先輩が亡くなって、葬儀に出られなかったので、弔電を打った。いまは、NTT東日本のホームページからパソコンで文面を送れる。便利なものだ。電信紙にカタカナで書いた時代があったなんでウソのようだ。
ところがである。手続きを進めるうちに妙なことになってきた。まず「封筒を選ぶ」というのがあって、これが最高1万円から5000円、3000 円‥‥といろいろある。高いものは生の花がついたかごのようなものらしい。それが押し花になったり、刺しゅうになったりと、だんだん安くなる。
では下の方はとみると、昔ながらの封筒みたいなのがあって、それには「ベーシック 0円」、つまり無料なのだった。カタカナ時代そのままである。しかしランクがあるとなると、さてどれを選ぶかは、かなり悩ましいことになる。いやらしいやり方だ。
そして、申し込みを受け付けた確認のメールこそタダだったが、先方への配達の確認などその他もろもろはすべて有料で、それぞれに消費税額がついている。で、最後に電文の料金計算は?となって、これはまあ、あいた口がふさがらなかった。
25文字以下660円(税込 693円)から始まって5文字90円刻みになっている。一般電報だと、はじめが440円(税込 462円)で以後60円(税込 63円)刻みだ。要するに、カタカナ時代と同じなのだった。
ちょっと待てよ。5文字くくりとはいえ、ひと文字いくらという考えは、トンツーで打っていた前島密の時代のものだろう。手間もコストもかかるから、というのは誰もが納得する料金設定だった。ところがいまは、メールと全く同じ方式なのである。
こちらの原文を、カナ漢字でそのまま貼付けて申し込むと、プリントされる結果も画面で確かめられる。われわれが日常送受信しているメールとプリントそのものである。25文字だろうと100文字だろうと、手間もコストも変わらないはずだ。
にもかかわらず、ひと文字いくらという計算がいまもって生きている。いったいどういう神経か。また、文句をつける人はいないのだろうか。
弔電や祝電は滅多に打つものではないから、だれもどんな形で届けられるのかを確認もすまい。定型の文面を選択すれば、「いくらです」という金額だけの話になる。利用者の無関心をいいことに、明治以来を続けているのである。
数年前に打ったときはまだ電話の申し込みで、料金も「何文字でいくらです」と結果を聞くだけだったから、なんとなくカタカナの延長の気分でいた。昔から電報とはそういうものであったのだから。しかし、ホームページで仕組みが全部見えてしまうと、これはひどいものである。
私の電文は104文字だったから、100文字=2,010円(税込 2,110.5円)プラス90円(税込 94.5円)。で、封筒もゼロではなんだからと、まあ、1500円(むろん消費税がつく)で、計3千数百円である。
少し長めに書いたら、軽く5000円は超える。さらに封筒に凝ったりしようものなら、お香典の額になってしまうだろう。コストからいえば、文面 が短くても長くても一緒なのに、亡くなった人への思いが深い(長く書く)ほどぼろもうけ。さらに封筒で利用者の「見栄」をくすぐって、金額を積上げる。
いってみれば、香典の上前をはねているようなものではないか。そんなくらいなら、現金書留で香典を送った方がよっぽどいい。
それにしても、いったい誰が封筒に1万円だ5000円だという金を出すのだろう。代議士先生か? いや彼らはちゃんと香典を届けているはずである。でないと、票にならない。ではだれが? 会社関係か?
弔電自体がもはや葬式のセレモニーの一部である。しかしなおも「電報」を騙ることで、死者を弔う善意のかなりの部分がNTTの懐に入っているのは間違いない。とうの昔に民営化したんだから、「明治の亡霊」をだしに商売なんかするなよ、まったく。
2009年10月31日土曜日
香典の上前をはねるな
2009年10月26日月曜日
政権担当能力とは?
前原国交相の「羽田ハブ空港化」発言で、千葉の森田知事が「眠れなかった。冗談じゃない」と怒ってみせたのはお笑いだった。しかも翌日、当の大臣と会見した後は一転、ニコニコして「安心した」だと。
大臣の方は別に、成田をどうこういったわけではなかったが、森田知事は、「羽田に国際線を」というところだけで、カッとなったものらしい。ところが、カメラの前で怒っている知事に、記者団から「勘違いですよ」という声もかからなかった。なんともみっともない話だ。
テレビにいたっては、怒っている絵が撮れればそれでいいのか。さらには、成田紛争のいきさつを流したりして、「あれだけ血を流したのだから」なんてピントはずれもいいところ。
前原大臣のいわんとするところは、羽田の新滑走路ができて、24時間供用になった時点で、「仁川に対抗するハブ空港にしたい」というものだ。これに対応できる空港となれば、地理とキャパシティーからいって羽田しかない。
国内線と国際線という線引きをなくし、便数を増やして着陸料を下げるとか、無駄な地方空港の問題とか、間接的には日本航空の支援も視野に入れた航空行政の立て直し策だ。いわば自民党なしくずし行政の清算なのである。
前原氏は、長年公共事業の洗い直しを野党の目でぎりぎりとやっていた人だから、いざ主管大臣になって一切のデータを手にしたら、これは強いだろう。アナもごまかしも策略も丸見えになるし、意味もわかる。マニフェストの約束ごとだけの大臣じゃない。
それが、道路、河川、港湾、航空、鉄道と間口の広い国交省の大臣になったのだから大変だ。八ッ場ダムから始まって、まあ目下のところはトラブルメーカーみたいにいわれているが、優先順位で事業を見直すという視点でみれば、どの動きも必然である。
国交省だけではない。厚労省、経産省、法務省‥‥みな一斉に動いている。しかもオープンだから、ニュースが多い。副大臣、政務官にも案外「専門 家」がいて、出身も弁護士、役人、税理士、学者‥‥テーマによっては大臣より詳しい人材もいる。派閥順送りと族議員でまわしていた自民党とはえらい違い だ。
もうだれも「政権担当能力」なんていわなくなった。補正予算を削り倒し、概算要求での優先順位づけ、無駄の削除を議員がやっている。役人抜きで自民党議員にそんな能力があるとは、とても思えない。それがわかってきたからだ。
政権担当能力といえば、かつて小沢一郎氏が当時の福田首相と大連立に動いて総スカンを食ったとき、「民主党にはまだ担当能力がない」といったも のだった。その「能力」とは、おそらく「自民党と同じようにやる能力」のことだったのだろう。選挙は「そんな能力要らない」という国民の意思表示だった。
22日にはいよいよ行政刷新会議が動き出した。民間人もいれた議員と副大臣、政務官級がチームを作って予算の無駄を仕分ける。「わが省」といういい方は禁句(仙谷担当相)で、「必殺事業仕分け人」というのだそうだ。
リーダーの1人、蓮舫がテレビで語っていたが、驚いた。1案件1時間として日に最大8件。期間が9日間なので計72案件。3チームあるので、プラスアルファをいれて240件だが、作業は土日なしだという。こんなに働く国会議員いたか?
それでも、全体が3000件だからほんの一部にすぎない。必然的に金額の大きな予算から精査することになるのだろうが、「継続してやれば、法制 度改正の必要も見えてくる」と、やる気満々だった。一気には無理だろうが、特別会計にまで手を突っ込んだら、面白い展開になるだろうなという予感がある。
鳩山政権にはほかにも、普天間問題や日本郵政の社長人事などで、「マニフェストと違うのでは?」という話が次々に出ている。そんな中、FNNが面白い調査結果を出した。電話で全国の1000人に聞いた結果だという。
◆政権公約(マニフェスト)は守るべきか?
必ず守るべき 9%
守れないものが出ても仕方がない 38.8%
とらわれず柔軟に 50.6%
◆ 公約実現のために赤字国債を発行すべきか?
すべきだ 24.5%
思わない 60.2%
◆ 実現すべき公約
子ども手当 61.8%
農家への戸別所得補償 59.2%
高校授業料の無料化 46.9%
高速道路無料化 19.5%
どうやら国民の方がずっと覚めている。変にマニフェストにこだわって理屈を踏み外したりすると、ビシッとやられるかもしれない。勢いづいているのは民主党だけじゃない。
2009年10月21日水曜日
思い込みのルーツが知りたい
元金融相中川昭一氏の通夜、合同葬には驚いた。それぞれ3000人、2500人というのだから、フジテレビで小倉智昭が、「元閣僚で落選した人で?」といったのは無理もない。「死ぬといい人になることは多いが‥‥」と。
普通なら通夜が新聞に載るケースではない。今回はウエブで逃げたところが多かった。ところがテレビは、歴代首相が並んだりして絵になるものだか ら、大張り切り。ワイドで、「繊細でいい人だった」とか、盟友だった安倍晋三氏が、「もっと国のために闘ってほしかった」という映像までが流れた。
例のNHKの番組改編騒動で、朝日と対決したのが安倍、中川両氏だった。あのときの中川氏の話は支離滅裂。朝日が記事にしたとき、彼はちょうどパリにいて、朝日の取材に「ダメだといったんだ」と答えている。
これが「圧力」と伝えられるのだが、帰国すると一転、「NHK幹部と会ったのは、放送後だった」といいだした。事務所のスケジュール表がそうなっていたと。そんなバカな。放送しちゃった後で「ダメだ」はあるまい。
しかし刑事事件でもなし、朝日の突っ込みも今ひとつで、おまけに取材側の不手際なんかもあって、うやむやと争点がそれ、うまいこと朝日とNHKの喧嘩にしてしまった。
騒ぎのもとは「タカ派」にある。教科書や拉致問題から核武装まで、中川氏は大物風を吹かして積極的に発言・行動していた。また、自民党も霞ヶ関もメディアも、「実力者だ」と甘やかしていた。これが結局、例のヘロヘロ会見につながるのだから、いいような悪いような‥‥。
安倍、中川両氏のいうことを聞いていると、いったいどんな歴史教育を受けてきたのかと、訝ってしまう。文部省が近代史をちゃんと教えないから、 まともな人は自分で勉強するしかない。その場合、どの本を読んだか、誰の話を聞いたかで、話が決まってしまう。肝心なのは、何が書いてあるかではなく、何 が「書いてないか」「語っていないか」である。
いま国会方面で勇ましいことを言ってる人たちに共通するのは、戦争を知らないこと、自分たちだけが正しいという思い込みである。まともに歴史を 読んでいないから、異説を知らないし知ろうともしない。要するに、歴史上の出来事なのだ。それが実力者などと奉られたりしたら、とんでもないことになる。
こうした思い込みは、どうやって作られたのか。どうしても関心はそこへいく。彼らはひょっとして、戦争でひどい目に遭わなかったか、あるいはむしろいい思いをした人たちの子孫なのではないかと、実は疑っている。
アンケートをしてみたらいい。「4親等以内で戦死、あるいは戦災で死んだ人が何人いるか?」「空襲で自宅が焼けたか?」。歴代の首相をずらっと並べて、「父親は戦争にいったか?」。この3つの問いだけで、相当なことが見えてくるはずである。
徴兵制度に抜け道があることは、だれもが知っていた。社会の上層にあった人たちは、これを巧みに使った。国政・地方の議員に赤紙は来ないし、大 学進学も徴兵猶予の道のひとつだった。また、軍隊にとられても、配属先で手心を加える余地があった。しかし、本当の庶民には、赤紙を逃れるすべはなかっ た。
私の家では、叔父、伯父が1人づつ戦死している。父親もとられるところを、若い頃オートバイ事故で足を骨折して、丙種だったお陰で助かった。「同時にとられたあいつも、あいつも中支で死んじゃった」とよくいっていたものだ。
千葉の空襲で自宅も焼け、わたしは目の前で小学校が焼け落ちるのを見た。裏の一家が防空壕で全滅しているのも見た。これが戦争や安全保障を考える原点になっている。小学校2年生だったから、戦争を記憶している最後の世代だろう。
国会でも同じことだ。同じに保守であり右翼であっても、戦争をどう実体験したか(ひどい目にあったかどうか)で違うし、それが戦後世代にまで及んでいる、という思いはぬぐえない。
いまや議員の3分の2は戦争を知らない。また2世3世議員の多くが、靖国に参拝し、憲法改正をとなえている。安倍、中川両氏がその代表選手だった。まあ、何を考えようと勝手だから、それはいい。
気になるのは、それらが様々に再生産されていることだ。靖国神社をみるがいい。歴史教科書では「書かない」ことを競っている。空自参謀長は、単細胞の論を隊内に広めていた。小林としのりが歴史だと思い込む若者は多い。
その意味で中川氏は危ない存在だった。安倍氏の「彼から闘うことを学んだ」という言葉に如実に表れている。闘うのは勝手だが、それを「国のために」といわれては、大いに迷惑である。
2009年10月3日土曜日
バイト代が選挙違反とは‥‥
まあ、選挙違反の記事が少ない選挙だと思っていたら、9月29日現在のまとめが発表された。摘発194件、逮捕111人で、前回、前々回よりかなり少ない。独立して記事になるような、重大な違反もなかったらしい。
なかで落選候補者の逮捕が3人あった。このうち、埼玉13区の武山百合子元衆院議員のケースは、例の選挙期間中にアルバイトに金を払ったという容疑だ。このところ、選挙の都度、いちばん多く記事になる違反である。
武山氏は、日本新党から民主党まで4期を勤めたが、前回05年の郵政選挙で落選。今回民主党は別の候補を立てたため、無所属での立候補だった。
細川政権崩壊のあと新進党、自由党から民主党と、小沢一郎氏と行動を共にした人だから、少なくとも「小沢選挙」で3回は勝って、1回敗れているわけだ。公認漏れには、何かよほどの事情があったのだろう。とはいえ、警察は落選候補には情け容赦ない。
埼玉県警によると、運動員はハローワークを通して雇って、選挙前には金を払ったが、選挙期間中は「覚えていない」のだそうだ。いまどきハローワークのアルバイトが無報酬で働くわけがない。
法律の方が現状に合わないのだ。「一般の選挙運動員に報酬を払ったら買収になる」なんて法律が生きていること自体がおかしなことである。
とはいえ法律は法律だから、警察は目星をつけて、アルバイト運動員を引っ張ってくれば、みんなぺらぺらとしゃべるだろう。何か書き付けでも残っていれば、はい、一丁上がりである。
この公選法の条項は、ほとんど警察のためにあるようなもの。もっとも引っ掛けやすく、やる気になればいつでも摘発できるし、見て見ぬふりをすることもできる。今回、落選候補で逮捕の北海道がそうだし、後で述べる熊本のケースもこれである。
今回公明党の太田代表を破って話題になった青木愛議員(民主)は、前回の参院選(比例区当選)で、看板を立てるのに金を払ったとして広告会社社 長らが同じ容疑で逮捕されている。指示をだしたのは、小沢一郎氏の秘書だと伝えられた。摘発した千葉県警も肝を冷やしたことだろう。経緯は不明だが、責任 は議員本人には及ばなかった。
同じ参院選と前回衆院選では、当選した自民議員が1人づつ、その前の参院選では、民主党の2人が、辞職に追い込まれている。いずれもバイトや電話作戦に日当を払ったとして、出納責任者がぱくられた連座責任である。
しかし、ホントに議員が辞めなければならないほどのことだろうか。払った金額だって、時給にすればコンビニのバイトと変わらない額だ。ただ法律がそれを認めていないだけのこと。
現実には、法律の改正をしないままに、どの候補者も日当を払っているのに、払っていないという。その分の辻褄をどこかで合わせないといけない。つまり、選挙の収支報告書自体がインチキなのである。その方がよっぽど問題だろうに。
だいいち、当選させた有権者の票の重さをどう考えているのか。一票を投じて当選した議員が、こんなつまらん法律違反で辞めるのを、選挙民はウンというだろうか。自分の一票が、たかがバイト代のために無に帰するのである。
しかし、こうした事例で、おかしいのでは?という声をあげたメディアはなかった。ことの軽重よりも、法律に違反したかどうかだけ。今回もまた警察の発表通りに、簡単な記事で終わりだ。「法律がそうなっているのだから」というのなら、そんなメディアはなくていい。
民主党の小沢幹事長は、国会法を改正すると語ったが、公選法の改正も視野にあるという。現行公選法には、このアルバイトの報酬の件だけでなく、 戸別訪問の禁止とか、選挙の本旨からいっておかしな規定が沢山ある。元はといえば、明治以来の「選挙には金がつきもの」という悪しき選挙観がある。
確かに野放しにはできまいが、いまや選挙をリードするのがマニフェストで、候補者とは直接のつながりの薄い無党派層が結果を左右している現状では、大いに有権者をバカにした法律になってしまっているのである。
こうした本質に切り込まないでいて、小沢氏が動き出したときに、後追いで解説するだけなら、下町のご隠居さんにだってできることだ。
上記の発表には含まれなかったが、熊本県警は30日、熊本3区で比例で復活当選した民主党後藤英友氏の出納責任者を逮捕している。有罪となれば連座制で当選無効となる。今回選挙で議員のイスがかかった唯一のケースだ。
これもまたバイト代なのだという。もし有罪、当選無効となったら、今度こそは有権者の側から、ことの軽重を問う議論を起こしてもらいたいものだ。少なくとも公選法改正を求める大きな声にはなる。メディアが寝ぼけていると、手間がかかっていけない。