに、新聞・テレビがまとめをいろいろ出した。ポイントは2つ。東電の秘密主義と官邸の機能不全だ。ことの始まりでは東電が、その後は菅首相の指揮官としての能力だという。首相にこうした評価が出ること自体、情報というものの意味と扱いをわかっていない証拠だ。

 そして、話はやっぱりメディアに戻る。作家の赤川次郎が、「原発報道は腰が引けている」と朝日新聞に書いていた。「新聞のコラムで、安全だという話を無批判に流したメディア、などと書いてあって呆れた」という。確かにメディアは、原発に関しては電力会社の手のひらに乗った孫悟空の感がある。

 それはいまも続く。「原発収束の工程表」の報道でも、「原子炉建屋にすっぽりと覆いを」なんて発表通りを伝えている。テレビでは、模型の原子炉に箱みたいなものをポイとかぶせて見せる。それがどんなに大変な工事か、しかも高い放射能の中である。「そんなものできるのかよ」という疑念がない。

 放射能という目に見えないカベがそうさせるのか。東電もまた、それをフルに利用してきたのではないのか。「まず、現場を踏め」という鉄則を怠ったツケは、どこかで払わないといけない。

2011年4月7日木曜日

写っちゃった映像


 車で逃げた人の多くが、渋滞のために津波に巻き込まれた、という記事がいろいろ出ている。津波では車で逃げてはいけないと。なにをいまごろ。津波の直後に流れたテレビ映像に、飲み込まれるシーンは沢山あった。そのときの印象は少し違うものだった。

 圧巻はNHKの映像だった。ヘリが仙台空港を飛び立ってすぐだったのか、名取市を襲った津波の先端をつかまえた。あたりは一面平坦な畑である。土や芥を巻き込んで真っ黒になった津波の先端が、生き物のように広がって行く。きれいに整った畑を、ビニールハウスを、家々を、車を飲み込んでいく。

 何か燃えているがれきを抱え込んだまま。海から運んできた漁船が家と並んで流れていくという奇妙。そして、津波の先端は、まだそれと知らずに道路を走っている車を何台も飲み込んだ。その先の道路には、まだ走っている車が沢山いた‥‥。

 ところがカメラマンには、最大のドラマが見えていなかった。広い画面の右端の遠くに写っていたのだが、カメラは左の方へ、津波の本流の渦へと向かってしまう。おいおい、あの車を見せろ‥‥。

 多分、同じカメラだろうが、この少し後で、迫り来る津波を見たドライバーが争って農道へ逃げる場面があった。しかし農道は狭い。最後の一台は立往生したまま飲み込まれた。これも画面の隅っこだった。

 カメラは気づかずに津波の舌の先を追う。と、農道の先が行き止まりで、先行した4、5台が立往生していた。後ろから津波が迫る。あわや、というときに、映像は切れてしまった。これも見えていなかったのだ。もしズームアップしていたら、「100年に一度」の絵になっただろう。最初に飲み込まれた車だって、そうだ。

 災害や事件の現場映像で、しばしばお目にかかるドジである。しかし広い画面には何でも「写っちゃっている」ために、放送を見ている方が「アーッ」という。どんなときでも必ずある。テレビカメラのファインダーではよく見えないのかもしれない。しかし、走っている車には人が乗っているーー何より肝心な視点が欠落していたのである。

 中継映像は同時に東京も見ていたはずだ。もしデスクが「流されていく車を追え」といっていたら、悲惨な光景になったか、高台にうちあげられて助かったかーー事実、多くの人が奇跡的に助かっている。だが、その現場映像というのはひとつもなかった。

 むろんこちらはただの視聴者だから、見ている映像は断片(しかも画面の隅の方)にすぎないが、それでも、車で走っている人たちの危うさは十分に読み取れた。むしろ、車の半分くらいは、津波のツの字も知らずにのんびり走っているように見えた。

 地震のあと、多くが家族のもとへ走る途中に巻き込まれた。しかし、ラジオも聞かず、音楽でも聞いていればそれっきりだ。かくて道路の上りも下りも同じように、おそらくいつものように車は走っていた。いったいどれほどの車が、そうして飲み込まれたことか。

 視聴者が撮った映像で、向こうから津波が迫ってくるなかを、逃げるように去っていく車があった。と、すれ違って津波の方へ行く車が一台。見ていて「アッ」と思った。運転手からは家並みの向こうの津波は見えていない。だが、これを流していた番組のキャスターが、これに触れることはなかった。これまた、全然見ていないのである。

 家が飲み込まれて行く光景はいたるところでとらえられていた。撮ったカメラマンたちは、あのなかにまだ人がいるかもしれないと思っていただろうか。かなりの人が逃げていなかったことは、行方不明の数字が示している。

 ヘリからの実況も相変わらずひどかった。おそらく、ヘリに乗るのは新米記者で、大方画面でわかることしかいわない。「画面を見ればわかるよ」と、これは毎度のことである。

 現場ルポは本来、画面に写っていないことをしゃべるもの、場合によっては、カメラに指図しないといけない。なにしろファインダーでは見えていないのだから。「ヘリの中継はこうやるんだ」というのを見せてやりたくなるというのも、思えば悲しいものである。

 あらためて、テレビは映像の力を十分に生かしているのか、といいたくなる。映像は命といいながら、単に時間つなぎ、ニュースやトークの場所映像、バックの賑やかしに費やしてはいないか。だから「写っちゃった」映像でもいいというのか。

 さらに感ずるのは、編集する側もまた、映像を見ていないことだ。現代の映像機器は、一昔前には思いも及ばなかった機能を満載している。逆にいえば、バカでも押せば写る機械でもある。

 そうして「写っちゃった映像」でも、結果は完璧で、実に沢山の中身をもっているものである。記者やカメラマンにはわからなくても、わかる視聴者は多いはず。だからこそ、今回のような未曾有の事態では、どんな断片でも貴重なのだ。そうした映像を粗雑に扱っているのを見ると、心底腹が立つ。

2011年4月2日土曜日

週刊誌に遅れをとった?


 読みたかった記事は週刊誌にあった。週間ダイヤモンド4月2日号が、福島原発事故での東電の初動の混乱ぶりを伝えていた。前の日記に「原発の顔が見えない」と書いたのだが、その理由もちゃんと書いてあった。

 津波で電源が失われ、冷却ができずに1号機の炉内圧力が高まったとき、水蒸気を逃がす(ベント)必要をいう現地責任者に対し、東京の本店は消極的だった。政府が現地と連絡をとろうとしても、本店経由でしかできない。菅首相が12日朝ヘリで福島へ飛んだのは、「ベントしろ」といいにいったのだという。ベントは行われたが、直後に水素爆発が起きた。

 14日に2号機で「空焚き」が起こったとき、東電は政府に「全員撤退したい」といってきた。政府は驚いた。現地に連絡すると、必死の作業で「水を入れた」というのだが、東京は発表しない。そこで翌未明、菅首相が本店に乗り込んだ。

 「腹をくくれ」「撤退したら終わりだ」と怒鳴り声が部屋の外まで聞こえたという、すでに伝えられた話と、ここでつながる。だが、新聞は「首相が怒ってはいけない」とか、「ヘリで飛んだのが対応を送らせた」とか。ついには国会でも取り上げられたが、話はずいぶんと違う。

 以上はいずれも、政府関係者の話となっている。だが、官邸周辺なら一般紙の記者がいくらでもいる。なのにこういう話が出てこないのは、とっかかりが違うのだろう。おそらく東芝筋である。

 記事によると、東芝は地震の直後から技術者がスタンバイしていた。東電の本店にも詰めていたのだが、廊下にいて部屋にも入れてもらえなかった。東芝首脳は「最も原発を知っているのは技術者、専門家だ。もっと早く手を打てたはずだ」といったという。

 実質原発を動かしているのはメーカーだ。水が切れたらどうなるかを、いちばんわかっていたのも彼らである。だが、本店は鈍感だった。齟齬は本店と現地との間にもあった。現地責任者は吉田昌郎・発電所長(執行役員)。その判断が事態を好転させたと、政府も東電内部でもいっているらしい。

 外部電源引き込みの配線作業は、自衛隊の放水のさなかだった。危険だと、放水中止をいう本店に対して、所長は「やる」と判断、結果的に成功した。このとき現場でも本店でも拍手が起きたそうだ。「彼がいなかったら、パニックになっていただろう」

 こうしてみると、新聞やテレビの報道は、記者会見のワクを出ていない。東電の裏に切り込むすべを知らない、というよりやろうともしないのではないかと疑いたくなる。本音を聞き出せるソースをもった、経済部記者の1人や2人いなかったのか。日刊紙が週刊誌に遅れをとるとは‥‥。

 報道のアナはまだあった。500人からいるという原発作業員の実態が見えないのも、腑に落ちないことだった。読売新聞が、日に2食で、大部屋でごろ寝をしながら、がんばっていると伝えた。「おい、明治時代じゃあるまいし」と、「原発哀史?」と書いたら、友人から文句のメールが来た。

 書き方が悪かったのか、彼らを馬鹿にしたように読めたらしい。一方で、小名浜港につけた海王丸が、作業員の入浴や休養施設になっているというのもあった。それでこそ当たり前だろう。ホテルを借り切ってもいいくらいだ。取材する方もされる方も、要はどこまで人間を見ているか、である。

 だが、作業の実態に踏み込んだ報道はなかった。と、TBS朝のワイド「朝ズバッ」に、元東電の社員というのが出てきた。彼は、「防護服というが、あれはナイロンの薄っぺらなもので、放射線を防ぐ機能はない」という。マスクをして手足を密閉しているのは、浮遊している放射性物質をとりこまないためだと。

 つまり、吸い込みによる体内被曝は避けられるが、放射線はそのまま受けている。線量計をつけるのはそのためで、警報がなったら退避する。しかし、被曝量は積算されるから、年間被曝量に達したら現場にはもう入れない。「今回のように汚染度が高いと、ベテランが次々に現場に入れなくなっている」と聞いて、初めて合点がいった。

 交代で短時間の作業をつなぐにしても、高濃度汚染の中ではますます作業時間が短くなる。働けない人もどんどん増える‥‥それは過酷だ。いい方は悪いが、被曝と引き換えに給料をもらっているようなものである。

 おまけに線量計が不足で、グループにひとつで作業しているなんて報道もあった。とくに地元の作業員に選択肢は少ない。多くは震災の被災者でもあり、家族は避難所暮らしだろう。いかに非常事態とはいえ、現代の「哀史」といいたくもなる。

 彼らなしでは原発もまた成り立たない。それが原発というものだと、今回初めてわかった。青い海と緑の芝生に囲まれた清潔な原子炉の建屋が並ぶ、あの「絶対に安全です」というPRパンフレットは、いったい何なのか。新聞は何を見てきたのか。

 元原発作業員という人たちの声が断片的にテレビに出る。茨城だったり埼玉だったり、避難所からだ。津波のあと、自分の判断で原発から退避した人たちである。「戻るべきか」と揺れながら、福島の動きをじっと注視している。

 その人間ドラマをもっと読みたい。東電の本当の顔も見たい。いまの事態が延々と続けば、人手は際限なく必要だ。作業員たちの終わらない日々を見届けたい。これに応えてくれるメディアは、はたしてあるのだろうか。

2011年3月30日水曜日

原発哀史?


 朝日新聞(27日付)に、東電福島第2原発の女性社員が、本社幹部にメールしてきた現場の状況というのが載った。原発の現地で働いている人間の声が伝わるのは、これが初めてだ。

 「第1、第2とも所員の大半は地元民で、被災者。私も実家が津波で流され、両親は不明。でも、緊急対策本部で缶詰のうえ、家が退避指示区域なので入れない。みんながんばってますが、こんな精神状態での過酷な労働、もう限界です」とある。

 第1原発の復旧サポートもしているようで、「現場はまるで戦場のよう。みな心身ともに極限まできている」。さらに、「地震は天災です。でも、放射性物質による汚染は、東電がこの地にあるせいです」とまでいう。

 追いかけて29日の読売新聞が、第1原発で働く作業員たちの様子を伝えた。何百人もが毛布1枚で雑魚寝。朝はビスケットと野菜ジュース、夜は発熱弁当と缶詰の1日2食。風呂、シャワーなし、着替えもろくにないと。いかに非常時とはいえ、メシも満足に食わせないとは、どういうことか。

 どちらも、作業員たちが具体的にどんな仕事をしているのかは、書かれてなかった。朝日の記事によると、昨年7月の時点で、2つの原発で東電社員 1850人、関連・協力会社9500人が働いていた。その9割が地元だという。驚いた。原発というのは、人っ気がなく、制御室のボタン操作、がイメージだったからだ。

 そういえば、地震のとき4つの原子炉で1000人はいた、とテレビで話す作業員がいた。「運転中だった原発だろ。何のために?」と思った。建設工事だって、そんなには要るまい。いま第1だけで400人とも500人というが、放射能汚染の中で、短時間の作業をつないでいくためなのだろう、くらいにしか思っていなかった。

 あらためて、いったい何の仕事をしているのだろうと思う。事情を知っている友人に聞いてみた。すると、原発といえども発電所なので、法律に基づく各種のメンテ作業が目白押しなのだと。なるほど、原子炉だけが最新技術で、あとは労働集約型ということか。しかも、メシは日に2食で? それじゃあ“原発哀史”ではないか。

 事故が起こった後、原発で何が行われたのかも、いぜんわからないままである。外部からの電源導入に配線作業はあった。これはわかるが、あとは自衛隊、消防による放水、そしてタービン建屋に入った3人が被曝した。それだけだ。あとの何百人はどこで何をしていた?

 その前、原子力安全・保安部が発表する内容は、原子炉や燃料プールの様子、それも現場を見ていない推測ばかりだった。当然だろう。津波以来、制御室は暗闇だった。爆発で本館のガラスが割れていたこともわかった。ではどこから、だれが、どんなシナリオをもとに、作業員に「過酷な」「極限」労働の指令を出しているのか?

 なによりも福島では、原子炉の管理者のカオが見えない。何をしていたのかもどこにいたのかもわからない。その管理者が、震災の直後にことの優先順位を間違えた、それが始まりである。ひょっとして、東京ではないのか?

 と、大学の山仲間の先輩から「あまりアツくなるな。これが日本の実力と思っている」というメールがきた。工学部出で、長年海外で石油プラントなどの立ち上げをやっていた人だ。

 のっけに「原子力発電所に高架水槽が無いとは知らなかった。勿論地震で原子炉より先に潰れたかもしれないが」という。いつもどこまで冗談かわからない話が面白い人なのだが、これには「エッ?」と思った。なるほど、倒れさえしなければ、ジーゼル発電や消防の放水よりはるかに簡単・確実だ。

 50年前の卒論が「放射性廃棄物の処理」だったとかで、関心は「何時まで経っても完成しないむつ小川原」の方で、「未使用のままスクラップになりそうだ」という。

 そして曰く「研究、実験、Project Execution/ Management各分野、歴代の責任者とその業績・年俸、今までに投入した資金(税金と民間投資合計)、今後の予算をしっかり、しつこく報道して欲しい」と。おまけに「刑法では問えぬが」とただならぬ但し書き。

 しかしこれ、そのまま福島原発にも、これから当てはまることではないのか。こちらは、刑法適用だってありえなくはない。

 メールはさらに、「人間の力は自然の力に及ばないことを、謙虚に認める勇気が必要。地震・津波だけではない。原子も自然の一部」「原子力発電所に、どれだけ何を備えなければならないか? 不毛の理論だ。なぜ人間に大事な心臓や脳が一つしかなく、肺・腎臓は二つあるのか?」と問いかける。

 そして最後に、「我が余生も長くて10年ほど。もう一度、人様のお役に立ちたい」という。何のことかと思ったら。「この年齢になると、残念ながら遺伝上の変異を恐れる理由はない。もし、年寄りで低レベルの放射能をさほど恐れぬVolunteerを募っているNPOあれば 教えて下さい。当方 英語excellent、Plant建設、Project Managementに詳しい、と華麗なる履歴書を作り上げます」なんて書いてある。

 相変わらず、どこまで本気か冗談かわからないのだが、いえるのは、もしこういう人物が1人でも中枢にいたら、福島原発もああはならなかったということだ。長年真摯にモノ作りを続けてきた技術者の視線の確かさ、ごく当たり前のバランス感覚が、なんとも気持ちがいい。

2011年3月21日月曜日

そしてみんなバカになった


 福島第一原発の1、2号機で19日、電源が復旧した。実に地震発生から丸8日である。新聞も「冷却再開に一歩」と書く。だが、これは地震の当日に、徹夜してでもやらなければならないことだった。

 地震で原子炉は自動停止し、ジーゼル発電機12台による炉心冷却が作動した。が、間もなく津波で11台が止まってしまう。うち9台が水冷式だった。津波で冷却水の取水口が破壊され、2つのジーゼル燃料タンクも吹っ飛んだ。津波は内陸300メートルにまで達したという。確かに想定外の事態だった。

 問題はその後だ。バックアップ電源確保の選択肢は、発電機の復旧か外部電源かしかない。東電には、外部からの送電線の引き込みの方が簡単だったはず。電気屋なんだから。しかもことは一刻を争う。放射線量はまだ正常で、屋外作業ができた。「徹夜してでも」といったのはこのことである。

 もし電源がないとどんなことになるか、この時点で知っていたのは原子炉の管理者だけだった。しかし、その後の展開を見ると、彼らに「何が何でも」という危機感があったとはとても思えない。結果、天災を人災にしてしまい、原発4基をオシャカにした。40年の原発の歴史と信頼はおろか、ある意味未来までをも危うくしてしまった。この責任はきわめて重い。

 海水注入を最初にいったのは、菅首相だったという。だが廃炉になるからと、東電は受け入れなかった。われこそは専門家だと、「半可通が何をいう」と、また原発を「東電のもの」だと思っていたのであろう。そうじゃない、災厄は日本のものだ。成り行きを世界中が注目する。

 事故が起こってからでも、この東電の体質はいたるところに出た。情報が遅い。詳細を明かさない。敷地内の画像がない。4基の原子炉の無惨な姿の詳細は、米の衛星写真が第一報だった。なんということ。しかもなお、30キロ以内は撮影禁止。近辺は飛行禁止。メディアがなぜかくも従順なのか、不思議である。

 東電は14日の時点で、社員を引き上げたがっていた。菅首相が乗り込んだのは、このためもあったという。「腹を決めろ」「撤退したら東電は 100%つぶれる」とまでいったそうだ。そりゃあそうだろう。おっ放り出されて、チェルノブイリを3つも4つも作られてはたまらない。

 始末はだれかがやらなければならないのだ。結局は自衛隊、警視庁、東京消防庁が突撃隊になった。その使命感には頭が下がる。また、東電の現地社員もいる。地震のとき原発にいた作業員のなかには、避難から戻ってくる者もいるという。今後収束のシナリオを描くうえでも、彼らは大きな力になるだろう。

 この事故による電力不足から、前代未聞の計画停電となった。東電は節電も呼びかけ、鉄道各社は運行数を削減したが、利用者に大きな混乱はなかった。外国メディアは「さすが日本人」と書いたのだが、買いだめが起こったのは予想外だった。

 コンビニのパン類の棚が空っぽだったのには、あぜんとした。「菓子パンなんか買ってどうするんだ? 被災地のことを考えろ」。スーパーでも、あふれ返っていたカップ麺の棚が見事に空っぽ。コメもない。お陰でわが家はコメが買えずに、この4、5日は分けのわからんものを食っている。全然売れてなかった電池までが消えた。「電池買いだめてどうする? バカか」

 バカは日本だけじゃなかった。円高である。これまでの最高値は、阪神大震災のあとの79円75銭だったそうだが、これが76円台にまでなった。地震で日本企業が外貨建ての資産処分に動くという思惑なのだそうだ。これで株も大きく下げた。世界同時株安に?なんていってる。なんともバカバカしいことだが、値動きは現実のものだから始末が悪い。欲の皮の突っ張ったやつにつける薬はない。

 環八の交差点を渡ろうとしたら、夜なのにずらりと車が並んでいる。1キロほど先にあるガソリンスタンドは、値上げの前にはいつも列ができる。しかし、今回はたかが停電だろう。被災地ならいざ知らず、東京で並んでどうする?

 そして極めつけが放射能だった。福島県の牛乳とほうれん草から、通常より高い値が出たと新聞・テレビが伝える。牛乳の方は、「出荷もしていないのに」と名指しされた村人がぼやいていた。もともと輸送がだめで、捨てていたのだそうだ。

 ほうれん草では、専門家と称するのが「洗えば落ちる。心配なら湯がいて」なんていってる。そんなこといわれて、だれが食う気になるか。どちらもレントゲン検査の何十分の1だというのに、「通常の何十倍」なんていえば、煽っているようなものだ。まるでマンガである。

 福島からは、他県に避難する人が続出しているが、福島からとわかって、宿泊を断られたというのだからあきれる。いったいいつから日本人はこんなにバカになっちゃったのか。だいいち、広島、長崎で被爆した人たちに失礼だろう。

 一方で津波の被災地からは、これぞ人間、というような温かくまた悲痛なドラマが連日伝えられる。この落差は何なのか。福島から南、どうも我利我利亡者の国になっているらしい。

2011年3月15日火曜日

テレビの前で原発レッスン


 偉い先生方が、繰り返しテレビで解説してくれると、福島第一原発の原子炉の仕組みをわかっちゃったような気になる。しかし、なんかおかしい。素人でもおかしいと思うのに、先生方が案外平気でいるのがわからない。

 その第一は、バックアップのジーゼル発電機が働かなかったことだ。自動停止した原子炉の冷却過程で必要な電源だという。冷却できないとどうなるかは、素人にだって見当がつく。

 詳細はわからないが、津波にやられたのが「想定外」だったという。しかしジーゼル発電機の造りはどれも似たり寄ったりだろう。つまりは、水没したとか燃料タンクが流されたとか、いってみれば単純な理由で動かなかったのだろう。ただ、バックアップのバックアップがなかった。町工場じゃあるまいし。

 冷却システムの電源というのなら、ほかの発電所からもってこられなかったのか。電気屋なんだから。さらにいえば、いっそ停止した原子炉を再起動させたら、すべてがうまく働いたのではないか。地震では無傷だったのだから。

 現場が何をやってるのかわからないままに、1号機の圧力容器(こんな言葉まで覚えちゃった)内の水位が下がった、逆に温度はどんどん上がって、内部の圧力が高くなる。それくらいは小学生にだってわかる。そしてとうとう燃料棒が顔を出してしまって溶け始めた(メルトダウン)ことがわかる。「圧を開放する」とかいってるときに、ドンと爆発した。

 この時の原子力安全保安局の発表がひどかった。爆発から2時間半も経っているのに、「詳細は確認中」ときたもんだ。そして住民の避難手続きだの安全だのばかりいっている。事実が知りたいのに、何のデータもない。つまりは東京電力が保安局に伝えてこない。しかも40分以上もの会見の間に、新しい情報がひとつも届かなかった。なめられたもんだ。

 また、記者たちのお行儀のいいこと。文句はいってるのだが、それだけだ。もしこれが30年前だったら、「保安局はなんのためにあるんだ」「すぐ東電を呼べ」とどなりまくっただろう。昔の記者は柄が悪かった。が、こんなときにおとなしい記者なんていらない。

 直後の官房長官の会見で、水素爆発だとわかった。格納容器の外で、吹っ飛んだのは建屋の天井と外壁だと。放射性物質の放出はなかったとする一方で、周辺住民の避難の指示が出された。あくまで、念のためみたいなことだったが、避難の過程で、被爆と汚染が確認された。どこから漏れたんだ?

 この水素爆発もわからない。炉心に水を注入すると、水の中の酸素が金属と反応するから、水素だけが残るという。しかしそれは圧力容器の中のはず。どうやって建屋のなかにまで出てきたんだ。学者先生も「どうしてでしょう?」。おいおい、

 1号機にはついに海水を注入することになった。多分おしゃかにすることになるらしいが、今日(14日)は3号機が爆発した。これも1号機同様に水の注入がうまくいかず、メルトダウンの兆候を示していた。こんどは東電が会見したが、これがまたひどいものだった。

 もう水素爆発はわかっているとして、まずはけが人が3人出ていて、救急車で搬送云々。つぎに「パラメーターがどうとか」と数字を並べて、ひとしきり安全を強調したあとで、「行方不明が7人出てます」と平然といってのけた。「エーッ」である。

 自衛隊員6人とプラントの作業員1人だという。救急車で運んだのは東電の社員2人と協力会社の1人。「こいつら、人間をなんだと思ってんだ」と柄悪くいったのは、テレビの前のわたしだけで、会見場の記者たちは、だれ1人これに噛み付くものはいなかった。

 さらに聞くと、水素爆発というのも、周辺の放射性物質の測定値が変わらないことからの推測で、まあ、それは正しいとしても、建屋の中の格納容器の状態というのも推測だった。つまり、だれも目で確認してはいないのだ。

 水が入るも入らないも、圧力を逃がすのもなにもかも、全ては安全な制御室からの遠隔操作。人間がワザを使ってどうこうできるものではない。これはおそろしいことだ。機器のソフトが狂ったら、また配管などにミスがあったら、どうにもならないではないか。過去の事故はみな、そんな話だった。

 現に、圧力容器内の水位を示すゲージは正しく動いてはいないらしい。水はもういっぱいのはずが、メーターはそうなっていないと。遠隔操作では、どっちが正しいのかすらわからないのだろう。

 原子炉が静かに冷えてくれれば、それからどうにでも対処できるだろうが、とうにメルトダウンの温度になってしまっている。官房長官は、「いま冷却作業を続行中」というが、それは東電の受け売りにすぎない。その東電は、かくも頼りないのだ。

 不明の7人は幸い軽症ですんだらしい。が、防衛大臣は、社長を呼びつけて「人命に無頓着な会社に協力できると思うか」と脅しあげてもいいくらいだ。傲慢と鈍感につける薬はない。ぶん殴るのが一番である。

 これはもう、次を考えておいた方がいいのではないか。といってる間に、今度は2号機がおかしいという。理屈は同じだからもう見当はつく。わずか4日のテレビ前の座学で、素人でも、これくらいはわかるようになった。

2011年3月12日土曜日

テレビはいらない?


 NHKの「クローズアップ現代」が10日、カベをひとつ踏み破った。急速に存在感を増しているインターネット放送に入り込み、放送後はプロデューサーらが「ニコニコ動画」のトークに加わった。タイトルが「テレビはいらない?」ときたもんだ。

 「果敢に」というよりむしろ、いつかはそうなる、といった方がいいかもしれない。「ニコニコ動画」や「Ustrem」の存在感は、すでに無視できないレベルにある。イベントの実況、ネットアーティストの活動、政治家や官庁の会見、さらに個人の放送だけでも57万人という。まさにⅠ億総放送局である。

 テレビの中継といえばこれまで、中継車、カメラ、照明、音声と大そうな仕掛けが必要だった。が、ネット放送は、小さなカメラとパソコン、あるいはスマートフォンだけでできてしまう。だから、お坊さんが説法をしたり、中学生が散歩の風景を流す、サラリーマンがその日の昼飯を見せる‥‥何でもありだ。

 25歳の女性の部屋にはテレビがなかった。「以前はそこにあったけど、見ないから捨てた」。見るのはもっぱらネットのアーティストである。パフォーマンスを見ながら書き込みをすると、「弾幕」といって、文言が画面にゾロゾロと出てくる。アーティストはそれを読みながら、映像と声でリアルタイムで答える。

 「ホントに身近で、これを見たらテレビが味気なくなる」。書き込みは、何万という数になるのだそうだ。ところがこの「弾幕」、画面の右から左へ流れていくのだが、読むスピードが遅くなっている年寄りにはとても追いきれない。完全に若者の世界である。

 民主党の小沢元代表が、昨年暮れから立て続けに出演している「ニコニコ動画」。テレビと違うのは、編集されないこと。嫌な質問がない、余計な論評がつかない。彼はこの3つが何より嫌いで、政治部記者が嫌いな理由でもある。これがないから、小沢氏はいつもニコニコ。20万人が視聴しているという。

 「クロ現」の女性プロデューサーは、番組終了後駆けつけた「ニコニコ動画」のスタジオで、このテーマに切り込んだ理由を「テレビは視聴者の空気感を知らない。それを実感できないか。また、テレビがこれからどうなるか、もあった」といっていた。

 彼女が到着すると「弾幕」は、「WWWW」「8888」(パチパチの意らしい)「美人熟女」「美人ですなー」「ちゅっちゅっ」‥‥てな具合だ。「クロ現」の番組中にも、「ネット放送はどうなると思うか?」と聞いたところ、たちどころに「ニコニコ」の視聴者から、「コラボすると思いますよ」と返事があった。

 いや驚いた。すごいの一言。とんでもない世界である。これで合点がいった。朝日新聞が昨年3月末から夕刊で続けている連載「メディア激変」は間もなく1年、10日が227回目だった。激変の核にあるのは、ネット・メディアだ。

 シリーズを一口で言うと、新聞、テレビ、出版‥‥あらゆる既存のメディアが、ネット社会とどう折り合いをつけるかの物語である。スタートはネット放送だった。それがなぜこんなに長々と続いたのか。メディアが多岐にわたるうえに、動きが世界と連動していておそろしく早いからである。

 例えば「電子書籍元年」というシリーズは、アマゾンだマックだグーグルだと「侵攻」を分析したが、その後のiPadの普及などで、半年も経たずに「電子書籍その後」をやらざるをえなかった。ぼやぼやしていたら、置いていかれる早さなのだ。

 といっても別に、浮き足立つことはない。一般の人の大半はネットなしで生活しているし、だからといって、大いに不利益をこうむるわけでもない。どうしても必要なニュースは、少し遅れで既存のメディアが流してくれるからだ。

 しかも、ゼロからニュースを拾い上げる能力では、依然として既存メディアは王様だ。ネットのニュースサイトだって、新聞・通信の配信なしでは成り立たない。ただ、既存メディアが「ニュースだ」と判断したもの以外にもニュースはある。これが、ネット・メディアの教えなのである。

 翌11日の東北・太平洋地震で、夜になって発生した気仙沼市の火災は、自衛隊のヘリが撮った映像が第一報だった。再三の津波で壊滅状態の地区だったから、市も状況がつかめない。そこで市は、わかった分をツイッターで発信した。

 するとNHKがこれを拾い上げて、速報で伝えていた。はからずも、前日の「クロ現」で視聴者が予言した「コラボ」が、立派に機能していたのだった。何というタイミングの良さ。

 新聞・通信もテレビも雑誌も、沢山の情報の中から伝えるべきものを選んで(編集)流してきた。それは今後も変わるまい。だが、ネット放送はまさに対極にある。選ぶのは視聴者だと。ツイッターしかり、facebookしかり。全く別のメディアだが、存在感と利用価値はますます高い。既婚メディアも踏み込まざるをえないところまできた。

 新しいものをどう取り込むかは、古い世代次第だ。人は常にそうして歴史を開いてきた。だがさて、今回はどう折り合いをつけるか。頭の切り替えに、少し時間がかかりそうである。